まいにちまいにち

お母さんの毎日は いつも同じようで、
少しの素敵がチラリ。

読んでいる本

2011-06-29 | 本を読んで

古書店にて。

子供達と元夫と。
長女は マンガを立ち読み。 “座り読みはご遠慮ください”って書いてあったから、
立ち読みはいいんだと。
長男は カードをひたすら見て回る。 途中「お母さんっ!お母さんっ!」て呼びに
来るときは、すっごい高額カードを見つけたとき。 すごいね、5000円もするんだ・・・。
私は 古書は100円と決めているので、「おっ!」と思った おーなり由子さんの本を
一冊と、すでに読んだことはあるけれど、手元に欲しい梨木さんの本を一冊。 
「西の魔女」を。
元夫と書棚を見ていると 発見したのは いしいしんじさん。
以前 読もうと思ったけど、途中で返却期限になり読みきれなかった話しをすると、
「いしいしんじは面白いよ」 と この本を手に取った。
「これ、たぶん、荒井良二さんの絵だね」 と言うと、
「じゃぁ、俺が買ってあげる。100円だし(笑)」
元夫は 実際以上に(?) 私が荒井良二さんに恋焦がれていると思っているようで、
荒井良二さんの雑誌や表紙になっている本を見つけると、得意げに買ってきてくれる
ことがある(笑)
いえ、好きですけど、ね。

いま 読んでいる本。『ぶらんこ乗り』 いしいしんじ

本は、手にしたときの シチュエーションも 大事。




本と過ごすこと

2010-10-08 | 本を読んで

図書館のつどい。  落合恵子さんの記念講演を拝聴。
落合恵子さんといえば、私の中では、クレヨンハウスの落合さんではなく、活動家の落合さん。
強い女性の代表とでも言うべきか・・・。
父親の顔を知らずに生まれてきたご自身と、彼女を育てた母親との生活の中で
弱い立場、労働階級の人々の声を響かせるような日々を送ってこられたのだろうなー。
詩人・石垣りんさんを初めて取材したときのこと。
また、平和を願う 強い強い気持ち。  たくさんの心に響くお話を聞くことが出来ました。
20代ちらほら・・・ 30代ぱらぱら・・・ 40代、50代・・・80代までいらっしゃった会場は
落合さんの流した音楽とその訳詩に、目頭を押さえる人が多く見られました。
当日の会場では、たくさんたくさんの思いを共有できたのだと思います。


午後の分科会では、素敵な本をご紹介いただきました。
 『ぼくのブック・ウーマン』
今から80年ほど前のアメリカ。 その国は不景気の只中でしたが、政治家たちは「子どもたちに
本を読ませたい」と願っていました。 そして、実行していました。
学校も、図書館も、書店もない場所に住んでいる子どもたちには、定期的に本が届けられました。
舗装が完備されていなかったのですが、どんなに寒い日でも、雪の深い日でも、馬にまたがった
女性たちが、少ない賃金にもかかわらず、おそらく大きな意義を感じて職務を果たしていました。
今、私たちの国の政治家たちは、こういうことを言ってくれるでしょうか?

 『トマスと図書館のおねえさん』
トマスの両親は、アメリカ国内を移動しながら、農家の手伝いで生計をたてている家族です。
トマスは、学校に通うことが出来ません。 ある知らない町で、図書館のおねえさんにであいます。
中に入れずに躊躇していたトマスに 「中に入って、お水を飲みなさい」と声を掛けてくれたのです。
このお話は、カリフォルニア大学学長の幼い日の思い出を描いたものです。


本を読めば素晴しい大人になるとは限りません。
それでも、本の素晴しさを知っている大人である私が、子どもたちの未来のために、たったひとりの
子どもの背中を押してあげること。その環境を守ろうとするために、1歩踏み出すこと。
未来のためにも、今、平和でなければならないと、きちんと声に出すこと。
大義名分を声高に叫ばなくてもいいのです。ただ、自分のやれることを誠実にやり続けることがで
きれば、きっと誰かの何かの役に立つにちがいないと、大げさですが 頷くことのできた一日でした。
そして あ~・・・ 私はこういう人になりたいと、憧れを抱いた日でもありました。


マルカの長い旅

2010-09-06 | 本を読んで
『マルカの長い旅』 ミリヤム・プレスラー/著  松永美穂/訳

マーガレットさんのご紹介(*)で知り、読んでみました。
重く長い旅でした。
本書の中で幼い少女だったマルカ自身は、今もまだ、長い旅の途中なのかもしれません。

第二次世界大戦中、ドイツの認定医として働いていたハンナ・マイ。 危険を察知するのが遅れたため
なのか、二人の娘を連れての逃亡は過酷なものでした。
姉のミンナ・マイは、もうすぐ大人の17歳。 マルカ・マイは、まだたったの7歳。
ユダヤ人狩から逃れるための逃亡中、ある事情からマルカを残し、ハンナとミンナだけで道を進むことに
なります。もちろん、マルカを委ねた人が、あとから列車でマルカを連れてきてくれると約束を交わしたか
らです。それが、その時点での最善の策だと、ハンナも思い、心引き裂かれる思いでマルカを残したので
す。しかし、過酷な運命は、家族を引き離し、マルカはたったひとりで生き抜かなければならなくなりまし
た。また、母親であるハンナも、娘を置き去りにしたことを悔やみ、娘を取り戻すために死力を尽くします。
まさか、こんなラストだとは思わず、読後に目を伏せる思いでしたが、この悲惨なラストだからこそ、この
話が嘘偽りでないことを語ってくれているようにも思えます。戦争をきれいごとに済ますことなんて、ちっと
もできない。こんな希望の持てない時代があったこと、こんな悲惨さが日常だったこと、悲しくて恐ろしく
てたまりません。

