華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

城山三郎より結城昌治

2007-06-28 02:58:12 | 本の話/言葉の問題

 しばらく休みだった「愚樵空論」が再開された(教えてくれたdr.stoneflyさん、ありがとう)。かすかにでも繋がり続けているのはむろん嬉しいことなのだが、はぐれてしまったた友人と再会できた喜びはそれにまさる。愚樵さん、またよろしく。

◇◇◇◇◇◇

 佐高信の『城山三郎の昭和』を読んだせいで(その話は前回書いた)、グスグズと間歇的に城山三郎について考えている。

 前回書いたように私は城山三郎の本を少ししか読んでおらず、それは彼の小説が主には伝記小説であるせいだと思っていた(個人的な好みとしては伝記小説より伝奇小説のほうが……)。だが少しずつ自分の記憶の淵に分け入っていくうちに、ほかにも理由があるかも知れないと気付いた。

 城山三郎の小説の主人公達は、実に颯爽としている。毅然としている。広田弘毅も石田禮助も。

 むろん、颯爽としていること、毅然としていることが悪いことであるわけはない。私もできれば「颯爽と」「毅然と」生きたいと思っているし、多くの人が同じだろう。だが必ずしも颯爽とも毅然ともできず、卑怯なことばかりしている。いや、他の人は知りませんよ。少なくとも私は、なんですが。それに対する忸怩たる思いが、常に影法師のように自分に付きまとっているのだ。私を駆り立てるのは、国という存在が重くなればなるほど自分はもっともっと卑怯になるのではないか、死んでも死にきれない恥をさらすのではないかという恐れだけである。

 城山三郎の主人公達は実にカッコいい。中には――タイトルは忘れたが、タクシー会社で自社の車が事故を起こしたときに被害者の見舞いや弔問に行くのが仕事で、その時だけ重役の名刺を持たされる定年近いサラリーマンを主人公にした何ともせつない小説もあったが……多くの主人公はビビってしまうほどカッコイイのである。

 戦争文学に分類される『硫黄島に死す』を読んだことがあるが、その時にも微かな違和感というか、軋みを感じた。結城昌治の『軍旗はためく下に』や大岡昇平の戦争文学が好きで(結城昌治のこの小説についてはかなり前に紹介した)、同じような味を求めて読んだものだから、余計にそう感じたのかも知れない。

 いや、私は「カッコイイ主人公」は嫌いじゃあない。むしろ好きな方かも知れない。子供の頃はカッコイイ主人公が活躍する冒険小説をわくわくしながら読んだし、司馬遷『史記』の刺客列伝その他の主人公達や、寺山修司の芝居の主人公達も好きだ。そう言えば偏愛する高橋和巳や山田風太郎その他もろもろの作家の小説の主人公たちも、(格好良さの種類はそれぞれ少しずつ違うけど)カッコイイと言えば実にカッコイイのである。バタイユとかグラスとかの小説も登場人物もカッコイイし。漫画(劇画、というのかな)『カムイ伝』の主人公達もカッコイイよなぁ。

 ただ……私が好むカッコイイ主人公達は、考えてみればそのカッコよさは非常にあやうい。「まっすぐ」「純粋」ではないのだ。自分がやっていることが正しいのかどうかはわかんねぇさ、でもこうするしかないんだよな――という、ほろ苦さに満ちている。城山三郎の小説の主人公たちには、その屈折がない(屈折があるのがいいことかどうかは、私はわかりませんが)。

 前回冒頭部分を紹介した城山三郎の「旗」という詩を、私はどうしようもないほど好きだ。問答無用で共感している。彼のものの考え方の原点のようなものも、「うん、わかる」と思うのだ。でも――それでもなお、彼の小説に対する違和感はどうしても拭えない。

 私は以前にも書いたことがあるが、司馬遼太郎が好きではない。その司馬遼太郎の小説と一脈(ほんの一脈、だけれども)相通じる匂いを、私は嗅いでしまう。それは間違っているという意見も多いだろう。確かに司馬遼太郎と城山三郎は、思想信条の根幹が違うことは違う。だから確かに間違っているのかも知れないが、これは私の感覚だからどうしようもない。司馬遼太郎だって、兵士として戦場に生き、戦争の愚を思い知って、二度とあんな世の中にしてはいけないと思っていたことは確か……であるらしい。言論の自由に対しても確固たる立場をとっていた。それでも私は、「歴史を動かしたヒーロー」に思い入れを持つ司馬遼太郎がどうしても好きになれない。城山三郎にも、ちょっぴりそんな匂いを嗅ぐのである。

