Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

自立と依存(3)

2024年01月31日 06時30分00秒 | Weblog
 「本公演は、新進芸術家海外研修制度(声楽)を活用した海外研修の帰国後にその成果を発表するスペシャル・コンサート。これまでに嘉目真木子、佐藤康子、小泉詠子、鳥木弥生、城宏憲、笛田博昭、又吉秀樹、小堀勇介、山本耕平、大塚博章など多くの歌手がこのステージに立ち、活躍の一歩を踏み出している。若手世代のトップレベルのアーティストが集い、その実力を競う本公演には、今回も、注目のアーティスト6名が並ぶ。

 どういうわけか、昔から私は、「単身で海外に渡航し、仕事や学業に励む人」を殆ど無条件に応援する習性がある。
 例えば、15歳で単身ブラジルに渡った三浦知良選手などは、その筆頭に挙げるべきだろう。
 スポーツに限らず、芸術の世界でも昔からこういう人たちはいたのだが、やはり問題となるのは「資金」である。
 今回のコンサートは、文化庁の補助金(?)を利用して海外研修を受けた声楽家のお披露目の場ということらしい。
 司会はフリーアナウンサーの永井美奈子さん(懐かしい!)で、各出演者に「なぜこの留学先を選んだのか?」とか、「今後はどうするのか?」という質問をしていた。
 その中で興味深かったのは、内山建人さんと野町知広さんの回答である。
 内山さん(ドイツ語はネイティヴ並み!)は、留学先にベルリンを選んだ理由の一つに、「ドイツは世界で一番劇場の数が多く、コンサートの回数も多いから」を挙げた。
 つまり、「仕事が多い」という点に着目したのである。
 野町さん(圧倒的な声量!)は、今後の進み方について、「まずは先立つものが必要なんですが・・・」と正直に「資金」の問題を挙げていた。
 このとき私が老婆心ながら思ったのは、「特定のパトロンに資金的に依存することだけはしない方がいいよ」ということであった。
 要するに、「自立と依存」の問題である。
 私も職業柄よく目にするのだが、「生活のために特定のパトロン(配偶者を含む)に依存する」というやり方は、実はトラブルを生みやすく、破滅的な結末を迎えることもある。
 両当事者の間に échange が生じてしまい、関係を不安定化させるからである(互酬性?)。 
 しかも、人間というものは、「生殺与奪の権を握る人物」を、最終的には抹殺しようとする本能があるらしいのだ。
 いわゆる「飼い犬が飼い主の手を噛む」という現象である。

 「岸田派解散を知った日、麻生は「聞いたぞ。なんだこれは」と、岸田に電話をかけてすごんだ。が、腹を決めた岸田の耳には、間の抜けた「遠吠え」としか響かなかった。  
 ――どうせアンタに根回ししたところで、口をとがらせて文句を言うのがわかりきってる。言う意味がない。  
 そもそもこれは、麻生を潰すために岸田がしかけた、乾坤一擲の政局なのである。
 「「総理はブチ切れているんですよ。総理からすれば、ずっと麻生さんにマメに報告してきて『現職総理が自ら長老を立ててやっているんだ』という思いがあった。なのに麻生さんは、次の総裁選で茂木さんに交替させようとしているんだから。  
 去年9月の内閣改造でも、岸田総理は幹事長を茂木さんから森山(裕)さんに替えようとしたが、麻生さんが猛反対してできなかった。それ以来、麻生さんへの不信がどんどん大きくなっていった」(岸田派関係者) 

 岸田首相にとって、”キングメーカー”である麻生氏は、いわば自分の「生殺与奪の権を握る人物」である。
 引用した記事に基づくと、麻生氏から見限られたと認識した岸田首相は、今度は、麻生氏に対する「ポトラッチ」に打って出たということのようである。
 「キングがキングメーカーを噛む現象」が発生したのである。
 今年の首相のニックネームはこれしかない。
 ”ポトラッチャー岸田
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ホールとサロン(3)

