Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

安楽椅子派の聖地巡礼(6)

2023年10月31日 06時30分00秒 | Weblog
 「横浜市中区山手町113番」の土地 (分筆前)の、昭和44年12月19日に横浜市が購入する前の登記簿の「甲」区の記載は、大要、以下のとおりである。

1 昭和17年12月8日 英国臣民G.E.B.(注:個人名につきイニシャル表記とした)ノ為所有権ヲ登記ス
2 昭和17年12月8日 敵産管理人三菱信託株式会社ニ於テ管理スルコトヲ登記ス
3 昭和19年10月19日 東京芝浦電気株式会社ノ為売買ニ因ル所有権移転ヲ登記ス
4 昭和19年19日 管理終了ニ因ル順位2番敵産管理登記ノ抹消ヲ登記ス
5 昭和25年3月2日 英国臣民G.E.B.ノ為返還ニ因ル所有権取得ヲ登記ス
6 昭和27年4月17日 マツキンノン・マツケンジー・エンド・コムパニー・オブ・ジヤパン・リミテツドノ為売買ニ因ル所有権取得ヲ登記ス

 まず、1の時点では、英国臣民であっても日本の土地の「所有権」を取得出来るようになっていたこと(かつては「永代借地権」どまりだった。)が分かる。
 「日本國英國間永代借地制度解消ニ關スル交換公文」(1937年)によって、イギリスとの間では、永代借地制度が解消されていたのである。
 次に、1と2の登記日付が同一である点が注目される。
 これは、英国臣民の所有権登記を行った上で、2に「敵産管理」とあるように敵産管理法に基づいて敵国人の私有財産を日本(本件では三菱信託株式会社が管理業務を受託)の管理下におくことを狙ったのだろう(なので、おそらくは職権による登記ではないかと思うのだが、確証はない。)。
 なお、敵産管理法においては、「管理」だけでなく清算や処分も可能であり、本件でも3にあるとおり、「敵産」であるこの土地は(おそらく建物も)東京芝浦電気株式会社に売却されてしまった。
 その後、敗戦により山手町を含む横浜地区一帯はGHQに接収されたが、4と5にあるとおり、敵産管理法は失効したものと思われ、所有権はもとの所有者に「返還」された(それにしても、「返還」による所有権取得というのは初めて見た。)。
 そして、昭和27年4月17日、「マツキンノン・マツケンジー・エンド・コムパニー・オブ・ジヤパン・リミテツド」(長いので以下「M社」と略す。)がこの土地を購入し、昭和37年の時点でも所有していた。
 つまり、「黒田邸」のモデルとなった家の敷地の所有者はM社であり、おそらくこの会社が家も所有していたと思われる。
 このM社は、名称からして、1847年に英国人のW.マッキンノンとR.マッケンジーがインドで設立した海運会社「マッキンノン&マッケンジー商会」(Mackinnon, Mackenzie & Co Ltd)の日本法人だろう。
 もっとも、M社は現在では存在しないようで、法務局で検索しても出てこない。
 Merger Accounts - Mackinnon, Mackenzie & Company of Japan Ltd, 1964.という記事からすると、1964年にP&Oに吸収合併されたらしい。
 ともあれ、「黒田邸」のモデルとなった家は、世界を股にかける外資系の海運会社が所有していたようである。
 ある意味では、「のつぴきならない存在の環」が現前化するのにふさわしい場所であったと言えるだろう。
 なお、この”聖地”の中心は、2つの部屋で構成されている。
 「黒田邸」の正面から見て2階・左端にある部屋(母と竜二の寝室)からは海が見え、かつ、この部屋に隣接する登の部屋の覗き穴からは「海の反映」(「全集9」p227)が見えるという設定であり、これが「のつぴきならない存在の環」(私なりにもっと優しい/易しい言葉にアレンジすると、「自分と世界との一体性」)を現前化させた。
 要するに、この2つの部屋の位置・構造、そして何よりも「海」こそが、物語の設定の中核を成しているわけである。
 この点、映画(THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA (1976)の2:25付近)でも、この描写に成功しているとは言い難い。
 オペラでは、これをどう表現するのだろうか?
 装置、照明、音声の担当者は、腕の見せ所だろう。
 
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安楽椅子派の聖地巡礼(5)

