介護 4 2015-12-26 11:30:17 | 日記 病院から実家の近くの介護施設を 紹介してもらい 母親と二人でおそるおそる介護施設に面会に 行った。 そこではじめてケアマネージャーなる職の人にであった。 わたしより若干歳下だがしっかりした男性だ。 ここからこのケアマネさんと二人三脚で 両親を支えて行く人生がスタートした。 同時に市役所から介護認定を受けた方が良いとアドバイスを受け 市の施設に依頼しに行った。 驚いたことに父親だけでなく母親までうけた方が いいというのだ。 父親のことしか頭になかったが母親の方が 実はすすんでいるとケアマネさんは見抜いたのだ。 市に申し込みをすると担当者が 病院の父親と 自宅の母親に問診に来た。 両親は張り切り普段出来てないことも できると言ってしまうありさまだったけど。 認定までだいたい一か月かかる。 それでケアマネさんの認定と同時に 介護認定が必要で急ぐことになる。 若い読者は、この二つをよく銘記するこだ。 親が倒れたとき決してひとりでかかえこんだら いけない。 社会と協力することだ。
介護 3 2015-12-26 11:19:28 | 日記 幸い父親は命を取り留めた。 心臓に付いていた血栓が移動して脳をつまらせたのだ。 早速インフォームドコンセントの会議が開かれ 手術をしない方針で 通常用いるワーハリンの薬でなく あたらしく臨床試験している薬があるという ことでその新薬での治療法をお願いした。 同時に病院からはじめてケアマネージャーを探すよう今後に備えるようすすめられた。 ケアマネ? いったいなんのまねだ? こうして全く知らない介護の世界にあしをふみ いれたのだ。
介護 2 抱いていた決意 2015-12-26 11:05:17 | 日記 両親と姉二人から この宗教を選んだ時 わたしは勘当され別の街にきた。 勘当されるとき 姉や姉婿から親を見る気持ちがないから キリスト教をするんだろっ! とひどく罵しられた。 親を愛していたわたしはその言葉にひどく傷ついた。 いまだにこころの中にざっくりその傷がある。 その後罵った姉夫婦は横浜に転勤し もうひとりの姉もつくば市に移動した。 地方にいてわたしは、どうしても親から離れなかった。 ロシアに行きたい気持ちがあったけど こころの中の最優先事項に親がもしも何かあれば 自分が世話をしようと腹をくくり決意していた。 親にこの宗教を選んだために本当に苦しい思いを させてしまった負い目も感じている。 そして父親が倒れるときがきたのだ。
介護 1 2015-12-26 10:49:42 | 日記 父親が脳梗塞で倒れるまで 介護の仕組みについて全く考えない人生を 過ごしていた。 母親はそれまで毎日の洗濯に異常な熱意と執念を 燃やしていた。 朝の5時に洗濯にかかり 自動洗濯機を見張り タオルなどを天日に干す。 1日の太陽の動きや角度を観察しながら 微妙に干していたタオルを裏返しをする。 こうして究極の干し方を1日かかりでしていたのだ。 そんな日常が2年前の夜 父親が午前未明に脳梗塞で倒れてすべてが 変わった。