Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

始めと終わり

2020年12月31日 06時13分54秒 | Weblog
世界で加速「中国包囲網」中国で街から明かりが消えた…背景に「世界との対立」が?(テレビ東京)
中国で停電相次ぐ そのワケは?(TBS)

 中国で停電が相次いでいるらしいが、その原因がよく分かっていない。
 オーストラリア産の石炭の輸入制限を挙げる人もいるようだが、量的にみて大きな影響はないとする見方もある。
 いずれにせよ、2020年は、この国のニュースで始まり、この国のニュースで終わったといっても過言ではなかった。
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ヤバい人

2020年12月30日 06時53分40秒 | Weblog
教育に悪い法学教室記事~山口裕之論文批判~
 「【④一審無罪に対する職権勾留について】
「かかる場面の勾留は、制限的であるべきだといった論が一部にあるが、正しくない。1審判決が、明らかに間違っているということも、現実的に起こる・・」(中略)
 ④のような発想は更にひどい。ぱっと記録を読み、その一存で無罪を破棄しようと確信する、ということである(現に論文の別の箇所では「1審判決は明らかに誤りと確信できなければ、職権勾留といった挙に出られるはずもない」とされている)。自分が間違っているかも知れない、という畏れの念は微塵も見受けられない。無論、弁護人が控訴答弁で何を言おうと、耳を貸す御仁ではなかろう。


 ボ2ネタで紹介されていた、金岡先生による山口裕之論文批判。
 こんなヤバい人が高裁の部長まで務めていたとは、愕然とする。
 山口氏は、一審の記録を読んだだけで判決が「明らかに間違っている」と判断出来るらしいが、まるで「私は神だ」とでも言わんばかりの傲慢ぶりである。
 金岡先生が指摘するとおり、刑事裁判官にとって最も必要なものは、「自分が間違っているかも知れない、という畏れの念」であり、これが欠如しているから冤罪が生まれるわけである。
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第1のF(3)

2020年12月29日 06時52分27秒 | Weblog
名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。財産を失っても、また作ればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。」(ゲーテ)
富を失う者は多くを失う。友を失う者はもっと多くを失う。だが、勇気を失う者はすべてを失う。」(セルバンテス)
武士の子供は育て様あるべき事なり。先づ幼稚の時より勇気をすすめ、假初にもおどし、だます事などあるまじく候。
幼少の時にても臆病気これあるは一生の疵なり。親々不覚にして、雷鳴のときもおぢ気をつけ。くらがりなどには参らざる様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを申し聞かせ候は不覚の事なり。又幼少にて強く叱り候へば、入気になるなり。
」(「葉隠」山本常朝)

 人間の本能ともいうべきミトコンドリアの最も強い特性は、第1のF、つまり恐れ(fear)である。
 だから、これを何とか克服しないといけない。
 つまり、勇気を奮い起さなければならい。
 ところが、世の中では、逆に恐れを掻き立てるような教育が広くなされているので、「葉隠」は、そうした誤った教育法を戒めているわけである。
 ちなみに、本阿弥光悦の母:妙秀は、子供が悪いことをした時も決して怒らず、抱き寄せて、機嫌よく、申し聞かせていたそうである。
 これぞ教育法の鑑である。
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著作権侵害?

2020年12月28日 06時21分19秒 | Weblog
 シューマンの「詩人の恋」の1曲目(Im wunderschönen Monat Mai)を聴いていたら、ふと、後半のメロディーが、シューベルトのImpromptu No. 3 in G-Flat Major, Op. 90, D. 899の中のメロディー(38秒~54秒)とほぼ一緒であることに気づいた。
 当時は著作権などはあまり問題視されなかったのだろうが、どっちが先に作った曲なのかが重要なところであるが、シューベルトの即興曲が1827年ころ、シューマンの「詩人の恋」が1840年の作とされているので、シューベルトに分がありそう。
 それもそのはず、シューマンはシューベルトを崇拝していたらしい(シューベルトからシューマン、そしてブラームスへ)。
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落とし前(2)

2020年12月27日 06時37分52秒 | Weblog
ゴーン被告人の元弁護人、弘中惇一郎弁護士らが国賠提訴 「法律事務所を家宅捜索をしたのは違法」
 「弁護士は刑事訴訟法105条により、業務上委託を受けた他人の秘密に関するものについて、押収拒絶権が保障されている。
 提訴後に会見した弘中弁護士は「押収拒絶権について裁判所が正面から判断したものはない。その位置付けと内容を明確にし、今後同じような違法捜索ができないようにしたい」と話した。


 落とし前で予想したとおり、国賠請求訴訟が提起された。
 東京地検の行為が違法だという主張のようだが、こういう捜索差押許可状を発付してしまった裁判官の行為については違法と主張していないのだろうか?
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マチベン出身

2020年12月26日 06時31分26秒 | Weblog
役割を果たせていない「弁護士出身最高裁判事」(ボ2ネタ)
今回の決定は、弁護士出身の判事がその期待された役割を果たしていないことを強く印象付けました。
 安倍政権下で、ビジネス法務系ばかり、一弁(第一東京弁護士会)ばかり、最高裁判事に選ばれているということは、「最高裁に告ぐ」でも書いたところです。


