Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

不健全な自我の拡張(10)

2023年07月31日 06時30分00秒 | Weblog
 さて、前置きが長くなったが、ここからが(一応の)本題である。
 三島由紀夫文学館で8月6日まで開催されている特集展「充満する海のことば」では、三島作品からピックアップした海に関連することばが掲載されている。
 撮影禁止のため写真を掲載することが出来ないのは残念だが、主なところを5つだけピックアップしてみた。
 但し、意図的に時系列を逆にして並べている。

① 「時は海なり」(「ドナルド・キーン宛書簡」(昭和45年10月3日))
② 「地上の生活の滓がここまで雪崩て来て、はじめて『永遠』に直面するのだ。今まで一度も出会わなかった永遠、すなはち海に。」(「天人五衰」)
③ 「海はいいなあ。僕が航海学校を出て任官して、対馬の厳原の基地に行ったとき、あのへんのきれいな海が僕には自分の領地のような気がしたものさ。」(「灯台」)
④ 「近江の生命にあふれた孤独、生命が彼を縛めているところから生れる孤独、・・・」(「仮面の告白」)
⑤ 「海は、僕には、女の子にとって結婚がそれであるかのような、官能的な憧れです。」(山田野理夫宛書簡(昭和22年2月3日))


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不健全な自我の拡張(9)

2023年07月30日 06時30分00秒 | Weblog
(3)「私」又は他の登場人物(あるいは作者自身)が、自己の corpus (身体)の一部(典型的には、血)又は全部を、形式的には「第2の animus」に対して、但し、実質的には「原 animus」に対して、犠牲に供する。

 晩年の作者が仏教の唯識論に傾倒していたことはよく指摘されるし、「暁の寺」の中盤でも延々とその議論が展開されている。
 ところが、作品(及び作者の言動)を詳細に見ていくと、確かに「唯識論」(というよりもむしろ「唯我論」?)の傾向は見られるものの、思想としていちばん近いのは、私見では、「デュオニュソス信仰」ではないかと思われる(もちろん、外見的には日本流に大幅にデフォルメされているし、作者によるディオニュソス信仰の理解にはある致命的な見落としがあるのだが…。)。
 「デュオニュソス信仰」とは、おおまかには、生命の根源(つまり「原 animus」)を至上のものとして崇め、生命の発現形態である「跳躍(ペダン)」と「噴出(エクペダン)」を実践する宗教のことである(根本原因(12))。  
(ちなみに、「エクスダーゼ」(脱自)は、作者お気に入りのハイデガーによる用語である。)
 そこにおける人身供犠が、作品世界と現実の世界の双方で繰り広げられているように見えるのである。
 すなわち、全ての作品というわけではないが、小説・戯曲の中の「私」又は他の登場事物(あるいは作者自身)が、自分の身体の一部(血など)又は全部を、形式的には「第2の animus」に対して、但し、実質的には「原 animus」に対して、犠牲に供する場面が出て来る。
 これも具体例を挙げると分かりやすい。

盗賊において、清子と明秀は、「真に美なるもの、永遠に若きもの」(「第2の animus」) のために心中する(身体を犠牲に供する)。
純白の夜において、村松郁子は、楠への「真の愛」(「第2の animus」)を立証するため、服毒自殺する(身体を犠牲に供する)。
午後の曳航において、昇は、「彼と母、母と男、男と海、海と彼とをつなぐ、のっぴきならない存在の環」(「第2の animus」)を守るため、竜二を「処刑」する(身体を犠牲に供する)。・・・血が「エクペダン」している!
憂国において、武山信二中尉は、二・二六事件で蹶起をした親友たちへの「至誠」(「第2の animus」。DVD映像の掛け軸の文字に注目。)を示すため、妻と共に自害する(身体を犠牲に供する)。・・・血が「エクペダン」している!
奔馬において、飯沼勲は、玉串(「第2の animus」)を尻に敷いた財界の黒幕:蔵原武介を殺害した後、その償いとして切腹する(身体を犠牲に供する)。・・・血が「エクペダン」している!
三島事件において、作者自身は、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本 」(「第2の animus」)のために、割腹自殺を遂げる(身体を犠牲に供する)。・・・血が「エクペダンしている!

