Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

台所からキッチンへ(7)

2022年02月28日 06時30分08秒 | Weblog
 谷崎は、「イエ」のヒエラルキーにおいて最下層に位置する「女中」にフォーカスすることによって、「イエ」の衰退を描いた。
 もっとも、作家という職業は世襲に全くなじまないものだから、谷崎の「イエ」(=苗字=屋号:家職・家業の世襲制)が消滅することは最初から予定されていたといってよい(但し、小説の最後で、磊吉は女中たちの子供から「お爺ちゃん」と呼ばれて喜ぶわけなので、拡大家族ないし「新しい家族の形」の出現を見ることも可能ではある。)。
 さて、「台所太平記」から25年後の昭和63年(1988年)に「キッチン」が発行されたのだが、最初に指摘したとおり、この間、小説の外側にある日本社会は劇的な変化を遂げていた。
 それを簡単に表現することは出来ないし、この種の分析は後世の歴史家が行うべきものなのだろう。
 なので、ここでは差し当たり、新聞の三面記事だけで明治大正史を書いた柳田國男にならって(パクって)、当時の「ベストセラー」を振り返ってみることによって、社会がどのように変化していったのかを探ることとしたい。
 まず目につくのは、昭和39年(1964年)のベストセラー、大松博文「俺についてこい!」である。

百年の誤読 岡野 宏文 著 , 豊崎 由美 著
岡野:オリンピックに向かう時期、日本全体を包んでた「死にもの狂いで頑張る」みたいな空気を、ぎゅっと一冊に凝縮したような内容なんだ。
豊崎:そうそう!わたし、この本を読んで初めて、円谷幸吉選手がなぜ自殺しなきゃならなかったのかわかったような気がしましたもん。
岡野:僕がすごく嫌な気持ちになったのは、「死ぬほど頑張らないやつはダメな人間だ」っていう逆差別意識の横溢だよ・・・。
豊崎:練習してて<気がついたときには、いつか東の空が白んでいた>こともあったっていうんだから凄まじい。よく死者が出なかったよね。
岡野:回転レシーブをマスターするために<背中をラクダのコブのようにはれ上がらせたり>、それでも練習休ませなかったんだぜ。<事務室の自分のイスから座ぶとんをはずしてきて、腰や背中に縛りつけて練習を続けました。貝塚名物の”日紡式クッション”です>だと。オドケてる場合じゃないでしょ(笑)。
豊崎:息も絶え絶えの選手に<これくらいの練習がなんだ。まだ生きて息をしているじゃないか>・・・。


 これぞまさしく「観念上の軍事化」(そのあらわれが「犠牲強要」)であるが、大松監督は、陸軍でラバウルやインパール作戦に従事し、生還したという経歴の持ち主であった!
 むしろ、これは文字通りの「軍事化」といってよい(戦前戦中の「軍事教練」の復活とみると分かりやすい。)。
 つまり、軍事組織から一般社会への浸透型「軍事化」の一例である。
 ここから、70年代のいわゆる「モーレツ社員」の誕生までは、ほんの一歩である(1970年の「モーレツ社員」 帰宅は週に1度、上司の人形を竹刀でボコボコに叩きまくる)。


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台所からキッチンへ(6)

2022年02月27日 06時30分16秒 | Weblog
 「女の空間」だけで話が完結するわけではなく、ある男の登場によってストーリーは急展開を見せる。
 それが、「園田光雄」という、湯河原で大衆食堂を経営している老夫婦の一人息子で、十年ほど前から湘南タクシーの運転手を務めている男である(p155)。
 この光雄を、「鈴」の後押しを受けた「銀」と、「駒」の後押しを受けた「百合」が奪い合うという、谷崎文学ではおなじみの三角関係の構図が立ち現れるのだ。
 そのうち、なんと光雄は、堂々と台所から上がってきて女中部屋に侵入し、銀とさんざんしゃべりこむようになる(p194)。
 こうなると、台所を支配していた女の秩序は崩壊する。
 かくして、少し前に結婚した「定」に続き、「銀」と「鈴」、最後に32歳の「駒」も結婚して、次々と女中を卒業していく。
 さすがに、このあたりはデウス・エクス・マキナの感がある。
 くどいようだが、女中が結婚するということは、嫁ぎ先の「イエ」の正規メンバーになることを意味している。
 これによって、「半人前」だった女中が「一人前」になるわけだが、この頃になると、もはや「女中」という存在は消滅しつつあった。
 女中たちを養育してきた磊吉夫婦(=谷崎夫婦)の「台所」も、どうやらその役目を終えつつあるようだ。
 
