「テーマ:「ワーグナーとグレン・グールド――《ジークフリート牧歌》ピアノ版を聴く」
カナダのピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)には、ワーグナー作品のピアノ・アルバムがある(1973年発売)。そこにはグールド本人の編曲による《マイスタージンガー》前奏曲、〈夜明けとジークフリートのラインへの旅〉、《ジークフリート牧歌》が収められていて、話題となった。どんな編曲で、なぜ録音したのか、そもそもグールドとワーグナーの関係はいかなるものだったのか――。彼が最晩年にトロント交響楽団員を指揮して《ジークフリート牧歌》の録音を残した事実もこの問いへの関心を高める。残された発言や関係者の証言を整理してグールドの描いていたワーグナーの世界を検討したあと、最後に彼の編曲版の《牧歌》を実演で楽しみたい。」
日本ワーグナー協会の今月の例会は、「ワーグナーとグレン・グールド」。
私の大好物がカップリングされており、しかも「ジークフリート牧歌」のピアノ生演奏が1000円で聴けるのだから、これは絶対に行かなければならない。
というわけで、宮澤淳一先生のお話と、高橋舞さんの演奏を聴きに行った。
まず、会場が良い。
会場は、一応「150人収容」と謳ってはいるが、広さは136.5㎡(13m✖10.5m)で、どう見ても「サロン」である。
これは、とりわけピアノの演奏を聴く者にとっては大歓迎である。
前半の宮澤先生のお話は、グールドとワーグナーの関係性から、グールドがなぜワーグナー作品のピアノ編曲版を作曲したかという流れで進んだ。
グールドは、幼い頃から「トリスタンとイゾルデ」が大好きだったようで、「ワグネリアン」を自称してもいたのだが、筋金入りとまでは言えないようで、シュトラウスやシェーンベルクについて語る際の「参照点」たるにとどまっていたようだ。
評価していたのは、「ワーグナー中後期」(つまり、初期はダメダメ)で、あくまで「居間で聴く音楽」と言う位置づけである(「わざわざバイロイトに行かなければならないのは、「指環」と「パルジファル」しかないのではないですか」と指摘している。)。
そんな中途半端なワグネリアンであるグールドは、以下のように述べて、ワーグナー作品の編曲に乗り出す(表現は私なりにアレンジしている。)。
・ワーグナーは、ピアノを本当の意味では理解していませんでした。
・リストの編曲は、オーケストラに引きずられ過ぎている。選曲も良くない(「愛の死」もダメダメ)。
・ピアノは、対位法的な音楽を表現するのに最適な楽器です。
かくして、彼は、
・《マイスタージンガー》前奏曲
・〈夜明けとジークフリートのラインへの旅〉
・《ジークフリート牧歌》
を編曲した。
「マイスタージンガー」は対位法を駆使した曲なので、これが選ばれたのは納得が行くが、ほかの2曲が選ばれた理由ははっきりしない。
「ラインへの旅」は、”ティンパニの連打”という、ピアノで表現するのが最も難しい(というより不適当な)パートが多く、これがグールドの野心を刺激したのかもしれない。
「ジークフリート牧歌」について、彼は、
「『ジークフリート』ではなく、『牧歌』です」
という趣旨の言葉を残しているそうだ。
この曲を、ピアノという打楽器の限界を踏まえつつ、非常に遅いテンポで演奏することが、彼にはチャレンジングなことに思えたのだろうか?
後半、この曲の素晴らしい演奏を披露した後、ピアニストの高橋さんは、編曲については、「音が減衰してしまう箇所では『音を足す』工夫が見られる」、演奏については、「ピアノ的な『クライマックス』を沢山作っている」と指摘した。
いずれにせよ、宮澤先生が指摘するように、「ワーグナーをピアノ音楽の巨匠に変えた」、「電子音楽の時代のリスト」というグールドの功績は大きい。