まいにちまいにち

お母さんの毎日は いつも同じようで、
少しの素敵がチラリ。

毛糸玉

2007-11-16 | 子どもたちと読んだ本のこと
次のよみきかせ、先日とは違うクラスなので
引き続き 『ハリーのセーター』を読むことにしています。

一緒に組むKさんと、選書について話しました。
何かつながりあると、楽しいね・・・
犬? セーター? ・・・
でも、犬つながりでは 印象が同じになってしまってはもったいない。
セーターではないけれど『ぶかぶかティッチ』は?とか
お洋服を作るってつながりで『たんじょうびのまえのひに』は?とか
『ペレのあたらしいふく』は 時間がオーバーしてしまうかも、とか。

そんなことを いろいろやりとりしました。
ほんと、自分の情報量のなさに、イヤになります。
実際には いい案が浮かばず つながりシリーズは諦めた選書になりましたが
私は こんな時間も楽しいです。
お相手によっては 「読み物はこちらが。では残りの何分お願い。」くらいの
話しかできない場合もあります。
でも、絵本に対する思いに 少しでも共通するものがある方だったりすると
自己満足でもいいから 密かに楽しめることをやりたくなります。

その時点では 候補に挙がらなかったけれど
こんな本を 昨夜は読みました。

 
おしゃべりな毛糸玉()    セーターになりたかった毛糸玉(

どちらも 毛糸玉のお話。 あたたかいお話です。

『おしゃべりな毛糸玉』では、昔誰かのセーターだった毛糸や、他の誰かのマフラーだった毛糸が、同じ1本につながれて、ひとつの毛糸玉になるんです。
だから、いろんな色・いろんな太さ。
そこには忘れていたような思い出が詰まっていて、その毛糸で肩掛けを編み始めたおばあさんに語りかけます。
淋しかったおばあさんは、もう淋しくないし、寒がりでもなくなります。
絵本の中ではおばあさんの思い出は、私たちにも見ることができて、共有できる思い出の数々ですが、私はリアルな世界のおばあさんのこの場面を想像してしまい、胸がきゅんとしました。
思い出に口元を緩ませながら、ひとり編み物をするおばあさんの姿です。

『セーターになりたかった毛糸玉』では、花形のセーターになりそこねた、赤い毛糸玉が主人公。
たしかNHKの番組で、聞いたことのあるお話です。
ひとつだけ余って、セーターになり損ねたけれど、幸せな結末が待っています。

どちらもそうだけれど、やはりひと目ひと目 想いがこもるから
そこからは暖かさと優しさが じんわりと伝わってくるのだと思います。
この時期に 毛糸を買って編み物をしたくなるのは きっと毛糸が出回ってるからじゃなく
寒い夜に、誰かを思う気持ちが ひとすくいひとすくいの作業に 相応しいからなのでしょう。


私の気持ちは 今、 二つの暖かいものに込められているはずなのですが、
ほんの少しずつで、なかなか進みません(笑)
夜が もう少し 長いといいんだけどなぁ。





朝の出来事

2007-10-25 | 子どもたちと読んだ本のこと
毎日繰り返す 慌しい朝。

洗面所でお花の髪をポニーテールにしつつ
葉っぱを 声で急かす。

「上着、着た~?  ランドセル背負ってー!!」

なのに ギシギシギシ・・・

「ベッドに潜り込んでる時間はないよー!!」

ギシギシギシ・・・

どうやら 2段ベッドの上の段に登ってる。

「違うよー。今、打ったから回ってるんだよー」

2段ベッドの上の段をくるりと一回りし
下の段にも腰を曲げてあがり込み、くるりと一周。
たったった・・・とポカンと見てる私とお花の間を通り抜け
あちらの部屋で「わ~い!」と数回ジャンプして
また、ベッドの部屋に戻ってきた。


「ホームラン 打ったんだよ。 知らないのー?」

知らないのー?って ・ ・ ・ ・ ・ 知らないよっ!!

時間もないけれど、笑いが出て 叱る気にもなれない
まったくね、なにやってんだか。

 (
『ホームランを打ったことのない君に』  長谷川集平 作


図書館から借りてきて 一度読んだけれど
野球の言い回しが 葉っぱにはちょっと難しいかな?って思ってた。

でも、そのあと ひとりでも 読んでいたもんね。

読んでみて欲しい本は なんとなーくその辺においておく。
何気なーく、ソファに置き忘れてみる。
いつものごとく、ただただ積み重ねておく。

これ、我が家の鉄則(?)。


で、君にヒントは もらえたの?