このお話は実在の人物・マルカに聞いた話をもとに、作者が書いたものです。
本書を読み進む中で、母としてのハンナが瞬時に決断を下さなければならない状況がたくさんでてきま
す。そのときの、ハンナの心の動きは人事ではありません。
戦争なんて大きなことと同様に考えることは出来ないけれど、私自身も二人の子どもをひとりで育てる
ことになってから、一番変わったことは、自分で判断を下すようになったこと、だから。
小さなことですが、子どもの習い事のこと、塾をどうするか、何をいつ買うのか・・・ そういう日々のひとつ
ひとつのことに、自分だけが責任を持たなければならず、「本当にこれでいいのか?」の自問自答から
逃れることは出来ません。 自分の考えひとつで、ひとつの人格である娘・息子の未来を左右しかねな
いなんて、やはり重いのです。 ただ、今では自分が考えたことには自分で責任を持とう、間違っていて
も、これが私のやり方なのだから、私の家庭の決まりなのだから、そう信じ込んでいます。
が、時代が違って、これがハンナの立場だったら・・・と思うと恐いのです。


今日は 小学校のよみきかせの会の準備を兼ねて、練習会を行いました。
そのときに 次の本を読んだ人がいました。『おとうさんのちず』  ユリ・シュルビッツ
戦争で食料が少なくなったときに、パンを買いに行ったお父さんが、パンではなく地図を買って来た。
地図は自分をどこの国にも連れて行ってくれる、パンじゃなくて、地図を買ってくれてよかった という
内容なのですが、ポーランド出身の作者のことを考えると、この少年がパンを買えないまま夢の中で
旅をし、ずっとずっと夢の中のままだった気がして、勝手にとても重い気持ちになってしまったのでした。



中学生の課題図書

2010-06-24 | 本を読んで

娘と一緒に読もうと思って 中学生の課題図書を2冊借りてきてみました。

が、今日からセンパイの最後の試合なので、それどころではなく、母が一気読みする羽目に(苦笑)

 『明日につづくリズム』 八束澄子/作

ポルノグラフィティの「因島凱旋コンサート」を、テレビで偶然見た作者が、そのときの<感動>を元に
綴った青春物語。
<島>に住む中学生の恵と千波。そろそろ高校受験のことを考える時期なのだが、島には選択肢が
ないのだ。島には高校がひとつしかない。唯一ある高校に進学するのか、あるいは、島を出て本土の
高校に進むかは、大きな大きな分かれ目になる。 「島を出たい」という漠然とした気持ちはあっても
夢と現実のあいだで揺れ動く少女たち。同郷の、大好きなポルノグラフィティの歌に、その時々の気持
ちを重ねながら、励まされ、慰められ、背中を押され、自分を取り巻く様々なことに思いを馳せながら、
少しずつ大人に近づいていく。

最初は、「こういうこと(好きな歌に自分を重ねること)あるよね~」と思いながらも、課題図書として取り
上げるには少々軽い気がしていた。「きっと作者は相当なポルノファンなんだろうなぁ」とか思いながら。
でも次第に、少女たちのちょっと閉鎖的な環境のことや、そこから飛び立ちたいと願う気持ちが、何度
もうなずくくらいにすぅっと入り込んできた

私の母の実家は、奄美大島。因島より、きっと、もっと閉鎖的であろうと思われる。なにせ、陸がつな
がっていない。奄美の従兄姉たちは、高校こそ地元に通っても、その後まず地元に残る人はいない。
近くても鹿児島、多くは大阪・東京に<島を出て>行く。のんびりした環境の反面、やはり仕事がない
のだ。・・・島国の若者の悩み、よくわかる。 
それでも、島に戻る人が多いのも事実で・・・ これも、この本の中に描かれることに似ている。
「因島凱旋コンサート」を実際に行ったポルノが語ったこと。「島がどんなにすてきなところか。帰りには
かならず、市民会館の丘の上から夕日に映える海を見てくれ。東京で暮らすわしらがこの景色を思う
ことで、どんなにすくわれたことか。」 家族を愛し、島を愛し、島の人間であることに誇りを持て・・・
ポルノからの若い人たちへのエールは、恵や千波と同じように、因島の子どもたちに、大きな大きな
希望と勇気を抱かせたに違いない。
自分の境遇、住んでいる場所、家庭環境・・・ 子どもたちが自分自身ではどうすることもできない枠組
みはあっても、自分に愛情を注いでくれる周囲を見渡し、勇気と誇りを持ち続けようという明るい気持ち
になれるのではないかな? と嬉しくなった。


小さな人のものがたり

2010-04-27 | 本を読んで

『引き出しの中の家』  朽木 祥/著

最近 なかなか読書に時間が取れないでいたのだけれど 読み始めたら止まらなくなってしまった。
手にする本が どれもとても好きになってしまう朽木さんの児童書。
“花明かり” と呼ばれる小さな人が出てくるのです。 小さな人が出てくるだけでも心躍るのに、
ほんとに深く優しくて、読後には心の中に花明かりが滑り込んだみたいに清清しい。

