まいにちまいにち

お母さんの毎日は いつも同じようで、
少しの素敵がチラリ。

将来の夢

2011-12-15 | お母さんのひとりごと

息子の 卒業文集のタイトルは 「将来の夢」。
昨日、下書きを持ち帰った。
「先生にはチェックしてもらったから、お母さんに見せていいんだって。」
「直すとこあったら、言ってね。」

ちょっと ドキドキしながら 読む。

ひとつ目の突っ込み。
「ねー、「将来」の「将」が手偏になってるよー!」

ふたつ目の突っ込み。
「ぼくは、小学二年生のときにサッカーを二年生で始めました・・・って(笑)」

三つ目の突っ込み。
「うそーっ? サッカーって、お母さんが誘ったの?葉っぱがやりたいって言い出したんじゃ
なかったっけ?????」

比較的丁寧に書かれた文字でしたが、突っ込みどころは満載でした。
それでも、今の葉っぱらしい言葉が残るといいなぁと思いました。

最後に書かれていたのは、

プロのサッカー選手になって そのときに夢があって それは



「ヒーローインタビューで、母に感謝の言葉を言いたい」 

でした。


ありがとうありがとう。

私は あなたの一番のファンであり続けたいです。


12月

2011-12-01 | お母さんのひとりごと

最近 夜ひとりで車に乗っていると
牛乳が買えなかったり、お米が売ってなかったり、ガソリンがなくてドキドキしたり、
そういう日を過ごしたことを 思い出します。
少し 胸が きゅっとなります。

たぶん、12月になって この一年を振り返る気配が いろんなところでしているから。
今年も すっかり終わりに近づいているんだなー。
来年は 娘が中学生から (たぶん)高校生になり
息子が 小学生から中学生になっていきます。
来年の手帳を探していて・・・ 「あ もう 子どものスケジュールを管理することもなくなる?」
と思って ちょっとびっくりして、少し薄めの手帳にしました。
だってだって 剣道の稽古に試合に役員の仕事に・・・サッカーの練習に試合にお当番に・・・
もう なくなっちゃうのかなー。



なんて弱気なこと言ってんの(笑)
私のスケジュールも、ちゃんと組んでいかなくっちゃ!!!!!

さぁ、12月♪


冬になる日

2011-10-28 | お母さんのひとりごと

ウールのカーディガンを出しました。
なんの匂いかな~?と思ったら、 いわゆる「おしゃれ着あらい」の匂いがします。 いい匂いです。
一昨夜、髪を切りました。 不精な私は、ほーんとに頓着なく、美容院なんて2年ぶりくらい(苦笑)
それで、40センチくらい切ったので、切った感満々です。
肩と毛先の間に、空間があります。軽いってこういうこと? なのでしょうね。
「おぉ~~!」と反応してもらうのはもちろんありがたいことなのですが・・・、そのリアクションに困ります。

昨日は、息子が受けたAクラブチームの2次セレクション結果通知期限でしたが、郵便は届きませんでした。
通過者にしか通知がこないというのは、なんともモヤモヤが残りますが、ま、そういうことです。
とても高いレベルだということは最初からわかっていましたが、1次突破の目標はクリアできたので、
“セレクション慣れ”という意味において、いい経験になったと思います。
近場の本命のクラブは、先週の土曜に下見をしてきました。来月早々に、1次が行われます。
私は、中学部活も楽しいと思うし、学校の中の先輩・後輩のつながりはかけがえのないものだと思います。
ただ、本人が高みを目指したいというのなら、指導者という面では、部活には求められない部分は大きいです。
3年間は、そういう意味では長いです。
後悔のないように、自分の3年間のために、いっぱいいっぱい考えてくれたらいいなぁと思います。

昨夜は、結果を知らないまま、Kクラブチームのジュニアユース練習会に行きました。
1時間半くらいかけて、お友達のお父さんが連れて行ってくれます。
1時間半くらい練習させてもらって、そして1時間半かけて帰ってきます(笑) 
宿題は、今朝起きてからやっていました。
今が 頑張りどころです。


久々に、こんにちは。

2011-06-24 | お母さんのひとりごと

ずいぶんご無沙汰していたら、「広告」なるものがついてしまった。  あらら

放置していたり、長らくお休みしてみようと思っているわけではないのに
時間が経つって・・・   ほんとに早い。

ただ、わざわざ何かを探して書こうと思ったら、余計に考え込んでしまいそうで
こうさせていたのは確かなのだと思う。
それでも、息子も娘も、修学旅行を楽しんできたし、娘はしっかり受験生になった。
バタバタではあったが、例年の通り、梅干だってちゃんと漬けたよ。
本も、少しずつ読書欲みたいなものが出てきた。 よかった。

