「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

政府はコロナ対策なぜ”Go Toトラベル”だけにこだわるのか

2020-12-15 06:41:56 | 2012・1・1

全国のコロナ感染の一つの指標ともいえる東京の新規感染者数が先日連続して600人台をを記録したが、昨日14日は308人と半減した。やれやれと思ったが、都内の入院患者数は2049人もおり、うち重症者は73人といずれも緊急事態宣言解除後の最多だという。

こんな事態の中で政府のウィルス感染対策本部の会合が菅義偉首相出席のもとで開かれ対策を色々協議したが、今朝の新聞の見出しは「”Go To トラベル"全国一斉停止 28日から来月11日」(産経新聞首都圏版1面トップ)であった。まるで拡大防止策が"Go To トラベル”一本だけかのようだ。しかし、産経新聞の社説が主張しているように、なぜ28日まで待つ必要があるのか。

小ブログは先日来、菅内閣のコロナ対策が”甘すぎ後手後手だ。緊急事態宣言を再発すべきだと主張してきた。「勝負の三週間」と銘打っていたが、残念ながら成果はなかった。政府が”笛を吹いても国民が躍らないのだ。この三週間繁華街の人出は減らなかった。戦争中の非常時下では旅行など楽しめなかった。酒は夕方の一刻だけ国民酒場で一合だけ、それも抽選に当たった者だけが飲めた。今のままでは、欧米のようなオーバーシュートさえ起きかねないのでは。


のぞき見の海外旅行(35)マドリッド 闘牛 フラメンコ

2020-12-14 06:45:35 | 2012・1・1

スペイン王国の首都であり、政治経済の中心地、観光都市でもある。メセタ地帯を流れるマンサナレース川に沿って発展した人口300万人の大都会だ。11世紀から13世紀の十字軍時代にはアラビア語で”水の源”と呼ばれたほど水が豊富だ。退職後の旧婚旅行で三泊してきた。

観光の目玉は旧市内の王宮やマヨール広場を中心としたバロック建築の街並み、それにゴヤなどのスペイン画家の名画を展示するプラド美術館だが、筆者らにとってはラス.ベンタス闘牛場や場末の劇場でみたフラメンコ、車窓から見たドンキホーテの銅像が印象に残っている。

日帰り旅行でマドリッドから南へ70キロの世界遺産都市にも出かけた、十字軍時代のイスラム、ユダヤ、キリスト教文化が混然と残っており、グレコ美術館も一見。


コロナ感染 高止まりでは困る

2020-12-13 10:29:35 | 2012・1・1

”勝負の三週間”と銘打った政府のコロナ感染拡大防止策は効果があったのかどうか、残念ながら昨日12日、東京では621人と最多記録を更新、全国の1日の感染者数が3000人を超えた。政府は週明けにも”勝負の三週間”後の新事態をどうするか検討するようだが、何か老生にとっては対策が甘すぎるように見えてならない。

小ブログは昨日、緊急事態宣言(4月9日ー5月25日)の再発を提唱したが、改めて宣言中3か月前の5月13日の小ブログを見なおしたら、東京での新規感染者数は僅か28人、22県では0人だった。それでも”丸投げされては困る 日本丸の舵取り”と、安倍晋三内閣の分科会の提案政策を批判した。しかし、今思うと、やはり国の緊急事態宣言の名の下で感染拡大は抑えられていたのだ。

今の第三波感染拡大はクラスターが主力みたいだが、分科会は初期の段階からその危険性を指摘してきた。その通り、緊急事態宣言が解除された頃から各地で多発してきている。政府は分科会の提言を入れ、対策を講じたのだろうか。逆に僕にはウィルス拡散につながると思われる”Go to キャンペイン”に熱を入れていたかのように思われる。高止まりでは困る。欧米の轍を踏まないよう非常事態宣言再発が必要である。

 

 

 


非常事態宣言の再発が必要 コロナの感染拡大

2020-12-12 08:12:31 | 2012・1・1

昨日も東京では新たに595人と前日の602人についで高い感染者をだした。感染リスクの高い卆寿老人は「三密」を避けて家に閉じ籠り、テレビの一日だったが心配なのは政府の諮問組織である分科会の提言だ。昨日の会合でも現状を三つのシナリオ(おかしな言葉)に分け、それに対応した提言しているが、僕には果たして適切かどうか疑問だ。例えばシナリオ2(感染高止まり)では、相変わらず”go toトラベル”にまだこだわっている。

