Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

体質改善

2021年11月30日 06時30分30秒 | Weblog
会社も社会的な信用も失い…無罪判決の元社長が語る 大阪地検特捜部の捜査実態 「ストーリーありきで事件を考えている」
 「弁護を担当した中村和洋弁護士。
検察は「自分たちのストーリーありきで、この事件を考えているのではないか」と疑念が強まっていったという。


 どうやら、「見立て(ストーリー)を先に作っておいて、後から都合のいい証拠を集める(時には捏造する)」という特捜部の「体質」は、10年前と変わっていないようだ。
 そのことを示すのが、この事件である。

検事自殺で公務災害申請 上司から叱責、広島
 「広島地検公判部の男性検事=当時(29)=が2019年12月に自殺したことを受け、遺族が29日、地検に公務災害認定を申請した。男性は「上司から叱られた」と同僚に悩みを相談しており、遺族はパワハラや長時間労働を訴えるが、検察側は遺族に対し、原因は不明と説明している。

 この組織においては、部下の人格を否定するような「教育」がまかり通っていると思われる。
 この社風だと、事案の内容に関係なく、上司が「自白をとってこい!」と怒鳴りつけている場面が容易に想像出来る。
 こうした「体質改善」の必要性が指摘されて久しいのだが、そのためには、法曹一元の導入といったくらいのドラスティックなやり方しかないように思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知的信用(5)

2021年11月29日 06時30分08秒 | Weblog
 先日開催された研修「「憲法9条の適用問題 ー 改憲論に備えて」2021年11月10日第二東京弁護士会」において、木庭顕先生が面白いことをおっしゃっていた。
 予定時間を超過した後の質疑応答の中でのお話(というか嘆き)なので、今後雑誌などに載ることもないだろう。
 中身は、「知的信用」で先生が指摘していた、「中等教育のところに大きな問題があるために、豊かな家庭に育っても、知的な信用が入っていない、没知性的な学生」の具体的な説明である。
 先生によれば、社会に出て問題を起こしてしまう法学部生の特徴は、
・歴史を知らない
・哲学を知らない
・文学を知らない
・講義に出ない
・だけど試験にだけは出る

というものである。
 いわば「試験サイボーグ」である。
 先生は、法曹や官僚などを真に「知的な」階層とするためには、大学側も「知の不足」を猛省し、教育の在り方を見直すことが求められるという。
 だが、大学だけの問題ではなく、それ以前の中等教育の問題もあるはずで、こちらが手つかずのままで良いわけがないだろう。
 不可能ではないけれど、どちらもかなり険しい道のりという気がする。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本を変えないで!(2)

2021年11月28日 06時30分01秒 | Weblog
お受験じょうほう 慶應義塾幼稚舎
 「考査 11/1(月)~11/10(水) 期間内のうち1日

 毎朝行く喫茶店に、お受験の個人指導を受けている5歳くらいの女の子と先生の姿をこのごろ見かけないので、店員さんに聞いたところ、「慶應幼稚舎のお受験だったからでしょう」という答えが返ってきた。
 ちなみに、この喫茶店のスタッフには、慶大生・慶大院生が沢山いる。
 昨年は倍率10倍超だったらしく、東京の小学受験の熾烈さが分かる。
 この件で、私は、TOEFL満点で有名だった、留学時代のある同級生のことを思い出した。
 その人物は、中国の環境省で大臣付きの英語の通訳を務めていた女性で、両親とも共産党員かつ医者である。
 彼女は、仕事を休職してアメリカに留学していたのだが、中国の教育・就職事情についてこういう言葉を述べた。

 「小さいころは勉強が大変で、ものすごくCompetitive だった。けれど、それを乗り越えて、私は成績では陝西省でトップになったの。それからというもの、人生が easy になったの。