 最後の事件について言えば、私は、「自己人身供犠」という言葉以外の表現を思いつかない。
 また、この視点からすると、「楯の会」は、民間防衛組織というよりも、デュオニュソス信仰における「サテュロス」(マイナス の男性版)のカウンターパートと見るのが適切かもしれない(だから、「エクペダン」するのである)。
 そうだとすれば、作者としては、自宅には、アポロンの像ではなく、本当はデュオニュソスの像を置くべきだったのかもしれない。
 ところで、ここで錯覚してはならないのは、corpus が捧げられているのは、あくまで「原 animus」に対してであるという点である。
 というのも、モース=ユべールのモデル(命と壺(5))によれば、「原 animus」は定義上「到達不可能」(かつ極めて危険)であり、「媒介者」(ヴィークル)が必要とするところ、三島作品における「自己人身供犠」の場合、「第2の animus」が「媒介者」の代わりに用いられているのではないか思われるからである。
 つまり、「第2の animus」は、供犠の真の対象ではなく、あくまで「媒介者」としての地位を与えられていることになる。
 「媒介者」のいない供犠は、「神」にしか出来ないからである。
 「原 animus」の定義上、そうならざるを得ないことは自明である。

 「しかしながら、まったく利己主義的打算がはいらない場合が一つある。それは神の供犠である。なぜなら、自らを犠牲にする神は、永遠に自己を捧げるからである。それは、この場合、媒介者がないからである。」(p108)

 なので、「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」は、供犠の真の対象ではなく、「媒介者」として利用されただけなのかもしれない。
 もっとも、彼が「神」になろうとしたのであれば、話は別なのであるが・・・。

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不健全な自我の拡張(8)

2023年07月29日 06時30分00秒 | Weblog
 これに対し、余り例は多くないものの、登場人物や特定の場所・建物などが、物語の中で「第2の animus」へと変貌する場合がある。
 登場人物で言えば、「春の雪」の松枝清顕、あるいは「豊饒の海」全篇における綾倉聡子が、場所・建物で言えば、「金閣寺」や「月修寺 」がその代表として挙げられる。
 これらの登場人物などは、物語の内部においてレフェラン(指示対象)を与えられており、それゆえ「実在性」及び「外在的対象性」のメルクマールを備えているにもかかわらず、「到達可能性」のメルクマールを欠いている点がわざわざ強調される。
 すなわち、物語の内部において、他の登場人物などとの関係で禁忌(タブー)化されてしまうのである。
 私は、これを「レフェランの喪失現象」と呼びたいと思う。
 分かりやすい具体例を挙げてみる。

・「金閣寺」において、空襲に焼かれなかった金閣寺は、「私」との関係を絶たれて別の世界へ行ってしまう。
・「春の雪」において、綾倉聡子が皇族の婚約者となったことにより、松枝清顕にとって彼女との関係はタブーとなってしまう。
・その後聡子は出家し、奈良の門跡寺院「月修寺」(男子禁制の領域)に籠る。
・松枝清顕は親友・本多繁邦に、「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言って死に、本多の手の届かない世界に行ってしまう。
 
