今日はプーランクの クラリネット・ソナタのレッスンをした。来週の学内演奏会に向けて、全楽章やるか、抜粋でやるかの選考も兼ねて・・・。
しかし、あまりにさまにならないので・・・
「一体、プーランクの曲、他にどれだけ聞いたことがある?」ときいたところ・・・
皆無!
おいおい、冗談はよし子さん。それでは吹ける訳がない。
「ぞうのババールは?」
「象のババアですか?」
冗談も休憩休憩に言ってくれ。
フルート・ソナタさえ知らない。そこら辺の学生が年中吹いているのに・・・。
という訳で、フルート・ソナタと二台ピアノのための協奏曲、そして「ぞうのババール」は必ず聞いておくという課題を出しておいた。やれやれ・・・。
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YouTubeというやつは厄介で、 二つの方式のどちらかにしか対応しないマシンが結構あって、単純に「載せれば映る」わけではないようだ。よって二種類紹介する。
学生達の2楽章を聴きながら、ふと思った。これ「枯葉」の前歌(ヴァース/レシタティフ)ではないか・・・。
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前歌を歌ってる動画はあまりなくて、本家のイヴ・モンタンでもセリフになってしまっている。
このモンタンが歌い始めた部分と、このソナタの2楽章が同じだなぁ、と感心してしまった。四半世紀聞いてきて、これには気づかなかった。
で、「なっ、似ているだろう?」と同意を求めたところ・・・
当の学生達、「枯葉」も知らなかった。
ここまで来ると世間を憂えてしまった。こういう歌ははやりすたりはないと、勝手に思い込んでいたのだが、どうもそうではないらしい。
これはクラシック音楽と同様の位置付けになってしまったのかもしれない。いい曲であっても演奏する人がいなければ聞く人もいなくなってしまうという理屈だ。
だとすれば、我々はせっせとプーランクとシャンソンを演奏するように考えなければならないのかもしれない。
プーランクのヴァイオリン・ソナタでは「二人でお茶を」が紛れ込んでいる。(テーマの変形なのだが、そう聴こえる。)クラリネット・ソナタは「枯葉」かぁ。
これを書いた翌年にプーランクは亡くなるのである。まるで遺書のような音楽だが、そうなると「枯葉」が暗号にも思えてくる。この曲に込められた思いは何だったのだろうか・・・。