相変わらず、息子の予定がびっちりなのだけど、先週の土日と今週の土曜は、剣道の試合。
息子は昨年の剣道の県大会で3位になったことがあり
今年は県の選抜で全国大会に行きたかったのに・・  なんと1回戦で負けてしまった。
自分自身も強く思っていたし、回りの先生方の期待も大きかった。
「緊張しすぎた」 と ひとりで泣きじゃくっていた。 試合後、傍に行って眼が合ったら、
また急に涙が溢れてきて、母としてみたら こんなカワイソウなことはない。
でも、なんとか立ち直って欲しいと、翌日の日曜日の近隣の試合では、「勝たなくていいから」と
父親から課題が出された。 明日も全国大会につながる大会があるので、そのために
トライしてみればいいと言われ、程よい緊張感の中、日曜日は母も納得のいい試合ができた。
11歳くらいで、なんだかかわいそうでもあるけれど、挫折して悩んでそれでも立ち上がらねば
ならない経験ができるなんて、なんてありがたいことでしょう。
明日は、個人戦も団体戦も、埼玉県の代表を決める大会です。
負けることは恐くない。 それまでの準備が大切なのです。やった分だけ、やった分だけ。


私は 来月石巻の避難所を訪ねる予定があり、今は防虫グッズを集めている。
私個人がやることなんて知れているのだけれど、携帯メールで「送っても良さそうな人」を
選んで「エイッ!」と一斉メール。
何もレスがないことが多いし、「協力できそうなものがなくて申し訳ない」と返信があることも。
嬉しかったのは、お父さんから子供達に「貯金から募金をしなさい」と言われていたご家庭で
二人のお子さん達から1000円ずつ、父と母も1000円ずつ出して買ってきたからと渡されたこと。
募金は少しのお金ではどうなっているのかわからないし、届くまで時間がかかる、だから子ども
にもわかりやすくてありがたかったよ と言ってくれた。
読み聞かせのお仲間の、ちょっと年配のFさんは、見てきたけど何を選んでいいのかわからない
からと、現金をくださった。 
その避難所には、5月末にも一度行かせてもらっている。 ただ、ものをお届けしただけなのだけど。
3月末にいろんな方にお声掛けさせてもらい絵本を集め、気仙沼に送ってもらった。
そのとき、中学校の先生にもお声かけしていたのだけれど、ちょうど春休みになってしまい、
中学生達の集めた絵本が、行き場を失っていたのだ。
また、我が家にも遅れて届いた本たちがたくさん残っていたので、その本と合わせて。
そして、「せっかくだから」と息子の先生にお声かけしたら、子供達で本を持ち寄り、メッセージを
書いて栞を作ってくれた。 
ブログで知り合ったお友達には、いつも勇気をもらっている。 送ってくれる本は、私の気持ちの
揺れをきちんと正しく修正してくれる。
先日 こももさんに教えてもらった本からは、「大丈夫、これでもいいんだ」と勇気をもらえた。
いつもいつも、どうもありがとう。
ひとりじゃなにもできないし、みんなの力を集めて継続できるなにかをやりたくても、やはり
伝わる人とそうでない人がいるのは致し方なく・・・ でも自分で選んだことをやるしかないからね。
そんなこんなのまいちです。



願う。

2011-04-13 | お母さんのひとりごと

5月に控えたお祭りが 執り行われるのかどうか・・・
昨今の お祭り自粛ムードの中、私の心配のひとつでした。

「鯉のぼりは そもそも 子どもの成長を願い 揚げるものです。
しかも、このお祭りは「平和祭り」です。」

という市長の判断から いつものように 開催されることになりました。

「私の町に避難して来られている町の子どもたちに 大きな大きな鯉のぼりの遊泳をさせてあげて欲しい。
それができるのは 私たちの町だけです」
・・・と 市のHPの 「市長への手紙」 で投函しました。
私の願いは 叶えられるでしょうか?

200705031035.jpg これは 私の町の大きな大きな鯉のぼりを ずずずーと広げたところ。

たくさんの風を受けて 悠々と泳ぐ力強さを 握った手綱から感じて欲しいです。

→*


ゆき

2011-02-09 | お母さんのひとりごと

洗濯物を干しに ベランダに出たら  みしみし みぞれが降っていました。
あきらかに雨とは違っていて みしみし みしみし。
息子を呼んで、空中に手を伸ばすと、てのひらに 一滴一滴を感じます。

そうこうするうちに 地面が だんだん白くなり 雪に変わっていました。

部活の朝練で 早朝に家を出た娘は、雪の中の登校ではなかったけれど
息子は 嬉しそうに家を出ました。
「あ、傘 忘れた!」   あとで 戻ってきましたけれど。


一昨日の夜 寝入った息子の横で 娘と二人で話していると こんなことを言いました。
「最近、勉強が面白くないんだよね~」
こちらとしては 中二が終わろうとしているこの時期まで 勉強が面白かったことが奇跡だ!
と思わないでもないのですが、娘はこれまで 楽しく勉強をしてきました。
成績もいい子なので、勉強が理解できずに面白くないわけではないのです。
「普通に受けるし、もちろん理解できてるし、ワークもちゃんと提出するし・・・。
でも、午前中の授業中は 早く給食にならないかなー?って思うし、午後は、部活やって
早くうちに帰りたいなーって思うんだよー。 なんでかな?」