 小説というヴァーチャルな世界の登場人物などが、「到達不可能」な存在となる(つまり、更にヴァーチャル化される)のは一体なぜだろうか?
 私見によれば、これは「第2の animus」化にほかならない。
 この操作によって、作者自身の自我が(疑似的に)拡張されているのである。
 要するに、「レフェランの喪失現象」は、物語世界の中に作者自身が登場(侵入?)することを示すサインである。
 なので、これらは全て作者の拡張された自我=分身と見て大きな間違いはないと思う。
 そうすると、金閣寺、月修寺、松枝清顕、更には綾倉聡子(但し、皇族と婚約した後、あるいは作者自身の分身である松枝清顕から”転生”した後)までもが、作者の分身ということになる。
 この点、橋本治氏は、松枝清顕と本多繁邦が「(作者)自分自身」であるという点は見抜いたものの(『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』 )、どういうわけか、綾倉聡子が作者自身の分身である点には気づかなかった。
 これは、本当に惜しいというほかない(橋本氏は「綾の鼓」をもう1回だけ叩けばよかったのに!)。
 すなわち、「天人五衰」のラストで、本多(もう一人の作者自身の分身)に対して次のように語るのは、結局のところ作者自身と見るほかなく、そうすれば、彼女の言葉の意味が十全に理解出来ることとなるだろう。

 「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は何一つ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらっしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらっしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありませんか?お話をこうして伺っていますとな、どうもそのように思われてなりません。」(p301)
  「それも心々(こころごころ)ですさかい」(p302)

 普通に考えれば、作者が書いた最後の小説のラスト・シーンで、作者自身の分身が登場しない方がおかしい。
 私などは、ここで聡子が、

 「ところで読者さんたち、私が誰だかお分かりになりますやろか?

と訊いているように感じるのである。
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不健全な自我の拡張(7)

2023年07月28日 06時30分00秒 | Weblog
 こうした視点から三島作品を分析的に読んでいくと、主要な作品の多くが、以下の構造を有していることが明らかになる。

(1)「私」(あるいは作者自身)におけるanimus (心、魂)と corpus (身体)との分節
 まず、「私」(あるいは作者自身)が、 animus (心、魂)と corpus (身体)とに分節する。
 この animus は、「私」の「内部」に宿っているものであり、民俗学の言葉で言うと「たましひ」(折口信夫「古代研究II」p193~など)である。
 なお、一神教の宗教などでは、これを「神」と呼ぶこともある。
 作者は近似的に「生命」(いのち)などと呼ぶこともあるが、差し当たり「あらゆる生命の根源」と捉えておくとよい。
 この animus は、定義上 intangible であり、「到達不可能」である。
 次に出て来る「第2の animus」と区別するため、これを、便宜的に「原 animus 」と呼ぶことにする。

(2)animus における signifié と signifiant との分節、すなわち象徴/代理 animus の発現 
 次に、「原 animus 」(signifié(シニフィエ)としてのanimus)が、「第2の animus」(signifiant (シニフィアン)としての animus)として発現する。
 あたかも「たましひ」が鉱石や動物の骨などに宿るように(折口・前掲)、外界に存在するものを象徴として、あるいはこれを代理として、animus が立ち現れる。
 但し、これはいまだ référent (レフェラン。指示対象)を持たない(つまりシニフィアンにとどまる)ため、通常、「実在性」、「外在的対象性」及び「到達可能性」の3つのメルクマールを欠いている。
 この、「レフェランの不在・拒絶」というのが三島作品の最大のポイントで、彼の小説・戯曲に登場する「海」は殆ど全てこれ(「第2の animus」)に位置付けられると言っても過言ではない。
 ちなみに、このことを精神分析的手法で説明すると、「『第2の animus』は、『私』の自我が拡張されたものである」ということが出来るだろう(フロイト「自我論集」p11~)。
 但し、本来の自我の拡張は「外部」に実在するものを対象としているのに対し、「第2の animus」は、あくまでヴァーチャルな・頭の中にだけ存在するものを対象としている点が決定的に重要である(なので、「疑似的な『自我の拡張』」と呼ぶ方が正確かもしれない。)。
 また、上述した「第2の animus」の性質のため、このタイプの「海」に対しては、そもそも近づくことすら難しく、仮に近づいたり触れたりしようものなら、破滅的な運命が待ち受けている。
 つまり、「海」は一種のタブーなのである。
 分かりやすい例をいくつか挙げてみる。

