先日、衛星テレビで偶然にも点けた番組が「名曲アルバム」という番組で、ベートーヴェンの
ピアノソナタ第23番「熱情」という曲が取り上げられていた。 クラシック音楽には全く造詣
がなく、そんな曲の存在すら知らない無能ぶりなのであるが、曲のバックに使われていた映像は
何回か行ったことのあるマルトンヴァーシャル (Martonvásár) の雪景色であった。
映像が曲に与える影響は凄いものだと感心し、秋景色だったらどうだろうかなんて考えながら、
ベートーヴェンがマルトンヴァーシャルでの想いを込めて作った曲をタップリ聴いた後に訪ねる
ことにした。
1.ベートーヴェンが滞在した宮殿
Nov. 09 2018
ハンガリーのブルンスヴィック伯爵の別邸である。 ブルンスヴィック公爵は12世紀に十字軍に
参加した獅子王ヘンリーの子孫であり、今の建物は1870年代にフランツの息子ゲーザによって
ネオゴシック様式で建て替えられたものである。
庭園 (Manor park) の中にある小島から見た別邸と教会。
<ロケーション>
<庭園内配置図>
2.ベートーヴェン記念館
宮殿の西端に有る。 Nov. 09 2018
内部
3.ブルンスヴィック家とベートーヴェン
出会いは1799年春であった。 ブルンスヴィック家の当主が亡くなり未亡人となった母親が
娘テレーザ(24歳)とヨゼフィーネ(20歳)を連れてウィーンに行き、ベートーヴェンに
二人の子供達にピアノを教えて貰うことを頼んだことから始まった。
その後、何度もベートーヴェンはマルトンヴァーシャルに訪ねて行った。
将来の彼の作品に、深く関わったと推定されるブルンスヴィック家の人達は次に示す。
上記の3人の女性についてはベートーヴェンの遺書「不滅の恋人への手紙」の相手候補に
挙げられているが決定的な根拠に欠けているらしいので、ここでの記述は割愛する。
ピアノソナタ「熱情」はフランツに献呈したとされているが、実際のところテレーゼか
ヨゼフィーネに捧げたものと推定される。 誰もが一度は学校で聴いたことのある曲
「エリーゼの為に」は、本来は「テレーゼの為に」だったが彼の悪筆によってエリーゼ
と誤解されたという説もある。 一番若いジュリエッタには「月光ソナタ」を献呈
したが「不滅の恋人」かというと???。
4.マルトンヴァーシャル庭園
この土地は1760年頃に、伯爵アンタール・ブルンスヴィックが所有したもので、何も
ない荒野の原生林であったが、3代に渡って英国風の庭園に育てられて来た。
広さは4500ヘクタールもあり、1850年代後半に敷設された鉄道により、多くの自然を
楽しむ人達を集めるようになった。
庭園内部には世界の樹々が植えられ、季節ごとに訪れる人達の心を癒してくれる。
Nov. 09 2018
橋の傍らに日本の楓も植えられている。
池の中央に小島が造られたおり(1893~1897年造)、木橋を渡って行く。
小島の中にはベートーヴェンの彫像が立っており(1927年建造)、小島は彼の癒しの場で
あったと云われている。 1960年以降、毎年夏にコンサートが数回開催されている。
子株が地面からニョキニョキ出て来ている西洋ヒノキが何ともユニーク。
幹に、将来コマーシャルベースに載りそうな形状のコブを抱えている。
庭園内に佇むハンガリーで最初の幼稚園を築いたことを記念するテレーゼと園児の像。
5.聖アンナ教会 (Szent Anna templom)
ローマカトリック教区教会で1764~1774年にバロック様式で建てられた。
門の上にはブルンスヴィック家の紋章、窓を挟んで聖ステファンと聖ラスローの
彫像を飾っている(この時代のローマカトリック教会の定番のスタイルのようだ)
結びとして、ピアノソナタ第23番「熱情」のバック映像は個人的な問題であろうが
晩秋の方がフィットするなあと老婆心ながら思った次第である。
これにて「マルトンヴァーシャルの秋」は、お終いです。
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