 岡口裁判官は、袴田再審最高裁決定は「たらい回し」であるとして、この決定に与した弁護士出身の最高裁判事を批判している。
 確かに、一弁所属の弁護士ばかりが最高裁判事に選ばれるというのは奇妙である。
 かつては、那須弘平氏(二弁)、山浦善樹氏(東弁)といったマチベン出身の最高裁判事もいらっしゃったのだから。
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花の命

2020年12月25日 06時21分40秒 | Weblog
SWAN MAGAZINE Vol.62 新刊 2020年冬号
 「ダンサーの寿命はあまりに短い。ダンサーの一番良い時期というのは精神と肉体が交差した瞬間で、ある人はそれが一回の舞台かもしれないし、ある人は一年かもしれない。それぞれのダンサーの一番良い時期は把握していて、この時期がきたらこれを躍らせ、次はこれをと私の中で計画もできています。けれどそれが狂ってしまった。」(p33:東京バレエ団芸術監督 齋藤友佳理インタビュー)

 新型コロナ問題による公演中止により、「ダンサーの一番良い時期」を考慮して作った計画が狂ってしまったという芸術監督の嘆きである。
 おっしゃっていることは、「細雪」の幸子の言葉(日本語の名言・英語の名言)に通じるものがある。
 短い花の命が、これ以上コロナ問題によって損なわれないことを祈るばかりである。
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笑ってはいけない

2020年12月24日 06時57分12秒 | Weblog
爆問・太田「一生言わせていただく」一部勝訴 弁護士笑いこらえ…「週刊新潮」名誉棄損
 「会見の冒頭では「まずは今回、多目的トイレを利用してしまったことに関して、一言お詫びしたい」と、今月3日に行われたアンジャッシュ・渡部建(48)の会見をイジった。さらに裏口入学が実際に行われていた可能性についても「8・2でないですね」と冗談めかしてニヤリ。ギャグ連発で、隣席した顧問弁護士が笑いをこらえてうつむく場面もあった。

 この弁護士には同情するが、法廷で笑いをこらえなければいけない場面にときどき遭遇することがある。
 とりわけ「笑ってはいけない」のは、刑事裁判の法廷である。
 修習生時代のことだが、窃盗か何かの事件で、被告人(20代男性)の母親(おそらく60代)が情状証人として法廷に現れた瞬間、修習生全員が笑いを隠すため下を向いた場面があった。
 証人(お母さん)の顔が、被告人(息子)の顔とほぼ同じだったからである。
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楽譜の解釈

2020年12月23日 06時23分09秒 | Weblog
4月3日NHKらららクラシック撮影(仲道郁代さんのFacebook)

 この1790年式のフォルテピアノ「シュタイン」は、モーツァルトや月光ソナタ前のベートーヴェンも使用していた型のものだという。
 このようなピアノを保有する意義について、仲道さんは、「作曲家がその当時使用していたピアノの特性を把握することによって、楽譜をより深く解釈することが出来るようにするため」という趣旨を述べていらっしゃる(この発想は、なんだか荻生徂徠の古文辞学に似ている。)。
 例えば、ベートーヴェンの悲愴ソナタ冒頭の「フォルテピアノ」の指示は、フォルテピアノ特有の「音が早く消える」特性を踏まえないと理解できないそうである。
 ちなみに、「シュタイン」には足ペダルがなく、膝レバー(膝を上に上げる)方式であるが、ベートーベンは、月光ソナタの一楽章について、終始ペダルを使用するよう楽譜で指示している。
 これはかなり腹筋を使う動作なので、「普段から腹筋をよく鍛えておけよ!」というメッセージなのかもしれない。
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法学部におけるクソな競争と研究者の苦悩

2020年12月22日 06時27分53秒 | Weblog
 大学時代のある飲み会で、今は亡き西田典之先生が、「私が大学生のころは、平野先生(平野龍一先生)のように、ドイツの哲学者の著作を原書で読むような余裕はなかったですね~。」と語っておられた。
 ちなみに、平野先生や団藤重光先生の教科書には、カントをはじめたくさんの哲学者の著作が引用されている。
 西田先生の謙遜である可能性もあるのだが、先生の仰ったことが事実だとすると、おそらく、司法試験の勉強に割く時間を確保するために、研究や読書の時間が犠牲になったという事情があるのではないだろうか。
 その後も司法試験はどんどん難易度が増し、司法試験を受験してもなかなか合格できない研究者が(刑法学者も)出てきた。
 ロースクール制度の導入によって、合格率の問題は解消されたはずだが、依然として「無茶苦茶な競争」が続いているらしいことは、当ブログで何度も指摘したとおりである。
 だから、研究者を目指している法学部生も、試験勉強(クソな競争)に巻き込まれている可能性が高い。
 今や、「カントを原書で読んだことのない刑法学者」が、当たり前になっているのかもしれない。
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