 確かに、その後の人生が easy になるのであれば、熾烈なお受験にも合理性があるという見方が可能かもしれない。
 だが、こういうエリートたちは、お受験を経て社会に出てから間違った集団思考・集団志向に走ってしまい、この国を変な方向に変えてしまうおそれがある。
 つい最近も、そのような危険が発生していたのである。
 「日本を変えないで!」と叫ばないで済むような教育をして欲しいと願う今日この頃である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二周目(2)

2021年11月27日 06時30分58秒 | Weblog
【速報】「東京・春・音楽祭2022」概要発表!
 「今回で18回目を迎える音楽祭は、今春の名演が記憶に新しいリッカルド・ムーティと東京春祭オーケストラによるオープニング公演、「東京春祭ワーグナー・シリーズ」はマレク・ヤノフスキ指揮/NHK交響楽団を迎えた《ローエングリン》、アレクサンダー・ソディ指揮/東京都交響楽団×東京オペラシンガーズによる「東京春祭 合唱の芸術シリーズ」、読売日本交響楽団との「東京春祭プッチーニ・シリーズ」、ドイツ・バイロイト音楽祭との提携による「子どものためのワーグナー」、国内外の一流アーティストによる室内楽やリサイタル、そして人気のミュージアム・コンサートなど東京春祭ならではの充実したラインナップで、東京の春の訪れを華々しく飾ります。

 2022年の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」の演目は、「ローエングリン」であると発表された。
 二周目で指摘したとおり、このシリーズはどうやら一巡したという扱いなのだが、「ローエングリン」と聞いて驚いた人は多いはずである。
 というのも、「ローエングリン」は、2018年に上演されたばかりで、二周目にしては早すぎるからである。
 もっとも、この時は、ローエングリン役のクラウス・フロリアン・フォークトが熱発するなど本調子ではなかったので(悲鳴をご参照)、今回はそのリベンジという意味なのかもしれない。
 それにしても、まだ上演されていない「トリスタンとイゾルデ」(2020年に予定されたがコロナ問題のため中止)は、おいてけぼりの感がある。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンデモ教官

2021年11月26日 06時30分07秒 | Weblog
イデオロギー対立は戦前もあった!?【大正時代②:天皇機関説VS天皇主権説】 美濃部達吉×上杉慎吉×高畠素之
 「美濃部が提唱した「天皇機関説」では統治権を法人である国家が所有するということを前提とし、よって天皇は統治権を行使する国家の最高機関であるとします。同時に、内閣や議会、総体としての国民も国家機関であるので、これらの諸機関の間には、「国民→議会→内閣→天皇」という拘束機関が存在します。天皇は最高機関であるけど、社会情勢上、内閣の意思を無視できない。内閣は議会に対して責任を負う立場であるため、議会の意向を無視できない。そして議会は国民の意思を代表するものである。この拘束関係をより有効的に機能させるためには、内閣は政党内閣となって議会に連帯して責任を負うことが求められるという考えです。だから、普通選挙を通じて、国民全体から選ばれた議員によって議会は構成されるべきとした説です。
 「ところが、これに真っ向から異を唱える人物が現れます。「天皇主権説」を唱えた憲法学者の上杉慎吉です。
 上杉慎吉は福井県出身。大聖寺藩医・適塾門下の医学者である上杉寛二の長男として生まれます。1903年(明治36年)東京帝国大学法学部政治学科を首席で卒業します。同大の助教授となり、1906年から3年間ドイツに留学します。その時、ドイツの公法学者で、後に対立する美濃部が天皇機関説の基となる国家法人説を主唱したイェリネック本人の家に下宿して指導を受けました。帰国し、1912年母校の教授となります。この年に同じ大学の教授であった美濃部が発表した「天皇機関説」に対して、上杉は『国体に関する異説』を発表し、「天皇すなわち国家である」という天皇主権説を主張しました。両者の論争は他にも参加者を得、天皇制絶対主義勢力とデモクラシー勢力のイデオロギー闘争となっていきました。