2024年01月30日 06時30分00秒 | Weblog
ショパン前奏曲 嬰ハ短調 op.45
シューマン交響的練習曲 op.13(遺作変奏付き)
シベリウス悲しきワルツ op.44
シューベルト楽興の時 D780 op.94  

 「・・・ポゴレリッチはヨーロッパでは、いわゆるドサ回りをしている。イタリア、スペインの名前もない町の、公民館のようなホールでリサイタルを開いているのである。収容人数は、しばしば200~300人。時折ベルリンやパリの大ホールにも登場するが、あくまで例外。これは言うまでもなく、意識的な選択である。あえて大手エージェントではなく、各国の個人事務所と契約して、メインストリームから外れた道を辿っているのだ(筆者はドイツで、シュタイナー学校の講堂や羊小屋を改築したホールで聴いたことがある)。」(公演プログラム:城所孝吉氏)

 ポゴレリッチは、いわずと知れたピアノ界の奇人である。
 近年は、ショパンのように、ホールよりもサロン的な会場を好んでいるようだ(ホールとサロン)。
 なので、サントリーホールというのは例外に入るようだ。
 足か腰を痛めているようで、杖を突いての登場。
 「(次に弾く曲、または弾き終わった曲の)楽譜を、まるで捨てるように床に勢いよく落とす」などの行動で最初から楽しませてくれる。
 演奏自体は意外にもオーソドックスで、大ホールでも音がよく響くのはこの人の良いところ。
 私が気になったのは、むしろ選曲の方である。
 ショパン、シューマン、シベリウスはいずれも苦悩や悲しみを表現した曲で、最後のシューベルトも「束の間の安らぎ」といった感じの曲である。
 プログラムには「嬰ハ音をめぐる幻想の円環」とあるが、私見では、伴侶を亡くした悲しみからようやく癒えつつある状態を、選曲が示しているように感じた。
 
♪シューマン:アラベスク
♪リスト:愛の夢 第3番
♪ワーグナー(リスト編):イゾルデの愛の死
♪ショパン:バラード 第4番
♪チャイコフスキー:『四季』より
    6月「舟歌」&11月「トロイカ」
♪チャイコフスキー(プレトニョフ編):
   『くるみ割り人形』よりアダージョ
♪ラフマニノフ
  前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2
  前奏曲 ト長調 op.32-5
  練習曲 ト短調「音の絵」op.33-8
  前奏曲 op.32-12 嬰ト短調
  楽興の時 第6番 ハ長調 op.16-6
  ピアノ・ソナタ 第2番(1931年版)

 選曲が好みに合っていたのでチケットを購入。
 やはり「イゾルデの愛の死」(但し、これは略称)を久しぶりに聴きたくなったのである。
 この曲は、ホロヴィッツの「ザ・ラスト・レコーディング」の最後の曲でもある。
 ちなみに、武蔵野市民文化会館の小ホールは、「小ホール」とは言っても400人以上を収容出来るので、「サロン」と言うのは難しいかもしれない。
 それにしても、ラフマニノフというピアニスト&作曲家の凄まじいこと!
 ピアノ・ソナタ第2番などは、あと3分くらい続くとピアニストは死んでしまいそうな曲である。
 ホロヴィッツいわく、
 「ラフマニノフは私より遥か上に存在するピアニストだ。彼の録音は、その凄さの半分も伝えていない。
 こういうアーティストの迫力を味わうには、やはり大ホールではなく、サロン又はそれに近い会場がふさわしいだろう。
 ラフマニノフの演奏をサロンで聴いた人は、卒倒しそうになったのかもしれない。
 
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思想調査

2024年01月29日 06時30分00秒 | Weblog
 「大野和士芸術監督のレパートリーの拡充の方針の下、ロシア・オペラの第一弾として制作したチャイコフスキーの甘美なオペラ『エウゲニ・オネーギン』を再演します。 ・・・
 世界トップソプラノのひとりエカテリーナ・シウリーナ、ヨーロッパで実力派バリトンとして頭角を現すユーリ・ユルチュク、主要歌劇場を席巻するアンナ・ゴリャチョーワ、ドイツをはじめ欧米で活躍するヴィクトル・アンティペンコら、ロシア・オペラのスペシャリストが結集する贅沢な公演です。

