Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

犠牲と功績

2023年09月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「なぜ“冤罪”は起きたのか―。3年前、軍事転用が可能な精密機器を不正に輸出したとして横浜市の中小企業の社長ら3人が逮捕された事件。長期勾留ののち異例の起訴取り消しとなった。会社側が国と東京都に賠償を求めている裁判で今年6月、証人として出廷した現役捜査員は「まあ、ねつ造ですね」と語り、捜査の問題点を赤裸々に語った。公安部の中でいったい何が起きていたのか。法廷の証言と独自資料をもとに徹底取材で検証する。

 うっかりして前半を見逃してしまったが、非常に重要なくだりがラスト近くにあった。
 本件が「ねつ造」であることは、実は、匿名の手紙によって明かされていた(但し、この手紙を書いたのは、公判で「定年も視野に入ると、自分がどこまで上がれるかを考えるようになる」 などと述べた証人らとは違う人物である。)。
 本件は、警視庁公安部の一部の捜査官たちが、功績を挙げる目的で、経産省などを巻き込んででっち上げた事件だったようである。
 警察官の場合、階級が高いほど退職金も高くなるシステムをとっているが、手っ取り早く階級を上げるためには、大きな事件で手柄を挙げる必要がある。
 (それ自体筋悪の)「経済安保」が声高に叫ばれ、警察庁出身の官僚が国家安全保障局長に就任したタイミングであり、「経済安保」がらみの事件を立件することは、出世への近道と考えられたのかもしれない。
 そこに、「捜査員の個人的な欲」が作用して、事件の「ねつ造」につながったというのは、自然な見立てと言える。
 ・・・と、ここまで見てくると、これは、どのカイシャ(S銀行、Bモーター、Sジャパン等々)でも起きる可能性のある不祥事の一種であることが分かる。
 しかも、警察は実力組織であり、「ねつ造」は必然的に犠牲者を生み出すこととなる。
 つまり、「功績」のために「犠牲」が要求される構造となっている。
 こうした冤罪の発生メカニズムを見ると、証人らが指摘するとおり、「人が変わらない限り、今後も冤罪は再発するだろう」というのは、残念ながら否定できないところである。


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逆転

2023年09月29日 06時30分00秒 | Weblog

 永瀬さんの敗着は、66手目の4一飛。
 ここは3一歩と打っていれば、永瀬さんの勝ちだった(0:24付近~)。
 アユムさんの推理では、永瀬さんはここで4三銀と打たれるのを嫌っていたのではないかということだ(4:25付近)。
 後手:4三同金に、先手:3二銀と打つ変化(5:05付近)がいやらしく、この帰結を読み切れなかったのが敗因と思われる。
 アユムさんの解説では、3九飛と1回王手をかけ、5九香と駒を使わせてから、4二金と上がっていれば、3一飛成、4一歩の局面で、先手に4四香と打つ手がない(受けに使ったため)ので、後手がギリギリで受け切れている。
 もっとも、短時間でここまで読み切るのは大変である。
 アマチュア的な直観で、「なんとなく底歩」(3一歩)としておけば勝てたのである。
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沈黙の世話人&奔走人

2023年09月28日 06時30分00秒 | Weblog
 「青木氏は動画内で「某テレビ局」と濁していたが、その文脈からはテレビ朝日のことを指していることは明らかで「幹部から聞いた話」として、それまでジャニーズタレントしか出していない音楽番組があり、その番組に初めてジャニーズタレント以外の男性アイドルを起用することに。
 その男性アイドルを起用するにあたり、局の担当者がジャニーズ事務所、さらに言えばジュリー氏にその件を通告したという。これを受け、ジュリー氏は「今回はしょうがないと思いますけど、これがずっと続くようだったら対応を考えます」と、圧力や脅迫とも取れるような発言をしていたというエピソードを明かしていた。

 テレビ局が次々と「手のひら返し」をしている。
 なんと、あの「見せしめ」会見を放送したFテレビですらそうである。
 そんな中で、最後まで沈黙していた、あるいは忖度を保っていたテレビ局があった。
 
