親心、子心

教育に関わる様々な悩み、問題を親、子ども、両方の気持ちから寄り添って考えていきます。お悩み相談募集中。

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携帯型ゲームと親の苦悩

2015年09月14日 22時08分51秒 | 子育て
心の底から、携帯型ゲーム、あるいは携帯電話を自分の子どもに買い与えたい親はいないんじゃないだろうか。

今、我が家でも、ゲームとどうつきあっていくかが問題になっている。

買い与えれば、子どもの反発は収まる。
時折また騒いでも、新しい何かを買ってやればおさまる。携帯電話だったら、それすらも起こらず、子どもは際限なく時間を消費していく。


…経済的な理由で、本当にかってあげることができない家庭であれば、きっと子どもも親の姿を理解して、そんなに反発しないんじゃないだろうか。
経済的な理由よりもむしろ、親が子どもとつきあってやれる時間がないからこそ、その懺悔の意味で、買い与えるケースが多いんじゃないだろうか。


大事なのは、子どもと過ごす時間。ゲーム以外にも、世界はこんなにすばらしいと、一緒に楽しんでやれる時間。


…でも今の親は、そういう時間がとれずに苦しんでいるんじゃないか?
そこにこそ、本当の経済的理由があると思う。




子育てと、苦しさの狭間で悩む親御さんたちに、大切な視点は、

「少しで良いから、一緒に楽しむ」

ことだと思う。

本でも、将棋でも、スポーツでも、もちろん買い与えた携帯ゲームだっていい。

とにかく、一人でやらせないでほしい。
ゲームの中は、仮想世界だ。目の前にある現実とはやっぱり五感で感じられるものが違う。
文字だけで追っていける、メールやラインも同様だ。
画面で誰かが負った傷の1/10でも、実際に自分が負えば、本当に痛いんだ。

現実と違うような錯覚を与えてしまう、ゲームや携帯電話に、せめてもの現実感を与えるには、

目の前にいる親が一緒にやっているってことだと思う。

そして時には、「〇〇すごかったな」とか、「△△はやめてよ」とか、生の声を目の前で聞かせてやってほしい。

ゲームやラインの向こう側に、本物の人間がいることを感じられるから。



そしてもう一つ。
できるなら、いろいろなことをやらせてあげてほしい。

たった10分でいい。

一緒に公園で鬼ごっこをやろう。

一緒にサッカーボールを蹴ろう。

…そうすれば、勝手に子どもは、友達とアレンジしていく。

その『アレンジ』こそが、子どもを育てていく。
ケガしたって、ケンカしたって、それも成長の一つだ。


でも最初は、子どもの目の前には、何もない。

何でうちの子はできないんだ、と思う前に、一緒にやってやってほしい。そして一緒に楽しんでほしい。
たった10分で良いから。週に一回で良いから。


そうすれば、子どもはたくましく育っていける。あなたの子どもたちには、絶対にその力がある。
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無題

2015年09月13日 21時47分46秒 | 世の中
誰と戦うというのだろう。

誰から守るというのだろう。

自国の平和が、もはや自国のみで守れないというのなら、その自国の平和を脅かしてくるのはどの国なんだ?

憲法の前文にあるように、国民の不断の努力によって守ろうとする主権は、平和は、あなただけのものなのか?

今目の前にいるあなたの敵ですら、助けよう、救おう、そういう思いが大切なんじゃないか?

平和って、誰かを攻撃して、つぶして、ひねって、殺して、できあがるものなのか?

不断の闘争なんて誰も言っていない。不断の“努力”じゃないのか?

努力すべきことは、国際社会『全て』を平和たらしめんとすることであって、我が国とその親しい国だけじゃないんじゃないのか?


歴史をひもとけば、過去に正しかったことが、現在間違っていると捉えられていることなんてごまんとある。

ならば今自分がしていることを、正しくないかもと、謙虚に思えなければ、子々孫々に申し訳が立たなくないか?