 昨年も「ボリス・ゴドゥノフ」を上演したが、ロシア・オペラをやるというのは、「レパートリーの拡充」を目標に掲げる芸術監督の意向のようだ。
(但し、ウクライナ人歌手のオネーギンとロシア人歌手のタチヤーナという取り合わせは、時節柄やや問題がありそうだ。)
 私は「オネーギン」は初見である。
 原作も読んでおり、バレエでは2回ほど全幕を観ているし、「スペードの女王」も「マゼッパ」も「イオランタ」も観て/聴いているというのに、「オネーギン」の全幕は見逃していた。
 先入観をとっぱらって鑑賞すると、初っ端から誰もが感じるように、何よりメロディーがストレートで美しい。
 これは、やはりチャイコフスキーが原作にほれ込んだからに違いない。
 ちなみに、題名にもかかわらず主役がタチヤーナであることは間違いなく、キャスト表でも一番上にくる。
 エカテリーナ・シウリーナというソプラノ歌手は、芸術監督が見込んだだけのことはあって、やはり素晴らしい。
 彼女の「手紙の歌」を超えるのはちょっと難しいと感じさせるほどである。
 ところで、ラストでタチヤーナがオネーギンを拒絶するくだりについては、いろいろな解説があるようで、かつて袖にされたことに対する「復讐説」も有力なようである。
 だが、どうやら、タチヤーナによる「思想調査」の結果であるというのが真相のようだ。

 「じつは、オペラには描かれていないのだが、オネーギンが放浪している間に、タチヤーナは彼の屋敷に行って彼の読んだ本を読み、余白に残されたメモや記号から「男の正体」を見抜いていた。イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)の物語詩の主人公ハロルド卿をきどった単なるパロディなのではないか、と。彼女は、オネーギンの蔵書からついに彼の内面を理解したのである。」(パンフレットの沼野恭子氏の解説)

 タチヤーナは、オネーギンが「内面はスカスカ」の男であることを見抜いたのである。
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1+1=1、あるいは暗喩としての蝋燭

2024年01月28日 06時30分00秒 | Weblog
 「旧ソ連映画界の巨匠にして現代映画に多大な影響を与え続ける不世出の映画作家、アンドレイ・タルコフスキー。・・・
 イタリアで撮影された本作は、タルコフスキーが「祖国を離れたロシア人特有の精神状態=ノスタルジアを描きたかった」と述懐した作品である。
 「イタリア中部トスカーナ地方、朝露にけむる田園風景に男と女が到着する。モスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフと通訳のエウジェニア。ふたりは、ロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿っていた。18世紀にイタリアを放浪し、農奴制が敷かれた故国に戻り自死したサスノフスキーを追う旅。その旅も終りに近づく中、アンドレイは病に冒されていた。古の温泉地バーニョ・ヴィニョーニで、世界の終末が訪れたと信じるドメニコという男と出会う。やがてアンドレイは、世界の救済を求めていく…。