 譲渡担保を推進する民法学者を発見して、史上稀に見るトンデモ教官というべき上杉慎吉のことを思い出した。
 彼と美濃部達吉との論争は、子供と大人との間の議論のようなレベルのものだったのだが、なぜか上杉の方が優勢になっていく。
 法人ー「キリストの神秘的な肉体」(譲渡担保を巡るエトセトラ(6)ご参照)としての国家にあっては、「頭」(君主)と「手足」(国民)との間には上下・優劣関係を観念出来ないというのがポイントであり、天皇機関説の思考はこれを中核としていると言ってよい。
 ところが、上杉の説は、これに対する有効な反論となっていないように見えるのである。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Taro, Hanako, Father (Dad)

2021年11月25日 06時30分57秒 | Weblog
連続テレビ小説 カムカムエヴリバディ

 観ていない番組について語る資格はないが、NHKがNHKの番組(「英語曾話」)を素材にしてドラマを作った点は新鮮に感じる。
 さて、「カムカム英語」においては、Taro, Hanako, Father (Dad)の3人が登場し、ごく普通の日本の家庭での会話を英語で行う。
 杉田敏先生は、「実践ビジネス英語」2020年3月号の中で、これについて以下のように指摘している。

 「しかしこのように、日本の日常生活の中で、家族同士が英語で会話をするという、決してありえない場面を設定することは、長期にわたる学習を想定する放送番組においては、学習者にとって適切とはいえない、という批判も当時あったようです。

 確かに、これでは「生きた英語」とは言えないのかもしれないし、やがてネタ切れすることは必至だろう。
 裏返すと、杉田先生の「やさしいビジネス英語」、「実践ビジネス英語」が長期にわたって放送出来たのは、実際のビジネスシーンが素材となっていたからなのだろう。
 要するに、語学においては、「生きた言葉」を素材にすることが重要なのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイスターじゃないジンガー

2021年11月24日 06時30分34秒 | Weblog
大野和士オペラ芸術監督が語る『Super Angels スーパーエンジェル』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
 「 主人公のハンス・ザックスは言います。「春の楽しい時期には多くの人が美しい歌を書けるけれど、それは春が代わって歌ってくれたからだ。だが真の芸術家というのは、人生の夏が過ぎ、秋と冬の厳しい時期が来て、子どもが産まれ、子どもを育てて厳しい人生を送りながら、その中で美しい歌が書ける人だ」と。美しいだけではない、そこにいろいろな年輪が詰まった歌が書ける人こそ本当の芸術家だということを、ハンス・ザックスは言っているのですね。それがマイスタージンガーの本質、奥義だと。それはワーグナーの人生とも半ば重なっています。

 昨年、今年の8月と二度の公演延期・中止を経て、ようやく新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が上演されることとなった。
 多くの人が、「第1幕への前奏曲」を聴いていると思うが、全幕を通して観たことのある人は少ないと思う。
 それもそのはず、演奏時間は4時間半、歌手・コーラスは100名以上を要するこの楽劇は、おそらく「最もお金のかかるオペラ」の一つであるため、上演機会が非常に少ないのである。
 さて、この楽劇に大きなキズがあることはよく知られている。
 それは、排他的なドイツ文化至上主義と反ユダヤ主義(ワーグナーとユダヤ人をご参照)である。
 排他的なドイツ文化至上主義が露骨に姿を現すのは、第3幕第5場、ラストの手前の「ハンス・ザックスの最終演説」である。
 「気をつけるがいい、不吉な攻撃の手が迫っている。
  ドイツの国も民も散り散りになり、異国の虚仮おどしに屈すれば、王侯はたちまち民心を見失い、異国の腐臭ただようがらくたを、ドイツの地に植え付けるであろう。
 栄えあるドイツのマイスターに受け継がれぬ限り、ドイツの真正な芸術も人々の記憶から失われよう。
 だからこそ、言っておこう。
 ドイツのマイスターを敬うのだ!
 そうすれば、心ある人々をとらえることができる。
 そしてマイスターの仕事を思う心があれば、神聖ローマ帝国は煙と消えようとも、ドイツの神聖な芸術はいつまでも変わることなく残るであろう!


