華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「恩」という言葉のまやかし

2007-04-23 23:55:36 | 非国民宣言(反愛国心・反靖国など)

 ごくたまに、古いエントリに対するコメントが入ることがある。何か月も前の記事をわざわざ読んでもらって有り難い――と言いたいところだが、たいていは非難的コメントというところがおもしろいと言うか何と言うか(いや、むろん批判は大いにして欲しいし、場合によっては非難もいいのだけれども、議論の余地無し的なものはちょっと)。

 昨年8月15日付けのエントリ(小泉首相の靖国参拝に関するエントリ)に、次のようなコメントが入っていた。コメントのタイトルは「恩知らず」。

【日本人として、当たり前の事です。 後世の為に命を落とされた英霊に、感謝する。 なんだかんだ理屈をくっつけて、これが出来ない日本人は単なる恩知らずです。自分が自分だけで生きていると錯覚している、たんなる思い上がりです。】

◇◇◇◇◇◇

 正直なところ目が点になったような気分である。まず、そのエントリの中の一部を再掲する。これは上記のコメントに対する私の答えでもある。

【靖国神社は(行かれたことのある方はおわかりと思うが)ひとことで言えば「国のために命を捧げた人達(英霊)」を祀る神社である。国のために命を捧げて何が悪いか、という人もいるだろう。私はそういう考え方を一方的に否定しようとは思わないが、しかし第二次大戦の戦死者の人達の多くは、「国に殺された」のだと私は思っている。いやいや徴兵された人達もいる。勇んで戦場に行った人達の中にも、「それが正しい」といわば洗脳された結果であったりもした。無理矢理に命を捧げさせられ、それを美化されれば、むしろ彼らの魂は浮かばれまい。】

【私達は、「靖国神社」という「特殊な思想(注)に支えられた組織」のありようを認め、その思想でもって戦死者達が祀られていることを是とする人物を首相にしてるのだと、あらためて肝に銘ずるべきなのだ。「8月15日の参拝」は、あの日葬られた亡霊を「実は間違ってなかったんだよ」と囁く、靖国神社の思想への賛同表明であると私は思う。】(注=東京裁判を否定し、あの戦争は間違っていなかったのだという視点に立つ思想)

◇◇◇◇◇◇

 私は戦死した人達をバカにしたり貶める気はないし、個々の兵士をひとりひとり人間として否定する気もない。冥福を祈りたいとも思う。彼らは戦場に引っ張り出され、国に殺されたのだ。哀惜の念を持つのはいわば当然のことなのだが、だからといって美化してはいけない。

 死者に鞭打つなという言葉がある。死んだ人の悪口は言わない、という習慣めいたものもある。内心「早く死ね」と思っていた相手でも、死ねば「惜しい人を亡くしました」的な言葉で弔う。それが死者への礼儀だと思われているようだ。そういう習慣との絡みで、「戦死した人のことを、無駄死にと言っちゃいけない」と思われているのかも知れない。だが、それが本当に死者への礼儀だろうか。

 親兄弟や先祖がやったことでも、尊敬する人や親しい友人がやったことでも、過ちは過ち、である。身内だから、親しい人間だからといって隠したりごまかしたりして、あまつさえ「正しいことだった」とねじ曲げるのはかえって礼に反する。過ちや愚行がなされればそれを認め、繰り返さないようにするのが真の意味の「恩返し」ではあるまいか。

 いわゆる「英霊」は、感謝されたいと思っているだろうか。第二次大戦で命を落としたのはむろん兵士達だけではない。空襲で亡くなった人、原爆投下によって亡くなった人達。集団自決に追い込まれた、沖縄や満州開拓団の人達……等々、彼らは感謝されたいと思っているかと考えれば答えは明らかだ。兵士とその他の人達は違うって? 基本的には違いませんよ。戦場で「敵」を殺したかどうかなどの点はもちろん違うけれども、どちらも――何度も言うが、国によって、無くさなくてもいい命を無くさせられたのだ。私達が彼らに言う言葉は、「(死んでくれて)ありがとう」ではなく、「(死なせて)申し訳ありません。二度とこんなことが起こらないよう努力します」であるはずだ。

 

「息苦しい社会はイヤだ」というブロガーの輪、Under the Sun に参加しています。

 戸倉多香子さんを応援しています。(戸倉さんには申し訳ないが、民主党は支持していません。ただしもう少し何とかしろという意味を込めて、貴女を応援します)

 

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12 コメント

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言うべきは (あくつ真矢)
2007-04-24 12:38:23
例えば昭和20年に20歳で戦死した人は、もし今生きていたら82歳ですね。その母親は100歳以上になっています。
だいぶ前には、お国のために死んでいった息子のために、靖国をお参りした高齢の母親がいました。でも、今はそのように身内のために参拝する方は少ないでしょう。
議員さんたちが参拝するのは、なんだか、政治利用のパフォーマンスに見えます。「俺はちゃんと参拝してるぞ」っていう逆踏み絵?みたいです。つまり、「俺は男だ」ってことを何処かにアピールしていたり・・。実は教育現場の日の丸・君が代と同じように「強制」させられていたりして・・。
若い人たちが靖国を訪れるのは新宿アルタ前、お台場感覚?ならいいのですけれど、本気で「君のために・・・」なんていう人が増えているとしたら、ちょっと怖い。かなり怖い。