 学生時代のある時期、私は江戸川区に住んでいて、近くにあるキネカ錦糸町によく行っていた。
 そこで出くわした「ざくろの色」に大変な衝撃を受け、当時のソ連映画を立て続けに観た記憶がある。
 ソ連出身の映画監督であるタルコフスキーの作品は一作だけ観た記憶があり、同じ映画館で上映されていたのかと思いきや、記憶違いであった。
 彼の映画はいわゆる「ソ連映画」のカテゴリーには属さないらしいので、おそらく上映館は「キネカ錦糸町」ではないようだ。
 三十数年前の記憶と言うのは頼りないもので、私が観たのは長らく「ノスタルジア」か「サクリファイス」か「ソラリス」ではないかと思っていたが、「ノスタルジア」ではないことが、今回分かった。
 ストーリーが完全に初見だったのだ。
 おそらく、別の映画を観た際に「ノスタルジア」のラストシーンが予告編に出て来て、記憶に染みついていたのだろう。
 また、「サクリファイス」についても、YouTubeで予告編をみる限り記憶とは違っている。
 なので、消去法でいくと「ソラリス」の可能性が高そうだ。
 ・・・さて、今回痛感したのは、この監督の作品は、やはり映画館で観るべきだということである。 
 おそらく言い尽くされていることだと思うし、この映画でもそうなのだが、彼の作品においては、水や火の映像と音が極めて重要な役割を演じている。
 彼の作品は、「水や火の映像と音を味わうための芸術」であると言い切ってしまってよいと思う。
 「水」は、現実と幻、現世と冥界(または天界)とを繋ぐ媒体であり(アンドレイが夢想や幻覚に陥るときは必ず近くに水がある)、本作では、ホテルの部屋に窓から降り込む雨、ドメニコが住む廃墟に天上から落ちてくる水滴、泉の広場(温泉)、などといった形で登場し、それぞれ個性を持った音を奏でる。
 「火」は、生命の象徴であり、ドメニコ(ローマの広場で焼身自殺を遂げる)を荒々しく呑み込む火として、あるいは、アンドレイが泉の広場を渡り切る間その手の中の蝋燭で弱々しく灯る火として、「第九」や「レクイエム」のメロディーとともに立ち現れる(前者はガソリンによって勢いよく燃える音が生じているが、後者はさすがに音は出ていない。)。
 「蝋燭」の意味は、監督の父である詩人アルセーニイ・タルコフスキーの「蝋燭」と題された詩に示されている。

 「黄色い舌をゆらめかせ
  蝋燭がゆっくりとけて流れてゆく。
  そうやって僕たち二人も生きているね。
  魂は燃え、肉体は溶けてゆく。」(パンフレットより)

 この詩は、インド・ヨーロッパ系の宗教(ざっくり言えば旧約聖書とリグ・ヴェーダ)に顕著な生命観(命と壺(5))をあらわしている。
 ドメニコ(精神に異常を来した数学者という設定のようだ)の住居の壁に大きく書かれた「1+1=1」という数式も、おそらく「蝋燭」と深く関係している。
 上に引用した詩を若干敷衍すれば、父(あるいは母)と子は、「1」から「1+1」になった後、最後は「1」になるからである。
 
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結局歌になる

2024年01月27日 06時30分00秒 | Weblog
 イアン・ボストリッジは初めて聴くのだが、「これぞテノール」というべき美声で、満足感を覚える。
 名手といえども最初は緊張があるのか、1,2曲目はやや声のボリュームが控え気味だったが、3曲目くらいからはフルスロットル状態。
 4曲目のStändchen(セレナーデ)は絶好調で、ピアノ(ジュリアス・ドレイク)との息も完璧に合っている。
 こんな風に、ドイツ・リートにおいてはピアノも「歌う」のであり、人間の声との二重唱を奏でるわけである。

シベリウス/組曲『カレリア』
グリーグ/ピアノ協奏曲*
シベリウス/交響曲第2番  

 2週間ほど前、職場の近くの駅で、特徴的な巻き毛をした巨体の外国人とすれ違った。
 すぐに見覚えのある人物とわかったが、マルティン・ガルシア・ガルシアではないか!
 奥さんが日本人らしいので、彼と遭遇するのは不思議ではないのだが、山手線で移動するというのは意外である。
 さて、今回は大先輩ともいうべきミハイル・プレトニョフの指揮で、東フィルとグリーグのピアノ・コンチェルトを共演する。
 当然のように第1楽章から鼻歌は全開だが、今回気付いたのは、「和音が割れない」こと。
 この曲で和音を弾くときは、多くのピアニストがどうしても「割れた音」になってしまう。
 その原因は、おそらく「手の大きさが足りない」ことにあると思う。
 素人考えだが、音域が広すぎて手が追い付かず、小指や薬指のタッチの力がどうしても弱くなるからではないだろうか?
 想像したとおり、ガルシア・ガルシアの手は巨大で、15度まで開くそうである(ガルシア・ガルシア)。
 アンコールはシューマン/リストの「献呈」。
 もともとドイツ・リートの曲だが、ピアニストがピアノが一体となって「歌」をつくりあげている。
 ピアノとのデュエットというべきか?
 シベリウスの「交響曲第2番」は、かなりドラマティックな曲で、退屈しない。
 プレトニョフは、いつもと違い、眼鏡(老眼鏡?)をかけて、暗譜ではなくスコアを見ながら指揮をしている。
 ときおり(特にコントラバス独奏パート)で、楽器の音とは思えない低い音が聞こえてくる。
 これは、どう考えてもプレトニョフの鼻歌である。
 結局、彼も歌い出してしまった!
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自作のパロディ

