撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ブダペストの明日を架けた橋たち

2019-03-29 00:26:58 | 海外生活

 街の発展に川の必要性とそれを活用する橋の重要性は古今東西共通の課題であった。

ブダペストにおいても例外ではなく、今回はドナウ川に架かる橋についての街作りにかけた夢と

経緯を紐解いてみようと思った。 同じような情報や写真が重複するかも知れないが、歳を取ると

忘れぽくなり、クドクもなるのか.......ご容赦を。

ブダペストの郊外も含めるとドナウ川に架かる橋は鉄道用も入れて、全部で11橋梁ある。

そのロケーションは次の通りである(2019年現在)

 

1.ブダペストに架かった最初の橋

  橋のない時代には筏やボートで渡っていたことは、古代ローマ帝国の時代からの方法

 であり、街や村が出来始めると渡し舟(今流でのフェリー)というものになった。

 1790年代になると多数の舟を結びつけて板を渡したいわゆる舟橋になった。 運行する船

 の為に、一日二回は真ん中付近を開閉しなければならなかった。 又、当時の冬は寒かった

 こともあるが、川幅も狭く浅かったので川は凍って、船橋を解体せねばならなかった。

                             SNS Wikipediaより拝借

2.セーチェーニ鎖橋 (Széchenyi lánchid)

  長い間の念願であった恒常的な橋が出来上がったのが、1849年11月21日のセーチェーニ鎖橋

 が最初の橋であった。 セーチェーニ・イシュトヴァンが 1832年に「ブダペスト橋同盟」を

 結成して準備を始めて以来、紆余曲折もあり、実に「明日を架ける橋」の為に17年の歳月を

 費やした。 これによりブダとペシュトは飛躍的な発展を遂げた。

 しかし、第二次世界大戦の末期 1945年1月18日に撤退するナチス・ドイツ軍により橋は破壊

 された。                           SNS Wikipediaより拝借 

    

 敗戦による壊滅的な打撃は、再建に4年を費やさせ、1949年11月に今の形に復元された。

                                   Sep. 27 2009

                                                                                                 Nov. 24 2007

                                                                                                  Jun. 23 2018

 

 

  橋の両袂にライオンの像は、彫刻家マルシャルコー・ヤーノシュ (Marsehalkó János)

 の作品で1852年に設置された。                    Mar. 04 2017

 

3.マルギット橋 (Margit hid)

  19世紀中頃になると、ブダとペシュトは益々繁栄し、セーチェーニ鎖橋だけでは手薄になり

 新しい橋の建設が切望された。 それはオーブダを結合させるマルギット島を経由した計画で

 1872年に着工し、1876年に完成した。

 工期の途中の1873年に、ブダ、ペシュト、オーブダの3つの町が合体しブダペスト市となった。

 現在のようにマルギット島を結ぶ枝橋部分が完成したのは、後年の1900年8月であった。

                                    Mar. 26 2019

                                                                                               Oct. 11 2018

                                                                                                 Oct. 11 2018

 

4.自由橋 (Szabadság hid)=フェレンツ・ヨージェフ橋

  上記2つの橋が完成すると、更に下流の市内中心部(教区教会)と古い町タバーンを繋ぐ橋と

 中央税関(現在のコルヴィヌス大学)とゲッレールトの丘を結ぶ2つの橋の建設が始まった。

 最初に完成したのは、フェレンツ・ヨージェフ橋の1896年であった。

                                    Apr. 29 2018

                                                                                               Nov. 17 2009

                                                                                                                                 

 4つの橋脚の上には、ハンガリーの神話に出てくるトウルルの標識をあしらっている。

                                    Mar. 26 2019

  

  橋の名前の由来は、1867年からハンガリーの国王になっていたフェレンツ・ヨージェフが

 竣工式に出席して、ペシュト側の南橋脚に「F・J」のイニシャルの付いた銀の鋲を打ち込ん

 だことからついた。 但し、今は自由橋(または解放橋とも)呼ばれている。

                                    Mar. 26 2019

 

5.エルジェーベト橋 (Erzsébet hid)

  当初の橋は、セーチェーニ鎖橋と同じチェーン吊り橋であり、ドナウ河岸で最も川幅が

 狭かった(290m)ので両岸の橋ゲタでチェーンを吊る美しい吊り橋となった。

 橋の建設は1898年に始まり、1903年に完成した。         SNS Wikipediaより

 

 1903年当時のエルジェーベト橋     1945年1月18日にドイツ軍に破壊された。

 

  この橋のみ長い間、破壊されたまま放置され、再建までに19年の歳月を要した。

 再建された橋はケーブル方式の吊り橋となったが、両岸から支える方式では安全性に問題

 があり、重量の重い路面電車や線路が橋の上から撤去されてしまった。(完成は1964年、

 くしくも日本では東京オリンピックで、共に戦後に終止符を打ったとは、何かの因縁?)