 「今では時勢も変わり果てました。初や梅の昔を忘れかねて近頃でもときどき鹿児島へ手紙を出して、「お手伝いさん」の斡旋を依頼することがありますけれども、昨今の娘さんたちは皆会社の事務所や工場へ好条件で招かれて行きますので、女中奉公などをしようと云う者はいなくなりました。」(p219)

 「サンデー毎日」での連載が終了したのは昭和38年(1963年)3月10日。
 谷崎が亡くなったのは、その約2年後の昭和40年(1965年)7月30日のことだった。
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台所からキッチンへ(5)

2022年02月26日 06時30分51秒 | Weblog
細雪 上巻 十二
 「―――雪子の左の眼の縁、―――委くわしく云えば、上眼瞼うわまぶたの、眉毛まゆげの下のところに、ときどき微かな翳かげりのようなものが現れたり引っ込んだりするようになったのは、つい最近のことなので、貞之助などもそれに気が付いたのは三月か半年ぐらい前のことでしかない。貞之助はその時幸子に、いつから雪子ちゃんの顔にあんなものが出始めたのだと、そっと尋ねたのであるが、幸子が気が付いたのもこの頃で、前にはあんなものはありはしなかった。この頃でも、始終ある訳ではなくて、平素はそう思って注意して見ても殆ど分らないくらい薄くなっていたり、完全に消えてしまっていたりして、ふっと、一週間ばかりの期間、濃く現れることがあるのであった。幸子はやがて、その濃く現れる期間は月の病の前後であるらしいことに心づいた。・・・
 と、或る時妙子が、「中姉なかあんちゃんこれ読んだか」と云って、二三箇月前の或る婦人雑誌を持って来たことがあった。幸子が見ると、その古雑誌の身上相談の欄のところに、二十九歳になる未婚の一婦人が雪子と同じ症状に悩んでいることを訴えているのである。その婦人も最近それに気が付いたので、矢張一箇月のうちにそれが薄くなる時、消えてしまう時、濃くなる時があり、大体来潮時の前後に於いて最も顕著になると云っているのであるが、その答の方を読むと、貴方あなたの如き症状は適齢期を過ぎた未婚の婦人には屡※(二の字点、1-2-22)しばしばある生理的現象で、そう心配なさることはない、大概の場合、結婚されれば直きに直るものだけれども、そうでなくても、女性ホルモンの注射を少し続けられても治癒ちゆすることが多い、と書いてあるのであった。


 「台所太平記」が連載されていた「サンデー毎日」の読者は、この小説がどういうエンディングを迎えるのか興味津々だったことだろう。
 ところが、谷崎は最初からある解決を用意していた。
 そのことは、梅の癲癇に関する次のくだり(医師の解説)を読むと分かる。

 「但し先天性の癲癇は直りにくいが、君のは後天性のものであるから、決して悲観することはない。毎日アレビアチンという錠剤の鎮痙剤を持続して服用すれば、次第に発作も軽くなって遂には起こらないようになる。しかし最も完全な治療法は、早く結婚することである。結婚すれば必ず治癒することは請け合いである。」(p61~62)
 
 松田青子さんも「解説」で指摘するとおり、「細雪」においても「台所太平記」においても、結婚は万能薬なのである。
 だが、ここには、最初の妻を佐藤春夫に「譲り」(谷崎潤一郎らが「細君譲渡事件」で声明文を発表(大正15年8月18日))、二人目の妻を入籍直後に「捨て」(谷崎潤一郎、二番目の妻)、「女神」と仰いだ妊娠5か月の三番目の妻:松子に「中絶」を強いる(谷崎潤一郎と三人の妻 中山 隆夫)など、およそ結婚制度を蹂躙してきたともいえる谷崎の「自己欺瞞」を看取することが出来そうだ。

