ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

「海軍陸戦隊 ジャングルに消ゆ」・・・Kenさまのご祖父さまの著作から

2012年01月12日 | お知らせ
淡谷のり子 雨のブルース 1978


Kenさまのご祖父さまが本を出版なさっていたことを知ったのは、メッセージ機能で私のところにメールを頂いた時、ご祖父さまが危篤、すぐに帰国するというお知らせを受けたその文だった。
私は急いで返信を書いた。神社に参拝し、Kenさまがご祖父さまに「海ゆかば」「会議は踊る」を歌うのがどうか間にあいますように祈ります、という内容で、すぐに神社に行き、お祈りしたあと、この本をアマゾンに申し込んだのだった。

さっき、夜にこれが届いた。
もう絶版だったが幸運にも入手できた。1982年に初版、同年第2版のこの本が出版されている。

届いたばかりなので全部は読めていない。
ところどころ読んでみる。1917年生まれ 昭和17年1月、海軍軍医中尉任官、
水雷艇「鵯(ひよどり)」乗組その他経歴があった。

そしてふと目についたのが、15ページ「17年の暮、ラバウル出航。帰りの船団を護衛してフィリピン東方のパラオに向かう。大晦日の夜、コロール島上陸。
雨がパラパラ降ってきた。
突如、兵隊の列から歌声があがった。
当時は軟弱な歌として禁止されていた淡谷のり子の『雨のブルース』であった。
一緒に上陸した兵科、機関科の士官も、そのうち合唱に加わった。
今にしてこの歌を歌う、これこそが小さな「鵯(ひよどり)」の強さではないかと、私はしみじみ感じたものである。
帝国海軍にはあるまじき堕落であると海軍のお偉方はにがい顔をするかもしれない。


まだご紹介したいところがいくつもあるが、今日はこれだけに。
ただ万感のおもいである。

また、軍医として日本軍兵士に薬もなく、脈をみるだけでなすすべもない苦しさもお書きになっている。
まだ若い兵士が「家族に会いたい」と瀕死の状態で涙を流すところなど・・・。
本来はKenさまがご紹介なさるところと思うので、ここで終わる。

ただもうひとつだけ、ドキッとしたことを。
それは複数の兵士が大きな明るい光を見たことである。
「キリスト」という人もいれば、・・・私の町の人のように神功皇后という人もいるだろう・・・それは「生きのびよ」という光だったように感じた。

Kenさまとは音楽を通じてブログで語り合った。もちろんお会いしたこともない。
でもこの本に書かれていることは、声楽家Kenさまに私が「胆力ある美声」と聴きとるような、ご祖父さまや東郷元帥や神風連のようなご先祖の精神的な支えが音楽に大きく伝わっているように思う。
日本の若きホープ、たぐいまれなヴェルディバリトンとして、素晴らしい「胆力ある美声」を聴衆に届けて頂きたく、それが「歌の使命」と思う。
                  Bella Cantabile








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5 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-01-14 17:58:44
淡谷のり子さんの雨のブルースなつかしいです。兵隊の中でこの歌声があがったという話、当時の若い兵士たち、武器も食料もなく、過酷な環境で日本のために戦ってくれたこと、今の人たちはおろそかにしすぎです。

夫の今は亡き父親もラバウルの戦場からの生き残りでした。

Kenさまとのお話も感動します。
返信する
雨のブルース (remmikki)
2012-01-14 18:00:59
すみません、コメント書いてからタイトルと名前を書こうと思っていたのに、コメント書き終わってからすぐに送信クリックしてしまいました!"Unknown"と出てしまい、申し訳ありません!