2024年01月26日 06時30分00秒 | Weblog
 「余談になるが、晩年の大江健三郎は繰り返し四国の森を描いた。筒井康隆が偏愛する哲学者ハイデガーも晩年を森で過ごし、「黒い森の哲学者」と呼ばれた。年を取るとみんな森へ行きたがるものなのか、と思っていたら、「お時さん」でやはり語り手が森を散歩していて、腹を抱えて笑ってしまった。

 私は、本屋に行くと、だいたいまず筒井康隆先生の新作を探す習慣がある。
 私は、存命の日本の作家だと、基本的には筒井先生と池澤夏樹さんのものしか読まないのだが(ベクトルD)、やはり筒井先生の新作を真っ先にチェックしたくなるのである。
 そういうわけで、「カーテンコール」も即買いして、まずは「お時さん」を読んでみた(折しも、浅草公会堂では「お富さん」が千穐楽を迎える)。
 これは、どう見ても、「時をかける少女」のパロディである。
 「お時さん」は、「お富さん」をもじったものだが、「時をかける少女」の深町一夫を赤ちょうちん「重松」のおかみに置き換えたのだろう。
 主人公である「おれ」の名前も、やはり「お富さん」の「与三」にちなんだ「清三」となっている。
 しかも、店の名前と主人公の名前の一字を繋げると、「重松清」となる。
 では、「おれ」の友人である「相川」と「野口」は誰をもじったのだろうか?
 既に死んだという「野口」は野口冨士男
 退職した「相川」はちょっと分からない。
 ・・・などと考えるのも楽しい。

 
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可哀想な第2番

2024年01月25日 06時30分00秒 | Weblog
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=藤田真央
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」

 藤田真央さんという強力なソリストを迎えた演奏会だが、客席を見ると結構空席がある。
 8割いくかどうかという客入りである。
 藤田さんが出演するコンサートは昨年2月(鼻歌疑惑)以来だが、ソロ、コンチェルト、トリオいずれも満席というのが常だったので、今回は意外である。
 これは、やはり曲目に理由があるのだろう。
 そもそも、ブラームスのピアノ協奏曲「第2番」というところで、チケットを買い控える人が多いのかもしれない。
 周知のとおり、ブラームスのピアノ協奏曲の中では、第1番が超傑作であり、私などは、高校時代は毎日のように聴いていたくらいである。
 そうなると、どうしても「第2番」の影が薄くなってしまう。
 ラフマニノフとは正反対なのである。
 そういえば、昨年2月の「熱狂のチャイコフスキー」では、協奏曲第1番と第2番が演奏されたのだが、今になってみると、「第2番」がどういうメロディーだったか、全く思い出せない。
 これは、やはり第1番が超傑作であるだけに、「第2番」が吹き飛んでしまったのだろう。
 思わず、「月明らかに星稀に・・・」というフレーズが浮かんでくるわけである。
 あるいは、私が年をとって、新しく聴く曲を受け付けなくなったからなのかもしれないが・・・。
 可哀想な「第2番」!
 