 このセリフが始まった途端、私などはナチスドイツを思い出して白けた気分になるのだが、今回の演出家:イェンス=ダニエル・ヘルツォークは、このキズを見事にカバーしている。
 どういうラストなのかは観てのお楽しみであるが、ヒントは「マイスターじゃないジンガー」である。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲渡担保を巡るエトセトラ(15)

2021年11月23日 06時30分12秒 | Weblog
 「契約書においては,しばしば,設定者が譲渡担保権者の代理人として占有するとか,設定者は譲渡担保権者から賃借するとか,といった約定になっている。しかし,たとえば毎月賃料名目で一定額が設定者から譲渡担保権者に支払われていたとしても,実質的には被担保債権の利息であり,利息制限法の適用も受けるというべきであるから,契約書文言どおりに理解すべきではなく,設定者は自己の有する設定者留保権に基づいて,当然に目的物の利用ができると解すべきである。・・・
 さらに,通説は,譲渡担保権者が,契約上の賃貸借契約の賃料不払を理由に賃貸借契約を解除し,設定者に対して目的物の引渡しを請求することは許されないとする。しかし,占有が譲渡担保権者に移転する形態の譲渡担保もありうるのだから,譲渡担保契約に付随した賃貸借契約等は,利息不払の際に非占有移転型の担保から占有移転型の担保に変換する特約として有効であり,契約解除・目的物引渡請求も認められると解すべきである。
」(p316~317)

 この最後のくだりを読んで、私は一瞬目を疑った。
 著者は、かつて東大法学部で民法を教えていた学者であるが、譲渡担保の危険性について無自覚であるというだけにとどまらず、「通説」に逆らってまで「占有原則」の脱法を保護しようとしているのである。
 どうやら、惨憺たる状況なのは取引社会だけでなく、学界の状況も似たようなもののようである。
 さて、冒頭の設問への解答としては、以下のような構成が考えられる。

・古代ローマにおいて譲渡担保が禁止されていたのは、それが「占有原則」の脱法を狙ったものであり、「占有原則」を骨抜きにしてしまうからである。
・「占有原則」とは、・・・(定義を簡潔に書く。設立先例である「ウェルギニア伝承」にも触れる。)。
・「占有原則」の実定法上の反映=そのコロラリーである民法349条を指摘し、立法趣旨について説明する。
・譲渡担保が「占有原則」を蹂躙する具体例を、裁判手続外(第1ステージ)と裁判(執行)手続内(第2ステージ)のそれぞれについて説明する。後者においては、債権者平等原則や破産等包括執行手続の回避が図られていることを指摘する。
・判例・実務の対応(判例法で「合法」化していること、執行手続においては「別除権」として保護していることなど)を指摘する。

 その上で、時間が余ったら、答案用紙の余白にこう書くとよいかもしれない。

 「恐縮ですが、この問題を、民法の教官にも出してみてはいかがでしょうか?

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲渡担保を巡るエトセトラ(14)

2021年11月22日 06時30分57秒 | Weblog
 本件事案のように、「譲渡担保」であるかどうかが争われる事案において、最も重要なポイントは、対象物を誰が「占有」しているかである。
 そのことを、最判平成18年2月7日は以下のとおり判示している。
 「 買戻特約付売買契約の形式が採られていても,目的不動産の占有の移転を伴わない契約は,特段の事情のない限り,債権担保の目的で締結されたものと推認され,その性質は譲渡担保契約と解するのが相当である。

 このことは、譲渡担保が「占有原則」の脱法を狙ったものであることに鑑みれば、余りにも当然のことである(なお、譲渡担保権者が目的物を占有する例外的なケースもあるらしいが、これを「譲渡担保」と呼んでいいかどうかは疑問である。)。
 本件事案について言えば、本件土地を一貫してX又はその従業員が占有しており、Yが占有していた期間はないということと、もともと譲渡担保権が設定されており、そのことをYも知っていたという事情があるため、やはり「譲渡担保」という認定に傾いたようである。
 さて、不動産の譲渡担保がなぜ用いられるのかという疑問に対し、民法学者の多くは以下のような説明を行っている。