七重ちゃんは おもちゃ箱の引き出しのひとつを ビニール製のウサギのピョンちゃんのおうちにして、
まめまめしく手を掛けていた。小さなピョンちゃんぴったりの、台所・お風呂・寝るところ・居間・・・。
四つにしきられた引き出しの中は さらに小さな小物も置かれているのだから、ウキウキせずにはいられない。
クリップで作ったハンガーにかけられた小さなワンピースは、七重が母親と作ったもの。青い花模様の
小さなコーヒーカップは、母親が子供の頃に作ったもの。七重の母親は 手先がとても器用な人だった。
七重が紙粘土で作った猫足のバスタブを、今にも走り出しそうな楽しいお風呂と褒めてくれたのは母親で
不出来さにちょっとがっかりしていた七重を、それはそれは嬉しい気分にさせてくれた。
その母親が早くに亡くなってしまい、次にやってきたママは、これまで大事にしてきた和風の猫を、この
家に合わないからと七重の母親の実家に返してしまう。七重はいやだったのに。そして 結局・・・
ママは七重のことも要らなくなってしまった。
七重は 母親の祖父母の家で暮らすようになり、明るさを取り戻す・・・。

この実家がフランク・ロイド・ライト様式の家だということも、素敵で仕方ないわたし。そして 文中では
メアリー・ノートンの小人のお話のことにも触れられていて 登場人物と会話したくなる・・・そんな気分。
ただ、表紙の折り返し部分の 「花明かりにふさわしい大きさのものを仕立てれば、花明かりは、きっと、
やってくる」 という素敵な文章が ときどき心に引っかかってしかたなかったです。
というのも、なんだかお話の本筋からずれてしまって 簡単にいうと「健全な体に健全な心が宿る」という
聞きなれた言葉が 私の心をちくりちくりと刺すからなのです。
なんだか 最近の娘は 私に叱られてばかりで 私の叱り方もなんだかひどくって 「こんな叱り方は
いけません」というテキストに載っていそうな言い方で。愛情のかけらも感じられないって 自分で思います。
娘は息子の予定に付き合わされることが多く、食事だって遅くまで待っても文句ひとついいません。
でも、なんだか言われたことをやっていないとかの細かいことが、とてもだらしなく感じて、そのことを
指摘することが多くなってしまったのですよね、最近。 こんな掃除も行き届いていない、バタバタと
忙しそうにしている母親が幅を利かせているような場所で、思春期の娘の健全な心が育まれることなんて
ありえないはずだわ・・・  と ひとり悲しくなってしまいました。 脳だってだまされるんだから、嘘でも
笑おう!なんて調子のいいこと言うことだってあるくせに。
あー。。。途中で光る美しい言葉に目が留まる度に、取り返しがつかなくなるまえに、私が変わるときだなー
って、ほんとにほんとに思ったのです。
なので、このお話に出てくる人たちが もうほんとうに美しくて優しくて 両手でふんわり包みたい気分に
なってしまったのでした。


娘の読書記録(*)に入れてもらえるよう 小さく表紙を印刷して 貸し出し期間の残っているこの本を
娘に渡しました。娘は今「告白」を読んでいるので 「どちらがどうとか優劣の問題じゃなくって、なんだか
心洗われる感じがするかも・・・」と渡しました。

 

 


2009-09-17 | 本を読んで
      『木』 佐藤忠良/画  木島 始/文

つい先日 初めて手にした この本を 、 私は とても好きだと思いました。
図書館で 探してもらっているとき 「あの・・・黄色の 地味な本・・・」 とつぶやかれていました。
そう、黄色の表紙に 中は 鉛筆デッサンの「木」ばかりなので 仰るとおり 地味なのです。
でも、そのデッサンの素晴しさ と どっしりとした迫力が その大木の根を思わせ、
あぁ、いいって こういうことだなーって 漠然と感じてしまうのです。

最初と 最後のページに 写真が用いられています。


最初のページを見て 娘が 「うんまっ!」って叫びました。 失礼・・・うまい!ってことです。
そして 最後のページ。

どう考えても この男性は 木を描かれた 佐藤忠良さんに違いありません。
でも、そう記されているわけでもなく いくつになっても知りたがり屋の私は もちろん福音館編集部へ
お電話させていただきました。
電話口の方が 「こちらでどうぞ」 と聞いてくださり 私の質問に 間をおいて確認をとってから 
丁寧に ご返答くださいました。 「はい、お写真の方は 佐藤さんご本人です」と。
もうひとつ 伺ったことにも 即答くださいました。
90歳を超えた今も ご存命であるということ です。  本に ますますの「力」を感じます。

15年の年月をかけて 佐藤忠良さんが 彫刻の合間合間に 同じ木のデッサンを続けられたこと、
その絵に 絵本・ピーターシリーズの訳等をされる詩人の木島始さん()が 文章をつけられたこと、
いろんなことを知るうちに さらにさらに 一冊の絵本に深みが増してくるようです。

お恥ずかしい話ですが、佐藤忠良さんが 彫刻家だと知ったのは このときです。
しかも 戦後の日本彫刻を 舟越保武氏とともに牽引してこられた方なのだと。
昨年までは 名前すら存じ上げなかった舟越保武さんですが、そのお子様にあたる、すえもりブックス
代表の末盛千枝子さんの講演会をおききしたことで、少しだけ 歴史の糸が つながった思いです。

次回のよみきかせの担当クラスは 6年生です。
この本を ぜひ読んでみたいと思っています。 木の素晴しい生命力、感じてくれるかな?

