Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

観ていない映画について語る(7)

2024年07月01日 06時30分00秒 | Weblog
 「倫理学を教える大学教授とその聴講生。聴講生の質問は教授の隠された過去を暴いていく。
 スポーツ好きの女性大学教授ゾフィアは、隣人の切手コレクターと親しくしている。ある日、勤務先の大学に、ある日ゾフィアの著作の英訳者である女性大学教員エルジュビェタが来訪する。ゾフィアの倫理学講義を聴講した彼女は、議論する為の倫理的問題提起の題材として第二次大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その内容は二人の過去に言及したものであった......。

 モーセの十戒で言うと「汝、隣人について偽証するなかれ」に対応しているが、「デカローグ2」を伏線としている。
 1943年冬(ナチスによる占領下)、エルジュビエタ(「エリザベタ」のポーランド語読み?)はユダヤ人夫婦の間に生まれた女の子。
 両親が亡くなり、このままでは収容所送りが必至だった。
 そこで、レジスタンスのグループは、仲間のあるカトリック教徒の夫婦が代理親となり、カトリックの洗礼証明書を入手することによって収容所送りを免れる方法を計画した。
 ところが、その夫婦の妻(実はゾフィア)は、
 「神様にウソはつけません
と述べて、代理母となることを拒否した。
 その後、エルジュビエタは別の人物の助けにより何とか生き延びて、現在はゾフィアの授業を聴講しているのだが、ある倫理的問題(デカローグ2の妊娠中絶の問題)で、ゾフィアが、
 「子どもの命を守ることが最優先です
と述べたのに対し、おそらくは抗議の意味を込めて、ゾフィアの過去を暴きに出たのである。
 これだけのストーリーだと、「『神』を口実として人命救助を拒むカトリック教徒の欺瞞」を暴露する話かと思ってしまうが、そうではない。
 この辺は、ストーリーがかなり複雑なので、もっと詳しい解説が必要だろう。

 「授業のあと、ゾフィアはエリザベタに言う「貴方があの時お嬢さんだったのね、無事でこんなに立派になってくれて嬉しいわ」。日が暮れて、二人は43年に初めて会った当時のゾフィアのアパートに行く。エリザベタは誰でも自分の命が大事なのだから恨んではいないというが、二人のあいだには張り詰めた時間が流れた。やがてゾフィアが真相を語る。あのとき自分たち夫妻が後見人になるのを拒否したのは宗教的理由からではなく、エリザベタをかくまうことになっていた地下活動の仲間が密通者だという情報があったからだった。だとしたらエリザベタは早晩ゲシュタポの手に落ちるだけでなく、組織の存亡まで危うい。しかし組織の安全のためにも当時のエリザベタに真相を語るわけにはいかなかった。エリザベタの問いそのものについて、ゾフィアの倫理になんらやましいことはなかった。ただその密通者だという情報はまったくの嘘であり、そのために善意にあふれた仲間を深く傷つけてしまったことは弁解のしようもない。

 ようやく、ゾフィアが代理親となることを拒んだ理由が判明する。
 ゾフィアは、
 「あなたを拒んだのは、神じゃない、私なの
 「私が間違ってた。一番に優先されるべきは、子供の命よ
と弁解しつつ、
 「どうして同じ人間に、『助ける側』と『助けられる側』が存在するのか?
という別の、しかも大きな問いを投げかける。
 ここに至り、「デカローグ5」(人と法による2つの殺人)との関連性も明らかとなった。
 他人の命を差配するような立場に立たされた人間にとって、その他人の命を救う以外の選択肢は存在しないのである。
 なので、この前後のやり取りにおいて、ゾフィアはもはや「神」という単語を使わない。
 「人間の命を差配する」のは神のみがなし得ることであり、そもそも人間はそのような立場に立ってはならず、万が一そのような立場におかれた場合、問答無用で「命を助ける」しかないというのが、ゾフィアがたどり着いた結論だったのである。
 ちなみに、ちょっと脱線するが、ディオニュソス信仰において、「胎児(ないし幼児、特に孤児)の保護」は、重要な原則の一つである。
 これは、ディオニュソスの生い立ちをみれば当然のことである。

 「毒薬の専門家でネロー(<暴君ネロー>として知られた一世紀のローマ皇帝)の侍医でもあったアンドロマコスが教えるところによれば、ディオニューソスの祭祀で引き裂かれる毒蛇ーー<まむし(エキドナイ)>ーーは、春の終わり、あるいは遅くとも夏の初めにプレイアデス星団が早朝の空に昇る時期に、最も安全につかまえることができた。(中略)を孕んだ蛇は、アンドロマコスによれば放してやらなければならなかったが、このことはもディオニューソス宗教の原則である胎児の保護と一致している。」(p83)

 ・・・というわけで、私が観ていない映画版「デカローグ8」では、
 「寒いマンションの廊下で、ナチスの追跡に怯えながら一人佇むエルジュビエタ
のシーンが出て来ると推測する。
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