石破新総裁は何を考えているのか、「アジア版NATO」など、あまりにも非常識ではないか!!・・・この人は河野太郎氏と似たところがある。突然、何を言い出すか・・・任せられない。
産経ニュースによると・・・
このような論理展開はあまりに性急であり、いささか短絡的と言わざるを得ない。1990年8月にイラクのサダム・フセイン大統領が隣国のクウェートに侵略して湾岸危機が勃発した。
その際、当時の米国のブッシュ大統領(父)はイラクに警告を発するとともに、イラクに対する武力行使を容認する国連決議を成立させた。その後、間髪を入れず多国籍軍を編成し、翌年1月には湾岸戦争が開始され、1カ月でイラク軍をクウェートから放逐した。
当時米国とクウェートの間には安全保障上の取り決めはなかったが、ブッシュ大統領は、このような侵略行為を放置すれば冷戦後の国際秩序は地に落ちるとして、湾岸戦争に踏み切ったのである。
つまり、要はアメリカの国益に照らした当時の政策判断の結果なのであって、集団的自衛体制の有無のみが自動的に安全保障の決定的要因になるとは言えないということだ。
したがって、日本の場合、日米同盟が厳然と存在しているのであるから、その信頼性を高めることが急務であって、それを飛び越えてアジア版NATOに飛びつくのは論理の飛躍であると思う。
軍事同盟は2国間がベスト
NATOは、米ソ冷戦の結果、ソ連の脅威から相互に守り合うために当初12カ国により1949年に設立された。NATO諸国の脅威認識ははっきりと共有されており、それはあくまでもソ連であった。
そのためソ連崩壊とともにNATOの目的、存在意義もあいまいになり、今や加盟国は32カ国となった。その中にはかつてソ連陣営だった旧東欧諸国やイスラム国家であるトルコまで含まれている。
今回のウクライナ戦争に対してもNATOが一致して対応しているかとなると、それぞれの加盟国のスタンスには濃淡がある。例えウクライナがNATO加盟国であったとしてもNATOが一致した行動をとっていたかとなるとはなはだ疑問である。
いずれにしてもNATOのような集団的自衛体制を構築するためには、脅威認識を共有することが不可欠である。アジアの場合、常識的には脅威対象は中国になると思うが、石破総裁は「中国を最初から排除することを念頭に置いているわけではない」とも語っている。
ならばアジア版NATOは何をもって共通の脅威認識とするのであろうか?
たとえ、「アジア版NATO」が中国を共通の脅威と位置付けた場合でもアジア各国、特にASEANの中国に対する認識は国によって異なっている。韓国でさえも政権によって中国に対するスタンスが違うことは周知の事実だ。
石破総裁はまた、「アジア版NATO」は日米豪印のQUADあるいは日英豪のAUKUSの延長線上にあるとの見方を示したが、QUADは政治的連帯であり、軍事同盟ではない。
AUKUSも元々豪州の原子力潜水艦建造のための支援枠組みであり、軍事同盟ではない。
以上のことから私は、軍事同盟は2国間がベストだと思う。もちろん平時において友好国、同志国のネットワークを広げることには賛成だが、軍事同盟はあくまで運命共同体である。2国間でも同盟調整は簡単なことではない。まして多国間になるとその複雑さ、煩雑さは推して知るべしである。
日本の安全保障のためにやるべきでない
歴史的に見ても日英同盟は成功したが、日独伊3国同盟は日本の安全には寄与しなかった。日英同盟はワシントン条約締結の際にアメリカの圧力により解消され、4カ国条約という多国間の枠組みに移行されたが、これは何の意味もなさなかった。
結論として、「アジア版NATO」は実現性の問題以前に、日本の安全保障のためにやるべきではない。それよりも日米同盟をより双務的な関係にもっていくことにより、その信頼性の向上に注力すべきだ。
「憲法9条2項の削除」示すべきはその道筋
第二は憲法問題だ。石破総裁は「9条2項の削除」を主張している。私はこれに全面的に賛成だ。自衛隊明記だけでは自衛隊が抱える矛盾を解消することにはならないと思うからだ。
安倍元総理も同じ考えだったと思う。しかし、現実に改憲するとなれば少なくとも連立与党の公明党の賛同を得る必要があり、当時は、公明党は、9条はそのままで加憲を主張していたことから、安倍元総理は、先ず一歩進めるという観点から「自衛隊明記」を提唱されたと思う。
政治家は評論家と違い現実に政策を進める責任がある。「9条2項の削除」は正論だが、これを現実政治の中で国民、他党を巻き込みどのように実現していくのか、その道筋さらには道程を石破総裁には提示してもらいたいと思う。
最後に、立憲民主党の安全保障政策について述べたい。