                                   Apr. 29 2018

  従来は夜間照明が無かったが、日洪国交樹立140周年記念事業として、日本政府の援助で

 2009年11月17日にライトアップが完成した日。             Nov. 17 2009

 

  ハンガリーが大好きだった、橋の建設に尽力したエルジェーベト王妃に因んで橋は名付け

 られた。 橋のブダ側の袂には銅像が見守っている。           Mar. 03 2019

 

6.ペテーフィ橋 (Petöfi hid)

  ブダペストの外環状道路をブタの南側と結ぶ橋で1937年の完成であった。

 この橋も他の橋同様、ドイツ軍によって爆破され、当時はホルティ・ミクローシュ橋と

 呼ばれていたが、1952年に再建された以降は、ペテーフィ(ハンガリーの詩人、1848年

 の革命で活躍)橋と呼ばれている。                   Oct. 11 2018

 

7.アールパード橋 (Árpád hid)

  マルギット島の北端をかすめ、ペシュト側とオーブダを結ぶ橋で1950年に完成した。

 当初はスターリン橋と呼ばれていたが、1956年の革命以降、アールパード橋となった。

 ハンガリーで最も長い橋で陸地の部分を含めると約2kmもあり、橋幅の 35.3m は

 国内最大である、戦後最初の橋。                   Oct. 11 2018

             橋の向こうはオーブダの街

 

8.ラーコーツィ橋 (Rákóczi hid)

  2011年まではラージマーニョシ橋 (Lágymányosi hid) と親しまれていた。

 エキスポ '96 の万博開催の為に、1992~1995年に建設された新しい橋である。

                                                                                                     Oct. 11 2018

 

9.コシュート橋 (Kossuth hid)

  現在は存在しないが、1943年にドイツ軍によりドナウ川に架かる橋のすべてが爆破された

 ため、臨時的に造られた橋で、わずか8か月の突貫工事で1946年1月15日に完成した。

                            SNS Wikipediaより拝借

  

 

  国会議事堂横のコシュート広場とバーチャーニ広場を結んだ。役割が終了した1960年には

 解体され、僅か15年間の命であった。 橋の有った位置には、記念のプレートのみが両岸

 に残されているのみである。                       Mar. 26 2019

 

10.ハーロシ橋 (Hárosi hid)

  環状高速道路M0が、ドナウ川下流(南側)を渡る橋でブダペストの郊外に位置する。

 別名デアーク・フェレンツ橋とも呼ばれ、1990年11月16日に完成した。

 ドナウ上流側は3車線化の拡張工事中(2019年3月現在)         Mar. 26 2019

   あれは2005年であったと思う、事故でM0は延々と渋滞し、迂回路を探し回ったが

 結局、ドナウを渡ることが出来ず、会社に着いたのが午後の出勤となってしまった。

 以後、M0は10年以上、拡張工事が何処かしらにやられている。

 

11.メジェリ橋 (Megyeri hid)

  環状高速道路M0がドナウ川の上流(北側)で渡る橋で、2008年9月30日完成の最も

 新しい橋である。 センテンドレ島を跨ぐ全長1.8km の最新ケーブル橋である。

                                    Mar. 26 2019

 

12.ドナウ川を渡る2つの鉄橋(鉄道)

 一本はブダペストの北側を渡る鉄橋で1896~1900年に架けられた。

                                    Oct. 11 2018

 

  もう一本はブダペストの南側を渡る鉄橋で1873~1876年に架けられた。

 ラーコーツィ橋 (Rákóczi hid)が 20 m ほどの間隔を持って、後から架けられた。

                                    Mar. 26 2019

 

                  これにて「ブダペストの明日を架けた橋たち」は、お終いです。

 

 

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