・「岬にての物語」・・・「私」が岬で出会った二人の男女は「海」の中に消えてしまう。
・「仮面の告白」・・・「私」は「海」で泳ぐことが出来ない。
・「灯台」・・・昇が航海学校を出て任官し対馬の厳原基地で「海」に接近した翌日、昇の母は死ぬ。
・「真夏の死」・・・2人の子どもと妹は「海」で死んでしまう。
・「」・・・剣道部主将の国分次郎は、部員らに「海」で泳いではいけないと命じるが、部員らがこの禁を破ったため、次郎は自害を遂げる。
・「豊饒の海」・・・カラカラに乾いた、水のない月の「海」。  
 
  さらに言うと、「第2の animus」は、何も「海」に限られるわけではない。
 レフェランを持たず(あるいは持つことを拒絶し)、かつ自我の(疑似的な)拡張の対象となりうるものであればよい。
 例えば、(抽象概念としての)「美」(金閣寺)、(神、あるいは文化概念としての)「天皇」(英霊の聲)、(抽象概念としての)「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」()などであってもよい。
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不健全な自我の拡張(6)

2023年07月27日 06時30分00秒 | Weblog
 (明言こそしなかったものの)吉本ばなな氏が、自身を「海」と一体化させた、すなわち自我を「海」に拡張したことは、三島作品を読み解く上でも非常に参考になる。
 というのは、三島作品を、「この人物/対象は、作者の自我が拡張されたものではないか?」という視点から読むと、主題(さらには作者の生きざま・死にざま)の理解が容易になるからである(念のために言うと、自我の拡張の対象は、登場人物だけではなく、「海」のような無生物であることもある。)。
 さて、「自我の拡張」という言葉は、もともとはフロイトの用語(但し、文中では「拡張された自我」:erweiterten Ich となっている)だった(きっと愛、たぶん愛)。
 ところが、晩年の三島は、フロイトに代表される精神分析学と、柳田国男や折口信夫(「三熊野詣」の藤宮先生のモデルでもある)らの民俗学(ないし比較文化人類学)に対して、大変な嫌悪感を示していた。

決定版 三島由紀夫全集 第35巻 日本文学小史(初出:昭和44(1969)年)
 「私の文学史は、読者には日本語のもつとも高くもつとも微妙で且つもつとも寛容な感受能力を要求し、一方、私の文学史が論ずる作品の作者には、どんな古い時代に生きた人でも、それ相応の明確な文化意志を要求する。私はこの文化意志こそ文学作品の本質だと規定するからであり、文化意志以前の深みへ顛落する危険を細心に避けようと思ふからだ。
 文化意志以前の深みとは?私がここで民俗学的方法や精神分析的方法を非難しようとしてゐることを人は直ちに察するであらう。
 私はかつて民俗学を愛したが、徐々にこれから遠ざかつた。そこにいひしれぬ不気味な不健全なものを嗅ぎ取つたからである。(中略)
 民族の深層意識の底をたづねて行くと、人は人類共有の、暗い、巨大な岩層に必ず衝き当る。それはいはば底辺の国際主義であり、比較文化人類学の領域である。(中略)
 文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて大多数の人々を支配し、つひには、規範となって無意識裡にすら人々を規制するものになる。」(p531~533)

 私見では、ここに大きなヒントが隠れている。
 つまり、彼は、「自分の作品は、民俗学(ないし比較文化人類学)や精神分析学の手法によって一応分析可能である(但し、衝き当たるのは「人類共有の、暗い、巨大な岩層」)」ということを示唆しているのである。
 したがって、一つの読み方としてではあるが、彼の個別の作品を読む際には、注意深く、「人類共有の、暗い、巨大な岩層」に衝き当たるまで分析するという方法が考えられるわけだ。
 
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不健全な自我の拡張(5)

