この地域のカバーページを飾るスケッチを考えた時、一番に頭に浮かんだのが
ボルドグ・クー城 (Boldog-kő vár) であった。 直訳すると「幸せの石」となる。
山頂に佇む美しい城塞(主観的なミシュコルツのイメージである)
ミシュコルツ (Miskolc) は、ハンガリーの東部にあってデブレツェン (Debrecen) に次ぐ
大きな街であり、人口 15.5万人 (2018年) は国内では4番目に位置する。
1989年の共産圏時代には20万人を超え、ブダペスト、デブレツェンに次ぐ3番目の工業
都市であったが、旧ソ連崩壊後は西側から遠いということもあり、生産→工場の衰退で
人口も激減した。
工業都市ということで市街地よりも郊外の方に歴史的な建造物を含めた観光施設が多い。
(温泉、行楽とアウトドア・ライフ、城塞、古い教会等)
● 温泉では洞窟温泉が、
● 行楽とアウトドア・ライフならリラフレド (Lillafüred) が全国的に有名。
Dec. 29 2012
ハーモリ (Hámori) 湖畔に佇む城ホテルと湖畔駅からの森林鉄道は自然を充分満喫
出来る。 夏季は当然、冬季も温泉とセットで観光客、家族連れも多い。
ストーブ列車は日本の北国ローカル路線を彷彿させてくれる。
● 城塞では近郊に名城(美城)の呼び声高いものが2つある。
① ディオーシュ・ジョール城 (Diósgyöri vár)
14世紀の半ばに、ラヨシュ1世(在位1342~1382年)の命により築城。
オスマン帝国の支配下では使われていたが、彼等の撤退後に始まった1673年の独立
戦争で反ハプスブルクのクルツ軍の砦となっていたが、形勢不利となり自らの手で
自爆、破壊し今日に至る。
城の屋上からミシュコルツの市街地を眺める
② ボルドグ・クー城 (Boldogkő vár) .... 冒頭のスケッチ
モンゴル(タタール)人の襲撃に備える為に、領主が1280年代に築城し、
ラスロー4世(在位1272~1290年)が所有した。 独立戦争の1701年に今度は
ハプスブルク帝国軍によって破壊された。
南塔から眼下の村中心部の眺め
<ロケーション> .... 青丸は観光スポット、赤丸が教会位置
<今回の教会スケッチ>
❶ ボルドヴァ (Boldva) 改革派(カルヴィン派)教会
❷ アヴァシュ (Avas) 改革派(カルヴィン派)教会
❸ ヴィジョリィ (Viszoly) 改革派(カルヴィン派)教会
<教会紹介>
❶ ボルドヴァ (Boldva) 改革派(カルヴィン派)教会
教会は 1175~1180年に建立、ロマネスク様式の建築でベネディクト派の修道院教会
として建てられた。 霧の中に神秘的に佇むのは哀しい物語を語るよう。
Dec. 31 2012
1285年にタタール人の襲撃によって教会は焼失し、隣のあった修道院も破壊され、
長い間廃墟化していたが、1552~1560年にカルヴィン派によって再建された。
しかし修道院は再建されることなく、写真手前の石垣の基礎部分が残っているのみ。
生き残ったモンク達は、バラトン南西部にあったショモジヴァール (Somogyvár)の
修道院に逃れ、この地での修道院活動は以後、行われることはなかった。
ショモジヴァールとは気の遠くなるほどの放浪の旅であり、もうここへは戻って来る
気がなくなったのは容易に推察出来る。
ショモジヴァールについては、最近、本ブログで記載してます(投稿日2020/08/20)
● 内陣
祭壇には飾り物は何もなく恐らく、日々の聖教活動は行われていないようだ。
祭壇側 入口側
❷ アヴァシュ (Avas) 改革派(カルヴィン派)教会
ミシュコルツ市街のアヴァシュの丘の上に、街で最も古い中世の教会が一つだけ
残っている。
オリジナルは13世紀半ばにロマネスク様式で聖イシュトヴァンを祀る為のローマ
カトリック教会であった。