2023年10月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「安楽椅子」に座ったまま法務局からの書類を開封すると、「閉鎖登記簿の謄本」と「移記された閉鎖登記用紙の謄本」が入っていた。
 「閉鎖登記簿の謄本」はよく見かけるが、「移記された閉鎖登記用紙」というのは、(たぶん)初めて聞く言葉である。
 「粗悪用紙移記」について。」によれば、これは、「古い用紙から新しい用紙に内容を移し替えたもの」ということらしい。
 この「表題部」を見ると、
 「昭和拾七年拾弐月八日受付横濱市中區山手町百拾参番
一、宅地・・・・・ヲ登記ス
とあり、「・・・ヲ移記ス」という記載はないので、これが最も古い登記情報と思われる。
 それでは、その前の状況はどうだったのだろうか?
 これを知るためには、横浜・山手町の歴史を繙く必要がある。
 江戸時代末期、山手町一体には田んぼと畑が広がっていたようである。
 というのも、「山手町77番地」(113番地の近く)を含む古い地図には、「畑」及び「田」という記載があるからである(山手町77番 ― 消えた地番のクロニクル )。
 そうすると、この一帯は、おそらく地元の農民が占有していたものと思われる。
 ところが、安政五カ国条約(1858年)に基づいて、英仏などから商人たちが続々と上陸し、横浜地区一帯に「永代借地権」を主張して(地代も払わずに)居座り、居留地を形成した。
 当時は外国人の殺傷事件が絶えなかったが、生麦事件(1862年9月14日)以降、横浜には外国艦隊が集結し、居留地防衛を名目として、1875年まで、山手町には英仏の軍隊が駐留していた(「横浜もののはじめ物語 」p11)。
 つまり、「黒田邸」が建てられた土地は、もともと田畑であったのだが、開港後、外国人居留区(一時は軍隊の駐屯地)となったのである。
 ところで、最初の登記がなされた昭和17年(1942年)ころと言えば、既に第二次世界大戦が始まっている。
 だが、英米の外交官や商人たちは、これよりずっと前(軍隊が撤収した1875年より後)に、山手町一体に住み着いて家を建てていた。
 にもかかわらず、あえて昭和17年という時期に登記がなされたのには、もちろん理由がある。
 そのことは、登記簿の「甲」区を見ると分かる。
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安楽椅子派の聖地巡礼(4)

2023年10月29日 06時30分00秒 | Weblog
 「安楽椅子派」にとって頼りになるのは、まず何よりもインターネットであり、その次に本ということになるだろう。
 また、”ヴァーチャル・ツア”を行うからには、地図も重要である。
 もっとも、これだけだと余りにもイージー過ぎるので、ちょっとだけ専門的なツールを用いてみたい。
 そこで、「登記情報」を適宜援用することとする。
 これによって、昭和37年当時の、”聖地”に関する公的な情報が入手出来るかもしれないのだ。
 「黒田邸」の所在地については、「全集9」p691のモデルとなった家の写真(「三島由紀夫『午後の曳航』山手町谷戸坂上の黒田邸」を参照)によれば、現在の「大佛次郎記念館」が建っている場所とみて間違いないだろう(「同時代の証言 三島由紀夫」p71:佐藤秀明先生も同旨)。
 そこで、ブルーマップで「大佛次郎記念館」の地番を確認すると、「横浜市中区山手町113番」とある。
 これを基に、登記情報を入手すべく、うちの近くにある法務局の出先の端末で上記地番を入力したところ、「該当する地番が存在しません」という表示が出た。
 ブルーマップも完璧ではないので、こういう場合どうするかというと、地番の「範囲を選択」のボタンで、例えば、「113-1」から「113-10」を指定して、ヒットする地番があるかどうかを検索することになる。
 すると、「113番1」と「113番2」がヒットしたので、この登記事項証明書を入手したところ、「113番」は2筆に分筆されて地目はいずれも「公園」となっており、昭和44年12月9日、横浜市が売買によって所有権を取得したことが分かる。
 知りたいのは昭和37年当時の情報なので、電子化される前の登記情報を入手すべく、今度は横浜地方法務局(本局)に対し、当時の敷地と建物の登記簿謄本を郵便で(つまり、安楽椅子に座ったまま)申請することになる。
 ・・・すると、法務局(正確には法務局の事務委託先の会社)から電話がかかってきて、
 「現在の建物の前に建っていた建物については、滅失建物の閉鎖登記簿の保存期間を経過したために記録が存在しないか、あるいはそもそも未登記であった可能性があります。
という説明があった。
 建物に関する閉鎖登記記録の保存期間は、閉鎖した日から三十年間とされている(不動産登記規則第28条 五号)ところ、「大佛次郎記念館」の建物が完成したのは昭和53年4月であり(大佛次郎記念館|プロジェクト)、「黒田邸」のモデルとなった家はその前に取り壊されているはずなので、滅失建物の登記簿は、保存期間経過のため現存しないのだろう。
 かくなる次第で、「黒田邸」のモデルとなった家の情報としては、「全集9」の写真か、当時を知る人の証言くらいしかなさそうだ。
 そうすると、家の構造、種類、面積、各部屋の位置や間取り(実はこれが一番知りたいのだが・・・)などについての正確な情報は、残念ながら入手出来ないことになる。
 とはいえ、
 「土地の閉鎖登記簿と、閉鎖登記用紙は残っていますので、こちらの謄本をお送りします。
ということなので、土地に関する情報は入手出来ることになった。
 一般的に、土地の所有者と建物の所有者は一致していることが多いから、土地の閉鎖登記簿謄本などから「黒田邸」のモデルとなった家の所有者を突き止めることは出来そうだ。
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安楽椅子派の聖地巡礼(3)