 「篠塚浩社長は「当社の受け止めに関してはすでにリリースした」と前置きした上で、「特に調査報告書に記載のメディアの沈黙などについて、なぜ当時、報じなかったのか、当時の報道局のスタッフに聞き取り調査を行った」と、社内でヒアリングを行ったことを報告。  
 その結果、「芸能関係報道の民事裁判は日頃からニュースにしていなかったことから、人権侵害に当たるとは気付かなかった」という。「当時、私も仕事をしていたが、このような重大な人権侵害とは気がつかなかった」と私見を述べ、「性被害への意識が著しく低かったと反省しています」と謝罪した。

 この「沈黙」の理由は、十年前からネットに出ていた動画(「全ての関係は、十数年前の、この兄弟盃からはじまった」、「ジャニー喜多川、生前の肉声付き映像」で検索すると出て来る)をみれば一目瞭然である。
 なにしろ、某歌番組のMCが所属する大手芸能事務所社長の還暦祝いにおいて、 このテレビ局の取締役/編成制作局長(故人)が「世話人」、編成制作局のプロデューサー(現役)が「奔走人」となって、「媒酌人」であるJ氏や広告代理店幹部らと「兄弟盃」を交わしていたのだから。
 つまり、テレビ局、芸能事務所、広告代理店の「鉄のトライアングル」が確立されていたのだ。
 まるで「政・官・財」のトライアングルの相似形を見るような気がする。
 おそらくエンタメ業界でも、政・官・財界でも、「兄弟」に対して手のひら返しをしたりすれば、後でどんな目に遭うか分からないのだ。
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歩合と給与(2)

2023年09月27日 06時30分00秒 | Weblog
 「イソ弁とは、「居候弁護士」を略した言葉です。法律事務所に雇われて働く弁護士のことを指します。
 弁護士は、「自分で事務所を経営している弁護士」と「弁護士事務所に雇用されている弁護士」とに分かれますが、後者がいわゆる「イソ弁」です。
 「ノキ弁は、「軒先弁護士」の略です。法律事務所のスペースを間借りして営業をしている弁護士のことを指します。
 イソ弁と違い、事務所に雇われているわけではないので、基本的に自ら仕事を探してきて収入を得なければなりません。
 「ソク独とは、弁護士登録後、すぐに(即)独立した弁護士の略です。
 法律事務所などに就職せず、最初から独立する道もあります。
 ノキ弁、タク弁、ケー弁の多くはソク独の弁護士です。

 歩合と給与と言えば、弁護士業界にいればおのずと敏感になる問題の一つである。
 例えば、就職する際も、待遇が「イソ弁」なのか「ノキ弁」なのかで決定的な違いがある。
  「イソ弁」だと、労働契約を結ぶので、手厚い身分保障と固定給と言う安心が得られるのに対し、「ノキ弁」だと、通常は経費負担がない(又は軽い)代わりにいつ「切られる」か分からず、収入も安定しないという不安がつきまとうことになるからである。
 ちなみに、近年では「ソクドク」が増えているらしい。
 「ノキ弁」について言えば、この言葉はややミスリーディングかもしれない。
 というのも、仄聞する限り、「ノキを借りる」だけでなく、当該事務所から(大抵は訴額が小さくて手間のかかる)事件をもらう、「業務委託契約」が存在するケースも多いようにみられるからだ。
 「ノキ」を貸す側としても、それなりのメリットを求めるのが普通であり、それが、「採算的に疑問又は不採算の事件をやってもらう」ということなのだ。
 この際の報酬は、通常「歩合」である。
 つまり、「クライアントから支払われるフィーの○○%」が「ノキ弁」に支払われるわけである。
 ちなみに、私個人としては、「ノキ弁」になるくらいなら、自宅でもいいので「ソク独」の方を選びたい。
 というのは、業務委託(完全歩合制)の場合、トラブルが起きたり、事務所経営が苦しくなったりすると、「採算の取れる事件を配点しない」というやり方で厄介払いをする陰湿な手法が、昔から行われてきているからである。
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カーテンコール

