〈ああ、教育再生会議〉
昨年10月に発足した「教育再生会議」(座長・野依良治理化学研究所理事長)。安倍総理は、その初会合(だったと思う)の冒頭のスピーチで「『美しい国』を造る上での基盤は教育である」と述べたと聞く。美しい国、美しい国と、まったくもって耳にタコが出来そうだし、教育「再生」なる名称自体、背中がムズムズする。「革命」だの「改革」だの「維新」だの「再生」だのという言葉はそれだけ聞けば綺麗でワクワクするし、少なくとも何かいいことがありそうな期待を抱かせる。だが言葉は重宝なもので、なりふりかまわず「強いモン勝ち」の価値観を広めるのが改革だったり、都合の悪い考え方を一掃するのが再生だったりするから、聞く時はよっぽど注意が必要だ。
教育再生会議の場合も、ここでいう「再生」は個々の子供達、引いて言えばひとりひとりの国民を主人公にした「教育」の再生ではない。これは私の勝手な思い込みではない。教育基本法を強引に改定した安倍内閣が作った組織だから――ということもあるが、安倍総理は先のスピーチの中でこうも言っている。「(教育を再生して)志ある国民を育て、品格ある国家社会を造らねばならない」。
志? 品格? あーあ、またキレイキレイな言葉が出たよ。いや、私も「志」や「品格」は嫌いじゃあない。しかしそれらは、あくまでも個々の人間のものでしょうが。政治家が規定したり、エラソウに言ったりすることじゃあない(※)。
※7日のエントリでもそのあたりのことにちょっと触れたので、もういっぺん載せておく(自分の記事を引用するなんぞ恥の極みだが、どうせ同じことばっかりしか言えないので……)
【政治家ってのは「公僕」だろ? 国民のサーバントなんよ。いろんな価値観を持った庶民が、それぞれに暮らしやすい環境を整えるのだけが仕事でさ、それ以外にはなーんもないとおいらは思うね。国民のサーバントのくせに、妙な方向に張り切って、幻想の価値観を国民に押しつけようとするってのが根本的な間違いなのさ。】
〈「ボランティア活動」の「義務化」って、矛盾してないか〉
「公僕」が自分を「この国の支配者」と勘違いし、妙に張り切って教育をおもちゃにする。(支配者というのが言い過ぎならば、リーダーとかトップとか言ってもいい。総理大臣と呼ばれる安倍晋三氏も、自民党という組織においては確かにトップであろうが、この国のリーダーではないのだ。国の主権は国民ひとりひとりにある)
その「勘違い」の申し子である教育再生会議が、今月末までに第一次中間報告を取りまとめるそうだが、報道によるとその報告で「高校で社会奉仕活動を必修化するよう明記する方針を固めた」という。
【19日に全体会議を開いて決める。学習指導要領に盛り込むかどうかなどの実施への制度作りは、その後さらに議論する。学校での社会奉仕活動については、森内閣の教育改革国民会議が00年、小中高校で共同生活をしながら行うことなどを提唱した。しかし「憲法が禁じる苦役につながる」との指摘や受け入れ態勢の問題があり、実施は見送られてきた。ところが、安倍首相は昨年の総裁選で「公の概念が大切」と大学入学の条件にボランティア体験を義務付ける考えを示し、著書「美しい国へ」で「最初は強制でも、若者に機会を与えることに意味がある」と主張。 これをきっかけに社会奉仕活動の導入論が再浮上し、再生会議でも「奉仕の義務化が必要」(池田守男座長代理)などの意見が出て、報告に明記する方向となった。】(毎日新聞記事より)
ボランティア体験を「義務づける」って……あんたねえ……冗談にしてもタチが悪すぎる。volunteerismというのは、そもそも自由意思に基づく自発的な活動(や、その精神)であるはず(私は語学の専門家ではないので、語源的にどうこうといったことはわからない。庶民の常識?の範囲で語っているだけであるが)。義務だの指示命令などとは、最も遠い地平にあるはずでしょうが。
ボランティア体験は、実のところ既に(一部ではあれ)薄汚くなっている面がある。その有無・内容が内申書に記載されたり、企業の面接で尋ねられるという状況が生まれるようになって以来、「立ち回りの手段としてのボランティア活動」が出現してきたのだ。何らの気負いもなく、ひっそりと、「できる時に、できることを」という精神は犯されつつある。 「右手のしていることを左手に知らせるな」という諺は、死語になりつつあるらしい。
なお、具体的に何をするのかは「高校や地域の清掃、校内のトイレ掃除」といった程度の議論しかされていないそうだ。掃除、ねえ……(ため息。まさか空き缶ポイ捨て話の好きな総理におもねったわけじゃあないでしょうな)。
〈素直に号令に従う「国民」を養成〉
本来、自由意思に基づくものであるはずのボランティア活動を義務づける。その裏に透いて見えるのは、「指示命令に従う国民を養成しよう」という意図だとしか私には思えない。自由意思でモノゴトをやってもらっちゃ困るのだ。ああせい、こうせいと言われて素直に従う国民が欲しいのだ。
教育再生会議について言いたいことはたくさんあるが、続きはまたの機会に。