国道1号線は言わずと知れたブダペストとウィーンを結ぶ日本で云えば東海道である。
多くの中世ハンガリーの教会を見てきたが、地域によって教会の特徴が大きく3つに分け
られるようだ。 その要因は宗派的なものもあるが、地域的、時流、豊かさといろいろ
あるだろう。
ハンガリー東部はトランシルヴァニア地方も含めて古きハンガリーのルーツを色濃く
残しているような、南部は質素な祭壇部と礼拝部だけのカワイイ教会が多い。
そして北西部(西欧からの表玄関というべくこの辺)は、何故か立派な教会が多い。
勿論、例外的な物もあり、主観に偏ってもいる帰来もあるかも知れない。
今回スケッチした教会は非常に似かよった教会で、何故、街の中心でなく辺鄙な郊外に
こんな立派な教会が存在したのか不思議なのである。
1.ジャーンベーク (Zsámbék) 修道院教会
ブダペストから 30Km ほど西へ行くと Zsámbék という村があるが、そこには中世
の美しかったであろう教会が遺跡として残っている。
この教会は通常のオスマントルコ軍の襲撃→破壊→廃墟という歴史パターンではなく、
オスマン帝国が撤退する1686年までの記録が欠落しているので恐らく、支配されていた
時代には、オスマン帝国によって使われていたと思われる。
彼等の撤退後、戻って来たが 1763年 の地震により教会は壊滅し、そのまま廃墟化し
現在に至っている。
Sep. 22 2007
教会は 1250年頃にロマネスクとゴシック様式を混在させたバジリカタイプの
三層内陣構造でプレモント派の修道院がオリジナルである。
(参考)プレモントレ修道会は 1120年にフランスの Premontre で創設された。
残されている教会の高さ 47m、長さ 79m、他の施設の基礎部から推定すると、
国内でも当時としては最大級だったと思われる。 立地条件も高台で見晴らしが
良かったため、145年間もオスマン帝国の軍事拠点とされていたらしい。
後述する非常に類似しているレベニー (Lébény) の教会から内部構造も推察出来る。
教会内部に使われている石柱もよく似ている。
(教会の詳細は本ブログの「ブダペスト郊外の教会 (1) 2013/03/04投稿を乞う参照)
1986年より発掘調査が開始され保存、再建が行われているが完全再建を
して欲しいものである。(ハンガリーには財力がないのが悔やまれる)
<ロケーション>
2.レベニー (Lébény) 教会 .... 別名:聖ヤコブ使徒教区教会
オリジナルは 1199~1212年にベネディクト派の修道院としてロマネスク様式で
建立された。 その後モンゴルの襲撃での破壊、オスマン帝国軍の撤退時の破壊も
あったがその都度、復元されて来た。
現在の教会の姿は 1862~1865年に再建されたものである。
Sep. 22 2007
3000人足らずの村の人口で何故、これだけの教会が存在したのかが疑問である。
主祭壇 脇祭壇(三層内陣のバジリカ構造)
石柱
3.その他の教会
またこの付近には、小さい村に分不相応なバジリカ構造の教会やユニークな
祭壇部構造の教会が存在する。 (いずれも創建は中世である)
3-1. アールパーシュ (Árpás) 教会
モーリチダ (Mórichida) という村に有る。 1251年の創建でロマネスク様式の
一見バジリカ風であるが単層構造の内陣。
3-2. ラーバ・セントミクローシュ (Rába-szentmiklós) 教会
12世紀後半のロマネスク様式で、後ろの円筒形状の祭壇部が特徴。
塔は17世紀に増築。
これにて「ハンガリーの教会をスケッチ(1)国1沿線」は、お終いです。
本ブログへのご訪問、有難うございました。