 
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「周辺」からの逆襲(10)

2024年01月24日 06時30分00秒 | Weblog
 ”事実は小説よりも奇なり”というが、「綱引き」(ルデンス)はさすがに「政治」と「法」のエッセンスが詰まった傑作であり、現実がこれを超えるのは無理だった。
 つまり、”事実は戯曲を超えず”だった。
 残念ながら、江戸時代の日本には、「神殿」のような公共空間が存在していなかったからである。

 「ギリシャ・ローマの都市は神殿を公共空間創設の柱とするのである。神殿は神々の住居であった。彼らを地上へ引き下ろし、人間のように空間を占拠させる。逆に言えば限定される。こちら側は彼らの支配下にない。なおかつ、神々の住居は、その内部に人々を囲い込むことが決してないように造られる。それは外から見えるように出来上がり、墓の内部で行われた秘密の集会を起源とする教会のように人々が中で集う空間では決してない。かつ列柱により半透明性、濾過性、が強調される。オープンではあるが、区切られていて、実力がそのまま押し入ることは出来ない。こうして誰でもアクセスできる(信者や特定の神を頂く集団を概念しない)単なる私的住居たる神々の家は複数林立し、しかも近接集住を保つ。そうすると、人々の諸集団はクロスするようにしてアクセスしあうこととなり、クロスする空間、ヴァーチャルな意味における十字路、においてまさに公共空間が出来上がるのである。・・・」(p41~42)

 「綱引き」にはヴィーナス(ウェヌス)の神殿が登場し、極めて重要な役目を担う。
 パラエストラとアンペリスカという2人の芸者が神殿に逃げ込んだところ、追いかけてきた女衒のラブラクスは、実力で彼女らを捕まえようとする。
 そこにダナエモスが介入し、神殿の内部であるという理由で実力の行使を制止し、「芸者は俺の所有物だ」というラブラクスの主張も斥ける。
 このくだりには、あらゆる実力を排除し、一定の質をもった言論のみが通用する公共空間である「神殿」の性質がよくあらわれている。
 木庭先生によれば、「神殿」は「政治」の成立の徴表なのである。
 同時に、ダナエモスの行動は、まさに「法」そのものと言って良く、現代で言えば「保全」と似た発想に立っている。
 ダナエモスが意図しているのは、現状を固定し、実力でこれを動かすこと(回復しがたい損害の発生)を防止するとともに、権原(原因)に基づく主張は差し当たり排除するということだからである。
 まずは占有を守り、権原(原因)の問題(本案)は後でじっくり審理するというわけである。
 ちなみに、この戯曲の本案の審理においては、物証(小箱)によって、パラエストラは自由人として生まれたことや父の名が「ダナエモス」であることなどが明らかとなる。
 ・・・ところが、江戸時代の日本には、こういう性質を持った「公共空間」が存在しなかった。
 その理由を簡単に説明することは不可能だが、ギリシャ・ローマにおけるようなオープンな「都市宗教」が成立せず、その代わり、部族社会原理のどす黒い部分を含んだ「イエ」原理(紛れもなく一種の宗教である)が跋扈していたことは、一つの要因として挙げてよいだろう。
 さらに言うと、おきち(お富)が親分に妾として囲われていたというのも、「イエ」原理の一環にほかならない。
  「イエ」の当主であれば、正妻以外に妾を持つことが許されるが、他方、妾が他の男と交際することは犯罪視されるのである。
 「与話情浮名横櫛」の作者が、実際におきちが囲われていた「周辺」=木更津や東金ではなく、敢えて「中央」=江戸・人形町の「玄冶店」をメインの舞台に設定したところには、自由と独立を奪われた女性たちに対する同情だけでなく、こうした状況を是認している徳川幕府(自らを「公儀」と呼ばせて「公」を僭称していた!)に対する批判が込められていたのかもしれない。 
 江戸の「玄冶店」に逃げ道はないが、木更津や東金であれば「海」という公共空間へのアクセスが許されている。
 江戸の方が自由からは遠いのだ。
 つまり、「源氏店」の設定には、「周辺」からの、「中央」に対する逆襲という意図があるのではないだろうか?
 ・・・こんな風に考えているうちに、現在の「中央」=国会議事堂は、「神殿」のような公共空間たるにはほど遠い状況であることが明るみになった。
 何しろ、国会議事堂は、「裏金作り」に長けた人達に完全に乗っ取られ、各派閥=徒党のための「私的空間」と化してしまっていたのだから。
 
