きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

イエスの死の記念式によせて

2016-03-24 07:58:28 | 日記
昨日は全世界2000万の人が集まり


そのうちの1999万人が表象物をみまもり


1万人がパンとぶどう酒を食べ


現代曲風にアレンジした違和感のある賛美の歌を


歌い


結局はエホバの証人の集会に来るんだぞという


結論の声明文をきかされて家路についたこと


だと思う。


多くのエホバの証人たちは記念式に忠実に参加


したのに一抹の虚しさを話し手も含めて


感じたことだとおもいます。


昨日の記念式に忠実に出席したひとだけ


神は救うのだろうか?


記念式を開始したとき


エルサレムのにかいの広間に出席した11人だけ


救いが生じたのか?


あの晩11人以外の多くの忠実なユダヤ人は


その前に神自ら開始した過ぎ越しの祭りで


無酵母パンを食べていた。


そして、イスラエルの周囲では


過ぎ越しの祝いを行わない異邦人がほかの祭りを


していたことだろう。


イエスが記念式を祝っていた同じ時間


日本では弥生時代の弥生人がフキノトウとか


山菜を集めてい
食べていたかもしれない。


結果イエスの記念式を忠実に行わなかったひとたちにもその益をおよぼそうとしていた。



昨日神はいっちょらいの服や着物を着て


パンとぶどう酒に最大限敬意を示した人間だけに


好意をしめしたのだろうか?


イエスの贖いはそれほど効力が限定的な

小さな影響しかないのだろうか?



わたしはこの時期になると


鼻が広がり


耳は沈黙の音をきいているような気持ちになる。



まるで全世界 満月とともに地球が回転して


キラキラしたものが地球を取り巻き


それを感じとれるすべてのひとの心が清まったゆくように感じます。



まるでこの日に奇跡的な何かが地球の回転と


ともに包まれるイメージが湧いくるのです。


イエスの記念式のあのエルサレムの二階の広間に


出席していなかった人類を神が救われたのなら


昨日の記念式に行かなかった多くのひとも


それにより不興を買ったのではないとおもいます。


全世界が清らかで平和なこころになりますように。