 「この本、見たことあるでしょ?」と
うちにある 懐かしい佐藤忠良さんの作品も 一緒にもって行くつもりです。


この世でいちばん大事な「カネ」の話

2009-03-19 | 本を読んで
 『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 西原理恵子/著

大事なのは 知ってるつもりでそんなに知らないことを 知ってる感じにしないこと。
『いのちの食べかた』でも思ったこと。すごい、「よりみちパン!セ」 面白い!
お金が大事だってことは知っていても これは お金を大事に使いましょうという話ではない。
お金がバロメーターになってるけど、それ故にわかりやすい西原さんの生きてきた道なんだ。

なんだか、すっきりした。
タフに生きよう! って、そう思える。 私、大丈夫って、そう思える。


ちょっと話は反れるけれど、ちょっとお金の話。

昨日のニュースで教師の心無い言葉を見た。(詳しく読まなかったので、詳細違っていたらごめんなさい)
母子家庭で就学援助を受けている家庭の子が、給食をお代わりしたら 「家で食べられなかった
のか?」とかなんとか そんな言葉をかけられたという。
知ってるつもりだけれど なんとなくしか知らない人のためにご説明すると、就学援助を受けると、
給食費は(私の市の場合は)全額市から支給される。(それを他に使い込んじゃう人がいるってい
うんだから困っちゃうんだけれど・・・。)
で、給食費以外にも 校外学習費とか学用品費とか、規定内の補助が受けられる。(僅かだよ・・)
我が家は 母子家庭で 就学援助を受けている。給食費は全額負担して頂ける。
このことは 子供たちにもきちんと話をしている。もしも、何か、心無いことを言う人と遭遇したときに
卑屈にならないように という考えもある。それに、このお金を支給してもらうとき、学校まで印鑑持
って行くんですよね(うちの場合は)。で、未払いの人はその分差し引かれるという仕組み。
(たぶん口座振込みとかもあるけど、もともと持っていない金融機関指定だったので振り込みの手続きはしていないので)
「お母さん、今日職員室に来たでしょ?どうしたの?」 「・・・いや、ちょっと・・・」なんていう会話は
したくないからね、ちゃんと説明してる。
援助を受けることは恥ずかしいことではないよ。でも、やってもらって当たり前って思うことは間違い
で、感謝してありがたく使わせてもらうのだと。
私の考えは たぶん 間違っていないと思ってる。 どうかな? 
いや、母親がもっと稼げばいいんだよ、という説もあるが・・・(苦笑)。

この本、6年生の娘には ちょっと読ませたくない描写がないわけでもない。少し迷ってる。
でも、本人が「次、読ませて」と言ってきたので・・・読ませてみようかな?って気がしてる。
お金ってなくちゃ生きられないけれど、お金って怖いんだ。お金って、すごいんだ。
お金稼ぎにばかり目を奪われてはいけないけれど、生きて仕事をすることの大事さが、すごくよく
わかってもらえる気がするのだ。
私の父は、「死ぬまで勉強」「人間は死ぬまで仕事をしなくちゃいかん」と言う人で、70過ぎても
ちっとも休むことはない。昔はものすごーく貧乏だった我が家。でも、両親が質素に堅実に生活し
勤勉だった結果、今の財産を築いてると思う。が、昔も今も、やはり暮らし振りは変わらない。
お花が、じーじがあんなにお金を持っていても どうしてこういうふうに暮らしているのか、そういう
ことを感じてくれるかもしれない。たぶん 気付いてはいるけれど そこんとこをもっとわかってくれ
る気がする。 
そして アジアのほかの貧しい国々の子供たちのことを感じてほしい。比較して自分は日本人で
よかった~!とか、幸せだとかそんなことではない。今を、自分を大事にすることに及んでくれたら
嬉しいと思う。

アレックス・シアラー * 追記しました。

2009-03-17 | 本を読んで

  ちょうど1ヶ月ほど前に この本を読みました。 アレックス・シアラー作品
それ以来 はまりにはまってしまい ・・・

    と続いています。
一緒に読み始めた娘のペースは すごくて  他にも
     とうにこれらを読了し

今は この本を 読んでいるようです。

どちらかが読んだ本を どちらかがあとで読む ということになるので
娘の読んだ本を 「どんなだった?」と聞くことが多くあります。
内容がわかってしまっても面白くないので ものすごく感覚的な話なのですが
最初に読んだ2冊を ものさし代わりにしています。
  ←こっち系? それとも こっち系?→  
『透明人間』っぽいかな?でも、少し下。 とか 『13ヶ月』系、でもやっぱり『13ヶ月』。とか

『透明人間のくつ下』は、愉快爽快わくわくと 楽しく読めるものでした。(*
『13ヶ月と13週と13日と満月の夜』は、ドキドキ怖くもなりながら・・・(*
次に読んだ『チョコレートアンダーグラウンド』は、見覚えのある表紙でした。
以前、図書館から借りてきたものの、その厚さにひるんでしまいちっとも読まないまま
返却時期を迎えたのでした。 ヘヘヘ
よくよく見ると、文字の色もチョコレート色なーんか、いいじゃない?