…ただ、今まで学んできた歴史の中で『自分の敵すらも救おうとする』姿を見せてきた国や指導者は記憶にない。

…ナイチンゲールくらいだろうか。仏陀は全てをあきらめてしまったように感じるし、イエスキリスト“個人”は、本気で考えていたのかもしれない…。


…もうそろそる、人類皆でナイチンゲールに、イエスキリスト(and so on)に、なったって良いんじゃないか?



世界平和は、そういう、敵も味方も関係なく、全ての人を救おうとする思いから始まるはずだ。

自分が良ければいいという気持ち、誰もがいだいているだろうけど、その居心地の悪さを知っているんじゃないのか?

その居心地の悪さを、『他に手段がないから』と目をつぶってしまっているだけじゃないか。


全人類が本気で考えればできないことなんてない。

全人類の平和だって、幸せだって、追究できるはずだ。

そのための一歩を、踏みだそう。



そんな一歩を、今日自分の『家族』に対してから踏み出した記念に…。
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やってやる教師はやってしまう教師

2015年09月02日 22時11分05秒 | 教育全般(非分類)
私が教職についてすぐの頃、私は『やってあげる教師』だった。

周りには、「なんでできねーんだ」とか、自分の教え方のまずさを棚にあげ、生徒に責任を押しつけているように見えた教師がいた。(あくまでそう見えただけだし、そんなに沢山いたわけではないが…)

だから私は、生徒が困れば、助けてやろうと、いろいろな場面で手出しをしていた。それが生徒のためになると疑わずに。


…ある日、卒業させた生徒の近況を耳にした。
ある子が高校を退学したというのだ。
…その子は卒業式後の離任式、私が転任するのを知って、1日2日で、クラスの生徒に呼びかけ、私宛の色紙を作ってくれた子だった。

「私だからできたんだからね、感謝してね!」

そういった彼女の言葉は、今でも感謝の心とともに思い出す…。


…退学の話を聞いてからずっと、心にひっかかりがあった。
私は何を教えてあげられたんだろうと…。


もちろん退学したから人生が終了したわけでなく、今その子は幸せに暮らしているのかもしれない。
…しかし彼女が学校という集団で過ごしきる力、方法を身につけさせてあげられなかったのは確かだと思う。

やってあげる教師はやってしまう教師。


その子が力を伸ばす機会を奪ってしまったと、未だに後悔している。


まだ、「こんなこともできねーのか」と突き放していた方が、子ども達の力をのばしてあげられたのでないかと、考える時がある。


教師が子どもを突き放す時。
それは、決してあなたを嫌っているからではなく、乗り越えられると信じているからであることも知っておいて欲しい。
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向上心

2015年07月24日 21時44分07秒 | 教育全般(非分類)
…を、持たずに過ごせるなら、こんなに幸せなことはない。

持っているから、みじめになる。悔しくなる。恨みがましくなる。

人は人、我は我。

私自身が身の丈の進歩が出来るなら、それでいいじゃないか、と、向上心を膨らませ過ぎない方が、普通はいいんだろうな。

学校じゃあ、上ばっかり見させてて、可哀想になる。
勿論それも必要だけど、誰もがみんなアインシュタインじゃない。

身の丈の進歩、身の丈の努力でもって、この世界は支えられていると思う。

焦るな若者。

あなたの一歩は小さくても、踏み出した分必ず進歩だ。
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あるお家から

2015年07月21日 23時32分31秒 | 教育全般(非分類)
声がする。
子どもの声だ。

飲んで帰っているその途中、たまたま聞こえた子どもの声だ。

ケンカしてるんだろうか…。


私の家でもよくある話。
そこに親(私)の怒鳴り声も混ざる。


そんなのよくあったことじゃなかろうか。
道端で、学校で、公園で。

それがうるさいなら、それが悪いことに関係してたなら、叱ってやればいいだけじゃないの?

自分で叱らず、人に叱らせる。子どもに伝わる訳がないよね。

大人なら、『田中さんがあんたのやり方悪いって言ってたよ』って山田さんに言われて素直に聞けるかいっての。
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