馴染みの店ができても、そこの店員さんと馴染みになるのは、どうも苦手である。
東京芸術大学には「大関売店」という楽譜等を売る店があった。大関さんというおばちゃんがやっていたのだが、そのおばちゃんが亡くなった時は、元学長が亡くなるより、大騒ぎだった。
私自身は、この大関おばちゃんに覚えられないように、なるべく寄らないようにしていた。このおばちゃん、黛敏郎先生と仲良しだったし、口を開くと「池辺君は~」とか何とか雑談をする。池辺君とは当時既にテレビドラマの音楽で活躍していらした作曲家、池辺晋一郎氏のことである。
こんなおばちゃんと話すと、いよいよ自分が小さく見えるから、ここで駄弁ったり、店番までするヤツの気がしれなかった。
その隣に「キャッスル」という学生食堂があったのである。
学生食堂、と言って良いのかわからない。普通の学生食堂ではなかったからだ。
例えば、食器が全て磁器製だった。これは声楽科の友人が大騒ぎしたから、初めて気づいたのだが、確かに学食の食器はプラスチック等の「割れない」ものを使うのが一般的だ。
「だから、ここはとても贅沢だ」と、その友人はのたまわっていた。
そのせいか、いわゆる学食よりはやや高めの価格設定。カレーライスが250円。これではわからないか……。
それは大した話ではない。来年閉店するにあたって知ったことは、私にとって衝撃だった。
「キャッスル」がもともと東京駅近くで営業していたのは聞いていた。が、初耳だったのは、
・戦前丸ビルで営業しており、東京音楽学校の先生方から贔屓にされていたこと。
・その先生方から「音校の学生にも本格的な洋食を」と頼まれて、昭和11年から音楽学校内で営業し始めたこと。
こうなると、一つの文化財だ。
例によって、経営する福本家にあまり近づかないようにしていた。
でも、そもそも学食の経営者の名前を知っているだけでも、普通の学食ではないと言えるだろう。
そして、それを私でも知っているくらいだから、そうは言っても様々な思い出がある場所だ。
戦前からあるのを知っていれば、諸先輩にももっといろいろ聞いておいたのに。
まあ、仕方ないので、自分の思い出でも振り返るとしようか。