いろいろ話していくうちに もしかしたら 原因のひとつかも・・・と思うことが。
2年生になって同じクラスになったRちゃん。 とても賑やかな子で、それをいい方向に使って
くれればいいのだけれど、心無い言葉を人にぶつけてくる子でした。
娘も嫌な思いをしたこともあります。 それでも無視を決め込む娘に、我慢できない言葉を放って
きたことも。 そういう子に限って、いつも複数でつるんでいます。
2学期も終わりになる頃、クラスの様子が変わってきて、だんだんRちゃんがひとりになることが
増えてきたそうです。 いつも一緒だった子たちまで、もともと好きではなかったのだと言わんば
かりの態度です。 娘は、嫌なことを言われるのはイヤダし、やっぱり好きではないけれど、
普通に一緒になれば話もする。 あぁいう「女子」っぽい態度は信じられないって言っていました。
それどころか、最近は男子も行動を起こすようになり、ゴミ箱を机に置いたりするのだとか。
女子の「女子」っぽいところはわかっていたけれど、   「男子よ、お前も 同じか・・・」  と情けなく
なってくるのだと言いました。 そして、仲良しな男子なだけに、やめなよと言えない自分のことも
イヤなのだと思うのです。 「そこで、あえて・・・言えない。」と。
彼女の名誉のために言うなら、仲良しの友達が受ける嫌がらせなら、体を張って阻止する子です。
目の前で起こる、理由のない嫌な行為を見て、その幼稚さに 呆れてきている様子です。

中だるみと言われる2年生。 いろんなことが 決まりきったサイクルになってきたのかもしれませんし
教室の中で起こる幼稚なこと、またそれを起こす級友たちに呆れる気持ち。
それから、次は受験生だという思い。
そういうものが 彼女の中で 重たいものになっているように思います。

そして もうひとつ。 落ち着いている彼女をいいことに、私が彼女のために使う時間が少ないのでしょう。
休みになると息子の試合の連続だし、平日だって、夕方3人で家にいるのは木曜日だけです。
母、ちょっと忙しすぎました(笑)
剣道の大きな大会には、部活のある娘をおいて、父親も一緒に試合観戦に行ったりもしています。
一度も不平不満を言ったことのない娘に、私は甘えていたのかな~

次の祝日は、部活が休みだということ。 実は 息子の剣道の試合で、私も楽しみにしていたのですが
その日は娘との時間に当てることにしました。とはいえ、剣道は基本的に保護者が同伴です。
少々迷いましたが、仕事が立て込んでいる元夫に連絡すると、なんとか調整すると言ってくれました。
息子の試合を観なかったことなんて一度もなくて・・・ それについては心配と心残りどっさりですが、
「お花の行きたいところに 一緒に行っておいで」 
と言ってくれた言葉に 感謝して お世話になろうと思います。
私は 片親でふたりの子どもを育てていますが、本当の意味では 片親ではありませんね。
これで娘も 少し 深呼吸してくれるといいのですが。


冬だなー

2011-01-18 | お母さんのひとりごと

まいにち、寒いなーってぶるぶるするけど
ベランダから見える富士山が、真っ白でとても美しくみえると嬉しくなって安心する。
それでも、ここは日曜の朝に、地面がうっすら白くなっていたくらいで
まだまだ雪遊びだってできません。
風が すごく強くて もう参った!!って言うくらい寒いけれど
雪が原因の被害の出ている地域の方々に比べたら・・・笑われる、ね。

土曜も、日曜も サッカーの試合。
アングルが悪いのは、携帯の画面も良く見えていないから(苦笑) もう、体、固まったね。
炊き出しの大鍋の中にも、きっと、葉っぱくずや砂埃だって、入ったに違いない。
寒くって、寒くって、一日中外に居た子どもたちは、顔がカサカサで、やはり固まっていたよ。
6年生対象の試合だけれど、うちは6年生が居ないので、4.5年生で出場します。
ついでに、弱いチームなので、同じ寒さを味わっても、なかなか勝てないチームです(笑)
勝たせてあげたいなーって思う親心も、冷たい風に吹き飛ばされてしまう・・・
うちのチームは、練習もそんなにないし、ポジションだって決めてないし、セットプレーの練習も
しません。それは、指導者の方々が、「今」勝つチームを作るよりも、サッカーを好きになって、
続けることが大事で、ポジションなんて中学になってからで十分、というお考えがあるから。
もちろん、高学年になったら怒鳴られることもあるけれど、試合に出る前は「かっこいいところ
見せてよ~!」と声を掛けてくれるコーチもいます。
試合中も名前を呼んで、「今は、それでよかったの?」と考えることを促してくれたりします。
コーチたちが順に審判もしてくれるからこういう試合にも参加させてもらえるのだから、負けて
悔しいと思ったり、練習でやったことを試合で試したり、負けてもサッカーを楽しそうにしている
姿を見せたりすることが、きっときっと気持ちに応えることになるんだろうなーと思います。
次の日曜も、その次の日曜も、その次の土曜も・・・試合が続きます。
頑張れ~!