 
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台所からキッチンへ(4)

2022年02月25日 06時30分57秒 | Weblog
 「太平記」をもじってはいるものの、この小説には戦争の話はもちろん天下国家の話は殆ど出てこない(というか、「無思想の作家」である谷崎が天下国家を論じるわけがない)。
 この小説においては、ひたすら磊吉夫婦の「イエ」における日常の出来事(女中たちの身の上話、病気(癲癇)や嘔吐癖、女中同士の同性愛、食事のことなど)が細かく描かれている。
 もっとも、「イエ」といっても、磊吉夫婦じたいが伝統的な直系家族ではなく、子どもとは同居していないバツイチ同士の二人世帯である。
 つまり、この小説のトポスからして伝統的な「イエ」ではない。
 また、当主である磊吉(=谷崎)も「父」の権威を振りかざすような旧時代の人間ではない。
(今さら言うまでもないけれど、谷崎は、父権サディズムとは対極にある、男のマゾヒズムを体現した作家であった。)
 しかも、主役である女中たちは、初や梅だけでなく、未亡人の「節」(p86)、親の離婚のため母の実家に養女として引き取られたものの、実子の誕生により「子守」に地位に落とされた「定」(p146)など、いわば「イエ」制度からはじき出された者たちである。
 中でも、「大層子供好きで、殊に動物に対する愛情がこまやかで、犬猫の面倒をよく見ました」(p144~145)という定に対する磊吉夫婦の感情移入は目立っており、定に対する磊吉の評価は、おそらく女中のうちでナンバーワンである。
 ここには、磊吉夫婦(そして谷崎)の、身寄りのない者や子供・動物に対する愛情がよくあらわれており、磊吉夫婦は、こうした哀れな女中たちと動物たちを、「親代わりに」可愛がっているわけである。
 つまり、磊吉の「イエ」は、伝統的な「イエ」では全くなく、孤児院や救貧院のような性格を有しているのである。
 ちなみに、1950年代においても、依然として娘の人身売買が結構あったようである(『本当は怖い昭和30年代』官庁報告書版)。
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台所からキッチンへ(3)

2022年02月24日 06時30分13秒 | Weblog
 「・・・初を中心に西南方村の連中が訳の分らぬ鹿児島弁でぺちゃくちゃやっていますところは、とんと枕崎の魚市場へでも行ったような賑かさです。磊吉はこの、女中部屋に於ける娘さんたちの会合を「鹿児島県人会」と称しておりましたが・・・」(p21)

 磊吉の家には、江戸時代最大の「イエ」であった「藩」=この小説の場合は「薩摩藩」のミニチュア版が出現した。
 但し、既に指摘したとおり、女中たちはここでは「イエ」の正式なメンバーではない。
 それどころか、彼女らの故郷の「イエ」の状況も悲惨を極めており、「イエ」はほぼ崩壊していた。
 例えば、初に父はおらず、姉は貧困のため和歌山へ売られて行き、今でも実家のため借金を返済しているらしい(p31)。
 また、「梅」という女中の父母は幼いころに亡くなり、彼女は祖父の姉のもとで養育されたという(p53~54)。
 さらに言えば、彼女らは、少し前の時代であれば、「間引き」されたり、「捨て子」として、「イエ」制度の犠牲者になったかもしれない存在なのである。
 それが何とか世に出て生きていられるのは、もちろん、「間引き」や「捨て子」に対する禁圧・倫理観の変化や交通機関の発達(枕崎から神戸、京都、熱海へ)などもあるが、女中を何人も雇うだけの経済力のある、磊吉夫婦のような都市富裕層が成立したからであった。
 ちなみに、この家では、女中は磊吉のために原稿の清書なども行うのである。
 

 
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台所からキッチンへ(2)

2022年02月23日 06時30分14秒 | Weblog
谷崎潤一郎は鹿児島がお好き?お手伝いさん求め手紙切々
 「私は泊(とまり)生れの人が大好きなのです――。文豪谷崎潤一郎(1886~1965)がお手伝いさんのあっせんを頼む手紙が、鹿児島県の坊津(ぼうのつ)町(ちょう)泊(南さつま市)に残されていた。晩年の小説「台所太平記」には、自らがモデルの作家宅に勤めた泊出身のお手伝いさんが多く登場し、働き手の紹介を頼む手紙を鹿児島に出す一節がある。研究者も「実体験を裏付ける貴重な資料」と評価する。