2023年09月26日 06時30分00秒 | Weblog
 「ローマを舞台とし、ローマで初演された『トスカ』は、ローマ歌劇場にとっては特別な作品です。演出家ゼッフィレッリは2008年、ローマ歌劇場のためにこの『トスカ』をつくりましたが、今年はゼッフィレッリ生誕100年に当たりま す。荘厳な教会、重厚な内装の警視総監室、そして聖アンジェロ城での緊迫のフィナーレ。その根底にあるのは「演出家には作曲家から託された物語を伝える義務がある」というゼッフィレッリの信念。サラ・ベルナール演じる芝居 を見て、このオペラを書きたいと熱望したプッチーニの想いや描きたかった歌姫トスカのドラマが、ゼッフィレッリの演出と舞台美術によって、迫真の舞台となって繰り広げられます。まさに「神は細部に宿る」と言えます。・・・
 今年、日本は時ならぬ「トスカ」の当たり年のようですが、1本選ぶなら迷うことなく本公演です。

 ローマ歌劇場の5年ぶりの引っ越し公演は、「椿姫」と「トスカ」である。
 「椿姫」は、前回も観た上、フランチェスコ・メーリのアルフレードも今年観たばかりなので(傑作の欠点(4))、今回はパスして、「トスカ」1本にした。
 とはいえ、日本は「トスカ」の当たり年らしく、かなりの数の公演がある。
 私も、演奏会形式ではあるものの、4月に「トスカ」を観て/聴いている。
 その際、ブリン・ターフェルのすさまじい”テ・デウム”(パクリ疑惑)を目の当たりにして、「今後これを超えるものは出ないだろう」と予測していたが、やはりその予感は当たった。
 今回の公演のスカルピア役の歌手には、今一つ「アブナさ」も声量も足りないと感じたのだ。
 これに対し、トスカ役は歌唱・演技とも十分合格点だし、カヴァラドッシ役も素晴らしい。
 他方、ゼッフィレッリらしい華美な大道具はやはり見もので、思わずため息をもらすお客さんが相当数いた。
 ところで、カヴァラドッシ役のヴィットリオ・グリゴーロは、私は初見である。
  前回のロイヤルオペラ来日公演(2018年)で「ファウスト」最終日に行ったのだが、彼はセクハラ疑惑(表向きは「体調不良」)で降板し、代役が出ていたのだ(ヴィットーリオ・グリゴーロ(イタリア人テノール)が東京で大変なことに・・)。
 どうやらこの人は、カーテンコールで大はしゃぎするクセがあるようで、2018年はそれが行き過ぎて問題が起こったのである。
 今回の公演でも、カーテンコールでは”おふざけ”がかなり出ており、牧童役の子どもをイジっていた。
 自身、牧童役でオペラデビューを果たしたこともあり(13才のヴィットリオ・グリゴーロ"パヴァロッティーノ"の新聞記事★☆写真)、はしゃぎ方は半端ではなかった。
 まあ、これだけで一つのショーのようでもあり、観ている方は楽しい。
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メタ化

2023年09月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「第一部は山階彌右衛門による能「大江山」。・・・
 第二部は関根知孝が舞う能「班女」。

 「大江山」は初見だが、「班女」を観るのは2回目(とはいえ、観ている途中で気づいた)である。
 解説の村上湛先生によると、「大江山」は、演者の数が多いために上演機会が少ない演目だそうで、客席はほぼ満席である。
 ストーリーも見た目も実に面白く、(こういうことを言うと失礼だが、)全く眠くならない。
 面白かったのは、「神だにも 一稚児二山王と立て給ふは 神を避くる由ぞかし」のくだりで、村上先生いわく、「稚児(酒呑童子もそうである)は修験道の世界では神をも凌ぐアイドルだった」というところ。 
 昨今メディアを賑わしている児童虐待とは反対の状況(但し、村上先生によれば、全く問題がなかったというわけではないらしい)である。
 これに比べると、「班女」は、ストーリーも見た目も明らかに劣る印象である。
 実際、客席は7割程度の入りで、「大江山」との落差が目立つ。
 特に、終盤近くで花子がえんえんと短調な踊りを舞うあたりは、囃子方は大変そうであるが、観客の方はおそらく大半が退屈するところだろう。
 だが、この能にちょっと細工を加えれば、素晴らしい近代演劇が出来上がるのである。