「健全健康党が政権をとると、チョコレート禁止法が出され、国民は自由とチョコレートを奪われる」
強い権力に戦いを挑み、自由を取り戻すことを考えた少年たちのストーリー。
読み始めると、ドキドキ・・・。ハラハラ・・・。
お花なんて、「あの人、いい人だよね~」 「あの子はさぁ、もう少し気をつければいいのに・・・」と、
登場人物が現実化してしまい 心底感心したりイライラしたりしている様子。 
一番愉快だったのは、「健全健康党」の定めたお別れの挨拶が 我が家に浸透したということ。
さようなら や バイバイ や いってらっしゃい や おやすみ の代わりにこういうのですよ。
「リンゴさくさく気分を!」 「ジューシーオレンジ気分をどうぞ!」 「どうぞバナナを!」

そして昨日読み終えたのは 『ミッシング~森にきえたジョナ』

まだ娘は読んでないので 前情報がなかったのですが・・・読みながら
「お母さん、これ好きかも・・・ こんな感じ、なんか好きなんだけど・・・」とブツブツブツブツ・・・
核心に迫ってから(事件の解決に向かってから?)は 心が動かされる展開になるのですが
なんだか、私、そうなる前の「大切な友人を失ったジョー」の物事の捉え方とかその心の動きとか
それから その事件の発端の ジョナの消え方とか・・・そんなものが ものすごく好きでした。
無くしたものを見つけるというはっきりしたことではなく、消えたものに近づくには同じように消える
しかない、すべてを失うことを覚悟して・・・という感覚的な表現が しっくり私に入ってくる。
同じ感覚で 同じ目線で 物事を見ることができる安心感。
これまた最後は(核心?)目の離せない展開で、一気に読み終えました。

これらのほとんどを訳されたのは 金原瑞人さんで、
この方はどんなペースでお仕事をなさっておられるのか不思議なほどですが
この方の訳書は、YA分野で 数多く見ることができます。
金原さんの「訳者あとがき」に あさのあつこさんの言葉が載っていました。
子供たちの本に書いてはいけないのは 暴力や性描写や死ではなく 絶望感である、と。
(次回、正確に記します)

 *  *    追記  * *「ミッシング」のあとがきに金原さんが引用された あさのあつこさんの言葉

 これは一般書でもそうかもしれませんが、私は児童書においてただ一つタブーがあるとしたら、そ
れは性的表現とか、殺人などといったことではなく、絶望だろうなと思うのです。人生ってこんなも
のだとか、死んで終わりだとか、破滅して終わりだとか、それだけは語りたくない。ありきたりな希
望ではなくて、ほんとうにささやかであっても、やはり若い方たちがこれから生きて行く価値のある
未来があるんじゃないかみたいなことを語りたい。(「読書のいずみ」全国大学生活協同組合連合会)



そのことに うんうんとうなずきました。 
娘が(そして私が)楽しく安心して心を動かすことのできる作品と これからもたくさん出会えますように!
シアラー作品も まだまだ続きが待っています


今年最初の本

2009-01-07 | 本を読んで
『たいせつなこと』
                                              マーガレット・ワイズ・ブラウン/著  うちだややこ/訳

今年 一番最初に手にとったのは 意図せず この本になりました。

大晦日、初めて新年まで起きている娘と共に 久しぶりに紅白を見ていました。
その審査員席にいた もっくん。
伊衛門茶のCMの話をしてみたり、でも「スシくいねぇ」の話をしてみたり・・・
お姑さんの説明もしたくて フジカラーのCMの話をしてみたり・・・
お舅さんの「ロックンローラー」な話にまで及びました。
それでも足りず・・・
そのいい男さんの 素敵に年を重ねた(と独断で思っている)ことを娘に伝えたくて
結局とりだしたのが もっくんの奥様が翻訳された この本だったのです。

早朝の初詣を終え、帰宅しても部屋に残されていたこの本が
必然的に  今年初めて手にした本となりました。
もうひとつ言うならば 昨年一番最後に手にした本も この本なのですね。(今、気付きました)

「たいせつなこと」 それはきっと 私が私自身であることで あなたがあなたであること。
そして あなたがあなたでいられるように 親の私が寄り添うこと。

ただ、もうひとつ、今年はとくに 忘れないでいたいこと。
自分の足で立っていても それは 自分の力だけでは成り立たないということ。
「感謝」「おかげさまで」
その気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。


そんな矢先 昨日のことになりますが 勤務中に 友人からの電話が入りました。
葉っぱと一番仲良しの子のお母さん。
彼女 「仕事中に ごめんね」
 私     「仕事中だよー」   おふざけモードだったのです・・・
彼女 「もぅ 何言ってんの! ○○団地、火事だってよ!