2023年10月28日 06時30分00秒 | Weblog
① 黒田邸
 「死んだ父が建てた横浜中区山手町の、谷戸坂上のこの家」(「決定版 三島由紀夫全集 第9巻」(以下「全集9」と略す。)p225)は、この小説の”聖地”の筆頭に挙げるべきスポットである。
 なぜなら、(私が勝手にそう名付けた)「第2の animus」(不健全な自我の拡張(9))、あるいは、”首領”の言葉で言えば「世界の内的関聯の光輝ある証拠」(p367)が現前化したのは、まさにこの場所だからである。

 「かくて汽笛のひびきが、突然、すべてを完璧な姿に変へる決め手の一筆を揮ったのだ!
 それまでそこには、月、海の熱風、汗、香水、熟しきった男と女のあらはな肉体、航海の痕跡、世界の港々の記憶の痕跡、その世界へ向けられた小さな息苦しい覗き穴、少年の硬い心、
・・・・・・これらのものが確かに揃ってゐた。しかしこの散らばつた歌留多の札は、なほ、何の意味もあらはしてゐなかった。汽笛のおかげで、突然それらの札は宇宙的な聯関を獲得し、彼と母、母と男、男と海、海と彼をつなぐ、のつぴきならない存在の環を垣間見せたのだ。
 「『これを壊しちやいけないぞ。これが壊されるやうなら、世界はもうおしまひだ。さうならないために、僕はどんなひどいことでもするだらう』
 と登は夢うつつのあひだに思つた。」(p234)

 ところで、この小説に関しては3冊の「創作ノート」があったことが判明しているが(但し、うち1冊の前半部は欠落)、そのうちの1冊には、明らかに、「憂國」執筆の際、「切腹」の描写のため”転用”されたと思われる記述がある(ちなみに、欠落した部分は、「憂國」あるいはそれ以外の小説の執筆のために用いられた後、作者が廃棄した可能性が考えられる。)。
 また、「憂國」にも、「第2の animus」が登場する。
 映画だと分かりやすいが、掛け軸に揮毫された、馬鹿デカい「至誠」(三島が心酔していた吉田松陰の座右の銘でもある)の二文字がそれである。
 武山信二・麗子夫妻は、「至誠」を貫くため自害する。
 対して、「午後の曳航」の主人公:黒田登と少年たちは、「のつぴきならない存在の環」を守るため塚崎竜二を殺害する。
 こういう風に考えてくると、「憂國」は「午後の曳航」のヴァリエーションと言ってよいように思われるし、私には、「至誠」の2文字が、登の大きな二つの目のように見えて仕方がない。
 なお、川島勝氏は、登と少年たちは三島の明らかな分身であるのみならず、竜二も実は三島の分身と思われる旨を指摘している(前掲p197)。
 私も同感で、登と少年たちは13歳の三島、竜二は当時の三島(昭和37年5月2日に長男:威一郎氏が誕生し、”首領”によれば「地上でいちばんわるいもの、つまり父親」(「全集9」p367)になったばかり)の分身だと思う。
 このように解してみると、「午後の曳航」は、「13歳の三島が、当時の(父親になった)三島自身を殺害する」という、「憂國」と同じく「自己人身供犠」(不健全な自我の拡張(9))をテーマとした小説であることがよく分かる。
 「血が必要なんだ!人間の血が!さうしなくちや、この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果ててしまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取つて、死にかけてゐる宇宙、死にかけてゐる空、死にかけてゐる森、死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちやいけないんだ。」「全集9」p371
という”首領”(彼も三島の分身である)の言葉は、オペラでは、壮麗なアリアへと変身しているのではないだろうか?

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安楽椅子派の聖地巡礼(2)

2023年10月27日 06時30分00秒 | Weblog
 「聖地巡礼」と言うからには、当然のことながら、小説の舞台がどこであるかが問題となる。
 これについては、小説の記述に基づき、比較的容易に「横浜市中区、西区、神奈川区及び金沢区」と特定出来る(磯子区も出てくるが、通過するだけなので割愛した。)。
 次に、小説の時代設定が問題となる。
 ところが、これは、小説を読んだだけでは特定するのが難しい。
 そこで、この小説の成り立ちについて、「安楽椅子」に座ったまま調査することとなる。
 キー・パースンは、当時、講談社文芸第一出版部長であった川島勝氏である。
 川島氏は、この小説を企画段階から担当していた編集者であり、「三島由紀夫」(文藝春秋社)によれば、横浜への“取材旅行”は、昭和37年の春から夏の終わりにかけて、3回に亘って行われたという(p193)。
 1回目は、「外人墓地や山下公園、港町の路地裏や、引き込み線のある倉庫街、元町や中華街など」であり、2回目は、「舞台となる元町の洋品店を中心に市街や海岸通りをくまなく歩いた」。
 3回目は、川島氏の同僚の松本道子氏の弟の松本秀氏が船会社に勤務しており、その紹介で横浜港に停泊中の三井船舶の貨物船「日光山丸」(517トン)を取材出来ることになった。
 以上によれば、この小説の時代設定は、「昭和37年ころ」ということになる。
 かくして、「安楽椅子派」は、昭和37年当時の、横浜市中区、西区、神奈川区及び金沢区に存在する「聖地」をピックアップする作業に移る。
 この小説で「聖地」と呼ぶのにふさわしいスポット(あくまで私見)は、登場する順番に挙げると、
① 黒田邸
② 舶来用品店「レックス」
③ 高島埠頭・E岸壁
④ 「ニュー・グランド・ホテル」
⑤ 山内埠頭、市営プール
⑥ 杉田の乾船渠(乾ドック)
となる。
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安楽椅子派の聖地巡礼(1)

2023年10月26日 06時30分00秒 | Weblog
オペラ全2幕(2005年改訂ドイツ語版 日本初演)
日本語字幕付原語(ドイツ語)上演
原作:三島由紀夫
台本:ハンス=ウルリッヒ・トライヒェル
作曲:ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ 