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「周辺」からの逆襲(9)

2024年01月23日 06時30分00秒 | Weblog
 「その「切られ与三郎の墓」(厳密には、物語のモデルになった四代目伊三郎の墓)が八鶴湖畔の安国山最福寺にあります。最福寺にある説明板では、大網清名幸谷の紺屋の中村家の次男として寛政12年(1800年)に生まれたとあり、名を中村大吉といったそうです。好きな長唄を習いに通った掛茶屋で茂原生まれのおきち(お富のモデル)と出会います。しかし、おきちには地元の親分山本源太左衛門という旦那がいました。二人の間柄はすぐに親分の知るところとなり、、、といった具合で描かれています。
 実際の大吉のその後の運命は歌舞伎とも落語とも違います。「東金町誌(志賀吾鄕著/昭和二年初版・十三年再版)」によれば、九死に一生を得た大吉は江戸で唄かたとなり巡業の際に二人は再会、大吉は32歳で伊三郎を襲名して一門の師道となります。四十四歳の時に芸道の恨みか水銀を盛られ天性の美声を失い引退、郷里である東金に戻ります。二人はその後東金・大網あたりを巡回し長唄の教師として三味線を教えます。最福寺観行坊霊帳には法號『勇猛院徳翁日遊信士』弘化四年(1847年)6月16日、48歳で亡くなったとあるそうです。

 実話だと、おきち(お富)は入水自殺を図るも遂げなかったとあり、これが歌舞伎でも踏襲されている。
 やはり、「海」はこのストーリーの重要な要素である。
 親分から妾として囲われていたおきち(お富)が「海」に入ったことの意味は、「綱引き」(ルデンス)における「海」の意味を参照するとよく分かる。

 (生徒)「ーーー海は共有ということは、海で見つかったトランクも共有なんじゃないか。
 (木庭先生)「そうだ。ここで「共有」というのは、コンムーニスというラテン語なんだけれど、「誰のものでもない」という意味です。ということは、「公共の」という意味です。公共の空間ということは、物がここへ入ったときは誰も取ってはいけない、皆スルーしなければならない。だから物の輸送に使えます。誰のものにもならずに無事に相手のところへ着きます。」(p196) 

 そう、おきち(お富)は、ただ死のうとしたのではない。
 「海」に身投げをすることによって親分の物理的な支配を逃れ、自由になろうとしたのである。
 歌舞伎だと、そこをたまたま鎌倉の和泉屋多座左衛門の商船が通りかかってお富を救い出す筋書きだが、実話では、その後、(どうやら自由の身になった)おきちは、江戸で暮らしているうちに伊三郎と運命の再会を果たしたとある。 
 このように、江戸時代においても、「海」は公共の(コンムーニス、誰のものでもない)空間として機能していた。
  なので、この演目の序盤の舞台設定が「周辺」=木更津(実話だと東金)となっているのは、「葛の葉」における安倍野や信太の森と同じく、決定的な意味を持つ。
 要は、「木更津海岸見染」を見逃してはいけないのである。
 ちなみに、昔見たNHKの解説では、
 「当時、江戸の遊び人の若旦那を、木更津に預けて教化することが行なわれており・・・
とあったから、木更津はいわば「補導委託」のメッカだったのかもしれない。
 海浜地域への「補導委託」といえば、昭和の時代には「戸塚ヨットスクール事件」というのもあった。
 ・・・それにしても、私は、「赤間別荘」もきちんと上演してくれた昨年4月の歌舞伎座での公演(いまの歌舞伎俳優として届けたい 片岡仁左衛門、波乱のラブストーリー『与話情浮名横櫛』を語る)を見逃したことが悔やまれてならない。
 ・・・ところで、ギリシャ・ローマには存在していたものの、江戸時代には存在していなかった、もう一つ(というか最重要)の公共空間がある。
 それは、「神殿」である。
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「周辺」からの逆襲(8)

