Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ホールとサロン(7)

2024年06月19日 06時30分00秒 | Weblog
 「テーマ:「ワーグナーとグレン・グールド――《ジークフリート牧歌》ピアノ版を聴く」
 カナダのピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)には、ワーグナー作品のピアノ・アルバムがある(1973年発売)。そこにはグールド本人の編曲による《マイスタージンガー》前奏曲、〈夜明けとジークフリートのラインへの旅〉、《ジークフリート牧歌》が収められていて、話題となった。どんな編曲で、なぜ録音したのか、そもそもグールドとワーグナーの関係はいかなるものだったのか――。彼が最晩年にトロント交響楽団員を指揮して《ジークフリート牧歌》の録音を残した事実もこの問いへの関心を高める。残された発言や関係者の証言を整理してグールドの描いていたワーグナーの世界を検討したあと、最後に彼の編曲版の《牧歌》を実演で楽しみたい。

 日本ワーグナー協会の今月の例会は、「ワーグナーとグレン・グールド」。
 私の大好物がカップリングされており、しかも「ジークフリート牧歌」のピアノ生演奏が1000円で聴けるのだから、これは絶対に行かなければならない。
 というわけで、宮澤淳一先生のお話と、高橋舞さんの演奏を聴きに行った。
 まず、会場が良い。
 会場は、一応「150人収容」と謳ってはいるが、広さは136.5㎡(13m✖10.5m)で、どう見ても「サロン」である。
 これは、とりわけピアノの演奏を聴く者にとっては大歓迎である。
 前半の宮澤先生のお話は、グールドとワーグナーの関係性から、グールドがなぜワーグナー作品のピアノ編曲版を作曲したかという流れで進んだ。
  グールドは、幼い頃から「トリスタンとイゾルデ」が大好きだったようで、「ワグネリアン」を自称してもいたのだが、筋金入りとまでは言えないようで、シュトラウスやシェーンベルクについて語る際の「参照点」たるにとどまっていたようだ。
 評価していたのは、「ワーグナー中後期」(つまり、初期はダメダメ)で、あくまで「居間で聴く音楽」と言う位置づけである(「わざわざバイロイトに行かなければならないのは、「指環」と「パルジファル」しかないのではないですか」と指摘している。)。
 そんな中途半端なワグネリアンであるグールドは、以下のように述べて、ワーグナー作品の編曲に乗り出す(表現は私なりにアレンジしている。)。

ワーグナーは、ピアノを本当の意味では理解していませんでした。
リストの編曲は、オーケストラに引きずられ過ぎている。選曲も良くない(「愛の死」もダメダメ)。
ピアノは、対位法的な音楽を表現するのに最適な楽器です。

 かくして、彼は、
《マイスタージンガー》前奏曲
〈夜明けとジークフリートのラインへの旅〉
《ジークフリート牧歌》
を編曲した。
 「マイスタージンガー」は対位法を駆使した曲なので、これが選ばれたのは納得が行くが、ほかの2曲が選ばれた理由ははっきりしない。
 「ラインへの旅」は、”ティンパニの連打”という、ピアノで表現するのが最も難しい(というより不適当な)パートが多く、これがグールドの野心を刺激したのかもしれない。
 「ジークフリート牧歌」について、彼は、
 「『ジークフリート』ではなく、『牧歌』です
という趣旨の言葉を残しているそうだ。
 この曲を、ピアノという打楽器の限界を踏まえつつ、非常に遅いテンポで演奏することが、彼にはチャレンジングなことに思えたのだろうか?
 後半、この曲の素晴らしい演奏を披露した後、ピアニストの高橋さんは、編曲については、「音が減衰してしまう箇所では『音を足す』工夫が見られる」、演奏については、「ピアノ的な『クライマックス』を沢山作っている」と指摘した。
 いずれにせよ、宮澤先生が指摘するように、「ワーグナーをピアノ音楽の巨匠に変えた」、「電子音楽の時代のリスト」というグールドの功績は大きい。
 特に、「ジークフリート牧歌」(そもそも「ホール」向けに作曲されたのではない:ホールとサロン(5))は、彼が心を込めて編曲・演奏した曲であり、「居間で聴くワーグナー」としては最適と思われる。
コメント
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