・・・と、体の固くなる母は、今年頑張ろうと思っていた読書も、一向に進みません。
こももさんのところで教えてもらった「読書メーター」っていうのも、やってみようとしたらなんだか
よくわからず(苦笑) ブクログの本棚を、とりあえず作ってみました。(コチラ→*
2011年からの私の本棚です。
ちっとも本が並びませんが、365日、何冊読めるか楽しんでみようと思います。


悲しい出来事に寄せて

2010-09-16 | お母さんのひとりごと
いろんなことを想った 七日間。
ひとのありかた、ひとの命、それぞれの考え方・行動のしかた。


娘の大好きだった 2年間同じクラスだった男の子が ひとり旅立ってしまいました。
面白い子で、娘のおしゃべりに まいにち登場していた男の子。
「Tちゃんがねぇ~・・・」 って、本当にまいにち聞いてました。
楽しくて 仲良しで 大好きだった子が、普通の朝に 登校して来なかったんです。

13.14歳の子どもたちにとって 大きすぎる出来事でした。
普通に 「腹 減った~っ!!」 って帰ってきて 普通に寝て
そして 普通に起きてきてくれなかったのだそうです。
急性の病気だと思うと、どうしようもないのかもしれませんが、
ご家族のお気持ちは  察するに余りあります。

2日間は Tちゃんおうちにいるから 会いに行ってもいいよって 学校から話があったそうです。
娘は迷い 「やっぱ いいや」 と言ったのですが
出会いは大切だけれど お別れはもっと大事にしてほしいこと、「次は行く・・・」の、次はないのだ
ということ、それから、お母さんの立場だったら、きっとお友達がたくさん会いにきてくれたら嬉しいと
思うよ と私の気持ちを伝え・・・、考えた娘は 「会いに 行くよ」 と決めてくれました。
部活をサボって行ってはいけないと言われてるのに、部活を抜けて行ってる子がいたのもイヤだったそ
うですが。
Tちゃんの家の周りには たくさんの自転車が停まっていて、制服姿の子どもたちが集まっていました。
男の子も 女の子も。 向かう車の中で 「Tちゃんがいて どんなに楽しかったのか」 お母さんに伝え
てあげることがいいんじゃないかと、 私の考えを話しました。
Tちゃんのお顔を見せてもらって お母さんとお話をして 娘と友達は 泣いていたのだけれど 
「信じられないよね~」というお母さんから、「学校ではどんなだったの? おしえてよ」 と声を掛けてい
ただき、Tちゃんのお陰でどんなに楽しかったか、クラスの雰囲気がよかったのかを やっとお話できた
のでした。

悲しい話はたくさんあって その出来事は記すまでもありませんが
私は その悲しさ以外に なんだかやるせない淋しさを感じたのです。
私がはっきりしすぎているのか 常識的なことを軽んじているのか ・・・ 教えてください。


子育ては ご飯を食べさせて学校にやることだけではないと思うのです。
こんなときにこそ、親の考えを子どもに伝えたり そのことに自信を持てなくても 親として責任を持つ、
そんな機会だと思うし、それから  『足並みを揃えて・・・』の必要性が よくわかりません。 

私は 子どもとともに ご自宅まで会いに行くことに決めました。
1年生のときにも伝えたけれど、娘が毎日話してたんだってことを お母さんにも伝えたかったし。
土日に行われた葬儀等にも (初日は、学年全員ができるだけ出席と連絡ありました) 両日の出席を
子どもに促しました。私も参加しました。
行っても行かなくても いいのだと思います。まして、直接知らない保護者もいらっしゃるし、ちゃんと説
明の出来る理由があるのなら、子どもに伝えればいいのだと思うのです。
自分自身が 行くのか行かないのか、行きたいのか行きたくないのか、そういうことなんじゃないの?
と思うわけです。 それなのに 車が多くなって停められないかもしれないから行かない・・・って、 
子どもは納得するのでしょうか?  ねぇ、行く?どうする?○○さんが行かないらしいから、うちは子ども
だけで・・・ って言われ、「私は行くので、お子さん一緒に連れて行きましょうか?」 とは言っても、
「ぜひ母も一緒に行こうよ」 とお誘いはしません。

大人になるって そういうことなのでしょうか? 
足並みそろえるって そんなに大事なことなのでしょうか?
私は 子どもに 「自分で考えて行動し そのことに責任を持つ」 ようになって欲しいし、私の姿を見られ
ても恥ずかしくないように 常に行動していたいです。 もし その考えが間違っていたとしても、そのこと
に責任を持ちたいです。
子どもたちと話したのは  こんなことを学ぶために誰かの死が必要なら こんなこと学べなくてもいいん
だけど、こうやって遭遇してしまった不幸な出来事からは、たくさんのことを学ばせてもらえる ということ。 

あー、悲しすぎる。 いろんなことが。



でも、子どもたちは 頑張っています。 2週間後に迫った体育祭。応援用に作ったうちわに、全員が
Tちゃんの名前を入れました。 Tちゃんの代わりに係りになる子、代わりに走る子、みんな笑顔です。
だって、そうしないとTちゃんが笑わないから、だそうです。
先生も 最初の日、Tちゃんの分も給食を準備しました。 そして、スプーンで皆に分けました。
来月は Tちゃんの14回目の誕生日です。 みんなで何かやろうねって話になっているようです。
秋の音楽会で歌う「大切なもの」は、今は歌うたびに涙が出ちゃうけど、Tちゃんのお母さんにも
招待状を出す予定なのだそうです。
忘れないこと、一番喜んでもらえるから、 時々お参りに行かせてもらいなねって 話してます。