 谷崎最後の長編小説である「台所太平記」は、谷崎の古き良き「イエ」に対するノスタルジアから生まれた小説のようである。
 しかも、「台所」は母親の胎内を象徴しているから、この小説は、谷崎文学の本流ともいうべき「胎内回帰願望」路線のカテゴリーに属しているという見方も出来る。
 さて、この小説は、作家である磊吉とその妻:讃子夫婦が暮らす家の「台所」が舞台であり、主人公はそこで働く女中たちである。
 もっとも、解説文において松田青子氏が「半人前」と表現しているように、彼女たち=女中は、「イエ」の正式なメンバーではない。
 最後まで読むと分かるが、台所は、結婚して「イエ」の正式なメンバーとなるまでの間、彼女たちを養育するための空間(喩えて言えば母親の胎内)なのである。
 こういう観点からすれば、女中たちの大半が鹿児島県出身である理由がよく分かる。
 というのも、この県は、(当地で働いていたことのある私はよく分かるのだが)「イエ」的な思考・行動(父権制的権威主義、敬老精神、集団思考・集団志向など)が根強く残っている地方だからである。
(ちなみに、法曹界でも、東京三会の弁護士全員にハガキを送付してきたり、事務所の歌を作って集団で盛大なセレモニーを開いたりする人たちは、だいたいこの県の出身者である。)
 磊吉夫婦はお互い再婚で、それぞれ子供たちがいるものの、夫婦はいずれも子供たちとは疎遠となっており、女中たちのことを実の子のような思いでみているようだ。
 磊吉夫婦の「イエ」に最初にやってきた女中は、「初」という、鹿児島県川辺郡西南方村(今の坊津町)の「泊」という漁村の出身で、半農半漁をなりわいとする家の娘だった(p14)
 
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台所からキッチンへ(1)

2022年02月22日 06時30分27秒 | Weblog
 半年ほど前のこと。
 書店の「新刊コーナー」に、谷崎潤一郎の「台所太平記」があるのに驚いた。
 というのは、3、4年ほど前に発行されたばかりという記憶だったからである。
 詳しい事情は不明だが、末尾の方に、「挿し絵と解説を新たに収録した」とあった。
 ということで、即座に購入したのだが、これが中々興味深い。
 「台所」と言えば、ギリシャ・ローマの伝統からすれば、「家政」(オイコス。エコノミーの語源)の中心であり、「政治」(ポリティクス)とは対極にあるとされてきた。
 あの大変な時代に「細雪」を書き続けていた反骨の作家は、今度は、「戦前の1936年(昭和11年)から戦後の1963年(昭和38年)にかけ、家の台所仕事を担っていた歴代の女中たちの変遷の物語。」(ウィキペディアの解説)を通じて、日本社会の「変わらないもの」を描こうとしたように思える。
 すると、私は、書店の別のコーナーにある、吉本ばななの「キッチン」が読みたくなり、衝動買いしてしまった。
 初版は1988年(昭和63年)1月だが、私はハードカバー版を斜め読みしただけで、ストーリーは殆ど忘れてしまっている。
 もともと私は、存命の日本人作家は筒井康隆氏と池澤夏樹氏のほかは読まないので、今回の衝動買いは自分としては珍しい。
 さて、この2冊を読み比べてみると、小説の外部にある社会は天と地ほどの違いがあるにもかかわらず、台所=キッチンが象徴しているものは同一であることに気づく。
 それは、母親の胎内(子宮)である。
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大統領の異常な愛情

2022年02月21日 06時30分18秒 | Weblog
プーチンが巻き起こす新たな「ウクライナ危機」
 「プーチンは7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題する長文の論文を発表したが、「ウクライナの真の主権はロシアとのパートナーシップにおいてのみ可能であると確信している」と書き、国家としてのウクライナの存立がモスクワの同意に係わっているように述べた。メドヴェージェフ安全保障会議副議長(元大統領)は、キエフに「正気」の指導者が現れるのを待つと言い、「そのような指導者でなければ相手にする価値はない」としたが、キエフにクレムリンの傀儡を据えるという見え透いた脅迫であろう。


