まいにちまいにち

お母さんの毎日は いつも同じようで、
少しの素敵がチラリ。

泣けない魚たち

2008-01-29 | 本を読んで
 『泣けない魚たち』 阿部夏丸/作

マーガレットさんの紹介記事を読んで 探し 読んでみた本です。
本の感想は 完全なる個人の趣味になってしまうとは思いますが
とてもよい本でした。珍しくちょっと涙をにじませながら読みました。

少年の心に思いを馳せて 切なくなるけれど
行き詰った切なさではなく、きっと彼はたくましく立派な大人に成長しただろう
ことが予感でき、さわやかな読後感でした。

愛知県の矢作川周辺に住む子どもたちが、昔懐かしい(というほど昔でもないけれど)
遊びの中でたくましく優しく成長する様を綴った 3編のお話が入っています。

秘密の基地を作ったり、川に入って魚を採ったり、魚やザリガニを河原で焼いて食べたり
必要なものは他所様から失敬してきてあえてきちんと叱られたり・・・。
そんな毎日の生活の中で、友情・探究心・冒険・やさしさ・たくましさ・信頼する心など、
誰も教えてはくれない 人として生きる為に必要なことが、彼らのからだと心を満たして
成長していることを、半ば羨ましい気持ちで見ていました。

私自身の幼少の頃を思い出し、ぼんやり覚えている当時を懐かしんでみたりもしました。
私は3姉妹の末っ子ですが、長女より年長のみっちゃん(当時中学生)がボス的な存在で
年齢もいろいろ男も女も入り混じって遊んでいました。
みっちゃんからつけられたあだ名は「はなた れーこ」 印象強すぎて忘れられません(笑)
隣のちふみちゃんは「おしゃ れーこ」なのにね・・・。
姉たちだってすごいんです。「きん たまよ」に「ほねかわすじえもん」・・・うへっ
(注:どちらもですから・・・)
そのころは、田んぼに持ち主があるなんて、思ってもみませんでした。
れんげに埋もれたり、しろつめくさで花輪を作ったり
ケンケン遊びのかかしの駒にするためのビッタ(と呼んでいましたが小さなタイル
だったようです)を探していて川に落ちたり 防空壕を基地にしたり・・・。

今ではコウルサイ母になった私も 
そういえばいろんな悪さをしたし 親にも心配かけていたなぁって思うのです。



今の時代“良い子”に育てたいと思うあまり、子ども自らが学ぶ前に、“正しいこと”を
言い聞かせ・教え込み・強要してしまっているのかもしれません。


作者のあとがきに 興味深いお話がありました。その一部です。

利権がらみで山や川を食いつぶす大人たちはともかく、子どもたちには、もっともっと、
野に出て虫や草花や魚やたくさんの小さな生命に触れてほしい。虫を見たら取っち
ゃえ。花を見たら摘んじゃえ。そんなことで自然も地球もぐらぐらしないはずなの
だ。でもこれは乱暴になれってことじゃないから、まちがえないでほしい。
小学生のころ、矢作川の土手に生えていたユリの花を、友だち四人で残らず摘んで
しまったことがある。花の部分だけ何百も摘んで、布団にして昼寝したのだ。ひど
く叱られた。「もうこのユリは全滅だ」といわれて、ワルガキたちがわんわん泣い
た。でも、あのときのユリの鮮烈な香りは今でも忘れていないし、大人になった今、
もう一度それをしようとも思わない。なにより驚いたのは、その翌年だ。同じ土手
に、もっとたくさんのユリの花が平然と咲き乱れたのだ。



この作品は 作者のデビュー作です。
他の作品も ぜひ読んでみたいと思います。







家族って・・・?

2007-10-23 | 本を読んで


『メイおばちゃんの庭』 シンシア・ライラント著 斉藤倫子訳 中村悦子画

両親を亡くし 親戚中をたらい回しにされた少女、サマー。
ある時から 優しいメイおばちゃんとボブおじさんの元に引き取られます。
贅沢はできないけれど、トレーラーハウスで愛情いっぱいに育てられるサマー。
そんな3人の生活。
この物語は、優しいメイおばちゃんが亡くなったところから始まります。

落胆するボブおじさんを見て、なんとかしてあげたいけれど
どうすることもできない 無力さを感じるサマー。
ところがある日、ボブおじさんが「メイがいる」と言い始めます。
クリータスというちょっと変わった男の子も加わり
とうとう3人で、メイおばちゃんに会うための旅行に・・・。


特別な事件が起こるわけでもなく、淡々と流れる時間の中に
いろんな立場の人たちの気持ちが、いろんな色で織り込まれています。
悲しい色の思いもあるけれど、それは迷子になってしまう気持ちではなくて
家族・友人の関わりの中に、優しく包み込まれます。