たのしかったかなぁ・・・? とお母さんが仰るのです。 たったこれくらいで たのしかったかなぁと。
あんなにたくさんの友達が 入れ替わり訪ねてくる子って そういないと思います。
みんなに思い出話たくさんされるTちゃんは、 きっときっとすごく楽しい時間を過ごしたに違いないです。 
Tちゃん、たくさんの楽しさを どうもありがとう。
お母さん、妹さんが中学入学のとき、同じ学年でまたお会いできるのを 楽しみにしています。


・・・ふと思う

2010-08-11 | お母さんのひとりごと
職場からの帰り道。 なんてことない、いつもと同じ帰り道。

私の場合は、そのあとの方が予定が詰まっているので
娘を何時に送って行って、息子の学童のお迎えが何時で、サッカー(剣道)が何時からで・・・
あれとあれを あのスーパーで買って帰ったら何時だから・・・
頭の中では 時計がくるくる回ります。

そんな折、ふと気付いたのは、娘は今中2で、あと4年半もすれば大学生。
近くにはいい大学がないから、ぜひとも一人暮らしでもして大学に通ってもらいたいものだ・・・

・・・ってことは、私が娘と暮らすのは、あと4年半。

息子は?  息子は娘と3つ離れているから、3年足して 7年半かぁ。・・・結構あるかな?

・・・でも、待てよ。 彼のやりたいことをやれる高校を選べたならば、高校から離れることだって
ないことではなくて

・・・ってことは、娘とも息子とも あと4年半したら離れて、母さんはひとりで暮らすことになるのかも。


4年半は、すぐすぎる。 びっくりだ。


そんなびっくりな発見を 娘に話したら、ちょっと困ったのか ただ笑っている。
違うときに 息子に話したら、 「 ・ ・ ・ 時々 会いに来るよ。」      って(笑)
この人ってば、いつもそうだ、面白い。 (恋人じゃないっちゅうねん!笑)
すべて そうなってしまいそうな気がしてくるから 不思議。




ちなみに、私は若い頃から、忘れた頃に生える毛がある(笑)
その当時『シアワセノ白い毛』って呼んでいた。 私は 顎の右側にひょろっと生えてくる。
会話をしてる相手の視線がだんだん顎に下がっていき、危うく抜かれそうになったこともある。 
「なにか、ついてるのかと思ったぁ~!」って。 アブナイアブナイ
実は、元夫も、左耳から突然(たぶん突然ではないんだけれど)白い毛がひょろ~っと生えてくる人で、
互いに自慢し、大事にしていたのだ。 (なんのこっちゃ!だと思うけれど、本人たちは真剣。)
顎の右側に、ほーんっとに細い白い毛が、気付いたら生えているのだが、おほほ、今、ある。
一番最近は 離婚した頃で(苦笑)、でもそれを発見した喜びをわかってくれる人は他にはいないので
不思議なことに別れた夫に電話したのだ。
 「それ、言いたかったの?誰にも話せないんでしょ?」って。        わるかったわねー。
知らないうちに、これ、なくなってしまうんだけど、今、あるよ。 おほほ。



おいちゃん

2010-05-11 | お母さんのひとりごと

仕事中に 姉からの電話。
メールだって めったによこさない姉からの電話は、緊急以外考えられない。

Nおいちゃん。 叔父さんのことを 私の出身地では「おいちゃん」と呼ぶこともある。
(南こうせつさんは ファンの方から「おいちゃん」って呼ばれてたでしょ?)

Nおいちゃんは 父の弟で もともと東京で会社を起こしていた人だけれど 30年ほど前に家族とともに
地元に戻ってきた。 2年くらいで おいちゃん以外の家族は 東京へ戻った。 離婚したから。
父とNおいちゃんは 珍しいほどに仲がよく 同じようにすんごい呑み助で。
私の母は 「Nさんは呑まなかったらいい人」、とよく言ってた。
酔っ払いが二人して 毎回同じ話題で言い合ったりして・・・ 面白かった。
「何を言うか、N!」「いや、兄貴、それはちがうで!」と。
公務員だった父と違って 年金も少なかったNおいちゃんを 「俺が面倒みる」と父は言っていたらしい。
そのNおいちゃんが 亡くなった。
現場監督をしていた68歳のNおいちゃんは 高所から転落したという。
病気だったらよかったのに・・・。 心の準備もできやしない。 ずっとずっと働いてきて、68にもなって
痛い思いをして亡くなるなんて せつな過ぎる。

花に囲まれたおいちゃんは 冷たくて 固かった。

30年ぶりくらいに おいちゃんの奥さんだったおばちゃんにも会って 従妹たちにも会って
「こんなときくらいしか会わないけれど・・・」 と滅多に会えない親戚たちにも会った。