ほろづき

2007-10-23 | 子どもたちと読んだ本のこと
 沢田としき 作 (

夏休みや冬休みのような 長い休みのときに
ユキが訪れる 大きいおばあちゃんの家。
小さな大きいおばあちゃんの言葉は
叔父さんに通訳してもらわなきゃわからない。
大きいおばあちゃんは 見送りのとき決まってこう言う。

「まんだ こいへ」

「まんだ こいへ」 って言ったのに
次に会ったときは 大きいおばあちゃんは
木の箱に入って 眠ってるみたいだった。
空に 白い煙が昇っていく。

その煙の先、空に浮かぶ月は 大きいおばあちゃん。
「まんだ こいへ」と言いながら 照らしてくれている。
そして「また おいで」と見送ってくれるおばあちゃんは
大きいおばあちゃんに よく似ているなと ユキは思った。


沢田としきさんの絵は 人の温かさと力強さが感じられる。
細かい描写が、田舎の風景をよく現している。
私には 健在な祖父母はもういないが
母方の故郷へ行くと 叔父さん叔母さんの話す言葉が
さっぱりわからない。
結婚報告に行った当時、ただ「背が高いね」と言ってるだけなのに
何を言われたかわからずに おろおろしていた彼を思い出す。
「背が高いね」。。。たった6文字なのに。
それでも、不思議なことに 一緒にご飯を食べて
一緒に踊って(これ、重要!)、一緒に笑う。
故郷って、そういう温かい場所。

そこには その土地独特の時間が流れ
取り残されたような 古の景色が佇んでいても
迎え入れる懐の大きさが 存在している。



カニグズバーグ

2007-08-30 | 子どもたちと読んだ本のこと
最近、児童書~ヤングアダルトものばかり読んでいます。

もちろん、“子どもしか読んではいけない本”なんてないわけで
11歳の娘と41歳の母は、順番に同じ本を読んでいます。

娘は時々こんなのこんなものもシリーズで読破してしまうので
さすがにそこまでは付いていけませんが(苦笑)
前者は女の子たち、後者はクラスの男の子たちと回し読みです。
再三勧められたのですが、私が読む気がないと知ると
ここまでか!と思うほど、ストーリーをつらつらと話し始めます。
事細かに・・・。(笑)


こんな本を読みました。

 

どちらも E.Lカニグズバーグの作品です。

エレイン・ローブル=カニグズバーグは、1930年生まれのアメリカ児童文学作家。
とても成績優秀な学生時代を過ごし、科学教師も経験しました。
でも、研究中に爆発事故を起こしたり、試験管の中身を教えるより
子どもたちが何を考えているかということに興味が湧くようになり
1967年に作家としてデビュー。
その作家活動の中でも、上記の2作品は1968年のニューベリー賞に同時に
ノミネートされるなど、彼女の作品はとびきりの面白さを含んでいます。

ニューベリー賞とは * * * アメリカで出版された児童書の中で、もっともすぐれたものに対し年に一度贈られる、権威ある児童文学賞です。1922年にアメリカ図書館協会によって創設され、世界で最初の児童文学賞となりました。賞の名前は、子どもの本の発展に大きく貢献した18世紀イギリスの著述家・出版家のジョン・ニューベリー(John Newbery)にちなんでいます。)

『魔女ジェニファとわたし』をすごく気に入った娘は、
「これ、2巻目はないの?」と訊いてきます。
さらには、ことり文庫で本を探してもらうのに、
「魔女っぽいもの」という注文の出し方です。
(『魔女ジェニファとわたし』にだって、本当は魔女は出てこないのですが・・・)
「カニグズバーグって、すごいねぇ」って感心したりなんかして。

親に秘密のいろんなことが、わくわく感を掻きたてているのかなぁ。
そのうち親に秘密のことばかりになっちゃうでしょうに(笑)
ま、あなたは「生タマネギばかり食べるのは無理!」って
魔女の弟子にはなれないそうだから、母の方が先に弟子入りするかもしれません。
年齢制限がなければ・・・ね。



