前回のタリアーンデョーグド(Taliándörögd) から13 Km ほど北へ、ヴェスプレーム
方向 へ向かうと Veszprém 城域で最も大きい支城のナージヴァーゾニ (Nagyvázsony)城
がある。
1526年、モハーチでオスマン帝国に敗れたハンガリー軍は、次に守るべき重要拠点は
ヴェスプレーム(司教本部)であり、この城はいわば、最後の砦であったかも知れない。
しかし1552年には陥落し、その後は廃墟になっていた。
(ブダペストの陥落が1541年になっているので、順番が交錯しているが一説によると
ブダペスト城は戦わずして明け渡したようなので、こういうことは有り得たかも知れ
ない .... 明智光秀ではないが敗者の歴史は甚だ不確かになるもののようだ)
<周囲の風景スケッチ>
ナジヴァーゾニの坂を登りきると、バラトン湖を望むことが出来る。
<ロケーション>
● ナジヴァーゾニ (Nagyvázsony) 城 = キニズィ (Kinizsi) 城 Dec. 02 2017
● 葡萄畑(一帯はハンガリー有数のワイン名産地) Jun. 30 2007
● ナジヴァーゾニ (Nagyvázsony) の村
ヴェスプレーム郡(県)に所属する人口2000人弱の村であるが、歴史は非常に
古く、建国アルパート時代のアコシ族の族長であったヴァーゾニ家の領地であった。
1472年からキニズイ・パールが当時の国王マーチャーシュ1世より後継者のいなく
なったこの地を任された。
彼の偉業は下記の業績で、以降20年間、村の繁栄に尽くしたと云われている。
1.石造りのキニズイ城を強固に再建 ..... 1469年~
2.ローマカトリック(聖イシュトヴァーン)教会の改築 ..... 1481年
3.パール(聖ミハーイ)修道院の設立 ...... 1483年
第1項目については、本ブログ 2017/12/04 投稿の「バラトン湖の古城(2)」にて
記載していますので、興味があったらご参照下さい。
1.聖イシュトヴァーン教会 (Szt. István templom)
教会のオリジナルは、11世紀のアルパート時代には既に存在しており、その
基礎の上にゴシック様式で1481年に建て替えられた。
オスマン帝国の攻撃で破壊されたが、幸いに残った物が多く、内陣を含め1773年に
バロック様式で再建された教会が現在の姿である。 但し、観光用のみに使用。
● 以前(1300年頃)の教会の推定図
● 現在は ..... Apr. 24 2020
● オスマン帝国の攻撃で残った物は ......
入口門の上の石像 Apr. 24 2020
祭壇 天井の交差リブヴォールト構造と説教台
Jun. 30 2007
壁に残されたフレスコ画
香炉
2.パール修道院遺跡 (Pálos kolostorrom) ....別名 Szt. Mihaly
Jun. 30 2007
1552年オスマン帝国の攻撃で破壊され、以後、廃墟になっていたが 1958年に発掘
キニズイ城内にある展示場の模型では .... Dec. 02 2017
これにて「バラトン湖周辺の教会をスケッチ(5)」は、お終いです。
本ブログへのご訪問、有難うございました。