華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「態度を養う」怖さ――外相を整えさせられまい

2007-01-16 23:32:47 | 本の話/言葉の問題

「教育再生会議」が、中間報告において「高校の社会奉仕活動必修化明記の方針を固めた」という。昨日それに関する記事を書いたところ、時々立ち寄ってコメントを残してくださるLooperさんが、またまたおもしろいコメントを書いて下さった。

【失笑改定教育基本法の『教育の目的』は、xxな「態度を養うこと」だそうですから、連中は、ボランティア精神の養成なんかどうだっていいのでしょう。腹の中じゃーどう思おうが、ともかく従順に「立ち回り」=「態度」を示す人を作ることが「教育の目的」なんですからね。】

 そう……「態度を養う」なのだ。改定教育基本法も、そして憲法改定案も、その基本は。「心を養う」でも、「精神を養う」でもなく。

 心にくびきは填められない、心に押しつけはきかない――ということを、彼らだって知っているのだ。だが同時に、彼らは知っている。「態度」ならば押しつけがきき、そして態度を枠にはめれば、いつの間にか心もそれに流されることを。利巧ですね、ほんとに感心する。

 何でも「形から入る」ということがある。理解できようとできまいと、疑問があろうとあるまいと、ともかくまずは形を整える。真似でもいいから形を整えているうちに、自然に中身もついていく、という考え方である。茶道や華道などは、その辺を非常に重視しているとも聞く(私はどちらとも無縁なので本当かどうか保証の限りではないが、やってる人間はそう言っている)。出家したときに頭を剃って墨染めの衣を着る、なんていうのも根底にそういう発想があるのかも知れない。髪なんざ剃ろうと剃るまいとシャカの思想を我がものとして生きるのに関係ないようなものだが、形を整えれば「否が応でもその気になる」ということだろう。

 そう言えば森田療法(Morita therapy)の創始者である森田正馬も、たしか「外相整えば内相おのずから熟す」とか言っていた(手元に本を開いていないので微妙に違っているかも知れないが、基本的なところは間違っていないはずだ)。少々無理をしても形を整えれば、気分もそれに引きずられていくということらしい。知り合いの精神科医は、ポツリと言った。「そりゃ僕も、朝起きたくないな、仕事行きたくないなーと思うことありますよ。でもね、無理矢理に起きてコーヒー飲んで着替えして、とにもかくにも家を出る。気が進まないときは、そうやって形を整えないと始まらないんですよね」

 心とか精神とかを我々は確固たるもののように思い、自分の砦として信じてもいる。一面では確かにそうなのだけれども、その半面でかなり脆弱な部分があるのも事実。 いや、むろん「そうじゃない」という人もおられるだろうが、少なくとも私は自分の「心」の脆弱さをしばしば感じる。たとえば知人の葬式に行けば――私は神も仏もあるか、天国も極楽もクソクラエという不遜な人間なのだけれども――仏教の葬式であれキリスト教の葬式であれ、少し厳粛な気分が全身に満ちあふれ、一瞬ではあっても「永遠」を信じそうになったりする。棺に花を捧げながら、「さようなら」と言っている自分に気付いたりする。

 いや、そこまで極端に非日常的な話でなくたっていい。つい先頃の「正月」には郷里から母親がお出ましになって、(かなり手抜きではあるが)おせち料理を作ってくれた。そのおせち料理を詰めた重箱を開け、何となくなつかしい田舎風の雑煮を食べると、我ながら不思議ではあるけれどにわかに正月気分になってしまった。形と言えば――私は普段は社会的立場も年齢もよくわからないジーンズ姿でうろついているけれども、重要な会議だの、冠婚葬祭の時などは(恥ずかしながら世間の常識に妥協して)一張羅のスーツに身を固める。そんな時、私は逆らっているつもりで実はけっこう形を重んじている自分を発見したりする……。

 態度は態度に過ぎない。だが、「面従腹背だよ。形だけ従ったふりしてりゃいいじゃん」というのは、あまりに楽天的すぎる。「外相」はいつのまにか「内相」を支配し、変容させるのだ。少しずつ少しずつ……あたかも滴る水が岩をうがつように少しずつ、だが一歩一歩確実に。おそらく70年ほど前の日本も、そうだったのだ。「うざったいなぁ。でもまあいいか、表向きだけそのふりしてよーか」という適当な気分で形だけ合わせているうちに、次第次第に心まで浸食されたのだ。

 重ねて言う……心というのは実はとても脆弱なものである。繊細であるがゆえに脆弱なのだ、と言ってもいい。熱く燃えていても、浸食してくるものに対しては弱い。いつのまにやら手足の先から染められてしまうのだ。