2023年07月26日 06時30分00秒 | Weblog
 もっとも、遠藤氏やばなな氏のような「象徴的用法」とは異なる用法で「海」を用いる作家も多い。
 例えば、アンデルセンは、「即興詩人」の主人公:アントニオをいわば自己の分身として、「海」へのあこがれを述べさせている(健全な自我の拡張)。
 ここでの「海」は、「象徴的用法」における「海」とはおよそ対極にある。

 「わが滿身の鮮血は蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。

 この表現から明らかなとおり、アンデルセンは、「血液」の根源として、あるいはそれと同種のものとして「海」を位置づけ、この発想に基づいて、「自我の拡張」の一形態である「(体液の)エクペダン(噴出)」を描いたのである(根本原因(12))。
 この用法を、仮に「『海』の即物的用法」と名付けてみる。
 あくまで私見だが、「即物的用法」における「海」は、① 現実に存在する海を指していること(実在性)、② 自我の「外部」に存在しているものであって、かつ自我の拡張の対象となっていること(外在的対象性)、③ 到達可能なもの、つまり禁忌のものではないこと(到達可能性) という3つのメルクマールを備えていることが重要と思われる。
 例えば、遠藤周作氏の「海と毒薬」における「海」は、おそらく①と②を欠いていると思われるから(ちなみに、私も数年住んでいたから知っているが、F市の海を「い」(あおぐろい)はまだしも、「黒い海」と形容するのはかなり違和感がある。F市の名誉のために弁護すると、F市には、実際は至る所に綺麗な海水浴場が存在している。)、「即物的用法」には当たらず、「象徴的用法」ということになるはずだ。
 また、吉本ばなな氏の「TUGUMI」における「海」は、②と③を満たしていると思われるものの、「海=つぐみ=私」という三位一体関係における「海」は、もはや実在の海を超越しているから、①のメルクマールを欠き、やはり「象徴的用法」ということになるだろう。
 「ボヴァリー夫人は私だ」というフローベールの言葉があるように、小説の中の登場人物は、常に作者の分身(拡張された自我)である可能性があるが、ばなな氏のように、「海」までも自分の分身として利用する作家も存在するわけである。
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不健全な自我の拡張(4)

2023年07月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「それがいくら自然の産みだしたやむをえないこととはいえ、つぐみのこわれた肉体に、つぐみの心が宿っているというのはひどく切ないことだった。つぐみには誰よりも深く、宇宙に届くほどの燃えるような強い魂があるのに、肉体は極度にそれを制限しているのだ。」(p116)
 「恭一は黙って聞いていた。私の声は波音と重なり、闇と吹きわたる風と、ほほを打つ冷たい水滴の中にくっきりと、つぐみの面影を浮かび上がらせた。まるで点々と海をふちどる船明かりのように、つぐみの行動を言葉にすればするほど、つぐみの生命の光が今ここにあるいたいな強烈さで話のそこここに輝きはじめるのだ。」(p194~195)

 吉本ばなな氏も、やはり「『海』の象徴的用法」を好む作家の一人である。
 もっとも、神戸の汚い海を海の原イメージとしているであろう遠藤周作氏とは異なり、ばなな氏は、毎年夏休みに家族で過ごしていた伊豆の海を、海の原イメージとして持っている(吉本隆明氏 「バカなことさせる番組はいい」と電波少年出演)。
 さて、上に引用したくだりを読むと、つぐみ、あるいは彼女の魂・心が海とシンクロしており、まるでつぐみは海の化身であるかのようだ。
 つまり、ここでの「海」は、実在する海とは違う”なにもの”かである。
 だが、この分析は少し甘く、読者は、「あとがき」を読んであっけにとられることとなる。

