「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

のぞき見の海外旅行(4)マレーシア(1)マラッカ 歴史都市

2020-09-20 07:08:08 | 2012・1・1

マレーシアの西海岸にある自ら「歴史都市」と認定している世界遺産の町である。首都クアラルンプールから片道2時間ほどだが歴史好きの者にとっては数日観光に要する。ジャワのスリブジャワ王国の皇太子だったパラメスワラが1369年建国した。香辛料の東西貿易の港として栄え、当時沖縄の琉球王国との通商があった記録がマラッカ博物館にある。

その後マラッカ王国は西欧の浸食を受け、16世紀オランダ、17世紀ポルトガル、18世紀世紀英国とその時代の歴史遺産がいま観光地として残されている。日本の軍政時代については、戦後発表された作家大仏次郎、小説、「帰郷」に余聞として書かれている。市内のポート.ディクソンは夕陽が美しい地とされているが、ここには旧陸軍の幹部候補生の訓練所があり、千人余りが南方各地の前線に派遣されている。

フランシスコ.ザビエルはマラッカからヤジローを案内人に日本へキリスト教の布教に出発している。

 


のぞき見の海外(3)シンガポ―ル(3)チャンギ 戦争傷跡

2020-09-19 07:17:43 | 2012・1・1

シンガポールの玄関口、国際的なハブ空港がある。1981年開港で歴史は新いが、今や週に6000便の就航があり、世界の200都市を結んでいる。筆者が初めてシンガポールを訪れたのア1966年3月,降りたのはバヤリバという戦前からある天河飛行場であった。それが半世紀少しで四つもターミナルを持つ第空港都市が出現した。

チャンギはは戦前英国植民地時代は中心部から離れた刑務所があるだけの漁村だった。この漁村が先の戦争でかき回された感じがする。シンガポール政府の公式記録によると、占領直後日本軍はしない11か所で「粛正」という名で華僑の”虐殺”をしているがその1か所がチャンギ海岸とされている。

戦後、この”虐殺”の責任を問われ、旧日本軍の関係者が連合軍裁判で死刑を言い渡され、チャンギ刑務所に収容された後刑が執行あれている。いずれも歴史の表舞台から消えつつある。チャンギには博物館があるが戦争中日本軍によって捕虜として刑務所にいた英国兵の遺品を集めたものだそうだ。


感染再拡大警戒の中での”go to トラベル”東京発着陸

2020-09-18 09:11:38 | した。

東京都内のコロナ.ウィルス感染状況を分析評価する昨日のモニターリング会議で現況は”急速な増加が強く危惧される”との都の警戒基準の上から2番目のステージを維持することで一致した。ポスト安倍、菅総理の選出で遠ざかっていたが、この間も東京ではウィルスは増えており17日も171人を記録している。これを”急速”と呼び”強く”危惧するかどうかは別だが。

この状況の中で東京発着陸のgo to トラベル”が10月1日から実施されることになり、今日18日から発売される。急速な感染拡大が強く懸念されてるおに小池百合子知事は”外出する際には感染防止対策を万全に“と月並みなこといっているが。それと”go to"とは別問題だ。

うがちすぎるのかもしれないが、政府、東京都が”go to"キャンペンに賛同なの、発案者公明党への配慮だという。しかし、感染拡大はピークをこえたという政府判断である。むしろ、政府や東京都の危険ステージを緩和すべき時期にきているのかもしれない。

 

 

 


歓迎 「菅義偉丸」平均年齢60.4歳の船出

2020-09-17 08:45:50 | 2012・1・1

「菅義偉丸」が昨夜皇居での親任式と閣僚認証式を終え正式に船出した.。菅総理71歳、副総理の麻生太郎氏80歳(正式には9月20日の誕生日が来て)。先日博、自民党の二階俊博幹事長の留任が決まった時、小ブログは”心配な老船頭たち”と悪口を書いたが、新閣僚の平均年齢が60.4歳と知り一安心した。舵取りは老人でも漕ぎ手は若い人がよい。

閣僚の年齢構成をみると、70歳以上は菅総理と麻生副総理と平沢勝栄復興大臣の75歳の3人しかない。そのうち戦前生まれで80歳は麻生副総理だけだ。これに対して60歳代は加藤勝信官房長官をはじめ8人、50歳代は初入閣の井上信治大臣(万博担当)50歳ほか9人、39歳の小泉進次郎環境相も留任した。

