モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスは難しいか?
4分音符が並ぶだけの曲なので,技術的には難しくないだろう。多分小学生でも弾ける。私が弾く訳ではないのだが,3月末の演奏会のアンコールにどうだろうか,とある人から問われ,「まぁ,前日一回リハーサルしておけば大丈夫でしょう」と答えた記憶がある。
一方,小学生が弾くのにどうでしょうか?と質問された方がいらっしゃる。 あるヴァイオリンの先生から「こんな難しいの,曲にならない」との答えが返って来たそうだ。確かに小学生のカルテットであれば,止めておいた方が無難。小学生のオーケストラならば,それなりに良いかもしれない。大抵指揮者は大人だし,その場合,指揮者の音楽になるからだ。ちなみに3月末の演奏会も大人が演奏する。
一体どうなっているの?と思うのも当然だ。
私の場合,中学生の頃,先生がしきりに「(モーツァルトは)難しいね,難しいね」とおっしゃっていた。私にしてみれば,パガニーニの方が断然難しくて,それに比べれば易しいでしょ?と内心思いながら,その言葉を聞いていた。
その難しいを連発されていた先生からモーツァルトのレッスンを通算1年数ヶ月は受けたと思う。そんなにやらなければならないということにより,確かに難しいものなのだな,という認識は生まれた。が,一方,さすがに,どう弾けば良いか迷うこともほとんどなくなったので,やはりそれほど難しくは感じなくなったのも事実。パガニーニは未だに弾けない曲もあるから,こちらの方が私にとっては今でも難物。
という次第で,1年もやれば難しくはなくなる,というのが現在の私の率直な見方である。
だからアヴェ・ヴェルム・コルプスも,1年もやれば・・・
とは思わない。正直言って,小学生の室内楽ではやらない方が良いと思う。 小学生が1年やってできるのは,ヴァイオリンならば協奏曲と一部のソナタとオーケストラの曲といったところだろう。
別の見方で述べれば,モーツァルトが流行歌(?)風に作っていた若い時の作品は何とかなりやすい(協奏曲などです)。晩年,自我が作品ににじみ出るようになってからは,子供立ち入り禁止,と言っておこう。
モーツァルトの凄みは,アプローチによってどこまでも深い解釈に耐えられる作品だ,ということだろう。これに尽きる。その証拠に同年代の作曲家はハイドン以外みんな消えてしまった。我等がヴィオッティも同年代。消えたとは言いにくいが,ヴァイオリンを弾いていない人にどこまで知られているか…。
モーツァルトには軽佻浮薄な作品も多々あり,別に本人だって芸術のつもりで作っていないから,それはそれで軽薄に演奏してもバチは当たらないはずだ。多分,大昔はそれで良かったのだと推察する。
ところが,誰かがその芸術性に気づいた。軽薄な作品を芸術品として解釈すると,ほらこの通り,といった具合。それを聴いた人々は,当世風に言うならば「あれ?モーツァルトってマジでヤバくねぇ?」と思い始める。そうなると,あっちの芸術家,こっちの演奏家がこぞって芸術性を引き出し,その度に聴衆は感動する・・・。
この感動の記憶が,20世紀の段階でかなり累積しているから,その芸術性を引き出さなければモーツァルトにあらず,と人々は思うようになってしまい,だからモーツァルト(からそれだけの芸術性を引き出すの)は難しい,と人々は口々に言うようになった,と私は推測している。
だから,それほど深い感動を目的にしなければ,モーツァルトは難しくないだろう。という気持ちでアヴェ・ヴェルムを弾いたら,どこからか石が飛んでくるのを覚悟してほしい。あの曲の間奏までは,若い頃の作風と共通する世界かもしれない。しかし,その後の転調,和声の進行,目眩く陶酔の世界は息付く間もないほどだ。あの緊張の持続は,酸いも苦いも噛み分ける大人にこそふさわしい。
という訳で,小学生にアヴェ・ヴェルムは難しい。ディヴェルティメント辺りはいかが?