撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き 古城(8)ショムロー城跡

2019-04-27 18:04:06 | 海外生活

 久しぶりのバラトンそぞろ歩きである。 国道8号線を走る機会があり、バラトン湖畔からは

40 km ほど離れているが、ヴェスプレーム郡内であることより取り上げることにした。

国道から城の姿が確認できないことで、これだけの古城を見逃していたこともある。

謂わば、大きなサプライズであった。

● 大昔の火山活動によって出来たショムロー山 (Somló-hegy)、国道8号線より。

                                  Mar. 14 2019

 

● 海抜431mの山は玄武岩で覆われ、麓には葡萄畑が広がるワインの名産地でもある。

 南方角の国道8号線から見ると城の存在は判らない。         Apr. 26 2019

 

<ロケーション>

 

 

ショムロー城 (Somló vár) .... これ以降の画像は、Apr. 26 2019 に撮影したもの。

  1352年の古文書より、城はモンゴル(タタール人)のハンガリー襲撃後に出来た石造りの砦

 であったのが起源である(14世紀の初期であろう)

 フランスのアンジュー家出身のラヨシュ大王の時代1370~1380年の間には皇帝の城として使わ

 れていた期間もあった。 1389年にルクセンブルグ出のジグモンド王は、領主Garai家に城を

 与えた後、所有者が幾たびか替わった。

 15世紀後半にEger の司教 Támás Bokócz が、現在の姿のイタリア・ルネサンス様式の城に

 新しく造り替えた。 それは3方が崖で囲まれた難攻不落な城であった。

 

<1707年、ラーコーツィ独立戦争当時の城構造>

 

 城に到達するまで玄武岩の山道を1時間ほど昇り降りする。

 

 

 南方向が城の入口で、敵はこの方角からしか攻め入ることが出来ない。

 

 北側城壁

 

 東側城壁(下は険しい断崖に繋がる)

 NHK大河ドラマ「真田丸」に登場した上田城に似ていないだろうか。 千曲川に接する断崖

を利用した天然の防御力、徳川勢38,000人の大軍を2度にわたり撃退した地方のいち弱小大名

の山城。 1583年真田昌幸による築城は時代的にも近く、興味深い因縁らしさを感じてしまう。

 

1543年にオスマン帝国軍は唯一の進路であったこの草原(古戦場)で3,000人という兵士を失い

撤退を余儀なくされた。 この先更に北へ2kmほど山中に城があり難攻さが窺える。

 

 結局、城はオスマン帝国軍に墜ちることはなかったが、1653年の第2回モハーチの戦い以降

オーストリア帝国の手中となり、ラーコーツィ (Rákócz) 独立戦争後(1711年)は、廃墟と

なり現在に至る。

 

城の内部

 ● 城入口;

 

 ● 城の通路;石壁には攻撃用の小窓が開けられており、こちら側だけの防御に集中できた。

 

 ● 城中庭;

 

 ● 城共用棟;

 

 

 ● キッチンの煙突内部;

 

 ● 北側監視塔跡;麓の村はショムローソーローシュ (Somlószőlős)

 傍らに興味ある形状の石(人間の顔のようにも見える)

 

 城から見える景色

 ● 北西の方角;

 

 

 ● 北東の方角;麓の村はドバ (Doba)

 

 ● 東の方角;黄色は菜の花畑

 

付属

 ● 聖マルギット礼拝堂 (Szent Margit kápolna)

 向こう下が国道8号線、更に向こうがバラトン湖。 城へはここから徒歩。

 

 ● 城へ通ずる途中にある聖イシュトヴァン展望台 (Szent István Kilátó)

 

 ● 山に生息する色鮮やかな小さなトカゲ(山守かな?)

 

 

  これにて「バラトンそぞろ歩き 古城(8)ショムロー城跡」は、お終いです。

 

 

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