担保物権法 -- 現代民法3 第4版
 「一言でいえば、民法典の定める典型担保の(債権者の立場から見た)不備によるのである。・・・
 不動産(の所有権)を目的とする担保手段として,民法典では,質権と抵当権とが規定されている。しかし,まず質権は,目的不動産の占有を債権者に移転することが必要とされ,現代社会では用いにくいものとなっている。抵当権は,この点では合理的な担保手段であるが,その実行には裁判所の手続をふまねばならず,時間・経費がかかる。また,競売では,しばしば時価より安くしか換価できない。・・・
 これに対して,権利移転予約型担保では,目的物の占有を移す必要はなく,原則として簡易な私的実行の方法をとりうるほか,抵当権に関する諸規定も当然には適用されないのである(類推適用はありうる)。
」(p309、p272)

 ここだけ読むと、この先生が譲渡担保に対してどのようなスタンスをとっているのか(とりわけその危険性をどう見ているのか)は不明である。
 だが、後まで読んでいくと、ぎょっとする記載に遭遇すると同時に、この先生が譲渡担保の危険性についておそらくは無自覚であることが分かる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲渡担保を巡るエトセトラ(13)

2021年11月21日 06時30分30秒 | Weblog
 Yは、本訴においては譲渡担保契約の締結を否認しつつ、反訴において「貸金2000万円を返せ」と請求しているわけだが、私はこれでは不十分と考えた。
 そこで、XY間で取り交わされたほぼ唯一の書面である「覚書」(そこに「譲渡担保」という文言は一切存在しない)を根拠として、本件契約は「民法上の組合契約類似の契約」であり、それゆえ「利益=売却代金から貸金の元金・利息・損害金と必要経費を控除した残額は、出資割合(本件では1/2と主張)に応じて分配される」という予備的主張を行った。
 これだと、譲渡担保と認定された場合に比べ、Yが支払うべき金額が半分に抑えられるという目論見である。
 だが、判決はこの予備的主張をも斥けて「譲渡担保」と認定したため、Yは、売却代金から貸金の元金・利息・損害金及び必要経費を控除した残額をXに清算金として支払わなければならないこととなった。
 さて、実際のところ、宅地として造成される原野・雑種地等については、抵当権ではなく譲渡担保権がかなり利用されているようだ。
 その理由は必ずしも明らかではないが、やはり、端的に債務者=造成業者の「占有」を排除・無効化することや、「私的実行」(債権者平等原則や破産等包括執行手続の回避)を狙ったものと思われる。
 というのも、本件がそうであったように、造成業者が返済をしないまま工事をボイコットして追加融資を迫ったり、土地上に重機を置くなどして執行を妨害したりすることが予想されるからである。
 もとの土地は荒地であって、これに付加価値が加わるかどうかは、ひとえに造成業者の労務いかんにかかっている。
 これを熟知している造成業者は、この土地をネタにして出来るだけ多くの資金をスポンサーから引き出そうとする。
 「もっと工事費用を貸して下さい。そうすればこの土地は5倍の値段で売れますよ。貸してくれないなら工事をやめますが、そうなるとこの土地は二束三文でしか売れないでしょう。それでもいいんですか?」と居直るわけである。
 こうした事態が予想されるため、スポンサーは、抵当権ではなく譲渡担保権の設定を受けておいて、いざとなれば、造成業者の占有を裁判手続きを経ること無く排除して他の造成業者に入れ替える、あるいは、そのままの状態で他の同業者等に売却して資金を回収する、などという手段を準備しておくわけである。
 つまり、強力な「占有」を、これまた強力な「譲渡担保」の力で覆そうとするわけである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする