Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ポトラッチとしての自殺

2021年10月10日 06時30分10秒 | Weblog
死刑廃止の世界に取り残される「死んでおわび」の日本文化
 「日本の死刑制度に対しては、国連機関をはじめ国際社会からの厳しい批判がある。
 それに対して、たとえば2002年に森山眞弓法相(当時)は、「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」という国際会合で、死刑は日本の文化であり、「死んでおわびをする」という慣用句にはわが国独特の、罪悪に対する感覚があると反論している。


 森山法相の発言は、ある意味では、当時の日本におけるマジョリティの見解を示したものと言える。
 この種の社会では、命(人身)は、重大な損失に対する償いとされ、réciprocité (相互依存)を実現するための道具となっている。
 これは日本特有のものではなく、例えば、ポトラッチを見ると分かりやすい。
 ポトラッチもやはり同一の原理に基づく行為であり、(財物では償うことが出来ないような)莫大な価値のあるものを相手に与えることによって、相手に「返礼する義務」を課し、相手を自分に従属させるというもの。
 「死んでお詫びをする」という行為は、「命」(人身)を供物として与えるものであり、この延長上にあるわけである。
 ところで、相手に「返礼する義務」を課する行為は、一見すると分かりにくいが、DVなどの虐待事案でときどきみられる。
 行政が加害者と被害者を分離すると、加害者は、いきなり自殺してしまうことがあるのだが(依存性パーソナリティ障害)、これが、一部で「最後のDV」と呼ばれている。
 「最後のDV」は、被害者に対しては、一生にわたって「(対価を支払うことが出来なくて)申し訳ない」という気持ちを抱かせ、自分に従属させるという狙いがある。
 

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