人は 死んではいけないと思う。 死ぬのは 決していいことではない。
でも おいちゃんの逝ったところは そんなにいやなところじゃなくて きっといいところなんだと思う。
忌み嫌うところではない。

私は おいちゃんの遺影と 祭壇を 写真に撮ってきた。 不謹慎なことかしら?
そして 家に帰って 子供たちと おいちゃんの素晴らしい笑顔の遺影を見ながら おいちゃんの話をした。
祭壇にある 仏様になったおいちゃんに 手を合わせた。

Nおいちゃんは 68にもなってナンだけど 人懐っこい人で 誰彼と飲むのが大好きで そして電話魔で。
いちど 長崎の飲み屋さんから 電話が架かってきた。
たまたま居合わせた人と話をしてたら それが 私の中・高の同級生だったというわけで。
彼は きっとぜーーんぶおいちゃんにおごってもらったに違いない。 そんな人。
3年前の姉の選挙のときは おいちゃんが運転手をしてくれて それがとっても選挙慣れしたように上手で。
おいちゃんが運転する車の助手席に姉が乗って その後部座席で私がマイクを持っている・・・という
家内工場さながらの選挙風景だったのに・・・。
おいちゃん、頼りにしていたんだよ。
お父さんだって あんなに可愛がってた弟なのに。 お父さんが 一番淋しくなっちゃうな。
今 おいちゃんは 私の実家にいる。 父が毎朝 ご飯をあげる。

帰りに 地元の空港で 文庫本を1冊購入した。
映画は見てないけれど 一度読んでみたいと思ってた。  けど、選んだ理由はそれではなくって
裏表紙の説明文が “幸福な物語”という言葉で結ばれていたから。
おいちゃんは 幸福でしたか?
幸福でしたよね。
私 幸福に生きて 幸福に生きて 幸福に死にたいです、おいちゃん。 



せんせいの涙

2010-03-24 | お母さんのひとりごと
子供たちの学童の先生は とっても泣き虫です。涙もろい。
家庭環境がしっかりしていない子のことで 可哀想で仕方がない・・・と涙を流し
親の都合(仕事の都合ではなく)で学童をやめてしまわなければならない子のことで泣き
6年生を送る“巣立ちの会”では、腫れ上がった目で手紙を読んでくれる。
前日に手紙を仕上げながら、いろんな思い出に涙が止まらなくなるのだそうだ。
その先生の涙に 親たちも涙を流し、こんな先生に育んでもらえてよかった・・・と感謝する。

卒業生たちは先生が大好きで、行事のたびに大きな子達が手伝いに集まる。
決して成績優秀な子ばかりではない。
中学に入り、どうやらよろしくない友達関係にはまってしまい、髪型やジャージの着方も変わってしまった
K君は、それでも小学校の頃のように通知表を見せに来る。
成績はどんどん下がっていて、それでも先生に見せに来る。
たぶん 自分でも気付いていて、先生にお小言もらいたいのかもしれない。
Sちゃんが高校の合格発表の日、合格を喜んでいると、校舎の上のほうから声をかけられた。
2つ上のJ君が「おめでとー!」と声をかけてくれて 「先生が心配してるから早く電話しといで」って
言ってくれたのだそう。 なんかいいなーって 私は思っていて、先生はそれをすごく喜んでいた。
夜中に男女の2人組が コンビニでお買い物。大人から見るとあんまりよい格好ではない。
そしたら女の子の声が聞こえてきた。 「明日、学童いくでしょ?えっ!行かないの?明日、文集作る日だよ!」
ん?と思って見てみると、高校2年になるRちゃん。中学の頃から眉はなかったし、自転車のノーヘルで
しょちゅう捕まって、自転車禁止令がよく出されていた。でも、いつもにっこり挨拶をしてくれる子。
学童では 毎年度末に1年生から6年生までが同じテーマで書いた文章で 文集を作る。
それを100人弱分まとめてホッチキス留めするのを、時間のある保護者と卒業生たちでやってくれる。
基本、仕事を持つ親たちなので、親の参加は多くなく、卒業生たちの同窓会みたいになる。
先生は たっくさんのおにぎりを用意して待っていてくれる。
もちろん 今年は初めて長女のお花も手伝いに行ってきた。
それって 若干の憧れでもあり 小学生だった頃のお花も 中学生になってから学童を訪れることを
楽しみにしていたに違いない。
「学童の卒業生」というもうひとつのクラスが出来上がっているみたい、そんな感じに。