 思想は変えられる、癖は直せる。だが感覚だけはどうしようもないのである。私は佐高信がけっこう好きなのだが、彼がなぜ城山三郎をここまで評価するのか疑問なほどだ。私はやはり……『硫黄島に死す』でカッコイイ主人公を書いた城山三郎より、『軍旗はためく下に』でとことんカッコワルイ群像を描いた結城昌治の方が好きである。

 なかなか毅然とできない人間でも、否応なく毅然とせざるを得ないことがある。そんなときは、颯爽とはいかないまでも毅然とした言動を貫きたい――これは私の何よりの願いである。そうありたい、と思っている……。

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5 コメント

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歴史小説 (ましま)
2007-06-29 09:43:34
こんにちは、ましまです。
>「歴史を動かしたヒーロー」に思い入れを持つ司馬遼太郎がどうしても好きになれない。
 わたしも長い間そんな考えでいました。最近すこし変わったのは、歴史小説の「歴史」に重点をおくのか「小説」に重点をおくのかによると思います。司馬遼のばあいは前者で、原点は中国の青史と列伝でしょう。権力や歴史の流れに無関係な人物を描くなら「時代小説」のジャンルになります。
 極言すると「歴史はあくまでも権力者のためのもの、それに無関係な庶民はその添景として描かれるだけ」といってもいいと思います。
 舌足らずで何をいっているのかわからない点、おわびします。  
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歴史小説、時代小説、説教節 (なめぴょん)
2007-06-30 00:42:29
>歴史はあくまで権力者のためのもの、庶民はその添景
教科書で習う歴史はそういうものでした。最近では権力者の意に添うように庶民の姿を書き換えた教科書もあります。
私は経営学部卒ですが、教養課程にもゼミがあり、そこで「説教節」を読みました。20年ぐらい前ですが、教授が言った「最近の歴史学はむしろ英雄や権力者じゃなく、その時代の庶民が何を考え生きていたかをたどっていく、それが主流に鳴りつつある」という言葉をいまだによく覚えています。
ゼミの内容はほとんど忘れましたし、どうもその後も「主流」にななっていないようでますます後退してるんじゃないかと思いますが、20歳そこそこで身につけたその「感覚」だけは残っています。
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もうひとことだけ (ましま)
2007-07-02 14:50:22
人民が築く階級闘争の歴史、発展段階説、進歩史観いろいろありますが、ヤッパリ共産党政権のためのもの。会社史は経営者のためのもの。よく言えば権力者に「失敗しない教訓を与える」ためのもので、それがいい歴史だと思います。
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賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ (愚樵)
2007-07-07 12:41:06
長らくご無沙汰しておりました。恥をさらしにかえってまいりました。またよろしくお願いします。

華氏さんらしい文章だと思いました。司馬遼太郎と山田風太郎とを論じた華氏さんの昔の投稿を思い出しました。これはとても印象に残っています。私は華氏さんのこうした「感覚」にいつも共感を覚えるています。

思うに、「歴史」という言葉にはある種の「感覚」が付きまとっているようです。「賢者は歴史に~」という言葉はそうした「感覚」から発せられたように思うのですが、要は、「歴史は決断の記録」ということなのだろうと思います。ですから、決断する者(切り捨てる者=賢者)の教訓として捉えられるのでしょう。
決断する者は颯爽と毅然としていなければなりません。そうでなければ多くの切り捨てられる者たちの支持を得られないからです。もっと言えば、そうでなければ切り捨てられたことを忘れてくれないからです。カリスマ性を発揮できないからです。
私は司馬・城山いずれについても批評する資格など持ち合わせていない人間ですが、華氏さんのエントリーから推測するに、両氏とも「歴史に付きまとう感覚」からは自由になれなかったのではないか。そんなふうに思います。

思想信条は、自分を取り巻く世界から感覚によって切り取られた何物か(たぶん言葉)によって構築され固定化されたものといえそうです。ですから思想信条は確たる形を持ちますが、感覚はそうではない。確固たる形では捉えにくい。とても曖昧です。
けれど、確固たる思想信条よりも感覚の方がずっと影響力が強いようです。曖昧だけれど、感覚の方が思想信条よりも、もっと存在感があるように感じます。
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軍旗はためく下に (鴨の嘴2)
2007-07-14 20:25:11
その本は読んでいませんが司馬さんと城山さん
の比較はなんとなくわかります。2人ともなにかすっきりしすぎていると思える。広田広毅なんて少し、よく描き過ぎかもしれません。片や 坂本龍馬もそうかも知れません。陰影が浅いと思えるのはこちらが年を取ったせいかもしれません。
思想信条よりやっぱり感覚直感のほうが歴史を
まともに見れるかもしれないとも思っています。
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