 実子「・・・今までの苦労も水の泡だわ。花子さんを描いた絵だけは人の目に触れさせまいとして、展覧会へ出さなかったのも、むだになったんだわ。あれを次々と出していれば、当選どころか特賞をもらっていたかもしれないのに、花子さんと知り合ってから、力を入れない他の絵ばかりを出していたために、いつも落選の憂目を見ていたんだのに。ああ、そうしてまで、私は花子さんを手放すまいとした。それなのに。」(p135)

 「近代能楽集~班女」では、能には出てこない実子がおそらく主人公である。
 画家の実子は、「美しい狂女 花子」を家に囲い込み、絵の被写体=美の権化として崇拝する。
 能においては、花子が恋焦がれるのは吉田少将だったのに対し、戯曲では、さらにその花子を崇拝する実子が登場する。
 つまり、三島は、実子を登場させることによって「メタ化」を行っているわけである。
 この設定だけで、「一本取られた」という気分になるのである。
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ダジャレで締める

2023年09月24日 06時30分00秒 | Weblog
 「社長と言う重責の東山。本音では生きられない「仮面舞踏会」はまだ続く・・・・・・。」(ペーパー版ではp19)

 「仮面舞踏会 (少年隊の曲)」はJ氏プロデュースによる曲。
 1985年(昭和60年)にリリースされており、今でいえば昭和歌謡である。
 40年近く前のこのヒット曲の名前を見て、私は不覚にもコーヒーを吹きそうになった。
 50代以上の人たちであれば、おそらくこの感覚を分かってくれるだろう。

 「「八十歳まで現役」のため仕事にアキてはいられない。」(p31)

 ここでも私は吹き出しそうになった。

 「植物学者を演じた神木は、二次元アイドル好きの、リアル”草食男子”だった。」(p129)

 これは、笑うというよりは感心するたぐいのダジャレだろう。

 「神木と”愛の花”を咲かせる志尊だった。」(p131)

 ここまで来ると、これは編集長から「芸能ネタは出来るだけダジャレで締めろ!」という指示が飛んでいるのではないかという気がしてきた。

 「家族の元に♪逢いに逢いに行くあいみょんだった。」(p132)

 これは間違いない。
 文春編集部は、ダジャレ好きの昭和世代を大切にしているのだ。
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加害者の人権と人間の「手段」化

2023年09月23日 06時30分00秒 | Weblog
 「フランスで今週、トランスジェンダーの同級生をいじめたとされる少年(14)が授業中に逮捕された。いじめに対する取り締まりは同国で広い支持を得ているが、異例の措置に生徒や保護者からは怒りの声が上がっている。
 「政府のオリビエ・ベラン(Olivier Veran)報道官は20日、今回の逮捕は政府のいじめ対策に「従った」ものだと主張。いじめを行っている生徒たちに「非常に強いメッセージ」を送ることが目的だとし、「まん延するいじめを撲滅する手段であり、子どもたちを守る手段でもある」と語った。

 後半の記事からは、逮捕が「見せしめ」として行われたことが推測できる。
 これに対し、わが国では、「加害者の人権」という言葉で、以下のような、ズレた議論が出て来ることがある。

 「母親は、当時の教頭とのやり取りを克明に記録していました。
「加害者にも未来があるんです」
「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」

 カント先生だったら、フランス政府が行なった措置に対しても、旭川の中学校の教頭の発言に対しても、「間違っている」と断定するだろう。
 いずれも、人間を「手段」として扱っているからである。

 「一切の被創造物のなかで、我々が欲しまた意のままに処理しうる一切の物は、手段としてのみ使用され得る。ただ人間だけは、また人間と共に他のいかなる理性的被創造者も、目的自体である、誠に人間は、道徳的法則の主体である。・・・
 それだから理性的存在者は、決して手段としてのみ使用せられるものではなく、同時にそれ自身目的として使用せられねばならない、ということである。」(p181)

 「見せしめ」にせよ、「1人の被害者の未来よりも10人の加害者の未来の方が大切」(「最大多数の最大幸福」?)にせよ、人間を「手段」として扱う思想に基づいている。
 それこそ、「イジメ」に近づく危険のある思想である。
 これほどの矛盾に、どうして気づかないのだろうか?

 

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内ゲバ?