学童と卒業生たちのつながりは 全て書き記すことなんて不可能なんだけど 
そのみんなの信頼を一身に集めているT先生が 昨夜もまた涙目なのだ。
「もしもの時には 力をかしてくださいね」 と なんとも気弱な発言。
聞くと 学童の属する施設の園長先生との意見の食い違い・・・というか 園長先生の発言が原因。
以前 卒業生が先生を訪ねてきた。 すっごくやんちゃしてきた子なので、見た目はどこのオッサンかと
いうくらい恐い風体・・・。その子は今、定時制高校に通いながら働いている。
「先生、俺こうやって頑張ってるよ」と報告に来たらしい。 先生はそれはそれは喜んで 園長にも紹介した。
園長との会話も楽しんで帰った後、園長からの一言・・・
「今度来たら 追い返せ」
先生は こんなことがあるたび辞めたくなる・・・と言う。 園長の機嫌が悪かっただけと思おうとしてる
けれど、せっかく積み上げてきて学童がここまできたのに・・・と ぽろぽろ涙を流す。
「園長は なんで こんなことをしてるんですか?」と左奥を指差しながら なんだか怒りが込み上げてきた。
隣にいた葉っぱの友達の母には 「あっ・・・葉っぱの母に火をつけたら たいへんですよ!」とからかわれた。
私が指差したのは 隣接する○○寮。親のいない子や、親が育てられない子が集団で暮らしてる。
虐待を経験した子がほとんどだったりして 可哀想であることにはまちがいない。
荒れてる子もいれば 普通の子もいる。そんな子、ぜんぶひっくるめて育みましょうとボランティアにも
似た精神で手を差し伸べているはずなのに・・・  その発言はどうなの?と疑いたくなった。

お花の学年には見た目だけで悪そうに見える子はいないのだけれど 家で話した。
あのお年を召した園長の考えを変えるために説得してる時間は無駄なのだから
あなたたちが学童に行くときは とにかく服装に気をつけること。そしてわざわざでも園長のそばを通って
元気のいい挨拶をしてきなさい。卒業生はいい子達だなーと思われるようアピールしなさい。
それから今年卒業の6年生の親に電話。
今週末の巣立ちの会では、卒業生の親が順番に話をする時間がある。そこで話してくれないか、と。
家以外に「ただいま」と帰れる場所があることの安心感や、園長先生をはじめ学童の先生方が卒業生を
温かく迎えてくれるお陰で、道を逸れそうになったときも気付きを与えてくれる・・・と。
園長が(巣立ちの会が始まってから)その時まで臨席しているかどうかはわからないけれど
その場にいるたくさんの保護者には、そのことを耳にして理解してほしいし、何よりもT先生の勇気に
つながれば幸いだと思うから。
残念ながら 卒業生の親でない私には 出る幕がないのだ。

あー、少し すっきりした。
昨夜 お花と話しながら お花も怒っていて 「○○寮の子の方が悪い子はいっぱいいますぅー!」
と言いはじめた。 「○○寮だから仕方ないって言うのー?」って不満だらけだ。
○○寮には悪い子もいるし、いい子もいる。 親と暮らしていても悪い子もいるし、いい子もいる。
そんな当たり前のことを話した夜でした。
(あーーー、長すぎたなぁ

ちいさくて おおきな出来事

2009-12-22 | お母さんのひとりごと

今朝、朝練のために 登校したはずのお花が 戻ってきました。 すごく慌てて。

「お母さん! 車椅子の人が 倒れてる! どうしましたか?って訊いたら 転んじゃったって!!
だから、人呼んできますって言ってきたの!」

上の階のSさんにも来てもらうようにお花に頼んで駐車場に走ると 1階の一人暮らしのFさんが
冷たいコンクリートの上に横たわっていました。
身体に麻痺があって、とてもひとりで暮らしていらっしゃるとは想像できない方ですが
数ヶ月前に 越してこられた方です。車の運転もされます。
いつだったか、遅い時間に帰宅したとき、駐車場で車から降りたばかりのFさんを見かけたので
「何か お手伝いできることありますか?」と伺い、玄関まで車椅子を押して差し上げたことがあります。

ちょうど出勤のために近くを通る方を見つけたので、声をかけ、一緒にFさんを抱き上げて車椅子へ。
「Fさん、夜からだったの?」 と訊くと 違うというような表情をされましたが、手は冷え切っていました。
私の知る限り、車から降りるのは 夜遅い時間です。なので、もしかしたら、夜からだったのかもしれません。
大きな声も出せない方なので、心細い時間を過ごしたのだろうと 悲しくなります。
今朝は、ほんとにほんとに寒かったんですもん。
上の階のSさんも駆けつけてきてくれて、車を施錠し、玄関先までFさんの車椅子を押しました。
「今日は すぐにヘルパーさんみえますか?」と聞いたら頷かれたので 温めてもらえてたらいいのですが。

あとでSさんとお話していると、「あの身体でひとりは無理だよ~」と言われていました。
どういういきさつで 一人暮らしを始めたのかなんて、私たちには知ることはできません。
でも、現状そうされていることは確かなので、少しでもその生活を見守ることができたらいいのに・・・と
何もできないくせに そう思います。
今朝はとても驚いて 悲しかったのだけれど、ひとつだけ嬉しかったことは
お花が 驚いて報告してきたことは当然のことだけれど、きちんとFさんに声を掛けてから私を呼びに
来たということ。
事態を怖がらずに、正しく優しく行動できたことは あとで褒めてあげなくては、ね。
Fさんが車椅子に座ったのを見て、そのまま部活に行っちゃいましたから。


 * * * 


ついでに、私が 子供たちへのクリスマスプレゼントに贈った本たちです。
クリスマスの本が クリスマスの時期に贈られるのは なんだかいいなぁと思うのです。
その年の日付を小さく書き付けます。