1544年にオスマントルコ軍による襲撃で貴重な壁画や宝物が消失し、暫くの間は
廃墟状態であったが、折からの宗教革命の潮流に乗じ、1563~1569年に改革派に
よって再建された。
1557年に教会西側に改装された鐘楼
教会北側の入口(正門)
教会南側には、ミシュコルツで最も古く由緒ある墓地が横たわる。
当初、塔は内陣と一体化しており、天井も交差リブ・ヴォールト構造であったが、
16世紀以降の改修で内陣から離れた木製のギャラリーを備えたルネッサンス様式
の鐘楼となった。 又、天井は板パネル貼りになった。
オリジナルの構造と推定される。
内陣の西側には1896年の年代物のアングスター・オルガンを備え、音楽活動も
聖教活動同様、現在でも盛んである。
❸のヴィジョリィ (Viszoly) 改革派教会は、小生の大好きな教会の一つでもあり、
壁面に残されているお気に入りのフレスコ画を出来るだけ多く掲載したいという
私的願望より次回の掲載と致します。
..... 次回に続く
世界の時流って形の違いはあれ、同じなんですね、内戦があったり侵略があったり、「栄枯盛衰、世の習い」とはよく言ったものです。
私はカメラ専門だったのですが、視力の衰えもあり(オートフォーカスで撮ったのに敵わなくなった)ちょっとカメラ熱が冷めてしまい、筆に持ち替えた次第です。
人の絵を見る機会が多くなって思うことに、人それぞれに絵の特徴があるようです。 どうか、たかさんも「たかさんの味」が出せるような気がします。
たかさんの感受性は只者ではないと思います。
ディオーシュ・ジョール城は日本で言えば室町時代頃の古城ですね。
ボルドグ・クー城も雰囲気がいいですねぇ。
華美な宮殿に比べると淡白な味わいと言ったら良いでしょうか。私の好きな城です。
もう、雪が降っているのですか?
ハーモリ湖の景色を堪能してストーブ列車に乗り洞窟の温泉でリフレッシュ。 いいですねぇ。
ここもやはり筆を持たずにはいられなくなる協会がズラリですね。
素晴らしいタッチで描かれた教会にジックリ観賞させて頂きました。
私も数日後になるかな?山でのスケッチ(思い出に残る山)を載せたいと思っております。水に解ける色鉛筆でササッと描いたものですので大したものでは有りませんが。
こんばんわ、 実は私もあの鐘楼が好きなんです。北東部に来るとどういう訳か多いんですよ。 最初は時代による建築様式のせいかと思っていましたが、今回は財力のせいなのではと.....
石造りの塔は労力とお金がかかります、そして東部は貧しい地方ですので。 でも立派さより美しければ良いのであって、これから進もうとする更なる東部には、確かにもっと素敵な鐘楼が一杯あった筈です。 絵にすることを楽しみにしています。
津久井湖にもそんな屋根の家がありましたか、何か嬉しくなりますね。 多分、オーナーさんは訳ありなんでしょうね。 コメントありがとうございました、良い一日を!(あ、もう今日は終わるかも知れませんね)
素晴らしい景色をありがとうございました。
霧の中のボルドヴァ教会をどうしても描きたかったのですが、私にはまだ難題だったようです。 霧を上手く描写出来ませんでした。
恐らく、あの教会は外はもう崩れそうなので、スポンサーが付かなければ無くなってしまうでしょうからスケッチと写真を撮っておいて良かったと思います。(ブログに貼れない写真がいっぱいあるんですよ)
これから寒くなり、温泉シーズンになりますが、最近こちらではコロナ感染者が爆発的に増えていまして人の集まる温泉の閉鎖が温泉好きの小生には、ちょっと気掛かりです。
ハンガリーは貧乏な国ですから、GO TO も何も
ないんですよ。 規制ばかりで、富裕な日本が羨ましい。 良い一日をお過ごし下さい。
霧の中にたたずむ教会の雰囲気、大好き!
色の少ないボルドブァの教会もいいですね。
どの絵もさすがに現地で暮らされた成果なんだと羨ましく思っています。
こんな温泉に浸かって旅してみたいです。