ジュール (Györ) の街で国道1号線から国道85号線に進路を変え、国境までひたすら
走るとオーストリアの国土側に盲腸のように出っ張っている街がショプロン (Sopron)で
ある。 何故かオーストリアの領土に複雑に入り込んでいるのかを何度も話したくなる
のは余程のハンガリーびいきなんだろうと思ってしまう。
第一世界大戦での敗北で、オーストリア・ハンガリー帝国は領土の削減と共に、二分
されるにあたり、ショプロンはどちらの国に帰属させるかの住民投票が1921年12月14日
に行われた。 そして住民達はハンガリーの方(小国の方)に帰属することを選んだ。
それによって変形的な国土になってしまったのである。
<スケッチ>
次の写真は、小生がハンガリーに最初に赴任した年のクリスマス休暇で、初めて
ハンガリーの国内を旅した時(1997年12月24日)に、ホテルの窓から眺めた小雪
舞う暮れ行く夕陽の古都に感動したものである。
写真は街の中心部であり、手前の高い「火の見塔」、その後ろが「山羊教会」、
左に福音教会 (ルター派)で、プラハの「100塔の古都」を彷彿させてくれる。
ショプロンは9~11世紀にローマ帝国の属州の一つとして司教区であって、
西側への流通の要衝として栄えて来た。
この街は1989年の8月19日に東ドイツ人に国境を開放し、「ベルリンの壁崩壊」への
道を開いた街でもあり、ハンガリーの首都になったことはないが、戴冠式を代行した
こともある古い歴史ある近代的な国際都市である。
幸いオスマン帝国や第二次世界大戦での戦災もなく古刹も多く残っているのが多くの
観光客を呼んでいる所以であろう。
<ロケーション>
Sep. 08 2007撮
写真は中央広場の「火の見塔」と市庁舎前、塔の上から街を眺めてみよう。
1.山羊教会 (Kecske templom) .....英 Goat church
<スケッチ>
13世紀にベネディクト派の信者であった山羊飼いのガイゼル (Geisel) が山羊で
掘り当てた埋蔵金を教会建設の為に寄付して、建てられたという逸話の教会。
14世紀には 48mの塔も増築された。 「火の見塔」の下にある。
Sep. 08 2007
三位一体像と右側の白い建物は諸官庁ビル
2.福音教会 (Evangélikus Egyhásközs templom)
夕闇迫る中世を醸し出す路地とルター派の福音教会
Dec. 29 2008
1675年に木造の教会で創建され、1782年に今の石造りの教会になった。
3.聖ミハーイ (Szt. Mihály ) 教会 と聖ヤコブ礼拝堂
「火の見塔」から北の方向を眺めると見ることが出来る。
聖ヤコブ礼拝堂は教会の庭の中にある。
教会は13世紀に創建され、現在の物は1800年代に再建されたものである。
4.聖ジュルジ (Szt. György) 教会
「火の見塔」から東方向手前に見ることが出来る。
1380年~1430年にゴシック様式で創建され、1685年に再建された。
5.聖ヤーノシ (Szt. János) 教会
「火の見塔」から西の方向に見ることが出来る尖塔の教会。
1217年には既に、この地に木造ながら存在していたらしいが、15世紀に
ゴシック様式で建立された記録は残っている。
6.オルショリャ (Orsolya) カトリック修道学院とドミニカ会教会
「火の見塔」から南の方向を見ると手前の福音教会の向こうに立ち並ぶのが
● オルショリャ修道学院 : 1861~1864年の創建
● ドミニカ教会 (Szt. Júdás Tádé templom ) :1725年に創建
町の中心から東西南北に教会が林立、教会の詳細(内部も含め)は本ブログの
「ショプロンの教会」(2013/02/25投稿)に記載しておりますので、興味が
ございましたらご参照下さい。
又、「知りたいハンガリー史(1)汎ヨーロッパ・ピクニック」(2019/05/01投稿)
も併せてショプロンに関連しております。
これにて「ショプロンの教会スケッチ(1)」は、お終いです。
本ブログへのご訪問有難うございました。