2023年09月22日 06時30分00秒 | Weblog
 「東京高検検事長だった黒川弘務氏=辞職=の定年を延長した2020年の閣議決定を巡り、大学教授が国に関連文書の開示を求めた訴訟で、12月に証人として出廷する当時の法務事務次官、辻裕教・前仙台高検検事長が大阪地裁に陳述書を提出し、閣議決定は「黒川氏の勤務延長が目的とは認識していない」と説明した。

 岡口判事のコメントは、
 「国家公務員法の定年延長規定は検察官に適用されない
との公定解釈を変更するって、すごいことだよね。
 そんなにひょいひょい、トップの独断で変更できるような話ではない。
 それなのに、それを、森雅子法務大臣が「口頭」で了承し、それについて、何の文書も残さなかった(😊)という証言をされるようです。
というものであり、この点についてどうなるかはまだ分からない。
 さて、法務省が証人の出廷に応じた背景には、法務・検察内部の”内ゲバ”(なんと古めかしい言葉!)があるように思う。 
 つまり、現在の主流派が、当時の主流派だった元幹部らに、「お前らがやったことはお前らが責任を取れ!」と言って、出廷を命じたのではないだろうか?

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疑似屋号

2023年09月21日 06時30分00秒 | Weblog
  「ジャニーズ事務所が19日、取締役会を開催し、創業者のジャニー喜多川氏(2019年死去、享年87)の性加害問題を受けて社名変更などについて議論し、今後の方針を確認したことを、公式サイトで明らかにした。

 私見では、いまだに日本のカイシャの大半は「イエ」、すなわち、「父方/母方いずれかのゲノム又は屋号(苗字)などの事業/集団の表章を共有し、日本の土着宗教(柳田國男が言うところの「祖霊信仰」)の原理に基いて、その構成員(死者を含む)のために事業及び祭祀を一体的かつ継続的に営む集団」であると思う(カイシャ人類学(8))。 
 J社の場合、通常であれば「喜多川芸能」などと「苗字(屋号)」を社名に入れるところを、ファーストネームを用いたところに特色がある。
(そういえば、アメリカの「ジョンソン・エンド・ジョンソン」、「プロクター&ギャンブル」はいずれも苗字だし、JPモルガン・チェースのうち、「チェース」は苗字で、「JPモルガン」は苗字と名前をまるまるとったものである。したがって、アメリカでも、ファーストネームだけを社名に用いるというのはやはり珍しいのでないかと思う。)
 あくまで推測だが、創業者(J氏)としては、もともとJ社を「イエ」化、すなわち世襲化する意図はなかったのかもしれないが、姉らの意向で世襲化したという流れではないだろうか。
 だが、この特殊な社名が、ここにきて大きな問題を生じさせた。
 社名を変更することが検討されているのだ。
 さて、本当に社名を変えるとすれば、どうなるだろうか?
 これについては、社名変更を行った有名企業がある。

 「2006年、7代目社長に就任した大坪文雄氏は、2008年1月に松下電器産業から「パナソニック」へ社名変更し「松下」を消したが、正幸氏が代表権を持っていたこともあり、創業家との関係をあからさまに軽視したわけではなかった。大坪氏は「真のグローバルエクセレンス(世界的優良企業)になるには、ブランドを統一して全従業員の力を結集する必要があると判断した」「創業家には昨年(2007年)12月に説明し、すぐに賛同してもらった。『会社は社会の公器』など、松下幸之助の経営理念は守っていく」と強調した。

 社名変更によって、カイシャがその性質を変えるとは限らない。
 実は、同族経営だが社名に地名や商品名を用いて”仮装”する例は多く、私はこれを「疑似屋号」と呼びたいと思う。
 引用した会社も、表向きは同族経営を解消したかのようだが、「イエ」の核心的要素である「祖霊信仰」(創業者崇拝)は続いているとみられるので、完全に脱「イエ」化したわけではない。
 対して、J社の場合、もはや「祖霊信仰」の維持は難しい状況にある。
 そうすると、完全に脱「イエ」化するしかなさそうであり、事業の性質上、地名や商品名を「疑似屋号」として用いることも出来なさそうである。
 さあ、どうする?
 というか、その前に、「どうする家康」はどうする?
 

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