井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

メッチャ気になること

2013-09-14 12:04:10 | 大学

先月の話だが、九州国立大学共同合宿授業というのがあって、そこの講師と引率を引き受けた。昔は文部省からの補助があって、九州・沖縄各県の国立大学が参加していたらしいが、現在は九州、福岡教育、佐賀、長崎、琉球の五大学で行っている。

場所は大分県の九重、国立大学の共同研修施設である。筋湯温泉というのがあって、そこからさらに少し上に上がった(標高1100m)ところにある。元は九州大学の「山の家」。昭和初期にそういうものが必要だろう、ということで九大生が道路作りから始めて作った山小屋だそうだ。さすがに老朽化したので、そこは7、8年前に建て替えられ、往時の雰囲気を残したログハウスになっている。

研修施設は、そこに隣接したコンクリート造りの立派な建物。こちらも昨年度までは九州大学が管理していたとのこと。

今年から外部に委託管理され、そのせいではないだろうが、落雷でポンプがこわれて水が出なくなったり、そのせいでトイレが使えなくなったり、風呂に入れなくなったりと、いろいろ事故もあったけれど、とにかく寒いくらい涼しかったのはありがたかった。

この合宿授業、今年で37年目、堂々たる実績を持っており、なかなか充実した3泊4日を過ごすことができた。今年のテーマは「大学で何を学べるか」、それに沿った形で4コマの講義があり、それを受けて学生達が討論する。中にはそれが深夜に及ぶこともあり(酒も飲まずに!)、そのような大学生達の姿には素直に感銘を受けた。日本人もまだまだ大丈夫!

総体的にはすばらしいのが前提で、気になったことがちょっとだけ。彼らの言葉づかいである。

ところで、琉球大学には北海道教育大学釧路校との交換留学?という制度があるそうで、今回も琉球大学から北海道教育大学の学生が数名参加していた。で、彼らは北海道民かと言えばさにあらず、山形とか群馬の出身。琉球大学本体も学生の出身をきくと、長崎とか東京とか・・・。

なので、九州の大学生の集まりと言いながら、結構全国の規模に近い様相を呈していたことになる。

その全国の学生が、当たり前のように「メッチャ」という言葉をメッチャ使っていたのである。

当たり前だろう、と思う人は関西人だ。関西方言なのだから(大阪弁かもしれない)。

少なくとも20年前、九州人は一人として「メッチャ」なんて言わなかった。目茶苦茶、は使っていたけれど。

すかさず北海道教育大学生に訊いたら、彼らも使うという。

東京でも使っているようだ。

では、沖縄では・・・

使いますね。でも「デージ」と「シーニ」も使うかな・・・

とウチナンチュの琉大生が答えてくれた。(全国の動向が瞬時にわかる合宿であった。)

「デージ」は「大事」、「シーニ」は「死にそうなくらい」の短縮か?と問えば、それはわからないと言う。語源にはあまり興味がないのだろう。私はデージ興味があるが。

「メッチャ」が、どのように伝播していったかはわからない。

ただ、それで思い出すことが一つある。いつのオリンピックだったかを忘れたが、女子水泳で銀メダルをとった選手が、試合後に「メッチャ悔しかったです」と関西弁で言っていた。言ってみれば「方言」で、正直に感情を吐露した訳で、それまでの選手とは、かなり違う印象を残したのは確かだろう。少なくとも私は鮮烈な記憶を持っている。

それまでの選手は「自分をほめたい」とか何とか言っていたなぁ。これはこれでとても日本人的なつつましやかさがあって良かったと思うが。

それに恐らく、関西のお笑い文化が後押しをしている。

以前から、関東の方言を標準語と思いこんで使っている関東以外の人間は大勢いたし、今でもいる。東京の人でも気付かない人(ほとんどの場合が他道府県人)がいるが、練馬区の言葉と大田区の言葉はほんの少し違っている。

しかし、関西の言葉が全国に広がるケースはかなり珍しいと思う。西日本の人間が総出で、ほうきで「はわいて、なおし」ても、東日本の人間は「掃いて、仕舞う」のだ。

ところが、オリンピック選手の一言が、このように強い力を持つ・・・のか・・・どうか・・・

全く確証はないのだが、私にはそう思われて仕方がない。

7年後に東京オリンピック開催が決まった。

意外なところにまで影響が残る、大イベントになるはずだ。シーニ楽しみにしていよう。