野田代表も含め今回の代表選候補者のすべてが日米同盟の重要性に言及していた。
一方で、安全保障法制で認められた集団的自衛権の限定的行使容認に野田代表も含め「違憲」との認識を示している。
ならば改憲して集団的自衛権を行使できるようにすべきだとするならば理解できるが、どうも限定的集団的自衛権の行使は違憲なのでやめろということのようである。
これでどうやって日米同盟の信頼性を向上させようというのか、完全に論理矛盾をきたしている。
また、野田代表は米国のアジアへの関与を維持させると強調されている。
しかし、そのためにはアメリカにお任せでなくお互いに助け合う体制が必要なことは人間社会と同様である。
友人に頼ってばかりいると、その友人が離れて行くのは当然である。この常識を野田代表には認識してほしい。石破新首相「アジア版NATO」構想はすべきでない…各国で異なる中国へのスタンス、軍事同盟は2国間がベストな理由 (msn.com)
ブログ主・・・「政権与党」を責任としてではなく「特権」として勘違いしているレヴェルの低さ・モラルの欠落に目を覆うばかりだ。
他の意見を聞かない、日本の安全の為に危険なことも「自分たちの手柄」と勘違いして目指そうとし、他の批判を「横やり」と思って謙虚さなどない。
何が何でも自分たちの意見を通すのが「正論」と思い込んでいるようだ。
この政治家のレヴェルの低さ・思い上がりにもはや打つ手はないのか、とすら思う。
国民は命がかかっているので、今は本当の意見をどんどん言うべきだが、X(元ツイッター)やブログ、その他SNSでケンカ腰の汚い言葉で異論を封じようとし、蔑視し貶めるような「常識の欠落」した「意見」は、誰であろうと許されるものではない。
事実上、説得や解決に向けようとするよりも、運動会の「紅白合戦」のように、恐ろしいほど二者択一で、「勝った・負けた」「論破した」と実に低い次元でモノを言っている。
あほらしくてやっていられない。
「閣議決定」も次元の低いメンバーでは、ロクなことはない。
首相夫人が「公人か私人か」を閣議決定した、という安倍政権のイロイロな無理ごり押し・恥を忘れた「自分に都合の良い、国民には理解不能な(ただしカルト風なネット書き込み族は、変な@「一枚岩」で1ミリの意見の違いも許さない。私はこれで「政治」のことで必死に心配することに疲れた、しかし国民の生存に関する問題が一度も国会が開かれていない段階の新政権で、トップが鼻歌を歌うような思い付きや気軽さで「呆論」を口にし、他国に広めるのは日本国民をないがしろにしたもので、残念ながらそれすら理解できないレヴェルである、ということだ。
★ 青山繁晴参議院議員は「推薦人」が集まらない、ということで総裁選に立候補できなかった。他にも「推薦人」が集まらないという候補者が何人かいたが報道では「候補者」として表示されていた。・・・するとこの青山氏に対する仕打ちは「平等に著しく欠ける」のではないか?
青山氏は「党員獲得」では自民党で一位なのだが・・・私は「青山支持・不支持」にかかわらず、今回の不平等な成り行きに子供でもわかるレヴェルの「わざとらしい」ものを感じた。これはどの議員に対しても同じである。また次の動画は、総裁選で実際に起こった出来事である。青山氏はジャーナリスト時代のように客観的に詳しく語っている。
ぜひご覧ください。
【ぼくらの国会・第811回】ニュースの尻尾「語られざる総裁選 感情が左右」・・・青山氏はジャーナリストとして語っているのでは?
(それを「誰が私の推薦人になってくださったのかは知りませんが」という思いあがった女性総裁候補には、この人の思い上がりはいつものことだが、冷淡さを感じた。高市氏が総裁になっても、やはり大事は成せないだろう、と思った。高市氏に関しては、私は女性として軽蔑するものがある。男性はあまりそれには頓着しないようだが・・・え?男性でも許しがたいと思う人がいるって?)これを書くのは私としても「勇気」がいる。
当たり前のことなのに・・・女性のオジサン化???それも変な(笑)
こんなこと書いていたらお肌にワルイ。もう離れたい。こんなアホな世界
・・・でも国民の生死にかかわると思うとやりきれない、あるお方のサイトに「もっと賢明な政治家が出てきてほしい」と書くと「賢明な政治家など出てくるわけがない」と返信がきた。
ブログのティールーム
秋のデザート
本日は天才女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが弾くブラームス作曲「ラプソディー」第1番をどうぞ。
Brahms - Rhapsodie No.1, Op.79 (Martha Argerich)
小田原フラワーガーデンにて 「秋薔薇」(ネットより)