井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

再び,二つの専門分野

2010-09-26 18:14:02 | 大学
昔書いたことを実践されているケースを目の当たりにした。それで,以前の記事を引っ張り出したら,手違いで少々順番等に乱れが生じてしまった。お許しを。

ある大学で,CDを製作して販売するまでのプロセスを実体験させる,ということを演習にしてしまっている学科がある。商品にしてしまうのだから,学生の手だけで全てできる訳ではなく,部分部分においては専門家の協力を仰ぐ訳で,私も演奏担当者として参加した。

その学科は就職率97%を誇る,まことに羨ましい存在なのだが,私にはもっと興味深いことがあった。

録音の技術者は,私同様,他大学から呼ばれていた。しかも録音が専門ではなく,天文学が専門だという。はて?

録音の合間に,そのあたりの話を伺うことができた。
まず,現職は大学なのだが,それまではあちらこちらの天文関係で働いていたこと,その頃,好きな音楽(ジャズが中心)を聴くだけでは飽き足らず,録音してCDにすることまで,やれるようになってしまったとのこと。

CDにするまでならば,私もやっているが,桁が違う。現在,ご友人にほとんどを任せているとはいえ,天文学の教育ビデオの音楽までプロデュースまでしているから,立派に二つの専門分野を持ちながら,しかも融合させている。

なぜ,そこまで(やるのか,できるのか)?

その1「天体の画像をよく作るんですが,それに合う音楽があんまり無いんですよ。」

その2「ディジタルになったでしょ?つまりパソコンでほとんどのことができる訳です。だとすると理系の人間ならば,ちょっと勘を働かせれば,結構できるようになるんですよ。」

少しショック。実は,私も大学時代,かなり録音のことは身を入れて勉強したのである。そのまま助手として大学に残れそうなくらい熱心に。でも,専門と思っているヴァイオリンをもっと深めることに努力すべきだ,とスパッと縁を切ったのである。

とは言え,今回,細かい編集作業まではできない等,天文学者の限界は互いに感じるところもあった。やはり録音といえども,演奏とほぼ同じだけ勉強をしなければ,それなりの物はできない,ということだ。

一方,クラシックのセンスを持たない技術者が多いこの世の中,そちらに私達が手を出すことには意味が生じる。
実際,録音の仕事をしているヴァイオリン奏者を数名知っている。しかし,残念ながら彼等のヴァイオリンの方は,それなりに。やはり,そう簡単ではないということだ。

結局,まぁ自分には無理なのかもしれない。ただ,一流のレベルを要求しない場合もある訳だし,現に今回のケースはやはり脱帽ものである。
音楽では食えない,でも音楽もやりたい,二つの仕事をするか?そんなことは無理だ,中途半端な音楽では食えないのだから,というのは20世紀の考え方。21世紀の考え方は,ドラッカー教授の説の通り,二つの専門分野,なのかもしれない。(もっと大変ってことか・・・)

最後に,その先生がおっしゃっていました。「天文学をやらない大学はユニバーシティって言っちゃいけないんですよ。」と。

要するに中世ヨーロッパに設立された大学は,神学・法学・医学をやるためのもので,そのために必要な教養科目が,言語に関する「文法・修辞学・弁証法(論理学)」と数学に関する「算術・幾何・天文・音楽」。これらが「自由七科(リベラル・アーツ)」と呼ばれていた,その伝統から考えての発言だ。そうやって考えると,天文と音楽は,かなり近い関係なのか?

さらに考えると,算術や幾何学は,学校以外で仕事があるのだろうか?音楽が一番仕事があるようにも思えるのだが,いかが?


二つの得意分野(再掲)

2010-09-26 17:49:17 | ヴァイオリン

 何年か前に国立大学が法人化した時,大学の教員も経営の視点を持つように,ということで,経営コンサルタントを招いて講演会が開かれた。その後すぐにわかったのは,内容のほとんどが,現代マネジメントの父,ピーター・ドラッカーの受け売りだったこと。でも私は勉強不足でドラッカーを知らなかったので,初めて聞く話ばかりで,その段階で大いに役立った。(辛うじてドラッカー教授は存命中だった。)

 要点は大きく二つ。

・ミッションを明確に(何のためにこの仕事はやるのか)。

・常に自らをイノヴェートせよ(改良,改善,改革を続ける)。

 以来,これを何とか実行し続けることを努力した。

 ところが,数年前の年末年始のどこかに,ある偉い先生が新聞に書いた文章で少々ブレーキがかかってしまった。その先生はイノヴェートの語源にまで触れ,「人々はノヴァティオ(新奇なもの)の連続に疲れてきている」とおっしゃったのである。

 その先生がドラッカーを直接否定している訳ではないのだが,私もノヴァティオに疲れてきていたので,これ幸いと(?)ドラッカー先生から距離をおいてしまっていた。

 しかし,その後,世間はいよいよわからないことが増えてきた。そんなある日,本屋で再び巡り会ったのがこの本。

ドラッカー先生の授業 私を育てた知識創造の実験室 ドラッカー先生の授業 私を育てた知識創造の実験室
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2008-09-26

