井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ザルツブルク・スタイル

2006-10-27 11:57:33 | コンクール

も良いけれど,ここはイタリアン・スタイルで,と言われて,モーツァルトを演奏した強烈な思いでがあるのです。こんなことはアルプスの北側事情を知っているイタリア人しか言わないと思いますが。

このイタリアの話は長くなるので別の機会に譲りますが「モーツァルトはこうだ!」と思っている姿が,ドイツ・オーストリア,フランス,イタリア,ついでにロシア,ではかなり違って,お互いに時として批判的ですらあります。
またドイツ・オーストリアと一言でまとめましたが,たまに「ウィーンの流行奏法」もあったりして,我々外国人が惑わされることも,無きにしもあらず。

私が論ずる立場ではないようにも思うのですが,あえて踏み込み,そのような細かい違いを除外してまとめると,以下のような特徴があると思われます。
ドイツ・オーストリア:アクセントは強く,アーティキュレーションははっきり。
フランス:アゴーギクは少なめに。
イタリア:アクセントは長短で表現する。とにかく歌う。

「ギャラント・スタイル」はスラーの句切れをはっきり切り離すなど,アーティキュレーションを明確に打ち出す様式で,イタリアではあまり重視されていないような気がします。

これだけでもモーツァルトがいかにコスモポリタンだったかがわかろうというもの。モーツァルトの演奏が難しい一因になっています。で最終的には「お好きなように」になってしまい,「変な演奏」も出てくるのかもしれません。
しかし例えば20年前クレーメルのモーツァルトは「変な演奏」と思ったのですが,今聴くとちっとも変ではないので,思い込みが強すぎるのも良く無いな,と思っています。

グリュミオーこそモーツァルト世代の戯言でした。