メイおばちゃんとボブおじさんが、本当に愛し合っていた様は
私の心を ふるふると揺さぶってくれます。
変わった子だと思ってたクリータスは、意外にもすごく愛されていて
家族の愛情がベースにある安心・安定があってこそ、ということ。
残された人間から思いを馳せるメイおばちゃんが
どれほど澄んだ気持ちでサマーを愛し育み慈しんだか。
本当に 様々な 愛の形を感じます。

家族の形は様々でも、根本にあるのは やはり愛情。
お互いの心にもたらすものに、どれくらいの愛が注がれているか。


そして 私が印象的だったのは、サマーの言葉。
かあさんは自分がもうすぐ死ぬってわかってて、ほかのどのおかあさんよりもしっかりとあたしを抱いて、たっぷり愛情を注ぎ込んでくれたにちがいない。いつかあたしが愛というものをみたり感じたりしたときに、それが愛だってわかるように。・・・(略)・・・だけど、心の奥のほうにかあさんがたっぷりとそそぎこんでくれた愛があったから・・・・・


母としての私は 今 あることに悩んでいて
考えたら簡単なことかもしれないけれど 結局落ち着いたところは
「辛いことでも、いつも厳しく頑張らせてくれた母」としての記憶ではなく
「いつも自分を笑顔でいさせてくれたお母さん」として
子どもの記憶に残りたいという気持ち。
その記憶は、きっと我が子を優しい大人にしてくれるんじゃないかな?
そう思ったから。
子どもの頃の記憶が どんな大人になるかのベースになると思っている。
でも、大人になる為の準備期間が子ども時代じゃないから
大切な子どもの時間も、楽しく過ごさせてあげたい。
だから大人である私は、子どもをいっぱい愛して、ぎゅ~って抱きしめてあげよう。

その考えに エールを贈ってくれたのが このサマーの言葉。
そして メイおばちゃんとボブおじさんの愛情。




居場所

2007-09-07 | 本を読んで
私は 雨の日の夜の運転が わりと好きです。

あまり鮮明ではない フロントガラスに
こちらの列は 赤いライト。あちらの列は 白いライト。

その当たり前の対比に気付いたとき、とても嬉しかった記憶。

できれば その時 Harold Bud なんか聴いていたい。
ドライブには不似合いな1枚だけれど、
その昔、呆れるほど聴いていたっけ。
友達に貸したまま 戻らなかったCDは The Pearl
ハロルド・バッドとブライアン・イーノの合作。

こんな条件揃ったら、子どものお迎えを忘れて
ずっとずっと ずっとずっと 走っていってしまいそう。


きっと その時間が 密かな わたしだけのちいさないえ。


 『あなただけのちいさないえ

B・S・ド・レーニエ/文  アイリーン・ハース/絵 ほしかわ なつよ/訳
8月のことり便


「ひとは だれでも そのひとだけの ちいさないえを もつひつようがあります」


それは、おとうさんやおかあさんと住んでいる
あなたの家を 言っているのではありません。

例えば たったひとりでこっそり潜り込んだ テーブルの下や
誰からも見えない 木の葉の陰。
大きな傘を 広げたその中でも いいのです。
ベッドの上の 毛布の中でもいいのです。

お父さんの膝の上、お母さんの腕の中でも 充分です。
お母さんがソファでウトウトしていたら
それもお母さんだけの ちいさな家かもしれません。

もし あなたが、誰かの 小さな家のそばを通るときは
忘れないでいてください。

とても礼儀正しくすることを。

そっと 歩き、穏やかに はなすことを。








最近の読書より

2007-08-28 | 本を読んで
今日は、涼しい風が吹いています。
読書の秋、近づいてきたかなぁ。

こんな本を読みました。

 『風をつむぐ少年』ポール・フライシュマン

転勤族の父親について、転校を繰り返した16歳。
彼の関心事といったら、新しい学校にうまくなじむことと
旧友たちからかっこいいと注目されること。
それ以外のことは、無関心。
(6校の小学校に通った、転勤族の娘としてはうなずけるところ)

そんな彼が、友達のパーティーでとんでもない(彼にとって)恥をかき
酔った勢いで自殺を図ろうとする。
けれど、死んだのは彼ではなく、何のつながりも無い18歳の女の子。
その償いの為に、風で動く人形をアメリカの四隅に立てて欲しい、
そう遺族から求められた彼の日々を綴る物語。

無気力で、はっきりとした価値観を持たない16歳が
自分の素性をしらない人たちとの関わりから、先を見出し、
そして、彼の作る風で動く人形がまた、
誰かの何かを変え得るものとなる。
万物は、何モノかの存在によって在り得るものである。
彼は独りでいても、決して迷子ではない強さを得ることになる。