 オペラを観る/聴く場合、私は「予習」を行うタイプである。
 何の予備知識もないまま臨むと、十分理解出来ないまま消化不良で終わってしまう作品もあるからである(例えば、「ナクソス島のアリアドネ」などは、「予習」をしておかないと何がなんだかさっぱり分からなくなる可能性がある。)。
 ところが、今回の「午後の曳航」について言えば、私は原作を高校時代から何度も繰り返し読んでおり、わざわざ「予習」する必要を感じない。
 私見だが、この小説は、おそらく三島の小説の中では最高傑作だろう(よく最高傑作に挙げられるのは「金閣寺」だが、これは半ば”評論”なので、小説にカテゴライズするのはためらわれる。また、私見によれば、戯曲の最高傑作は「サド侯爵夫人」と「近代能楽集」で、評論の最高傑作は「日本文学小史」である。)。
 同業者にもこうした意見は多いようで、代表的なものとして以下のものがある。
① 高見順「『午後の曳航』を読み、異議があるが、純文学を継いでくれる三島君がいれば安心して死ねる。だが、三島君はいま明らかに危機だ・・・・・・」(昭和39年9月21日の日記)
② 澁澤龍彦「蛇足をつけ加えれば、この小説は傑作である。」(「週刊読書人」昭和38年10月21日号)
③ 司馬遼太郎「三島氏の狂気は、天上の美の完成のために必要だったものであり、そのことは文学論的にいえば昭和38年刊行されたかの名作(まことに名作)「午後の曳航」に濃厚に出ている。」(「異常な三島事件に接して」毎日新聞昭和45年11月26日)
 さて、「予習」の話に戻ると、「予習」するといっても、ドイツ語で書かれたヘンツェの「午後の曳航」の台本については、適当な対訳本が見つからない。
 なので、台本を読む以外の「予習」をしてみようと思いついた。
 真っ先に思い浮かぶのは、「聖地巡礼」、つまり、小説の舞台となる場所を実際に訪れてみるというやつである。
 だが、いかんせん、そこまで暇があるわけではない。
 こういうときにヒントになるのは、野口悠紀雄先生の「「超」旅行法」である。
 ”ヴァーチャル・ツア”、つまり、写真などを使って、実際に行かなくてもそこに行った気分になるというものである。
 もっとも、これは「諸方の聖地や霊場を参拝してまわること 」という「巡礼」の定義に真っ向から反することになる。
 宗教上の「巡礼」は、自分の足を使って聖地に赴くことに、重要な意義があるからである。
 だが、小説は宗教ではないし、「安楽椅子派」でもある私は、あまり深く考えず、ヴァーチャル巡礼を楽しむことにした。
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弁解つぶし

2023年10月25日 06時30分00秒 | Weblog
 「会議の議論を主導した損保ジャパンの中村茂樹専務(現・常勤監査役、当時は首都圏営業担当)が冒頭で語ったのは、不正請求への対応をきっかけにして、競合他社に自賠責などの契約を奪われるかもしれないという危機感だった。中でも危惧していたのは、三井住友海上の動向だ。  
 三井住友海上がビッグモーターに対して、条件次第では「これ以上不正請求を深くは追及しないと耳打ちしているようだ。このままでは(契約が奪われる)厳しい状況だ」という趣旨の発言が、中村氏からあった。
 「しかしながら、三井住友海上とあいおいががっちりと連携して、1保険代理店の自賠責契約のおこぼれを目の色を変えて取りにいくことなどあり得ないことは、損保業界にいる人間なら容易にわかる話だ。同じグループとはいえ、三井住友海上とあいおいの連携はそれほど強くないからだ。

 刑事事件で、被疑者の弁解が成り立たないような証拠固めをすることを、「弁解つぶし」などと呼ぶことがある。
  金融庁は、三井住友海上火災保険に対して保険業法に基づく報告徴求命令を出したが、これは「弁解つぶし」ではないかというのが、記者の指摘である。
 つまり、損保ジャパンの中村専務(当時)は、「このままでは三井住友海上に契約を奪われる」という”偽情報”を流して、BM社との取引再開へと誘導したというのが金融庁の見立てであり、その裏付けを取ろうとして報告徴求命令を出したというのでである。
 引き続き注視していきたい。
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沈黙の理由

2023年10月24日 06時30分00秒 | Weblog
 「・・・請負報酬債務の履行を求める際には、仕事の完成債務が先に履行されていることを明らかにしなければならないというわけです。
 「ちなみに、本訴訟の請求原因に「仕事の完成」を加える理由について、司法研修所民事裁判教官室は沈黙しています。」(p113~114)

 請負報酬の支払を求める訴訟においては「仕事の完成」が抽象的要件となるところ、その理由について、司法研修所民事裁判教官室は「沈黙」しているらしい。
 こういう状況だと、司法試験(や研修所の起案)で説明を求められた場合、どう書くかが問題となる。
 さあ、どうするか?

