「音楽監督のパッパーノが最後の日本公演で日本の観客に披露したいと固執したのが、この『リゴレット』。パッパーノの絶対の自信作ですから、感動の記憶として生涯残るはずです。・・・
日本公演には、パッパーノ指揮はもちろん、タイトル・ロールにはその才能とテクニックにパッパーノが太鼓判を押すエティエンヌ・デュピュイ、ジルダ役にはこの役で世界的に活躍しているネイディーン・シエラが登場。マントヴァ公爵役がイタリア・デビューだった“驚異のテノール”ハビエル・カマレナによる「女心の歌」もけっして聴き逃せません。」
私は、ジルダ役のネイディーン・シエラ(Nadine Sierra) の澄明な声と、よく考えられた舞台装置に感動した。
他方、リゴレット役には”醜さ”が、マントヴァ公爵役には声量が、やや不足しているように感じられた。
私見だが、リゴレットはやはりロベルト・フロンターリ、公爵はフランチェスコ・メーリ(Francesco Meli)かルチアーノ・ガンチあたりの方が良さげに思えた(但し、メーリの公爵役は聴いたことがないし、レパートリーにも見当たらないようだ。)。
ネイディーン・シエラは、ヴィジュアルも声もジルダそのものだが、グノーの「ロメオとジュリエット」ではジュリエット役を演じている。
なるほど、ジルダ≒ジュリエットということなのか?
舞台装置で唸ったのは、二階建ての建物という設定で、その二階を、1幕ではジルダの寝室に、3幕ではマッダレーナと侯爵が寝る部屋に仕立てたところ。
1幕の「慕わしい人の名は」をジルダが二階の寝室で歌っている最中に、彼女を拉致するため黒服の男たちが路上に次々と参集してくる場面は素晴らしく不気味であるし、3幕の「四重唱」では、路上にリゴレットとジルダ、二階に公爵とマッダレーナを配置したのが効果的で、両者のテンションの違いが際立っている。
なお、背景に使用されるカラヴァッジオなどの絵画は、公爵が”女性コレクター”であることを示唆しているようだが、本当に効果的かどうかは不明である(このメッセージは、絵画に詳しくない人間には分かりにくい)。
ところで、「リゴレット」を鑑賞するたびに、私はバルザックの「ゴリオ爺さん」を思い出す。
「醜い老人と、美しいその娘」という取り合わせが共通しているからだ。
私は、てっきりバルザックがユーゴ―の「王は愉しむ(Le roi s'amuse)」(「リゴレット」の原作)をパクったのかと思っていた。
確かに、「王は愉しむ」の初演は1832年11月22日であるのに対し、「ゴリオ爺さん」の連載開始は1834年12月なので、ユーゴ―がオリジナルであるようにも思える。
だが、「王は愉しむ」は一晩で上演禁止とされたらしいので、台本が市中に出回っていたとは考えにくく、これをバルザックが入手していた可能性は低そうである。
というわけで、「パクリ疑惑」は撤回しておくのが無難なようだ。