 あとがき「夏はいつも、西伊豆に家族と行きます。10年以上、同じ場所,同じ宿に通っているのでそこは私にとって故郷のようなものです。夏はいつも、何ていうことなくそこで、退屈に過ごします。
  その何もなさ、いつも海があって、散歩や、泳ぎや、夕暮れをくりかえすだけの日々の感じをどこかにきとんととどめておきたくてこの小説を書きました。これで、私や、私の家族がたとえ記憶を失っても、この本を読めばなつかしく思うことができるでしょう。そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」(p230)
 
 なんと、「つぐみ」は「私」=ばなな氏だったのである。
  ここに至り、「つぐみ」=「海」=「吉本ばなな」の”三位一体”が成し遂げられた。
 こんな風に、実在する海とは違うけれども、「自我」の拡張の対象となる「海」も存在するわけである。
 このことについては、次回説明したいと思う。
 
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不健全な自我の拡張(3)

2023年07月24日 06時30分00秒 | Weblog
① 「頭が痺れるような気持がしたので屋上にのぼった。眼下にはF市の街が灰色の大きな獣のように蹲っている。その街のむこうに海が見えた。海の色は非常に碧く、遠く、眼にしみるようだった。」(p29)
② 「医学部の西には海がみえる。屋上に出るたびに彼は時にはくるしいほど碧く光り、時には陰鬱に黝ずんだ海を眺める。」(p47)
③ 「海は今日、ひどく黝ずんでいた。」(p57)
④ 「闇の中で眼をあけていると、海鳴りの音が遠く聞こえてくる。その海は黒くうねりながら浜に押し寄せ、また黒くうねりながら退いていくようだ。」(p87)
⑤ 「眠っては眼があき、眼があくとまたうとうと勝呂は眠った。夢の中で彼は黒い海に破片のように押し流される自分の姿を見た。」(p88)
⑥ 「一日中船室の丸窓から東支那海の黒い海面が、浮んだり、沈んだり、傾いたりします。その海の動きをぼんやり眺めながら、わたしはああこれが結婚生活なんだと考えたものです。」(p95)
⑦ 「だが戸田は勝呂がそこだけ白く光っている海をじっと見詰めているのに気がついた。黒い波が押しよせては引く暗い音が、砂のようにもの憂く響いている。」(p193)

 「海と毒薬」に出て来る「海」を網羅的にピックアップしてみた(もしかしたら見落としているものがあるかもしれない)。
 ①を除けば全て「象徴的用法」といってよいだろう。
 ②③の「黝ずんだ海」は人の死の予兆であり、典型的な「象徴的用法」である。
 そして、③と④の間に、決定的な出来事が起こる。

 「田部夫人の血液が突然、黒ずんだのに勝呂は気がついた。瞬間、なにか不吉な予感が胸にこみ上げてきた。・・・
 彼は気がついたのである。血が黒ずみ始めたことは患者の状態がおかしくなって来た証拠なのだ。」(p69~70)

 この直後、手術の失敗により田部夫人は死に至る。
 田部夫人の死を境にして、海の色は「黝」から(死者の血液を示唆する)「黒」へと変わった。
 同時に、「海」は擬人化(というよりはもはや人間化)される。
 したがって、④~⑦の「黒い海」は、人間の内部に潜む「悪」という趣旨に理解するのが適切ということになるだろう。
 ちなみに、私見では、狐狸庵先生は、「医学生」による独白のパートの、以下のくだりでちとしくじったと思う。

 「ぼくは鞄をもって彼等の家を出た。湖は黒く汚れ、ゴム靴や材木の破片が浮いていた。その湖のほとりを歩きながらぼくは別に興奮も苦しさも感じなかった。」(p140)

 大津に住む従姉のもとを訪れ、姦通を犯した翌朝の情景だが、「『海』の象徴的用法」の観点からすれば、ここはやはり「湖」ではなく「海」にすべきところだったと思う。
 要するに、従妹の家を大津に設定したのがまずかったのである。
 
 
 
 
 
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不健全な自我の拡張(2)