菅新内閣について野党からは”安倍総理なき安倍内閣”と安倍内閣の継承に過ぎないとの評が多い。しかし、それでは困る。さしあたってのコロナ禍の終息、すでに開催まで1年を切った東京五輪パラリンピックの最終準備などなど問題は山積しているが、昨夜の記者会見を見て僕は静かなうちにも、これに立ち向かう覇気を菅新総理に感じた。新総理には人をまとめる力があるようにみえる。若い漕ぎ手で世界へ乗り出してほしい。


のぞき見の海外(2)シンガポール(2)ブキティマ 激戦地 

2020-09-16 07:02:52 | 2012・1・1

シンガポールの最高峰ブキティマ(bukit timah)は名前の通り、かってはtimah(錫)を採掘したbukit(丘)であった。今は政府の自然保護区になっているが大東亜戦争の緒戦(昭和17年2月)この地で島の最後の攻防をかけて、わが軍(山下奉文司令官)と英国軍(パーシバル司令官)との間に激戦が展開された。結局、白旗を掲げたパーシバル将軍は山下将軍の”イエスかノーに屈している。

その降伏式は当時ブキティマにあったフォード自動車工場で行われたが、今その跡は戦争博物館になっていて、日本ではみられない資料もみることができる。この”イエスかノー”の場面は藤田嗣治の戦争画によって描かれ、観光地セントーサ島にもパノラマで展示されている。

シンガポールにはコロナ禍以前には年間83万人もの日本人観光客が訪れているが、どれだけの人がブキティマを知っているだろうか。この戦いで10万人の英国兵が捕虜になっている。輝かしい戦いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


心配な「菅義偉丸」のお年寄りの船頭たち

2020-09-15 06:31:50 | 2012・1・1

昨日の自民党総裁選挙で菅義偉官房長官が新しく選ばれた。ついで新総裁の下での幹事長に二階俊博氏の留任が決まった。16日開かれる国会で菅総裁がであrr総理に指名されるのは確実。菅総理は新内閣の組閣に入るが、早くもマスコミ人事では麻生太郎副総理.財務相の留任が事ざたされている。菅総裁71歳、二階幹事長81歳そして麻生副総理80歳である。

安倍晋三総理が65歳だけに菅総裁の71歳はかなり年上に思われるが、事実総理就任時の年齢としては、戦後71歳以上の総理は幣原喜重郎(74)石橋湛山(72)宮沢喜一(72)と3人しかいない。戦後の名宰相といわれる吉田も就任時は70歳であった。

人生100歳時代に入り、一般社会では”60.70洟ったらし小僧”と言われ、元気な人が多くなってきた。しかし90歳,卆寿の体験では年と共に心身共に弱くなり、活力が失われてくる。元気そのものでった安倍総理がそのよい例である。

心配なのは今の国力である。コロナ禍に面して国難ともいえる。未曽有の事態に対して必要なのは新しい発想と実行だと思うが、お年寄りの船頭さんの舵取りが心配だ。


のぞき見の海外旅行(1)シンガポール(1)タンジョン.カトン

2020-09-14 05:49:44 | 2012・1・1

人生百年時代というが、卆寿90歳のお祝を頂くと、さすがに最終コーナーを回った感じだ。過ぎし来し方が懐かしく想い出されてくる。なかでも仕事で、遊びで旅した海外の国々が覗き見ながら忘れられない。20年ほど前、仕事の現役を去った頃、一度アメブロでで「1000都物語」と題して、僕の海外旅行記を書いたことがるが、再び追記.リライトして「のぞき見の海外」としてまとめてみた。その第1回がシンガポールで、その第1回が取材でいつも宿をとったタンジョン.カトン。

「タンジョン.カトン(タンジョンは崎、カトンは亀、亀ヶ崎とでも称せられるのか)の風景は、ジョホールの名所絵葉書ののおざなりだ。椰子の葉越しの月、水上家屋、カヌー、誰でもが,センチメンタルになる」と昭和3年、この地を訪れた詩人の金子光晴は自著「マレー蘭印紀行」の中で書いている。金子光晴だけではない。戦前、南への雄飛の夢をかけてシンガポールに渡った日本人は一夜をこの地に宿した人が多かった。

