井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

砂に消えた涙

2011-06-09 21:53:22 | 音楽

姶良(あいら)市という所に加音(かのん)ホールというところがあって、そこの控室にいたら、前日のコンサートの進行表が貼ったままになっていた。ポップス系の歌手のようだ。知らない名前だった。

ところが、わが方の関係者、それを見てつぶやいていた。「西田あい、か・・・」

そうか、地元出身の歌手なのだろうな、少なくともここでは有名なのかもしれない。

再び進行表を見た。新曲のプロモートも兼ねたプログラムなのだろう、それらしいものが目についた。その中で、目をひいてしまった曲がある。

「砂に消えた涙」

私が幼少期のイタリアン・ポップスだ。昔はフレンチ・ポップスとイタリアン・ポップスも日本に上陸していたものだが、最近はとんと聞かなくなったなぁ。で、この歌が好きなのである。

それは幼少期ではなく、20代後半になっていたと思うが、NHKがイタリア語講座を始めたので、それをちょっと聞いていた時期に、イタリアの歌として紹介された。そこで大好きになってしまった。当時すでにイタリアン・ポップスは懐かしく、ノスタルジーも手伝ってのことである。

日本では弘田三枝子さんのものが有名。

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何はともあれ、こんな昔の歌を若い歌手の方が歌っていることに驚いたし、嬉しくもあった。

その後、調べてみると、この西田さんは平尾マサアキさんが目下育てている最中の様子。

数日後にはNHKで平尾さんと西田さんがデュエットしていた。伊東ゆかりさんも出ていたし、伊東さんも、この歌を歌っている。なるほど、この曲は平尾さんの「お墨付き」でもある訳だ。

平尾マサアキさんという人は、歌手としてスターだったのに作曲家としても一級というすばらしい力を持っている。御一族にもキシオという作曲家、リキヤという演出家、ハルナというピアニスト、錚々たる家系で、その華麗さに圧倒される。

そのマサアキさんご推薦の曲とあらば、悪かろうはずがない。

私は、このイントロがまず好きだ。「シミシラ」のところが特徴的。しかもイントロで終らず、本編の対旋律になっている。

メロディーが順次進行で、とても歌いやすい。順次進行だけだと、通常平凡に終るのだが、そこをちょっとはずしているのがミソ。ミソ、という5音音階で始まって、でも通常の長音階を使っているバランスが良いのだ。(わからない解説でごめんなさい。魅力というのは元来説明するものではないのである。)

ここで、はたと気づいた。この曲も「昴」に似ているぞ。

そして、こちらは5音音階の部分を持ちながら長音階のメロディーなのに対して、「昴」は終始5音音階である。

またしてもイタリア対日本。そして、今回もイタリアに分があるような・・・。

あらためて「昴」を聴いてみたら、歌詞までもが似ていた。

青い月の光を浴びながら

蒼白きほほのままで

こうなると、同工異曲というよりは換骨奪胎という意図さえ感じてくる。

ちなみに「砂に消えた涙」は漣健児訳詞となっているが、実質作詞である。原詩は少々意味合いが違う。しかし、これがまたすばらしい世界を構築しているのだ。漣さんは、このころせっせと海外の歌の訳詞をてがけていらしたが、それらは全て無理のない日本語で、しかも独自のフィクションが構成されている魅力的なものだった。

こうした職人芸を持つ名人が、ここそこで活躍していたのが昭和の時代、と言ってよいだろう。


「プーランク:クラリネット・ソナタ」と「枯葉」

2011-06-06 22:16:31 | 音楽

今日はプーランクの クラリネット・ソナタのレッスンをした。来週の学内演奏会に向けて、全楽章やるか、抜粋でやるかの選考も兼ねて・・・。

しかし、あまりにさまにならないので・・・

「一体、プーランクの曲、他にどれだけ聞いたことがある?」ときいたところ・・・

皆無!