2023年07月23日 06時30分00秒 | Weblog
 「三島由紀夫は「海」にただならぬ意味を見出していました。それはこの日常の桎梏からの解放、未見の自然、怖れ、開放された心身、死、おおらかさ、ロマン的心情、蠱惑(こわく)、奇跡、不思議、禁止、マッチョな力強さ、不吉な凶兆、永遠、憧れなどです。それを文学作品に取り入れることで、作品の中心となる想念を表現し、三島自身の内にある得体の知れない情念を表現しました。
 「海」は三島にとって、そういう不可解な力を託す現象であり物象でした。
 ありていに言って、三島作品における「海」は、山とも川とも草原とも街とも異なる、単なる地形や場所を示すことばではありません。道路、ビル街、駅、ホテル、病院、レストラン、酒場、学校などの場所とも次元を異にしています。

 「海」に”ただならぬ意味”を見いだす作家は極めて多い。
 佐藤氏が指摘したのと似たやり方で「海」ということばを用いる作家としては、例えば、遠藤周作氏が挙げられる。
 遠藤氏は、「海と毒薬」の中で、F市の海(及び東支那海)を「黒い海」と形容しており、「海」に対し、人の死を予兆するものとして、あるいは、人間の内面に潜む「悪」をあらわすものとして用いている。
 すなわち、この文脈における「海」は、単に、具体的に存在する地形・場所をあらわすことばとしての「海」ではなく、これに何か別の抽象的なものが仮託され、象徴として用いられているわけである。
 これを、「『海』の象徴的用法」と呼ぶことが出来るだろう。
 以下、具体的に見ていく。
 

 
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不健全な自我の拡張(1)

2023年07月22日 06時30分00秒 | Weblog
 「作品に山中湖は登場するが、三島との特別な縁はない。なぜ山中湖なのか-。三島の遺族は公共機関での作品や資料の保管、利用を希望したが、三島が自衛隊の決起を呼びかけて割腹自決したという事情から尻込みする機関が多く、山中湖村だけが手を挙げたという。

 山中湖畔の林の中に、「山中湖文学の森公園」というスポットがあり、そこには、山中湖畔に別荘を所有しており戦前・戦中の代表的軍国主義イデオローグであった徳富蘇峰を記念して建てられた(らしい)徳富蘇峰館と並んで、なぜか、三島由紀夫文学館なる建物が存在している。
 ところが、徳富蘇峰と三島由紀夫の共通点を見つけるのは難しい。
 事情通であれば、徳富蘇峰という人物は、天皇をキリスト教の「神」に相当するものとして位置づけようと考え、ジャーナリスト・著述家としてこの思想を一般に流布させようとしたとんでもない人物であること(天職ジャーナリスト?)、また、晩年の三島由紀夫が、戦前から戦後にかけてのいわゆる「知識人」の無責任・無節操に対し激しい嫌悪を抱いていたことを知っているはずである。
(余談だが、私が生まれた家は、徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家とは目と鼻の先のところにある。)
 そして、そのような事情通にとって、徳富蘇峰という人物が、三島が激しく嫌悪していた典型的な「知識人」に属することはほぼ明らかであり、この2人を顕彰する記念館が並んで建っているのを見れば、おそらく少なからぬ違和感を抱くはずである。
 どうしてこの2人が、こんな形でカップリングされているのだろうか?
 「軍国主義ジャーナリスト」と「(晩年における)右翼的傾向の強い作家」という風に、「”右”つながり」という括り方をされたのだろうか?
 もちろん、そういうことはない。
 上に引用したとおり、公共機関での作品や資料の保管・利用を希望する三島の遺族の希望を受け容れたのが、唯一山中湖村だけだったということらしいのである。
 ちなみに、私の見る限り、現在の徳富蘇峰館は、彼の業績を顕彰したり彼に関するについて資料を展示することを主目的として使用されているとは到底思われない。
 むしろ、カルチャー教室やボランティア団体などのためのスペースと化しているようだ。
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