 「歴史的一体性」という言葉で、私は、DV事件などにおける加害者や譲渡担保権者の行動原理を思い出した。
 それは、「自己と他者との一体化」ないし「他者に向けての自我の拡張」である。

譲渡担保を巡るエトセトラ(9)
 「S6:すべて自分の支配下におく、そして唾をつける。そうでなければ不安である、ということでしょうか?カラオケで年配のおじさんがマイクをずっと独占し「骨まで愛して」という歌を歌っているのを見たことがありますけど。
・・・
S16:あー、そうすると、限りなくある種の恋愛に似てますねえ。事案のポイントの一つが見えてきます。Xがそう考えているとすると、Aの行動は大問題です。XはAに惚れていてAを独占したい。ところがAはなぜか同じ鋼材をXではなくYから仕入れた。
・・・
S18:要するにつかみたいのですね。いわば、抱きしめたい。ぐっと抱きしめる。そうでないと不安でたまらない。
S12:だとすると筋のよい恋愛ではないかあ。探偵を雇ってつねに浮気を監視しているとか。


 「俺とお前は一心同体」という発想が根底にある加害者からは、極端な場合、「もしお前がほかの男と一緒になるのなら、俺はお前を殺す。あるいは、俺は自殺する」という脅し文句が飛び出すこともある。
 言うまでもなく「異常な愛情」だが、これを果たして「愛情」と呼んでいいものだろうか? 
 果たして大統領は、ウクライナを愛しているのだろうか?
 占有原則の完全否定を目論む大統領は、なんと法学部出身である。
 法学部出身者による犯罪や違法行為は、日本だけの現象ではなかったのである。
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分かったふりをするな

2022年02月20日 06時30分43秒 | Weblog
乳腺外科医の準強制わいせつ事件、最高裁が2審有罪判決を破棄差戻し(準強制わいせつ被告事件について,公訴事実の事件があったと認めるには合理的な疑いが残るとして無罪とした第1審判決を事実誤認を理由に破棄し有罪とした原判決に,審理不尽の違法があるとされた事例
 「以上の疑問点については,第1審の段階から相反する当事者の主張及び証拠が存在するなどしている部分があり,また,原審において,前記3 のとおり,検察官及び弁護人から事実の取調べの請求があり,その中には本件定量検査に関するものも含まれていたにもかかわらず,原審はこれらを全て却下し,この点に関する職権による事実の取調べも行わなかったため,結局,上記疑問点が解消し尽くされておらず,本件定量検査の結果の信頼性にはなお不明確な部分が残っているといわざるを得ない。

 破棄自判ではなかったものの、差戻しがなされた例の事件。
 案の定、科捜研による鑑定等の信頼性が問題とされているが、私が強い印象を受けたのは、上に引用した部分。
 これを私流に分かりやすく翻訳すると、「科捜研が行った定量検査の信頼性については、主張と証拠から見て『どちらともいえない』状況だったのに、それに目をつぶって結論決め打ちで「分かったふり」をした東京高裁は杜撰ですよ」という感じになる。
 要するに、分かっていないのに「分かったふり」をするなというわけだが、この種の誤魔化し(あるいは自己暗示)で片づけられている事案が多数存在することが窺われる。
 
 
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情報戦

2022年02月19日 06時30分55秒 | Weblog
「東部で虐殺」、「ロシア軍が撤収」 ウクライナ巡り米露が“情報戦”
 「ワシントン外交筋
「アメリカは機密情報を思い切って出し続けている。ロシアの手口を先んじて暴露し行動を制約しようとしている」
 ロシアの外交安全保障に詳しい笹川平和財団の主任研究員、畔蒜泰助氏は「(今回のロシアの撤退は)アメリカが 『ロシアが軍事侵攻を始める』という情報を打ち消すためのリアクションである」と指摘しています。


 先に相手の作戦をバラしてしまう、いわば「ネタバラし作戦」である。
 これ以外にも、次々にプーチン大統領に会談を申し込む「拘束作戦」なども考えられる。
 


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