私いつもの投稿者remmikkiが書いたコメントです!失礼!
返信する
感慨無量・・・ (remmikkiさまへ ベッラ)
2012-01-14 19:19:37
Kenさまのご祖父さまの著作、内容は大変美しい文体であり、こんな大変な戦場だったことを、このように美しい魂でお書きになってハッとさせられます。

「軟弱」といわれた『雨のブルース』、この曲に心が慰められるのは、曲が気高いからです。
実はこれは私が「カラオケ」に行った(付き合いで2~3度ですが)ら、私には歌う曲がなくて、この曲やシャンソンを歌っていました。
でも、歌い出すとマイクのコンセントを抜かれたり、声が大きすぎるなんていわれまして・・・。淡谷さんのことはN先生からよく伺っていました。
N女史(イタリアでお会いした)が、戦前、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」のロジーナを歌うことになっていたけれど、妊娠し(これが歴史女流作家となったN路子さん)代役に淡谷さんをたてたそうで、その時に会って引き継ぎをしたときから親しくなったそうです。
その頃は淡谷さんはクラシック歌手でしたが、
生活に困窮しブルースやシャンソンを歌うようになったそうです。

Kenさまのご祖父さまはさすがです。
音楽のジャンルを構うことなく、真実をお書きになっていらっしゃいます。
こんな時、「勇ましい曲」は辛いですもの。
このころの日本の音楽、調べるのも楽しいです。
返信する
祖父 (Ken)
2012-01-14 22:02:07
祖父は何とか死地からもちこたえ、家族にもしばしの安息が訪れています。

わたしが耳元で「海ゆかば」を歌ったのをさかいに、意識を取り戻した、らしいですが、もちろんそれは偶然でしょう、、、。

ベッラさんのお話にこころから感謝いたします。

「雨のブルース」のお話、トーマス・マンの「魔の山」で最後、戦場でハンスが「菩提樹」を歌ってたのを思い出します。

生き延びよ、という光。

祖父は子供の頃のわたしに「勉強しなくていいですよ、学校にも行かなくっていいですよ」といつも言ってたのを覚えてます。

楽しく生きなさい、平和なんだから、ということではなかったと思います。

ただ、生き延びよ、ということだったのでしょうね。
返信する
「海ゆかば」が届いたのですよ♪ (Kenさまへ  ベッラ)
2012-01-14 22:51:18
ご祖父さまは、著作の中で卑怯なことをする敵に「軽蔑」という精神的武器でビシッと刺された、これはどの武器よりも厳しい武器でしょう。このような極度な環境にいらしても、精神的な高さと誇りを失われなかった。
こんなところを読んで、私も日本国民として誇り高く思ったものです。
戦争には負けたけれど、魂の気高さは勝利だった。ヴェルディの「アイーダ」を聴いた時、あの華々しい凱旋の場で、何が本当の勝利なのか、ヴェルディは華やかな凱旋のウラにある「聴こえない音楽」を同時に聴かせてくれた、
そんな感じがします。
勝つこととは?敗北することとは?
深いですね。

母から聴いた話なのですが、近所に日清日露戦争で戦った軍人が大変な高齢でいらっしゃったそうで、見るからに武士そのもの、でも奥様のお話では「もうここまで」というとき、大きな太陽が「呼ぶ」のですって。
それは弓弦羽・・・神功皇后さまが国士をお護りになったと伺いました。
父もレイテで3000人が島に置き去り、もうここまでというときに「大きな太陽のような光」がジャングルの方向に誘ったそうです。
また大岡昇平「レイテ戦記」にもそんな状況がありました。

国士は「生き延びる」のです。
その光が・・・目が痛んだり熱くなったりしない優しいいたわるような光が「生きよ!」と
・・・生きる勇士を選ぶワルキューレのように、それから私は弓弦羽は参拝しております。
「尖閣」の一色さんが神戸海保に軟禁されている時も、参拝しました。

私は宗教には属していません。
弦楽器の音と光・・・これが美しくまたありがたく思ったのです。
Kenさまがヴァイオリンをなさったことも、弓弦です。武器と楽器が一体となったもの。

アプリさまがご心配なさっていらっしゃいました。Pの視点の円卓の友人です。
心暖かいお方です。「Kenさまだったら、間にあった」っておっしゃるのではないか、とコメントなさっていらっしゃいました。

しばらく何もお返事がないので、コメントも触れなかったのです。大丈夫、キリストと神功皇后さまが両方、宗教に関係なく守護してくださるでしょう。

宗教にはほとんど関心のない私、実は怖がりでして・・・。
それにしてもよかった!!
上記のコメントはエントリーに書きます。
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