おいおい、冗談はよし子さん。それでは吹ける訳がない。

「ぞうのババールは?」

「象のババアですか?」

冗談も休憩休憩に言ってくれ。

フルート・ソナタさえ知らない。そこら辺の学生が年中吹いているのに・・・。

という訳で、フルート・ソナタと二台ピアノのための協奏曲、そして「ぞうのババール」は必ず聞いておくという課題を出しておいた。やれやれ・・・。

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YouTubeというやつは厄介で、 二つの方式のどちらかにしか対応しないマシンが結構あって、単純に「載せれば映る」わけではないようだ。よって二種類紹介する。

学生達の2楽章を聴きながら、ふと思った。これ「枯葉」の前歌(ヴァース/レシタティフ)ではないか・・・。

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前歌を歌ってる動画はあまりなくて、本家のイヴ・モンタンでもセリフになってしまっている。

このモンタンが歌い始めた部分と、このソナタの2楽章が同じだなぁ、と感心してしまった。四半世紀聞いてきて、これには気づかなかった。

で、「なっ、似ているだろう?」と同意を求めたところ・・・

当の学生達、「枯葉」も知らなかった。

ここまで来ると世間を憂えてしまった。こういう歌ははやりすたりはないと、勝手に思い込んでいたのだが、どうもそうではないらしい。

これはクラシック音楽と同様の位置付けになってしまったのかもしれない。いい曲であっても演奏する人がいなければ聞く人もいなくなってしまうという理屈だ。

だとすれば、我々はせっせとプーランクとシャンソンを演奏するように考えなければならないのかもしれない。

プーランクのヴァイオリン・ソナタでは「二人でお茶を」が紛れ込んでいる。(テーマの変形なのだが、そう聴こえる。)クラリネット・ソナタは「枯葉」かぁ。

これを書いた翌年にプーランクは亡くなるのである。まるで遺書のような音楽だが、そうなると「枯葉」が暗号にも思えてくる。この曲に込められた思いは何だったのだろうか・・・。


「昴」と「海はまねく」

2011-06-03 00:00:54 | 音楽

NHKで谷村さんの歌がいくつか放送された。

「スキタイの歌」というのがあって、それにヴァイオリニスト(フィドラー)のクヌギさんが出てあるいはいるから、という事前情報を得ていたので、それを観るために聞いたのであった。

スキタイというのはすき焼きやタイ焼き、九州弁の「好きです」には全く関係なく、民族の名称である。

中央アジアの民族なのだが、西側代表がケルトやペルシャで東側代表がヤマトというのは、確実に多民族から不興をかうだろう。

しかし、谷村さんは上海音楽学院に先生として招かれた存在であることも同番組で知った。

知り合いの中国人によると北京音楽院は桐朋、上海音楽院は東京芸大という存在だそうだ。確かに上海のヴァイオリンの教授は旧ソ連のオイストラフ級の指導者から薫陶を受けているから、ヴァイオリンのレベルはかなり高い。

そこに招かれたとあっては、学者ならノーベル賞クラス、政治家なら国賓待遇というところだ。それならば、多少の牽強付会は許されようというものだ。

何せ、谷村さんは「昴」という、アジアにおけるメガヒット曲の作者だ。「昴」と「北国の春」はアジアを一つにしてしまう歌である。その作者とあれば、国賓待遇は当然であろう。

だが、個人的には「昴」という歌は、どうしても抵抗がある。イタリア民謡の「海はまねく vieni sul mar」に似ているからである。

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これはなかなか良い歌だと思う。

これが似ているかどうか、議論の余地はあるけれど、私にはかなり似て聴こえる。

さらに「海はまねく」にはヨーロッパを感じ、「昴」にはアジアを感じる。

両方とも偉大な曲と言って良いだろう。

だが、どうしても「海はまねく」の方が、より名曲に感じてしまう。だから「昴」はそれをアジア向きにアレンジした曲に聴こえてしまう。

読者の皆さんはいかが感じるだろうか。