私が住んでいることを知ってる彼女の友達Sさんが メールしてきてくれたそうです。
Sさんは 顔を知ってる程度で直接の知人ではありませんが
ご主人が消防団に入っていて、自宅に無線が入り 我が家を心配してくれたようです。
念のため様子を見に帰宅しましたが 幸い 棟も違い、室内の小火で
済んだらしいのですが、一歩間違えば あの強風ですから 大変なことになっていました。

私は離婚を経験したから余計なのですが 私はひとりで大丈夫だと思っています。
厳しい父に 「経済力はないけど生活力はある。(だから可愛げがない・・)」とまで
言われた馬鹿娘です。
でも、子育てはそれではいけないと感じ 皆さんにも育てて頂こうとしています。
もちろん 火事なんて大事件で 特別なことではあるのですが
実家も遠いので こうして気にかけてくれる人の存在は 本当にありがたいです。
電話をくれた友人も 「葉っぱんちじゃなくて ホントよかったよ~」 と
本当に 自分のことのように ほっとしてくれたのでした。

「たいせつなこと」 それは やはり わたしがわたしでいさせてもらえるということ。

ありがたい ありがたい お陰さまで母さんやってます。その気持ちを忘れずに。


皆さんも 火の元には十分お気をつけくださいませ。

想像力

2008-12-12 | 本を読んで

今年 はじめてインフルエンザの予防接種を受けました。 (子どもたちだけ・・・笑)

私は これまでインフルエンザというものに縁がなく
インフルエンザにかかった子どもと 同じ布団に寝ていても うつったことがなく
だから 軽視しているというわけではないのですが・・・
どーも お金がもったいない。 ヘヘヘ

一昨日は その2回目で
混んだ待合室を 本を読みながら待っていました。
名前を呼ばれて あっと気づくと
私の鼻の中なのか 目の裏側なのか? 涙が溜まっていて 驚きました。
読んだ本は こちらなのですが(→
映画の登場人物になりきって 苦しい思いをしている子どもたちに
思いっきり 感情移入してしまっていたのでした。

あー、びっくりした。

疑似体験することで いじめる人や いじめられる人の気持ちに思いを馳せ
本当に 辛くなり 苦しくなり 小さな心の中で戦っている子どもたち。
私の超正しい正義は 時には乱暴であることを感じました。
これは あるときのお花・・・ これは あるときの葉っぱ・・・
思い出したのは 昔きいた 元夫の小学生時代のはなし。
誰が言い出したのか 一日交代で いじめられる人が順にかわる。
暴力を振るわれるのではなく なんとなく 無視される・・・
その時 絶対にいじめられたくないと思ったし
だれもいじめないと 決めたのだそうです。
ある意味、その経験は よかったと。
疑似体験って そんなに効果があるんだと思うと、それはそれで 怖い。
その機会がないならば 思いっきり「想像力」を働かせること、それに尽きるのだと思います。

「もし 私だったら・・・」

母にも 必要な ひとことなのでした。


 おまけも これくらい揃うと なんかかわいい。(関係ナイケド・・)

 


知ること

2008-11-18 | 本を読んで

6年生の娘が言いました。

「今 社会科で 戦争のこととかやってるからさ~・・・  いやなんだ・・・」

見るテレビ番組や興味の向くことが だんだん似てきてる娘。
正義感が強く、福祉や ボランティアや・・・そんなことに強い興味を抱いてる様子。

だから 思います。
イヤだから たくさん知っておこう。
非難したい気持ちや 批判や抗議を心に感じるならば
それだからこそ 知ろうとして 忘れないこと・思い出すことが必要だなって。
「戦争はいいことだ」「差別はしたほうがいい」という大人は いないはず。
なのに、戦争はなくならない。差別は 根強く残っている。
なぜだろう? なぜだろう? なぜだろう?

私が高校の頃は 差別のことを勉強しなくてはいけなくて
ホームルームでそのことを掲げたとき 
「わざわざこういうことをするから 知らない人まで 差別のあることを知ってしまう
  こんなことは 話し合うこと自体が差別だ」  と言った男子がいました。
その子は とても優秀な子で なんとなーくみんなその子の意見に賛成してしまったら
担任が慌ててでてきたってことがありました。

社会人になっても 勤務中に話し合い 学習しなければならない時期がありました。
その時 当時40半ばの男性がいいました。
「俺は 差別はせんよ(しないよ)。でも、娘が結婚相手にそういう人を連れてきたら
 それは、ぜったいに 反対する。 それは当たり前や」

人それぞれ いろんな考えがあります。
明らかに間違っていると思えても、その人なりに理論があったりします。
なので、どうしてそう思っているのかを 知ることは大事です。
そして 考えることを疎かにしないように。

人の価値観、人の目線を通したものではなく
自分自身の感覚で 知ることは 本当に本当に大切だと思うのです。
誰にでも 自分と同じように敬う親がいて 愛する子どもがいて 笑ったり泣いたりして
同じように呼吸して 同じ星で生きて暮らしていることを 忘れないことも。



最近読んで 娘にも勧めた本には こんなことも書かれていました。

置いてけぼりになったような気がしても、走る理由が分からないうちは走る必要なんて
ない。走る人は周囲の景色が分からない。足もとに跳ねるバッタや葉っぱの裏にいるカタ
ツムリに気づかない。夜明け前の空が透明なブルーになることや、秋が深まって息が白く
なる瞬間や、じっと夜空を見上げていれば都会でもたくさんの星が見えてくることなどを
忘れてしまう。