ことり文庫さんの倉庫で紹介されていた1冊です。

人が亡くなることがきっかけで始まるお話ですが
その責めを大きく扱うものではないので、とても爽やかな読後感です。
彼の生き抜いていける、成長した様を感じられ
安堵と期待感がもてる、そんな良い本との出会いでした。


以前読んで、大変好きだと感じた絵本と同じ作者だったことも、喜びのひとつです。

 『ウェズレーの国』ポール・フライシュマン


それからこちら。7月のことり便で受け取りました。

 『イルカの歌』カレン・ヘス

イルカに育てられた少女が、海岸警備隊に保護されてからのお話。
人間を知ることから始める少女の、喜びと驚き。
研究対象として守られている少女の孤独感・悲しみは、
胸に迫るものがあります。
途中、ついつい実話と感じているときもあり、
悲しい気分にさえなりました。
少女の、覚えたての言葉で語られるお話は、簡単な言葉が素直で瑞々しく
心に沁みてくるのです。

イルカと会話する父親をもつ娘に、読んでもらいたいような。
でも、ちょっと難しいのかもしれません。



最近の読書より

2007-08-08 | 本を読んで
もしも あなたが とても貧しい国に住んでいて
もちろん あなたも とても貧しくて

もしも あなたが 盲目の母親だとしたら・・・。

お腹がペコペコの子どもたちに ビタミンを採らせたくて
オレンジ1個分のお金を持って 買い物に出掛けました。
よその人の洗濯をして 稼いだ オレンジ1個分のお金。
おんぼろの杖をもって。

でも、オレンジだと思って持ち帰ったものが
もしも レモンだったら・・・。

あなたは どうしますか?

他人の悪意に気付けず、お腹をすかせた子どもたちの下に
レモンを持ち帰ったとしたら あなたは どうしますか?


『ったくもう、レモンなんかつかまされちゃって。
 あたしって、ほーんと大ばかじゃん、
 ほーんと大まぬけじゃん。
 そんなことも気付かないくらいの大ばかだから、
 こんな目にあうんだよ!』

って、独り言を言うかな。
ぐだぐだになって、こんなレモンなんか!って、放り投げるかな?


もしも あなたが 17歳で
もしも あなたが 2人の子どものいるシングルマザーで
もう本当に、誰も何にも教えてくれない!って背を向けていて

そしたら、そのあと あなたは どうなるかな?

あなたたちは どうなるかな・・・?


 
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ/作 『レモネードを作ろう


主人公ラヴォーンは 真面目な高校生。
父を亡くし、貧しい生活の中で
なんとかココから抜け出したいと、大学を目指しています。
その費用のために始めたベビーシッターのバイトで出会うのは、
みすぼらしい汚れ放題のアパートに、二人の子どもと住んでいる、
17歳の若い母親 ジョリー。

本当はよく知らないのだけれど
アメリカの暗い部分、ドラッグやセクハラや暴力や・・・
そんな部分にどっぷりつかってしまっているかのようなジョリーは
ラヴォーンとの出会いによって、周りとも共存することで
母として生活力を身につけるための言動ができるようになります。

ただ、それは一方通行の「教え・支援」なのではなくて
互いに見つめ、認め合えるものの存在もあってこそのものでした。
他人への不信感、皮肉な不幸な身の上、
そういうものに怒りをぶつけてはみるものの、
「今」を生きている自分が、「今」何をしなければならないのか。
そこに目を向けたとき、ジョリーには可能性の光が見えたのだと思います。


最初に書かれている「若いお母さんへ」との書き出しに
引っかからない訳ではありません。
実際には、ジョリーの母親の年齢とも言える私なので。
でも、昔きいた言葉を思い出しました。
「頑張れない時は、頑張らなくてもいい。でも、怠けてはいけない。」

頑張ることはとてもいいことだとは知っています。
いつも頑張っていたいとも思っています。
でもきっと、私が母として長続きする秘訣があるとしたら
こういうことかもしれません。
強く優しくありたいので。



最近読んだもので面白かったのは、こんなものもありました。

「ピトゥスの動物園」

スペインの子どもたちにはベストセラー
日本では、中学年対象の課題図書になっています。
大変面白く、楽しく、頼もしく、涙も出そうになった児童書ですが、
人間の本来持つべき優しさと強さを、
子どもの目線で知らせてくれる1冊でした。
子どもと大人の、良い関係にも憧れました。

昨日の葉っぱの朝稽古中に、お花も読み終えました。
感想文書こうにも、「中学年用だからなぁ・・・どうしよう?」と
高学年の彼女は、現在悩み中です。


それからこちら



こちらは実は、学校の読み聞かせの
一番最近お仲間になった方が、自費出版なさった本です。
闘病記と知っていたので、読むのは躊躇いましたが
ご自身の口から「図書館にもあります」と伺っていたので
思い切って読ませていただくことにしました。

