Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

エスVS.伝承(5)

2024年06月10日 06時30分00秒 | Weblog
 フロイト先生が援用した二つ目の概念は、「後天的に獲得された太古の遺産のなかの記憶痕跡の遺伝」である。

 「よくよく考えてみるに、われわれは長いあいだ、先祖によって体験された事柄に関する記憶痕跡の遺伝という事態は、直接的な伝達や実例による教育の影響がなくても、疑問の余地なく起こっているかのように見なしてきたと告白しなければならない。実際、ひとつの民族の古くからの伝承の存続について、あるいは民族特質の造型について語るとき、われわれが考えていたのは、たいていの場合、このような遺産としての伝承であって、情報伝達によって伝播した伝承などではなかったのだ。(中略)確かに、われわれの意見は、後天的に獲得された性質の子孫への遺伝に関して何事をも知ろうとしない生物学の現在の見解によって、通用しにくくなっている。しかし、それにもかかわらず、生物学の発展は後天的に獲得されたものの遺伝という要因を無視しては起こりえないという見解を、われわれは、控え目に考えても認めざるをえない。・・・
 以上のような論究に基づいて、私は一片の疑念も持たずに言明する。人間は、彼らがかつてひとりの原父をもち、そしてその原父を打ち殺してしまったということをーー独特の形でーー常に知っていたのだ、と。」(前掲「モーセと一神教」p169~171)

 「あ~あ、やっちゃった!」という感の強い、フロイト先生の勇み足である。
 何やらユングの「集合的無意識」にも似ているが、フロイト先生は、「先祖によって体験された記憶痕跡の遺伝」という説明を行った。
 だが、これが誤りであることは、高校レベルの生物学の知識があればすぐ分かる。

 「・・・なるほど、我々人類を含む生物には、未知のものに対する畏れ、というものが遺伝的に最初から組み込まれているのかもしれません。進化論的な立場から言えば、「畏れ」を抱かないものは、外敵に対して無防備だから自然淘汰されて残らない、だから今現存する生物の多くにはそのような特性が残っているんだ、ということなのでしょうか。
 ただ、この詩で犬が暗闇に向かって吠えているのは、自分の祖先の犬が怖い体験をしたことをその子孫である自分が覚えていて、その結果として暗闇の恐怖に向かって吠えている、ということです。
 これはつまり、祖先の体験が子孫へと遺伝して伝わっているってことです。私は、この考えは、フロイトと並んで有名な20世紀の心理学者のユングの考えに近いような気がしています。深層心理(無意識)が遺伝するとしたユングの心理学(彼は集合的無意識・普遍的無意識と呼んでいます)はなかなか魅力的で面白いのですが、「獲得形質は遺伝する」という、現代の生命科学では否定されている概念を内包しているために、我々生命科学者はあまり評価しないかもしれません。
(獲得形質というのは、生まれた後で経験などによって得られたその人の性質のことです。 例えば、もともと運動神経の悪い人が猛練習によって野球がうまくなっても、その後生まれたその人の子供が生まれつき野球がうまくなるかというと、そうではありません。 つまり、獲得形質は遺伝しない、というのが生命科学上の常識なのです。)

 「獲得形質は遺伝しない」というのは生命科学上の常識であり(但し、将来的に修正される可能性がゼロとは言い切れない)、これに照らせば、フロイト先生が援用した二つ目の概念は否定されるほかない。
 フロイト先生がこうした誤謬に陥ったのは、結局のところ、「自然」(エス)>「歴史」(伝承)という不等式をあくまで維持したいと考えたからだろう。
 仮にこれが崩れるようなことがあれば、「エス論」の土台が揺らぎかねないからである。
 だが、フロイト先生がどうしても「自然」(エス)を守りたかった、真の理由は、それだけにはとどまらないように思われる。
コメント
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