 ドラッカー自身の著作ではないが故の客観性やわかりやすさがある。著者を凡人と言っては失礼だが,一般的な素朴な疑問に対するドラッカーの名答ぶりは,なかなか痛快だし,あらゆる分野に通用するヒントが随所に発見できる。

 例えば,ヴァイオリン等のお稽古ごとにがんばっている方々へに重要な示唆を与えると思われる以下の文章がある。

《事業リーダーは少なくとも二つの得意分野をもつべきだ。そのうちの一つは無縁でなくてはいけない。二つ以上の専門をもつことはいくつもの利点がある。第一に「ほかにも強みがある」という自信につながる。必要に応じて未知の任務を与えられても,ひるまずに取り組み,成果を上げられるのだ。》

 ドラッカー先生はこうも言い添えた。「どの分野にせよ,その分野だけに閉じこもっていたのでは,目覚ましい進歩はまず遂げられません。むしろ,ある分野での成果をほかの分野に応用し,まったく新しい手順,アイデア,手法などを取り入れるとよいのです。」

 世の中が一層複雑になってきている現在,この発想,視点は重要なのではないだろうか。ドラッカー先生はクレアモント大学で,このようなマネジメント関係の授業以外に,日本美術の教鞭をとり,禅画についての著書もあるという。

 畑違いの分野で一流になろうと考えれば,それは当然かなり難しい。難しいから価値がある訳だ。お稽古ごとが,その人の第一分野になるか第二分野になるかはその人の問題だが,いずれにせよ一流を目指すべきだということになる。

 一流を目指す年齢からは遠ざかってしまった人間に対しても有効なアドバイスがある。つまり,異分野に関する読書をすることが,戦略的発想を豊かにする大切な手段であることも書かれている。自己啓発の筆頭は「読む」そして「書く」「聴く」「教える」が続く。

 まだまだ他にも有益な文章は数多あり,引用しだすと際限がないので,ここまでにしておくが,二つの得意分野はこれからのキーワードに思えてならない。小品ではあるけど「メヌエット」という名曲を遺したポーランドの宰相パデレフスキー,バッハ研究の著作がある医学者シュバイツァーのようにいくと,かっこいいのですが・・・。がんばりましょう。


教えたらできなくなる子供

2010-09-26 17:41:57 | 音楽

合唱コンクールの審査員を久しぶりにした。今回は「九州合唱コンクール」、いわゆる合唱連盟がやるコンクールの九州大会に相当する。この地方ブロック規模になると、毎回著名な合唱指揮者の方が見える。この方々に会えるのも、楽しみの一つ。なぜならば、大変な勉強家が多いからだ。

昨年から全国に先駆けて小学校部門がスタート、そして今年からは全団体に全審査員が講評を書く、それを従来通り三日間で行う、という極めて濃密な時間を過ごさせてもらった。(来年からは四日間なので少し楽になるはず。)

沖縄から小学校が5校も飛行機に乗ってやってきた。そのパワフルな歌声とひたむきさに、涙腺が緩んだ瞬間もあった。しかし一所懸命なのは、他校も同じ。コンクールなので評価を下さねばならず、そうすると涙が出るほど感動しても、技術的な問題ゆえに、いつの間にか下位に沈んでしまうこともしばしば。何のためのコンクールやら・・・。

審査の結果が出た後の審査会の席上で、期せずしてある審査員から以下のような発言があった。

「特に沖縄の子供とか、こういう風にしなさいって教えると、段々できなくなっちゃうんですよ。どうすれば良いか、何か教えていただけませんか?」

その場に審査員としていらした合唱連盟の理事長、すかさずI東氏に振った「それは専門家が・・・」

I東氏は10代から70代まで、児童、ジュニア、シニア、女声、男声、何でもござれのベテラン指揮者だ。以下、その時のコメント。

まずは「聴く」ことですね。指導者が、いわゆる「聴かせたい音」を、よく聴いてごらん、とやる訳です。二手に分かれてお互いに聴いたり、二人一組で相手の声を聴いたりと、その程度でも結果が全然違います。子供は耳がいいですから、すぐできるようになりますよ。

伊万里の小学校、私とS水さん(全国大会金賞ご常連指揮者)が一番高い点を入れたと思いますが、あれなんです。彼らはとても耳が良いです。そして聴くことができるスキルを持っています。

スキルの訓練をするのを子供が嫌がるかと言うと、そうでもありません。スキルを持ったおかげで、できることの枠が広がります。それを一番先に感じるのは子供たちであり、むしろ一番喜ぶのが子供たちです。

そしてそのスキルを持った子供たちは歌うのが好きになって、ずっと歌い続けるんですね。

最後の言葉が審査員一同、感銘をもたらした。しかもI東氏は審査員の中で最年少であり、同志社グリークラブ出身。一方、質問した人間や私は音楽大学卒で、音楽を教える立場にある。一体、音楽大学って何?と言いたくなる瞬間でもある。

それはともかく、ことほど左様に合唱コンクールは私にとって「いい話」が聴けるチャンスになっている。