そして決して魔女っぽくはない本を2冊求め、
今、1冊ずつ読んでいるところです。
終えたら、面白かったところは内緒にしつつ、交換して読よみましょう。

タタン・タタン・タラン・タタン・アム♪





レオ・レオニWEEK

2007-06-13 | 子どもたちと読んだ本のこと

2年生の子どもたちは 国語の授業で「スイミー」が始まりました。

毎晩の音読は、3年前のお花のことも思い起こさせてくれます。
ふふふ、と懐かしい気持ち。

お花が2年生の頃、市の取り組みで“小学生の演劇”があり、
お花も参加させていただいたのです。
イセエビの役をしたお花。 「あいにく後ろにしか進めないんだ。わっはっはっは」
その台詞が忘れられない母です。

今でも、鳥肌が立つ気持ちで思い出すのは スイミーが言った、
「僕が 目になろう」  という言葉。
目の奥が、じわ~っと熱くなる感じなのです。

そう、どうしても学校の授業のことより、そちらを思い出してしまうのですが、
今回、葉っぱたちがレオ・レオニを読んでいるということで
来週の読み聞かせには、2年生の各クラスで、
レオ・レオニ作品を読むことにしました。
ちょっと先生よりの考えかしら?
でも、あの作品も同じ作者?って、作者が一致したときって、
とても嬉しくて興味も湧いてくる気がするのです。

うちには2冊しかないので、取り急ぎ10冊ほど借りてきました。
 
 1年の頃、ひとつのクラスで読みました。
 
 2組の担当・Mさんが読むみたい。
 
そして昨夜読んだのは、
 
 
 
 
今朝、少し早起きをしてきた葉っぱに読んだのは
 
 
 
そしてそして、まだスタンバイしている本もあります。
 
 
  
 
それでも、あれもこれも借り忘れた気分です。
候補に上げているものもあるのですが、
いつもの本より長くて、ちょっと迷ってしまいます。

レオ・レオニの作品は、少々教訓めいていて
難しく思われるものもあるのですが
感想を言わなくていいっていうのが、大きな救いです。
どう感じてもいいんだよ、訊かないから大丈夫だよ。
じっくり何度も読むほどに、その良さが沁みてくると思います。
今回は時間もなく、残念ですが
子どもたちにわかりやすい言葉・表現を優先して選んでみることにしましょう。







てん

2007-05-24 | 子どもたちと読んだ本のこと
我が家の子供たちは 絵画教室に通っています。
娘は4年目、息子はもうすぐ1年経ちます。

絵画教室なんていうとハイセンスな感じもしますが、
その外観は今時珍しく、古めかしい小屋っぽい雰囲気。
ギシギシと床なりがし、いつの季節にもダルマストーブの煙突が
部屋の真ん中に、ドーンと陣取っています。
網戸もなくって・・・(笑)
教室に入ると、虫除けスプレーをふってくれます。
 
その部屋には、壁際に石膏の胸像が並んでいて、
先生の作品がほんの少し掛けてあって、
子供たちの絵の具で汚れたテーブルと 
年代を感じさせる柄の揃っていない座布団。
お花を連れて見学に行ったとき、私はこの佇まいを見て、
既にお願いしようと決めていたのでした。

この子達に絵の才能があったとしたら・・・
なぁんて思ったわけではなく、
絵を教えていただく場所としてではなく、
絵を描かせてもらう場所として選びました。
描きたい時は描きたいだけ描いていた保育園時代を過ごしてきたのに
小学校に入学したとたん、図工の限られた時間だけでは
不満満載で、気持ちを抑え切れなかったお花に
自由に自分を描き出す時間を確保してあげたかった、
そんな気持ちからです。
 
描くことを好きな子が、描かされることを嫌うのは良くあることです。
好きなことに自信がもてると、
いつしかその自信が自分を救ってくれるかもしれません。 
 

 『てん』 ピーターレイノルズ/作 谷川俊太郎/訳
 
お絵描きなんて大嫌いなワシテが、先生に言われて仕方なく描いた「てん」。
たぶん「・」こんなものだったかも。
その絵に「サインして」と言った先生は、
サイン入りのワシテの「・」の作品を、綺麗な額に入れて飾った。
そこからワシテの成長が始まるのです。

絵には確かに、正解や間違いなんてものはないと思っている。
大事に大事に、認め育むことで、描いた人・描かれた絵に魂が宿ることがある。
私自身の大人っぽいものさしは、どれだけちっぽけなものか知りましょう。
私のものさしなんかで、子どもを計らない、計らない。
だって、そんなものをびょーんと超えてしまうほど
子どもの可能性はとどまるところを知らないのですから。