 
小4の息子には 「くまのパディントン」 と 「パティンドンのクリスマス」
中1の娘には 「クリスマスキャロル(愛蔵版)」 を。     これは 母さんからの贈り物で、
クリスマスにかこつけて 母さんの本棚にしばらく並ぶのを楽しみに購入しています。
サンタさんは 24日の夜に来てくれるのですって。


続けて想うこと。

2009-10-22 | お母さんのひとりごと
だれかが亡くなるということは  ほんとに とても悲しく残念なことです。

仕方ないことなのだけれど そういうことに接しないと学べないことって きっとあって
誰かの死によって気付いたり 考えさせられたりすること たくさんあります。
悲しいことだけれど。

最近、近くの市で 葉っぱと同学年の男の子が亡くなりました。
自転車に乗っていて。 自動車は逃げたのだと ニュースで知っていました。
ある日のサッカーの試合の開会式で 子どもたちに話がありました。
「○○サッカークラブは、今日参加予定でしたが お別れ会のため参加しません」
その少年は この試合に参加して、葉っぱたちと汗を流すはずだったのだと、その時知りました。
顔も知らない少年の死を こんなに身近に感じたことはありません。
もし 大切な友達を急に失ったら・・・  子どもたちはどうやって受け入れたらいいのだろう。
引越しをして 離れ離れになるのではなく、その「形」がなくなるということを。
そして 当然ながら 母の気持ちにもなりました。

私の母は もう13年間も寝たきりで 話すことも 口から食べることもできません。
首も据わらないし 体のどこも自分の意志で動かすことができません。
でも、怒ります。 笑います。 緊張も します。
もし 私が母みたいになったら どうするだろう・・・?  と離婚した夫と話しているとき
「俺が看るんじゃないの~?」 と言われました。
「へっ? へんなこと言うねぇ。。。」
内心 それは逆なんじゃないの? と思っていますが、長い人生 何が起こるかわかりません。
離婚はしましたが 大事にしていきたいと思います。 ヘヘヘ

私の両親は 今年で 金婚式を迎えます。
その時は ちゃんと帰省しなくちゃね。


祈り。

2009-10-21 | お母さんのひとりごと

昔の南田洋子さんは 似てないけれど   今の南田洋子さんは 母に似ています。

目が大きくて 南国を思わせる顔をしているから。
母は 認知症ではないけれど  その表情は 母が一端回復した頃のものと とても似ています。
(一端回復したのも 13年も前になりますが)

そして もっともっと似ているのは そのご主人の長門裕之さんが   私の父に似ています。
顔は あんな俳優さんみたいに男前じゃないけれど
妻を介護する態度、意気込み、姿勢、そして愛情が ほんとにほんとに似ています。
キスするときなんて ほんとそっくりです。

長門裕之さんは 妻の介護をドキュメンタリーで放映されましたよね。(私は見ていませんが・・・)
そのことには 「女優だった妻を・・・」と 批判の声もあったようですが
私は こういうご夫婦のことを 多くの方に見ていただけて ありがたい思いでした。
父は きっと見ていないと思うけれど どう思うかな?
きっと 「当たり前のことじゃ」 と関心を示さないと 想像できます。

母が寝たきりになったとき 友人のお母様から とても遠慮がちに
「こういう状態になるのと いっそのこと亡くなっていたとして、どちらがよかった?」と聞かれたことがあります。
それは 決して意地悪な質問ではありませんでした。
母の介護のために 私たち家族が実家に戻ったことなど、同居する人間の苦労を推し量ってのことでした。
それに、将来のことを口にするとき 「寝たきりになって家族に迷惑かけるなら ぽっくり逝きたい」という人も
いらっしゃいますよね。 私の傍で そう発言される方も多くいます。
個人の自由だから、それぞれのお考えでいいと思うのですが、
だからこそ いろんな考えがあるということを みんなみんなに理解して欲しい。
「ただいるだけの人」 でも 亡くなってしまって形がなくなってしまうこととは 雲泥の差があるということ。

長門裕之さんが 奥様の介護に幸せを感じていることは 決してテレビ上のきれい事ではないし
そこに幸せを感じる人は 本当にいるのだし
苦労がないと言えば嘘になるけれど それも含めて 愛している人が本当に大事で 
ひとり旅立ってしまうことを想像できないでいるにちがいないことを。

うちの父は 昭和一桁生まれです。確か、長門さんと同じかしら?
お酒が好きで 今でも呑んで帰ってきます。
呑んで帰ったとしても 母はただベッドで待っているだけで、すぐにオムツを替えてあげなければいけないけれど
母がいない家に帰るのは ほんっとに淋しいと言います。
酔っ払いは 「お母さ~ん、帰ったよー!」 と母に酒臭い息を吹きかけます。
そうすると母は 苦笑いのようなそれでも嬉しいような表情をするのです。
きっと 長門さんのように 「力が欲しい」と思っています。 「妻を らくらくと抱えてあげられる力が欲しい」 と。


勇気ある素敵なご夫婦に もう一度安泰な日々が訪れますよう 心から お祈りしています。