撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ハンガリーの教会スケッチ(1)国1沿線

2020-07-11 01:59:22 | 海外生活

 国道1号線は言わずと知れたブダペストとウィーンを結ぶ日本で云えば東海道である。

多くの中世ハンガリーの教会を見てきたが、地域によって教会の特徴が大きく3つに分け

られるようだ。  その要因は宗派的なものもあるが、地域的、時流、豊かさといろいろ

あるだろう。  

ハンガリー東部はトランシルヴァニア地方も含めて古きハンガリーのルーツを色濃く

残しているような、南部は質素な祭壇部と礼拝部だけのカワイイ教会が多い。

そして北西部(西欧からの表玄関というべくこの辺)は、何故か立派な教会が多い。 

勿論、例外的な物もあり、主観に偏ってもいる帰来もあるかも知れない。

今回スケッチした教会は非常に似かよった教会で、何故、街の中心でなく辺鄙な郊外に

こんな立派な教会が存在したのか不思議なのである。

 

1.ジャーンベーク (Zsámbék) 修道院教会

  

  ブダペストから 30Km  ほど西へ行くと Zsámbék という村があるが、そこには中世

 の美しかったであろう教会が遺跡として残っている。 

 この教会は通常のオスマントルコ軍の襲撃→破壊→廃墟という歴史パターンではなく、

 オスマン帝国が撤退する1686年までの記録が欠落しているので恐らく、支配されていた

 時代には、オスマン帝国によって使われていたと思われる。

 彼等の撤退後、戻って来たが 1763年 の地震により教会は壊滅し、そのまま廃墟化し

 現在に至っている。                    

                                   Sep. 22 2007

  教会は 1250年頃にロマネスクとゴシック様式を混在させたバジリカタイプの

 三層内陣構造でプレモント派の修道院がオリジナルである。

 (参考)プレモントレ修道会は 1120年にフランスの Premontre で創設された。

  残されている教会の高さ 47m、長さ 79m、他の施設の基礎部から推定すると、

 国内でも当時としては最大級だったと思われる。  立地条件も高台で見晴らしが

 良かったため、145年間もオスマン帝国の軍事拠点とされていたらしい。

 

 後述する非常に類似しているレベニー (Lébény) の教会から内部構造も推察出来る。

 教会内部に使われている石柱もよく似ている。

 (教会の詳細は本ブログの「ブダペスト郊外の教会 (1) 2013/03/04投稿を乞う参照)

 

   1986年より発掘調査が開始され保存、再建が行われているが完全再建を

  して欲しいものである。(ハンガリーには財力がないのが悔やまれる)

 

<ロケーション>

 

2.レベニー (Lébény) 教会 .... 別名:聖ヤコブ使徒教区教会

  

  オリジナルは 1199~1212年にベネディクト派の修道院としてロマネスク様式で

 建立された。 その後モンゴルの襲撃での破壊、オスマン帝国軍の撤退時の破壊も

 あったがその都度、復元されて来た。

 現在の教会の姿は 1862~1865年に再建されたものである。

  Sep. 22 2007

 

 3000人足らずの村の人口で何故、これだけの教会が存在したのかが疑問である。

  主祭壇            脇祭壇(三層内陣のバジリカ構造)

  

 

 石柱

 

3.その他の教会

  またこの付近には、小さい村に分不相応なバジリカ構造の教会やユニークな

 祭壇部構造の教会が存在する。 (いずれも創建は中世である)

 

3-1. アールパーシュ (Árpás) 教会

 モーリチダ (Mórichida) という村に有る。 1251年の創建でロマネスク様式の

 一見バジリカ風であるが単層構造の内陣。

 

3-2. ラーバ・セントミクローシュ (Rába-szentmiklós) 教会

 12世紀後半のロマネスク様式で、後ろの円筒形状の祭壇部が特徴。 

 塔は17世紀に増築。

 

  これにて「ハンガリーの教会をスケッチ(1)国1沿線」は、お終いです。

  本ブログへのご訪問、有難うございました。