 だから私は今、「態度を養」おうとする動きに渾身で抵抗する。外相を整えさせられて、たまるもンか。

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8 コメント

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その通り…では? (Chic Stone)
2007-01-22 20:46:44
とても鋭い認識だと思います。
外の行動を規制することで内面にも働きかけることもできる。
その通りでしょう。
では、今の政府に反対し、打倒して、そのとき「外側から
行動を制御し、それを通じて内面を作り変える」技法は
どうすべきでしょうか?
どのような立場からもその恐ろしい力を使わないよう、
封印すべきでしょうか?外も中も完全に自由だ、と?
人間はそのような自由に耐えられるでしょうか?
それとも社会全体が合意できる最低限の共通善については
しっかりと体から教え込むべきでしょうか?
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Unknown (華氏451度)
2007-01-20 04:21:22
皆さん、コメントありがとうございます。

Looperさん、さあ、どうでしょうか。そこまで考えていないかも知れない。でも、そこまで馬鹿じゃないのかも知れません。きっちり考えた末のことでなくても、感覚的に知っているんだな――という気が私はしています。そういうものが、実は非常に怖いです。
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ホントにそこまで考えてんのかな~? (Looper)
2007-01-19 14:53:21
どーも、改定教育基本法のレベルの低さに頭から湯気出しながら吐き出した私の駄コメントから、かくも深く掘り下げていただき、赤面しつつ深く感謝いたします。

ただ、私は素朴に、「ホントに連中はそこまで考えてたのかな~?」っていう疑問があります。

実は、形が一番大事、「態度」が一番大事と本当に思っている。それこそが教育なんだと信じてるようなレベルの連中が作ったんじゃないかと、実は疑っているんです。犬のしつけと人の教育の区別もつかないような連中がね。

今、教育再生会議でもそうですが、政府のXX委員とかで、ど素人が専門家面して偉そうにしていますが、そういう次元のど素人が作ったとしか思えない程、改定教育基本法は格調がなく、低俗で低レベルだからです。専門化がそこまで考えて作ったんなら、もう少し巧妙になってるはずと思うんですよね。

まー所詮、想像の域を出ませんけど・・・
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Unknown (ろこ)
2007-01-18 14:52:47
今ある国旗やら国歌やら政府やらを「敬う」も「敬わない」も、個人の内心の問題で、誰にも強制されるものじゃない。
それなのに、どうして「敬う」側の態度だけ、特別扱いするんだって思います。
敬わない側の態度は無視して、敬う側の態度だけを教育として認めるなんて・・・
国が任意の片方の信条を特別扱いするなんて許されないですよね。
法の下では誰もが平等ではなかったんだろうか。
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幼児にも。。。 (ゆうやけぐも)
2007-01-18 12:05:50
続けて興味深く拝読しております。
形(態度)から入っているうちに中身(心)まで変えられてしまうのは、充分有り得る事ですね。
その上、新基本法は幼児教育、家庭教育を重視しています。もちろん幼児の教育は人間の基礎を築く重要なものですが、そこに犠牲的愛国心を持ち込まれては困ります。何かおかしいとすら自覚できない子どもですから。
私は読み聞かせボランティアをしてます。いずれそこにも「課題図書」のように優しい顔で影響が及ぶのではと、ささいなことかも知れませんが危惧します。
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態度を支配すれば多くの人は隷従する (組合員A)
2007-01-18 02:27:29
信州大の菊池聡氏の著書で読んだのですが、人間は不当に低い報酬しか与えられない「苦役」を強いられると、その「苦役」に何らかの意義を強引に見出そうとするらしいです。つまり「こんなに苦しいことをさせられたのに、無報酬なんて自分が救われない。とにかくウソでもいいから意義があったことにしたい」という心理が働くのだそうです。

この手法はカルト教団のワークなどで頻繁に使われ、教祖への服従を絶対的なものにしていくのです。
かつての兵役も似たようなものだったのかも知れません。要するに自分が一方的に苦しめられたことを認めるのは許せない、ある種の自尊心を保ちたいのかも知れませんね。
糞の役にも立たない「奉仕」とやらを必修科目に入れられたら、生徒達は同じような気持ちになるのかも知れません。
そういう意味では今の日本という国家はカルトと同じです。
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Unknown (ココロ)
2007-01-17 22:07:01
こんばんは♪^^
ハードとソフト‥。箱物が大好きな政府の考えそうなことですよね。箱物を膨大につくって中身がないから大赤字。そこは人間と違って何十年たっても中身は埋まらないですが‥。(苦笑)
「態度を養う」ってのは北朝鮮とまるで一緒ですよね。今、あちらの国民も心の中では「将軍さま」がいなくなってくれればいいと思ってるんでしょうから。態度から心まで侵食されて皆が洗脳から醒めるまで、どれだけの年月かかったのでしょうか。日本も未来に「過去に浅はかな政府があった」ってわかるまでにこれから何十年かかるのでしょうか。60年周期のような気もします。60年って体験した人がいなくなる年月ですよね。悲惨な過去が無になってしまう年月が60年間なんでしょうか。
これからもよろしくお願いします!^^
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心の支配は態度から (みやっち)
2007-01-17 13:28:31
おっしゃるとおりだと私も感じております。

「態度を養う」という文言の裏に何が隠されているのか。
そこをどう伝えていくのかですね。
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