>「・・・二度とこんなことが起こらないよう努力します」であるはずだ。

華氏さんのおっしゃるとおりですね。
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ほぼ同感です。 (dr.stonefly)
2007-04-24 12:40:53
どっかで聞きかじってきような、同じような文言の、全く思索も想像もない子どものようなコメントを見るたびに暗い気持ちにさせられますね。
しかも、はずかしげもなく、コメントしてしまう。このコメンテーターに哀れさを感じずにいられません。
華氏さんの解りやすい説明も、解らないだろうなぁ。悲しいなぁ。あっ、ごめんなさい。
ほぼ同感を書いたのは、ワタシはやはり「国のために命を捧げる」ことを完全に否定したいということですね。(おおヘタレらしくもない物言い、…爆)
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Unknown (クルト)
2007-04-24 18:49:40
集団自決に追い込まれた、沖縄や満州開拓団の人達
空襲で亡くなった人、原爆投下によって亡くなった人達<これらはすべて敵軍による攻撃の被害者ですが?
すべて日本のせいにするのはどうかと思います。
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Unknown (華氏451度)
2007-04-24 19:48:53
あくつさん;
議員さん達の参拝は、「国」を強調するためのパフォーマンスですよね、おそらく。若い人達の場合は……どうなのでしょう。ただ、悲惨さを知らないからこそ(いえ、むろん私も直接には知りませんけれども)何となくカッコイイように憧れているという面はあると思います。カッコイイなんてものじゃない、ということを明確に伝えていく義務があります。

dr.stoneflyさん;
私も自分自身としては「国のために命を捧げる」なんて、まっぴら。誰にもそんなことはして欲しくないですね。ただ何つうのか、「どうしても国のために死にたいのじゃあ」という人がいたら、それはもう御勝手にと言うほかないかな。ただしワタシを巻き込まんといてネ、と(おお、これぞヘタレの真骨頂)。

クルトさん;
戦場で死んだ人も、「敵に殺された」ケースが多いわけで。そういう、国民が失うような事態を作りだした、という意味で「国の責任」と言っているのです。
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横から失礼します (諾替斯)
2007-04-24 23:36:25
初めまして。
どうにも分からないことがあります。お教えいただければ幸いです。
華氏451度様は、国民が失われた事態の責任は国家にあると主張なさっていますが、それならアメリカや中国などの敵国がその国民を失ったのも彼らの責任であって、日本には責任が無いとの考え方なのでしょうか。
とすると、日本国はこれまで不当に謝罪させられてきた、ということなのでしょうか。
ならば、A級戦犯は国内では有罪である可能性があるが、少なくとも対外的には無罪であるとする東京裁判否定論者の論理が成り立ってしまいます。各国の被害の責任についてはその当事国政府が負うという華氏451度様の理論に基づきますと。
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死の美化をエサにする吸血鬼 (luxemburg)
2007-04-25 00:13:45
日の丸君が代も広島の校長先生の自殺でした。いじめ自殺でも、それまで無策で来たくせに加害者への徹底的な報復(特にマスコミによる)が始まってしまいます。そうなるとむしろ虐められている子供は「死ねば報復できる、死ななければできない」という観念を持つのではないかと指摘されてきました。そのことはむしろ次の死者を生み出します。
 国家が死を強制しておきながら、その美化を利用して自らの愚を正当化する。これもまた死者を生み出すことでしょう。彼らの死は、美しい死ではなく残虐な殺人でした。それを見据え、彼らを残虐に殺したのは誰なのかということと向き合うことによってこそ、彼らへの恩返しが可能です。彼らが望んでやまなかった生を我々とその子孫にもたらすことが最大の供養だとおもいますね。
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有難うございました (あくつ真矢)
2007-04-25 01:02:34
dr.stoneflyさんへ
「このコメンテーター」とは私のことですか。
そろそろ引き時と思っていたところで、政治ブログからもネットからも引退しますので、たぶん、もう暗い気持ちにはならずにすむと思いますよ。
華氏さんへ
コメント欄を掲示板代わりに利用するという悪徳コメンテーターを大目に見てくださった華氏さんには本当に感謝しております。
先週、どうしても鶴ヶ城の桜を見たくて会津若松に日帰りで行ってきました。浅草から鬼怒川温泉経由で行くと往復6900円で行けるのです。
大勢の人々が散策する中で、平和な世の中に生きていることを改めて幸せに思いました。140年前にここで起こったことなどきっといつかは忘れられてしまうのでしょう。60数年前のことですら忘れられようとしているのですから。
時間があったので、お城の周りを歩いてみました。なんと、江戸時代のものと思われるお墓がひっくり返された状態でそのまま放置されているのです。これはもう・・・この国の人たちの・・ダメだこりゃ・・と思いながらも、やはり会津戦争は本当にあったことだったのだと確信しました。
それでは。
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Unknown (華氏451度)
2007-04-25 01:11:55
あくつさん;
stoneflyさんが言われた「コメンテーター」というのは、あくつさんのことではありません。「恩知らず」というコメントを入れた人を指しているはずです。私がそのコメントに不快感を表したことに「ほぼ同感」してくださったわけですから。
よろしければこれからも遊びに来てください。コメントに返事できないことも多いのですが、いろいろ考える材料をいただいて嬉しく思っています。
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厭な予感が (dr.stonefly)
2007-04-25 09:04:33
あくつ様、誤解をあたえて申し訳ありません。コメンテーターは記事中の華氏さんの過去のエントリーにコメントした方のことです。
実は厭な予感がしたんですよ。
コメントの投稿時間を見て下さい。ワタシが最初の投稿者だと思っていました。コメントを書いて実際に投稿すると、あくつ様のコメントがあり、まさか勘違いされることがあっては、とは思ったのですが……、すみません、追記すればよかった。反省しております。誤解されるようなコメントに追記を入れなかったのはワタシの不徳です。本当に申し訳ありませんでした。
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Unknown (あくつ真矢)
2007-04-25 10:53:20
まあ・・・赤面です。
それでは、また。
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