ゆっくり歩こう。いろいろ悩みながら。いろいろ考えながら。いろいろ眺めたり、発見
したり、ため息をついたりしながら。どうせゴールなんて、そんなに変わらない。

                          ~ 「いのちの食べかた」森 達也 あとがきより ~

私たちが生きていくうえで 目を向けづらい部分を
分かりやすく まっすぐに 語りかけてくれる本です。
重くて深いけれど 小学校の高学年くらいから読めると思います。


   『いのちの食べかた』 森 達也/著


ターシャのことば

2008-03-18 | 本を読んで
もしかしたら ターシャ・テューダーさんのお宅に行かれた方のお話を聞きにいけるかもしれないので、読んでみた本が2冊あります。
なんだか、慌ててファンを気取ろうとしているような・・・そんなつもりもないのですが・・・私みたいにちっとも知らないでいるのは、失礼な気がしたからです。

  
ターシャ・テューダーの言葉『思うとおりに歩めばいいのよ』
ターシャ・テューダーの言葉2『楽しみは創り出せるものよ』

ターシャ・テューダー/著  リチャード・W・ブラウン/原著  食野雅子/訳

この本を読んだ後で、ターシャ・テューダーさんの生活を“憧れの・・・”とは表現してはいけない気がしています。当たり前に、普通に生活を営んでいるに違いないので、流行のようにナチュラルライフと例えるのには、勇気が必要です。

何の気負いもなく、自然に、新しいものを頑なに拒むのでもなく、好きなものに囲まれ過ごすことの豊かさ。決して 妬まず、見栄を張らず、奢らず、怠けず、自慢できるほどの大きな愛情を生きとしいけるものに注ぎ、優しく強く生を営む。 90歳を越えた今も、こうやって過ごしているターシャ・テューダーという女性の言葉は、家族を守る女性として心に沁みないではいられません。

“死さえ、恐いとは思いません。つまり、人生に悔いがないということなのでしょうね”
                                      
 (ターシャの言葉)

もちろん、今のわたしにはこんなふうに思えるはずもありませんが、あと50年して、こんな言葉をもてたらほんとにほんとに幸せだと思います。


   *   *   *

この本を読んで、野菜とハーブと花の苗を買いたくなったのだとしても、笑わないでください。


おはなしして

2008-03-12 | 本を読んで

もっと小さい頃だと、お布団の中でのお話は、子守唄か催眠術になってしまいがちだった葉っぱも ずいぶん体力が付いたのでしょうか?割りと長く聞いてくれるようになりました。
いつも目一杯!なので、電池が切れたように動きが止まり、寝てしまっていたのよね~。

昨夜持ってきたのは こちらでした。  
 『とうさんおはなしして』

眠りたくない子ねずみのために、お父さんが7つのお話をしてくれます。 ユーモアたっぷりで、優しくて、知らず知らずのうちに微笑んでしまうような、おおらかなお話ばかりです。
葉っぱは 「葉っぱは、かっかん(お母さん)、おはなしして~!だよ」 と持ってきてくれました。
「次~! 次~!!」 と読むうちに、最後のお話にまでたどり着けましたが、最後のお話が終わる頃には嘘のように眠っているのです。 え~!? よくできてるなぁ、この子。(笑)

5年生のお花にとっては、今、母と話すことが欠かせないことになっています。
もちろん家族の会話が大事なことはわかっていますが、帰宅後に母に発散させることがお花のイライラ解消になっているようなのです。
前出のK君のことといい、どうもクラスの中での出来事に納得のいかないことが多いらしい。
理科の先生は、当初から人気のない先生でした。昨年は、同姓の子がいるのに「○○さん(お花の姓)」とさされ、「どちらですか?」と訊くと「どっちでもいい」なんて言われてたくらいで・・・声は小さいし、すぐ不条理なことで怒るし、実験の前に結果を言うから楽しくないし(苦笑)・・・って、お花もみんなも不満を持ってました。
でも、その先生がちょっと間違っただけでも 「先生、頭おかしいんじゃねーの?」とか悪態をつく子が多く、我慢できないというのです。 教頭先生に時間があるときは、授業にきてくださるようになり、その時は楽しいらしいのだけど、毎回来てくれるわけではなし・・・。 それ以外の教室でのことも。

「あの子がこんなことするんだよー!」 「先生に向かって、こんな口のきき方するなんて、信じられない!」 「あ~、イライラする!!」 こんな感じなのです。
決して お花に対してイヤなことをされたとか、そういうことではないだけに、かわいそうになります。

母にしゃべって気が済むなら、どんどん話しなさい。 急に人は変わらないから、少しはしょうがないと思うことも必要だけれど、「私は私」としっかりしておくことも大事だよ。見てる人は、ちゃんと見ててくれるからね。 そんな話をしています。

昨日、たまたま教頭先生とお会いしたとき、「お花ちゃん、あの子は優秀ですね」と言われた母は ・ ・ ・ ・嬉しくないわけはない。 なので、そういう嬉しい話は、うんとうんとお花の耳に入れてあげたいと思ってます。
少しお話をしていると「あの子にとっては 物足りないんじゃないかなー」と言われ、そういえば面談のとき、担任の先生からも同じことを言われたことを思い出したのです。
その時は楽しいクラスだと言っていたので、「ちっともそんなことないです」 とお答えしていたのに。
もちろん、仲良しの女の子も男の子もいて、すごく楽しく過ごしてもいるのですがね。
母のせいなのか? どうも正義感?が強く育ってしまったのかな? すごく幼い、単純なところもあるのになぁ。


