〈集団は敵の存在によって結束する〉
組織なり集団なりの結束を固めるのに、「敵を作る」という方法がある。もう少し穏当な?方法としては「ライヴァルを作る」。学校対抗のスポーツの試合などがあると、「○○校に負けるな」と燃え、みんな結構、にわか愛校者になったりする。企業などでも幾つかチームを作って競争させると、チームごとに結束が固まり、他のチームに負けまいと「一丸となって」頑張ったりするようだ。
ライヴァルというのは普通、プラス・イメージを持つ言葉として使われるようだけれども、ライヴァル同士の関係は常に「互いに切磋琢磨するいい関係」であるとは限らない。むしろ競争意識がエスカレートして、敵愾心や憎悪が育っていくこともまれではない。あいつにだけは負けたくないと思うから、時には汚い手を使っても勝とうとする。何とかして相手の弱味を見つけ、足を引っ張ろうとする。相手の悪い噂を聞くと嬉しくなり、何かでつまずくとひそかに喜ぶ。(そんなのは「本当のライヴァルじゃない」と言われる方があるかも知れないが、本当のライヴァルとは何かといった話はここでは一応無視する)
ましてや「敵」に至っては。
突然妙なたとえになるが(私はいつもそうなのだ)、駅前に商店街があり、そこの商店主達はさまざまな問題を巡ってしょっ中もめていた。政治的な立場の違いから仲が悪いという商店主達もいたし、単に気が合わずいがみ合っている人達もいた。だが、駅前に巨大スーパーマーケット進出の計画があるという確かな情報が流れた途端に、商店主達は「突然出現した敵」に恐れおののき、「その敵と戦う」ために結束した。……こういう話はいくらでも転がっている。
〈外にも敵、中にも敵〉
自分達にとってマイナスになる存在、自分達の集団に脅威をもたらすもの、倒すべき相手。すなわち「敵」を想定すれば、その敵と戦うという目的の下で人々の仲間意識は強まり、お互いが味方であるという幻想が濃くなり、……同時に「敵」の姿は否応なく肥大し、まがまがしく飾られ、「トンデモナイ奴ら」という認識が深まっていく。ある意味で、そうやって「敵」は「放っておけば自分達の生存が脅かされる、凶悪な存在である」という幻想を持ち続け、育て続けない限り、人間は(目の前にある具体的な人間やモノ以外には)憎悪を持ち続けられないのかも知れない。
たとえばカルト教団などがこの手をよく使うことは、よく知られている。そして国家も。他の国家を敵と認定し、それらの国を「鬼畜」とか「悪の枢軸」と呼ぶ。同じ人間ではない、という認識である。
敵は「国の外」だけではない。「国の中」にも作られる。あいつらは悪い奴だよ、あいつらは人だよ、非国民だよ。だから早くつぶさなければ、みんなの生存(安心な暮らし)が脅かされるんだよ……。
近年創設された・または創設されようとしている法律と、改定されようとしている法律は、すべて「敵づくり」――「敵と向き合う地域社会作り」を目指すものだ。たとえば2003年に成立した有事法制関連3法はまさしく「外の敵」を想定したもの(戦争を想定したもの)であるし、2004年に成立した国民保護法もそれに準ずる(戦争のほかにテロも想定しているが、武力攻撃事態に対処する法律という面では同じ枠組みの中にある)。
そして内部の敵の監視――共謀罪はその最たるものだが、教育基本法改定案も根っこは同じだ(1999年成立の国旗国歌法なども同様)。踏み絵を用意し、踏まない、あるいは踏むのを躊躇する人間に「おかしい奴」「危険な奴」というレッテルを貼り、彼らに対する憎悪の気持ちをそれこそ「涵養」していく。自国の国旗や国歌に崇敬の念を持つのは当然などと言われ、そのうち祝日には日の丸掲げるのが当たり前という社会になったりすると、私はほんとに困るのですが……。
敵――排除し、倒すべき存在を作るよりも、互いに手を差し伸べ、みんなで共に歩める社会を私は作りたい。もともと「(国民の)固い結束」「一致団結」なんてうそ寒くて嫌いだが、万が一それが必要であったとしても、敵を作ることで強めたいなどとは私はさらさら思わない。
教育基本法改悪阻止にむけて教育労働者の共同闘争を!
12・8年休闘争で国会前へ!
ストライキをやったつもりで、年休とって、国会前に行こう!
連絡先「山猫クラブ」
yamaneko06@infoseek.jp
℡ 04-7164-2246
携帯 090-8947ー5578
呼びかけ人 井黒 豊(都立高校定・数学教諭)内山建三(東京・批処分者の会)河原井純子(東京「君が代」
批処分者)土屋 聡(宮城県公立小学校教員)高木 正(千葉高教東葛支部書記長)武田 康彦(千葉高教組)永井 英俊(東京・被処分者の会)根津 君子(東京・「君が代」批処分者)伏見 忠(東京・批処分者の会)吉田 晃(千葉学校労働者組合) 吉田 純一(北教祖組合員)渡辺 厚子(大泉ブラウス裁判原告)<06・11・23現在>
あっちこっちのブログに、投稿するぞ!
拙ブログの方で、北星学園の生徒さへの応援メッセージありがとうございました。取り急ぎお礼まで。
いつもひとこと余計ですね、残念ながら。
レベル、レベルって学歴偏重世代の代表みたい。
私もひとこと余計でした、ね。
ライバル、外敵、内敵の全てが手に取るように理解させてくれました。
権力が意識的に作る“敵”の思想には注意しなければなりません。場合によっては、それに乗せられて行動していることさえあります。
その確認には、常に考え、整理し、批判を受けるブログは有効です。
このブログ記事で、改めて考える機会を得ました。
『敵』は、自分自身の存在にとって絶対不可欠条件なのです。
旧ソ連では共産党が国内の敵を徹底的に排除して結果、自分自身も排除してしまいました。
現代人は寄生虫や病原菌等の敵をを徹底的に自分の周りから排除した結果、花粉症、アトピー等のアレルギーに苦しめられています。
日本はオオカミをを絶滅させた結果、鹿や猪等の野生生物の被害に苦しめられています。
レベルの低いネットウヨ等は論外ですが。程度の低い味方よりも、自分の弱点や判断ミス等を指摘してくれる良い『敵』は自分自身にとっては最良の友とも考えられます。
語っているように感じられるのですが。
現在でも北朝鮮や韓国や中国を、やたら誇大な脅威としようとか、テロは怖いとあおるのは、まさしくそうでしょう。
為政者としては、まさかまさか、国民が自分たちの敵であると、本音は云えないでしょうから。
中川某という人が、非核三原則に対する「抵抗勢力」を立ち上げようとしていますが、これは二匹目のドジョウを狙った喜劇です。まさか国民はだまされはしないと思うのですが、私の予想は最近甘いからなあ‥‥‥。
アメリカがやっていることは、まさにそれ。日本は両極から敵扱いされかねない。仮想敵国なんか作って、愛国心とか言って団結しようなんて、百年古いよね。団結して擦り寄っていくとこがアメリカじゃしょうがないでしょう。
愛国心押してるのは自民党。
おばか政策進めているのは○○学会。
反アメリカなのは左の人。
反中国は石原さん。
反朝鮮は右の人。
で、見えてきたのは三つ巴かな。
どれも敵だし、味方だし、どう繋がってるんだろ。
誰が得すんだろ、教育基本法改正で。