「そんな音を出していたらジョノカもできない。いても逃げてしまう。」 学生時代、師匠から言われた一言だ。 それをそのまま同級生に話したら、爆笑された。
私には笑えない。ジョノカができるできないの問題ではない。師匠の要求する音を出すのが至難の技で、途方にくれてしまったからだ。
ちなみにジョノカは「彼女」のことだが、業界でもあまり聞かない隠語で、それを理解するのも18歳の少年には難しかった…。
その師匠が19日朝に亡くなられた。ヴァイオリンの師のうちで、井財野作品についてコメントやアドバイスをくれた唯一の存在だった。 指南を失った今、再び途方にくれているところである。
この先生ほどエピソードに事欠かない方もいらっしゃらないだろうから、そのうち様々な方がいろいろなことを語り始めるだろう。 そのほとんどが、笑いを伴っているというのも稀有な存在だ。
私が最後にお会いできた時の話も、一種の「可笑しみ」を含んでいる。
それは一昨年の夏の日。ある演奏会の会場に向かう前に、師匠は尊敬する大先輩を見舞いに行かれた。師匠の口から「尊敬している」とはっきり聞いたのは、この大御所の名前しかない。
昔、協奏曲の夕べの際に、師匠がやたらのろのろ歩いて登場するので、どうしたのかと思ったら、指揮者として共演するその大先輩が既に健康を害していて、早く歩けないので、それに合わせたのだという。 〈そこまで合わせるのか?棒とオケは合ってなかったりするのに〉と思ったものだ。
師匠が見舞った時、大先輩は既に口がきけず、ひたすらテレビの画面をじっと見ているだけ。その先輩に向かって、師匠は一所懸命、先輩の好きそうな冗談を連発した、と、その日の夜、私達におっしゃった。 「でも駄目だったね。」夫人の話では、人の話は理解しているということだが「何にも反応がなかった。」
師匠もその十日後には手術を受けた、立派な癌患者。癌患者が痴呆老人に向かって渾身の冗談を言う図は、どう受け取れば良いのだろうか。
師匠は私達を笑わせようとしていたように思えた。笑って良いのやら…。 いや、やはり笑えない冗談である。
その大先輩はちょうど1年前の今頃に亡くなられた。〈そこまで合わせるのか?〉 師匠の誕生日は今月末、不肖の弟子達は古稀のお祝いをと、準備中だったのに…。
凡人には涙しか出てこない。「渾身の冗談を言えるかい?」最後まで至難の技を突き付ける師匠であった。