昨日は学校で借りてきたという本を読みはじめました。 母の知らない本。
    『ハンナのかばん』 カレン・レビン/著  石岡史子/訳
アンネ・フランクと同じように、アウシュビッツで悲しい生涯を閉じた 13歳の女の子のお話。
葉っぱにもわかるように そんな話をしていたら、いろんなことを想像できたらしい・・・「学校で起こっていることなんて、ささいなことだ!」 「あ~(ブルブルと頭を振りながら) Kのことなんかで怒んない!!」 この単純さは、素晴らしい!(笑)

みんながそう思ってくれるといいのにね。 そう、ささいなこと。 でも、大事なあなたの世界だよ。



 


将来を感じながら

2008-02-27 | 本を読んで

図書館で2度借りて やっと読了した1冊です。
お恥ずかしい話ですが、読み終えたら、なんだか達成感!(笑)
ハリポタを何度も何度も再読している娘に、笑われてしまいますね。

 『十一月の扉』  高楼 方子

たかどのほうこさんと言えば、もっと小さい子向けの 楽しく愉快な本の印象が強かったのですが、
ちょっと大きい子~大人向けのこういう本には 初挑戦でした。

主人公は 中学生の女の子・爽子。
親の仕事の都合で転校するまでの2ヶ月間を過ごした 「十一月荘」での様々な出会いと思春期の爽子の心の成長が描かれています。

読了前に ちょうどジブリの映画「耳をすませば」を観たこともあって、大人になりかけた淡い恋心にも年甲斐もなくちょっとドギマギしたりしながら。
喜びや悲しみをきちんと受け止めつつ大人になった人たちに囲まれて、それを羨ましいと感じたり、こうありたいと願ったり、そんな未来への希望は、真っ直ぐに進もうとする子どもたちへの応援歌です。
「十一月荘」を発つ最後の夜、明日からの日々を思いつつ爽子はつぶやきます。

           『だいじょうぶ。 きっときっと、未来もすてきだ。』

大人になるって 楽しいよ。
子どもにも楽しいことたくさんあるけど、大人もまんざらでもないよ!

そんなふうに 子どもたちには育って欲しい。




  *  *  *  *  *  *  *


そう思っていた矢先、すごく悲しいことがおこりました。学校関係のメール配信です。
私の住んでる県で、許されない書き込みがあったようです。
日にちも時間も指定して、県内の小学生に危害を加えるというもの。
市町村により対応も様々ですが、私の市では、その時間帯に警察官も在駐することになっています。
それに関しての学校の対策や、家庭への呼びかけが配信されてきたのです。
何があっても我が子を守り抜こうと思う親の心を、もてあそぶ行為です。
こんないたずらに屈しない気持ちは持っていても、悲しくて仕方ありません。

早く大人になりたいなぁって 明るい未来を思い描いてほしいのに。

 


巡りくるもの

2008-02-20 | 本を読んで

私にとって 親っていうものは、いつまでも怖いもの。強いもの。
追いつけないもの。 大切なもの。

けれども 親の老いや病は どうしようもなく、 とてつもなく 悲しい
あんなに元気だったじゃない。 ふたりで毎年冬山登山もしてたよね。
姉と喧嘩してると、メクサをもって 怖い顔してやってきた母。
(メクサ:機織の糸を巻くのに使う細い棒のことです)
父なんて、いるだけで怖かった。 姉は 名前を呼ばれただけで 泣いたこともあった。

でも、今 母は 寝たきりで
その介護をしている父は、帰省するたびに テレビの音が大きくなっているよう

いつまでも強く 昔のままパワフルでいて欲しいと思うのは
私のワガママだと わかっているのだけれど ・・・



『とっときのとっかえっこ』 
    サリー・ウィットマン/作  カレン・ガンダーシーマー/絵  谷川俊太郎/訳

バーソロミューさんは、ネリーのお隣に住むおじいさん。
赤ちゃんの頃のネリーを とてもとてもかわいがり、いつもカートに乗せてお散歩。

楽しい愉快な時間が過ぎるのだけれど、ネリーは成長し、バーソミューさんは 歳をとる。
ネリーが小学生の頃、バーソロミューさんは階段で転び 入院。
車椅子に乗って退院してきたバーソロミューさんの顔からは 微笑が消えてしまっていた。

「これで散歩はおしまいだな」 
「そんなことはないよ」  「わたしがつれてってあげるもん」
やりかたは よくしっていた。
      そうっと やさしく     ゆっくり。


ネリーが車椅子を押し、昔のゆったりした時間と懐かしい微笑みが戻るのに
そう時間はかからなかった

バーソロミューさんがそうであったように
車椅子を押すネリーに、義務感なんて これっぽっちもない
だって、とっかえっこだから。   とっときのとかえっこ。

自然に 自然に 時の流れに向き合えたら どんなに豊に過ごせるだろう


  *   *   *   *   *

ある時、ほんの少し調子が良くないことがあり ちょっと冗談で言ってみた。
「・ ・ ・ ・ 悪い病気だったりして・・・?笑」


「もちろん看病はするよ~  看病はするけどさぁ。 やだよ、お母さん・・・」
娘が言った。

ちょっと 安心した。
そして、病気はしないよって 誓った。
子どもが私を必要としてくれるうちは 私は いなきゃいけない。

元夫は 無責任に 時々言う。
「あいつは 君をおいて 嫁にはいけないんじゃない?」