筆者が初めてシンガポールを訪れたのは1966年3月だが、開発以前で市内には今のような超高層ビルは一つもなかった。残念ながらセンチメンタルを求めてタンジョン.カトンへは出かけなかった。しかし、その後シンガポールでは大規模の埋め立て工事が行われ街の様相が一変した。タンジョン,,カトンの名前は残っているが、旅人には金子光晴時代のそれは特定できない。

筆者の長年のホテルはMRT東線のlaya leber駅の近くにあったが、住所はタンジョン.カトン通りであった。海岸線からは遠く離れていたがなんとはなく昔のセンチメンタルを感じた。事実、ホテルの近くにはマレー系住民の博物館やホーカー.センターもあり昔のシンガポールがあった。しかし、2012年、再訪のさいホテルは撤去されてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


年はとっても”今年90の「ブローガー」”

2020-09-13 06:39:11 | 2012・1・1

「敬老の日」を前に目黒区長から早々と90歳「卆寿」のお 祝い、金一封5000円を頂戴した。「卒寿」とは「卒」の略字「卆」から来たもので還暦(60歳)古稀(70歳)喜寿(77歳)傘寿(80歳)米寿(88歳)につぐお祝い。百歳社会では残るは白寿(99歳)だけ、思えば思齢をかさねてきたものだ。

戦前は人生50歳と言われた。その時代の老人の表現としてよく引き合い出されるのが童謡「村の船頭さん」(武内俊子作詞 河村光陽作曲)だ。”村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん”で始まるが、当時(昭和16年)としては60歳でも”お爺さん”であったのだ。今はどうだろうか。現役閣僚の年齢だ。

2006年、75歳の誕生日を期しボケ防止のため、娘の勧めで始めた小ブログも回を重ねて5000回を超えた。しかし馬齢と共に仕方がないのだろう。最近とみに心身のフレイルの度合いが深まってきた。指先の力が弱まり、PCのキーの変換にまで影響がでてきた。記憶力も衰えてきた。90歳ブロガー、いつまで”ギッチラ、ギッチラ”漕いでいられるか。

 

 

 


コロナ対策緩和歓迎

2020-09-12 07:59:32 | 2012・1・1

政府のコロナ.ウィルス感染症対策分科会は11日の会議で19日から始まる4連休を前にプロ野球などイベントの入場上限5000人を撤廃、同時に”go to トラベル”に10月1日から東京を含む旨公表した。東京都の小池百合子知事が10日、都の、感染警戒レベルを一段階下げており、これを受けての措置だろうかー。

東京の新規感染者数は11日も187人と三ケタを記録しているが、確かにピーク時は過ぎた感じだ。この時期に国が一連の緩和策を発表するのは理解できる。しかし、あまり発表が唐突ではないだろうか。来週初めの14日には自民党総裁選挙があり、安倍総理の後継者が決まる。一連の緩和策が、これに併せての名前だけの打ち上げ花火で終わらなければよいのだが。

おさおさ感染防止を怠ってはいけないが、村祭りがきても笛、太鼓が聞こえてこないのは異常である。東京五輪まで1年を切っている。正常な社会に戻る地ならしをそろそろはじめるべきだ。対策緩和歓迎。

 

 

 

 

 

 


コタコタ.インドネシア(45)クディリ 技術協力

2020-09-11 20:10:18 | 2012・1・1

ジャワ島第二の大河、ブランタナス川流域の人口23万人の東ジャワの都市である。和蘭植民地時代から砂糖とタバコ、とくに特産の丁字タバコ(rokok  kretek)の生産地として有名である。町名は11世紀から13世紀にかけて、この地方に栄えたヒンズー王国の名に預かったもの。周辺には当時の遺跡が観光資源として残されている。

和蘭時代にはブランタナス川の氾濫で流域の住民を困らせていたが、昭和18年(1943年)日本軍政下の大掛かりな治水工事で「根山トンネル」が掘られ今のような穀倉地帯に変化した。「根山」の名前は今でも残っており、工事は戦後も発電所建設などに引き継がれわが国が資金、技術援助している。

(コタコタ.インドネシアはこれで終了します。1966年から2012年間に訪れたインドネシアの町々です)