 「受験生の多くが使っている「大島要件事実」には、それは「仕事の完成が請求権の行使要件だから」という意味不明な説明がされています()
 「多くの受験生が、この意味不明な説明を丸暗記しており、そのまま答案に書いてしまったと思われます。これには試験委員もびっくりされたことでしょう。
 今回の問題は、「大島要件事実」丸暗記組を落とそうという問題作りだったのかもしれませんね。

 確かに。
 「行使要件だから」という表現はトートロジーに過ぎず、説明とは言い難い。
 ちなみに、裁判上、請負契約の「完成」の判断基準としては、「予定工程終了説」(請負契約の「仕事の完成」とは何を指すのか(結論:予定の工程が一応終了したとき)が用いられている。 
 ところが、「予定の工程を終了したか」なんて、業者にしか分からないケースも多い。
 それに、「見ただけでは分からない仕事」や「無形の仕事」などというものもある。
 日常で見かけるものでは、例えば、「スマホのガラスコーティング 」が挙げられるだろう(これが完成しているかどうか見分けられる人がどれほどいるだろうか?)。
 だから、「工事が完成していないこと」を注文者に立証させるのは、極めて酷なのである。
 
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異界の人

2023年10月23日 06時30分00秒 | Weblog
 「東京バレエ団が、日本を代表する振付家、金森穣に委嘱して挑んだ全幕バレエ「かぐや姫」。2021年春から始まったクリエーションは、同年秋の第1幕、今年4月の第2幕初演と続き、2年7か月越しのプロジェクトがいよいよこの秋、第3幕を加えた全幕バレエとして完成の時を迎えます。

 いよいよ「かぐや姫」が完成する。
 結末は、予想通りの「カタストロフ」。
 もっとも、原作がそうなので、これは避けられないところだろう。
 これについて、三浦雅士氏はこう指摘する。

 「川端はそこで『竹取物語』を滑稽世態小説とする津田左右吉の見解や、あくまでお伽噺とする和辻哲郎の見解を退け、見事な現代小説であるとし、きわめて説力ある口調でそれを立証している。
 金森穣の見解は、しかし、それらとは根本的に違っている。それら三者三様の見方を浮かべてなお揺るがない「かぐや姫」物語の本質は、姫が異界からの来訪者であるという事実に収斂すると考えているからである。・・・
 東京バレエ団が全幕物バレエの創作を上演するのは、『M』以降初めてであることを付記しておく。じつに30年の歳月を経ている。」(公演パンフレットより)

 「異界」からやって来たかぐや姫は、自身を何らかの手段、あるいは échange の客体として扱おうとする人間たち(翁、帝、影姫、大臣たち、側室たち、など)を、ことごとく”自滅”へと導く。
 そして、自分だけ「異界」(=月)へと戻って行った。
 ・・・むむむ、これは、「M」の主人公と同じ構図ではないか?
 かつて、「異界」から「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」を訪れ、当時及びその後の多くの国民たちの"自滅"を予言し、自分だけ「異界」へと戻って行った「M」と、「かぐや姫」は、結局のところ同じことをしたのではないだろうか?
 ・・・などと想像を膨らませたりするのも面白い。
 

 
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ポップス化

2023年10月22日 06時30分00秒 | Weblog
チャイコフスキー/バレエ音楽「眠りの森の美女」より ワルツ
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
ラフマニノフ/交響曲第2番*
 

 前半は「眠り」のワルツと、「岩波文庫への接近」を語っていた森本隼太さんの東フィルとの共演。
 ラフマニノフは安定した演奏ぶりで、これとアンコールの「詩曲「焔に向かって」」(スクリャービン)というチョイスからは、「超絶技巧&パワー系ピアニスト」への道を驀進していることが窺えた。
 この調子でチャイコフスキー・コンクールに出場して欲しいものだ。
 メインの「交響曲第2番」は演奏時間約1時間の長い曲だが、全く退屈しない。
 3楽章はなんだか懐かしいメロディーだが、多くの人は、オーケストラの演奏で聴くよりも早く、どこかでポップス曲として聴いているはずである。
 エリック・カルメンの「恋にノータッチ」(Never Gonna Fall In Love Rachmaninoff Comparison)がそれである。
 なかなか上手いアレンジで感心する。
 この人は、ほかにもラフマニノフのアレンジ(パクリ?)曲を作っていて、それが、セリーヌ・ディオンもカバーした「オール・バイ・マイセルフ」(All by Myself (de Rachmaninoff a Eric Carmen))である。
 "鼻歌派"ピアニストが、弾いている最中にポップスの歌詞を口ずさんでしまいはしないかと、老婆心ながら心配したりする。

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