井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

練習時間はどのくらい必要?

2009-10-11 22:41:31 | ヴァイオリン

練習を20回,という先生の発言にはオリジンがあると推測している。イスラエル・フィルの祖,フーベルマンの言葉:

「つっかえることなしに20回は繰り返し弾けるところまでテクニックを鍛えるべきである。」

つっかえたら,またそこから1回めの練習として数えるという,かなり厳しい基準。

ちなみに,ヴァイオリニスト志望の学生は一日に4時間は練習しなさい,とも言っている。時間について大家の発言を集めてみると,これは長い方に属する。ここがピアノとかなり様相の違うところだ。

もう一人,長い方の代表は,ダヴィド・オイストラフ。

「最良のアドバイスは,一日中ヴァイオリンとともに暮らすということです。」

朝,ヴァイオリンを手にして,おいて,昼,再度手にして,おいて,夜,また手にして,おいて,寝る前に最後に手にする,ということらしい。

「午前中に4時間も練習して,午後や夜にはしないというのは最良の方法とは言えません。」

ここから察すると,そうは言っても,一日累計45時間を考えていたのかもしれない。

逆に短い方の代表はクライスラー。

「一般的な意味での練習は,生涯したことがない。」

ギトリスのは冗談。

「やりたくないことはやるな(笑)です。それが一番。」

あとの大家は,その間のどこかになる。

エルマン「一日,3時間以上はやらなかった。」

DVD「アート・オブ・ヴァイオリン」の実に優雅な練習風景を御覧になった方も多いだろう。)

ミルスタイン「テクニックの上達ということだけで言えば,一日に23時間もやれば充分だ。」

ミルスタインの先生,アウアーの見解が,現在に至るまでの代表的な考え方になるだろう。

「正しい練習というのは時間の問題ではない。最大限4時間が適当。集中力のない8時間の練習より,集中力のある2時間の練習がよい。」

ヴィオラの名手,プリムローズの見解も,書いてしまえば至極当たり前,だが,迷った時には思い出すと有効。

「自分が満足できる進歩が得られたと思うまで,次のレッスンに持っていけると思うまで,勉強しなければなりません。一日数時間でできる人もあれば,もっとずっと努力が必要な人もいるでしょう。私は練習しすぎは良くないと思います。」

このように大家の発言を並べてみると,おおよその見当がつくというものだ。

最後にシゲティ。

「毎日2時間の練習で充分だと考えている。しかしその集中的な練習の前に【頭での練習】をやらねばならない。」

この【頭での練習】とは,楽譜をみて,どう演奏するかの計画をしっかり作ることだ。これはシゲティに入門した日本人達にはしっかり受け継がれ,その弟子である私達,少なくとも重要性は理解している。こう述べてきて,ひ孫弟子である私の生徒には,きちんと伝えているか,はなはだ心もとない・・・。

一方,孫弟子は別の情報も持っている。シゲティが日本人何名かを含む教育をスイスで行っていた頃の話。シゲティは近所に住んでいる弟子達の住まいを監視しており,ヴァイオリンの音が聞こえないと,練習するように言って回ったらしい。これは毎日2時間の話とどうつながるのか?

思うに,これはシゲティのみならず,これまでの大家の発言全て,このような矛盾をかかえている可能性があると考えるべきではないだろうか。

 それでアウアーの見解に戻ってしまうのだが,要するに時間で云々するのは,本来意味がないことなのである。でも何らかのよりどころがほしい時もある。その時は,再度上述の各発言を読むことをお薦めする。少しは落ち着くだろう。