運動会終了まで読み聞かせは始まりませんが
読ませて頂いた、と報告メールはどうしようか・・・
迷い中なのです。









ありがとう。

2007-07-10 | 本を読んで
ずっと気にかかっていた本を、偶然図書館で手にしました。

 すえもり ちえこ・文 つお みちこ・絵
『パパにはともだちがたくさんいた』

夏の日の朝、突然死んでしまった夫のことを
作者が子どもの目を通して書いたもの。


お葬式には 知らない人がいっぱい来たよ。
パパの仕事場に行ってみたよ。
この人も、あの人も、みんなパパの友達なんだね。
おじさんが、パパの仕事はみんなを喜ばせたって、教えてくれた。
そして、僕たちがパパの宝物だって。

ある日突然失った、かけがえの無い大きな存在。
でも、その父親が、たくさんの人に愛されていたことがわかり
また、自分たちが父に愛されていたことを感じ
いつかは父のようになろう!という強い気持ちは、
どんなにか生きる力を与えてくれたことでしょう。
大好きな父が、憧れに変わり、そしてそれに近付いていく自分。

私は大事な身内を亡くしたことはありませんが、
残して去るものと、残されるものがあるならば
その両者は、互いに慈しんでいることを感じあう必要があると思うのです。
お互いの為に。


実は、私自身は、この文中のテキストよりも
作者のあとがきに共感を覚えたのです。

作者は夫を亡くした後、慰めてくれる夫の同僚から
「実は自分も幼い頃に親を亡くしました」という話を
複数聞くことになります。
「そんなに小さいときに、親との別れを経験してもなお、
こんなに素敵な大人になっていくことができるのか」
と、力強く思ったそうなのです。

そして、そのときからこう思うようになったそうです。

「私と一緒にこの子たちを育ててください」


私自身が、ずっと心に思い描いていることです。
子どもたちの父親は亡くなった訳ではありませんから、
ほんの少し環境が似ているだけのことなのですが、
その父親に対してだって思っています。
「私と一緒にこの子たちを育ててください」と。

私の地元ではない「ここ」で、何かの折に子どもたちに
声を掛けて下さるのは、やはり父親の関連の方々です。
お店の経営者、地域の行事、すれ違いながら・・・。

ちょうどお花の11回目の誕生日もそうでした。
毎年、地域の行事と重なるのです。
今年のその日も、父親と親しくしている方に会うと皆さんが、
「おめでとう!何歳だっけ?」「・・・では、バースデーショットを1枚!」
なんて声を掛けてくださいました。
恥ずかしいお花は、ただただペコリとお辞儀をするばかりでしたが。
「父親の仲間が、自分を大事にしてくれている」とうことは
彼女にとって、頼もしく感じられたことでしょう。

この子達に声を掛けてくださり、いつもありがとうございます。
どうぞこれからも、私と一緒にこの子たちを育ててください。

いろいろなことがありますが
そう言える環境に、心から感謝しているのです。
時々、わがままにも忘れてしまうのですが
そのことは、いつも心にあるのです。





ほんとうのことをいってもいいの?

2007-05-29 | 本を読んで
私の大好きな人は 決して嘘は言いません。
 
でも、嘘は言わないけれども
本当のことも言いませんでした。
 
私は 正しいことを言う人なのだそうです。
 
確かに正しいのは正しいのですが
「君は 正しすぎる」 そう言われました。
 
 
 
 
 『ほんとうのことをいってもいいの?』
 
パトリシア・C・マキサック/作
       ジゼル・ポター/絵
        福本由紀子/訳


リビーは、初めてお母さんに嘘をつきました。
お腹が痛くなって涙が溢れるくらいに後悔したリビーは、
これからは嘘はつかない、本当のことしか言わないと誓います。

翌日から、本当のことをちゃんと言うようになったリビーですが
リビーの気持ちとは裏腹に、口から出る言葉は友達を傷つけてしまうのです。

混乱するリビーに、お母さんが伝えたことは・・・。




本当のことを言うのって、とても簡単。
でも、文字として届く事柄だけではなくって
私たちには心というものがあるから
文字を言葉にして、心から心へ届けるのが難しい。
配慮の足りない言葉は
時として、他者を大きく傷つけることがある。

だからといって
その場を丸くおさめるための手立てや、
「時には必要な嘘」の使い方を教えるのでなく
正しくある中で、相手を思いやること
その時にもしかしたら感じるかもしれない「損」なんて
本当に取るに足らない些細なことなのだと
そんなことを、自信を持って伝えられる大人でありたいと思います。

そして何よりも
そのことをよく理解した大人になりたいのです。


「正しすぎる私」を、身に沁みて省みながら。