医療体制でみる限り事態はもっと逼迫してる感じがする。旭川と大阪ではクラスタ―の発生で看護師不足となり、自衛隊に派遣の支援を要請した。ところが旭川の国立病院では「自衛隊」という理由からか断ったという。10年前の東日本大震災のさいの菅直人内閣のような風土がまだ残っているのだろうか。先日物故した台湾の李登輝総裁は当時いち早く超法規の非常事態宣言を出すべきだと提案していた。

感染の推移は”神のみぞ知る(分科会)では、あまりにも無責任すぎる。よく分からないのは国(厚労省)の別の専門家組織から” 国の対策は成功していない”と批判が出ていることだ。司令塔は誰なのか。やはり、国の非常事態宣言の再発が必要だ。残念ながら国難である。非常事態宣言下の年末年始のも覚悟しなければならない。

 


手早なインドネシアの中国製コロナワクチン準備だが

2020-12-11 06:12:00 | 2012・1・1

東南アジア最多のコロナウィルス感染国(57万人)インドネシアのジャカルタ空港に中国大手の製薬会社シノバツク゚のワクチン120万個が早々と到着した。来年1月にもさらに180万個分が到着、政府の治験など手続が終わり次第接種に入るそうだ。半世紀以上の”オブザーバー”の僕から見ると珍しく手際がよい。

昨日(10日)日本国内の新規感染者数は2973人、東京(602)大阪(415)共に過去最多を記録した。厚労省の専門家会議内部からも国の対策は成功していないと批判が出ているようだが、素人の僕は一層そう感じる。何かすべて後手後手々みたいなのだ。英国はすでに一般人への接種が始まっているが、日本ではやっと接種の大綱が決まっただけで、いつ日本に到着するのかもわからない。

話を元へ帰すと10月、菅義偉総理は初の外遊先のインドネシアのジョコ大統領にコロナ対策として気前よく500億円の借款供与を約束した。インドネシアでは数年前ジャワ高速鉄道の建設をめぐる中国との入札競争でどんでん返しにあい苦湯をのまされている。借款は華僑の手を経て中国政府へスルーという構図だ。気になるのはコロナ対策の社会相が収賄で逮捕されていることだ。インドネシアとの取引は”hati hati"(要注意)である。

 


南京陥落一番乗り 脇坂部隊の歌

2020-12-10 07:36:02 | 2012・1・1

先日高視聴率で放送を終えたNHKの朝のドラマ「エール」は戦中から戦後にかけての昭和の作曲家、古関祐而の一生を描いたたものだ。古関には戦中の軍歌として「露営の歌」「暁に祈る」はよく知られているが、南京陥落一番乘りした「脇坂部隊」があるのはあまり知られていない。                

「脇坂部隊の歌」(中山正男作詩 古関祐而作曲)負いてひるまぬ敵勢に 弾薬つきて石を投げ 城門死守の夜は明けて 世紀の朝の日章旗 一番乗りの岸隊の誉れと共にはためきぬ 

脇坂部隊と言っても知る日本人は少なくなったが、83年前の昭和12年(1937年)12月10日、大激戦の末南京城に一番乗りした歩兵36連隊(鯖江)の大隊である。 一番乗りは新聞に大きく報道された。亡父の日記には「南京落城 敵はわが投降勧告にも応ぜず午後1時半すぎ総攻撃を開始午後5時、脇坂部隊光華門に一番乗り」と克明に書いている。 

南京陥落が正式に大本営から公表されたの13日、「脇坂部隊の歌」にもあるように”弾薬つきて石を投げあう白兵戦であった。戦後極東軍事裁判で中国側が主張するような大虐殺はありえない戦いであった。当時小学校1年生だった僕は14日、全国各地で催された戦勝祝賀旗行列に参加した。脇坂部隊の名誉のために一文した次第。                   

 

 


介護崩壊が心配

2020-12-09 16:28:26 | 2012・1・1

週に一回、足腰のリハビリに通園治療しているが、今日の参加者は男性は僕一人だった。4月―5月の非常時宣言の後、施設が自主的にサービスを中止したことがあって参加者は減少していたが、再開した後も元の盛況には戻らない。施設は医院との併設といこともあって防止には細心の配慮をしてくれ、送迎バスはわずか二人ということもある。

夕刻、新たな東京の感染者数を速報で知ったら、572人と過去2番目に高い数字だが65歳以上の高齢者が100人を超えた。心配だ。が、僕は施設がサービスを中止した時心身ともに弱まったにがい体験をしているから自分からやめるつもりはない。しかし、先日94歳の先輩からの電話があって隣が病院だが、三密回避のため通院を控えているとのことだ。同じような気持ちの人が多いみたいだ。