2024年01月22日 06時30分00秒 | Weblog
 「この作品の特色の一つは、その異例の場面設定が劇内部に深く関わっていることである。多くのプラウトゥス劇の場面設定は、「アテナエの街のある家の前」でありさえすればそれ以上の特徴は必要としない。アテナエ以外の街、例えば『アントルピオ』」におけるテーバエ、が設定されていても、その違いが特に舞台上の効果を生むとは考えられない。ところがこの『綱引き』では、北アフリカにあるキュレネ市の、中心部を少し離れた寂れた海辺という設定が厳密になされる。実際上の舞台設定がどうであったかはともかく、せりふの上ではそこは岩の多い葦の茂った荒涼たる土地であり、背景には粗末な一軒家と、質素な神殿がある。このような設定はそれだけである魅惑をこの作品に付与するのであるが、同時にそれは、アテナエを忌避してそこに移り住んできた人、誘拐されてアテナエから連れてこられた女、遠くシキリア島を目ざして航海しながら難破のために連れ戻される人々など、人々の動きのダイナミズムを明瞭に感知させる働きもする。・・・
 その土地を舞台に、幼時に誘拐されて芸者屋に売られていた女は父と再会し、恋人を奪われそうになっていた若い男は無事に彼女を取り戻して結婚までも可能となり、彼等に関わる副人物も同様の幸福を手に入れ、手柄を立てた奴隷は解放され、悪人は相応の損害を蒙る。つまりその物語自体は必ずしも喜劇的ではない。その頂点をなすのは父と娘の思いがけぬ「認知」であるが、そのような成りゆきになろうことはあらかじめプロロゴスが語っているから、観客にとっての驚きやサスペンス感の醸成も劇の本筋ではない。しかしそれでも『綱引き』は全体として多くの笑いに満ち、最終的に観客に満足をもたらす面白い作品に仕上がっている。」(p606~607)

 プラウトゥスは、紀元前3~2世紀に活躍したローマの喜劇作家である。
 場面設定は、「綱引き」は例外的に「キュレネ」(もっとも、これとてギリシャの植民都市である)だが、大抵の作品では「アテネ」である。
 ちなみに、「綱引き」は、ギリシャのディピロスという劇作家が紀元前5世紀に作った喜劇が原作らしく、プラウトゥスはそれをローマ風にアレンジしたのである。
 このことからうすうす分かるとおり、彼は、「政治」(アテネ)と「法」(ローマ)を連結する重要な・象徴的な人物であり、当然のことながら、木庭顕先生は彼の諸作品をクローズアップしている。
 さて、上に引用した解説を読むと、「綱引き」と「与話情浮名横櫛」との類似点が明らかになるだろう。
 すなわち、
・都市(アテネ、江戸)から離れた海辺ないし地方(キュレネ、木更津と鎌倉)が舞台。
・ヒロイン(パラエストラ、お富)は(元)芸者(ヘタイラ、深川芸者)。
・ヒロインは海で行方不明となる(遭難、身投げ)。
・ヒロインと親族(父、兄)との思いがけない再会。
・ヒロインは若い男(プレウシディップス、与三郎)といったん別れるものの、のちに結ばれる。
・ヒロインの出自・身分を示す物的証拠(小箱、臍の緒書)がストーリーを解決に導く。
・ハッピーエンド。
といった具合である。
 私も、初めてこの戯曲を読んだ時は、「これは『お富さん』だな!」という強烈な既視感を覚え、
 「紀元前5世紀のギリシャのフィクションが、江戸時代の日本で実際に起こるとは、お釈迦様でも気が付くめえ!
と叫びそうになったのである。
 もっとも、瀬川如皐 (3代目)がせっかく「鎌倉にある『源氏店』(げんじだな)」という設定にしたのに、春日八郎さん(あるいは多くの歌舞伎ファン)は思い切り、
 「げんや~だ~な~
 (人形町に実在する、多くの妾が囲われている地域:「玄冶店」)
と歌ってしまうのだから、作者としては複雑な心境なのかもしれない。
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