旭川では二つの大病院がクラスタ―で看護師不足になり自衛隊からの支援を要請したという。北海道では医療機関だけでなく、介護施設でのクラスタ―も多発していいる。介護施設の崩壊が心配だ。


のぞき見の海外旅行(34)イタリア(3)フィレンツェ 芸術の都

2020-12-09 06:51:27 | 2012・1・1

15世紀ルネンサンス時代メデイア家の保護の下で繁栄したイタリア中部の「芸術の都」である。市内にはウイルデイ美術館のレオナルドダビンチの「受胎告知」、ミケランジェロの「聖家族」など西洋美術史にでて来る名画が数多くあり一日では見きれない。

2000年、退職後フィレンツェに移住した旧友を訪ね旧市内の石畳みの古い住宅を改造したホテルに三泊した。その先達のお陰でパッケージ観光では見られない市民の市場まで見学できたが、市内を流れるアルノ川にかかるべツキオ橋の両側の商店街が興味を引き,買いもしない金細工を冷かして歩いた。場末のバール(バー)でワインを飲んだり家庭の味のパスタを食べたりした。

滞在中、一日咲いて列車とバスで一時間あまりピサの斜塔の観光に出かけたが、修復中で中に入れなかったのは残念だった。トスカニー地方の田園を車窓からかいま見られた。


12月8日 大東亜戦争勃発 大詔渙発

2020-12-08 06:49:39 | 2012・1・1

早朝のNHKラジオの「今日は何の日」を寝床で聞いていたら”昭和16年12月8日、旧日本軍ハワイを攻撃、太平洋戦争始まる”と伝えていた。あれからもう79年の月日が経っているが、当時小学校5年生だった僕は、居間のラジオから米英両国に対して戦争が布告された臨時ニュースを鮮明に覚えている。宣戦布告は天皇(昭和)の大詔(勅語)で渙発された。

天皇陛下のお言葉は「教育勅語」「軍人勅語」「青少年に賜りたる勅語」など勅語で呼ばわれていたが、当時この宣戦布告の勅語は大詔と呼ばれ,政府(東條英機内閣)によって国民に渙発(水が四方に散る意)された、17年2月には大詔奉戴日が制定され、毎月8日には職場でも学校でも式典があり、国旗が掲揚され、日の丸が斉唱され「大詔奉戴日の歌」まで作られ歌われた。▽「大詔奉戴日の歌」(作詞尾崎喜八 作曲信時潔 昭和17年)天つ日の光とあおぐおおみこと おしいただいて 一億の手に手を取り合って 感激の涙とともに必勝を誓ったこの日わすれじ

銃後の少年として、この歌を歌った世代にとっては「今日は何の日」の「太平洋戦争」の表現にはやはり抵抗がある。戦争が勃発した直後の12日、当時の政府はこの戦争は日支戦争にさかのぼり「大東亜戦争」と呼ぶと閣議決定している。戦後生まれが80%を越え、戦争も「記憶」から「歴史」になってきたが「記憶」のある世代がこの世にいる時代に間違った「太平洋戦争」みたいな呼称は訂正すべきである。戦争中、日本人は大東亜戦争の名の元に手をとりあって戦ってきた。

 

 

 

 


のぞき見の海外旅行(33)イタリア(2)ナポリ 見てから死ね

2020-12-07 06:57:43 | 2012・1・1

イタリアの諺に”ナポリを見てから死ね”というのがある。”日光を見ずして......."と同じ類だが、1998年旧婚旅行でローマを訪れた際、足をのばし高速道路で片道3時間そのナポリと近くの火山遺跡ポンぺーを観光してきた。ナポリは周辺を入れると人口400万人、ローマ、ミラノに次ぐ大都市だが、その風光の美しさは諺通りだ。日本人が好きな民謡「サンタルチア」の町もナポリ湾ごしに遠望できる。

世界遺跡のポンぺーは西暦79年,ヴェネツィア火山の爆発による火砕流によって埋まった古代都市の跡だが、19世紀に発掘され再現工事が今でも進められているが、昔のローマ人の生活ぶりがわかり興味深い。往時2万人が住んでいた都市跡だけにツアー観光では物足りない。ナポリ観光も同じで、バスに乗って駆け回っただけだが、名産のネープルが印象に残っている。帰国してイタリア通の友人に現地でナポリタン.スパゲテイを食べず残念だったと話をしたら、「ナポリタン」は日本が発生地だとのこと。老妻は土産に買ってきたカメオ細工を今なお大事にしている。