「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

スラウェシの地震津浪と略奪行為

2018-10-11 05:46:23 | 2012・1・1

スラウェシ中部地震発生から2週間、インドネシア政府の発表によると、被害者は2000人を超えているが、未確認情報では、まだ5000人が行方不明だという。こんな中でインドネシア政府は大掛かりな捜索活動は中止、これまた未確認情報(AFP電)だが、一部外国からの捜索支援も遠慮することを検討中だという。

現地からの写真を見ると、津波や液状化現象による被害はひどい。これで捜索活動を停止してよいものか素人ながら心配だ。2011年3月11日の東日本大震災の時は、発生2週間のこの時期は、在日米軍の「トモダチ作戦」(2万4000人〉をはじめ官民あげて行方不明者の捜索に当たっていた。一方、暫定的な仮説住宅の建設も始まっていた。

現地からの情報で気になるのは、住民たちが堂々と、被害を免れた店から略奪をしていることだ。2004年のスマトラ沖大地震の時はあまり聞かかった話だ。もちろん、東日本大震災の際はなかったことだ。逆にあの時は、民主党政府の突然の停電計画で、首都圏は無政府状態になり、買いたい食品がスーパーの店先から消えた。

東日本大震災で当時の菅直人総理が原発事故被災地を初めて訪れたのは、地震発生から3週間を過ぎてからであった。インドネシアでは、来年4月の大統領選挙に向けて前哨戦が始まっているが、被災地を訪れたジョコ現職大統領の評判はどうなのだろうか。スカルノ政権時代、インドネシアでは、華僑襲撃が年中行事で、略奪もつきものであったのを想い出す。アジアの親日国の一つである。「トモダチ作戦」を続けたいものである。

ミャンマーとの友好が理解できない朝日新聞

2018-10-10 04:47:33 | 2012・1・1
ミャンマーの国家顧問兼外相でノーベル平和賞受賞者のス―.チーさんが、東京で開かれたメコン川流域5か国会議に出席、安倍総理とも個別に会談した。会議に先立ち、スー.チーさんは福島県泉崎村の人出不足の農村と身障者施設を見学、同時に原発事故以後の被害地の現状も視察した。とても国連人権委員会で糾弾された国の指導者の政治姿勢とはみえぬ余裕だ。

ミャンマーでは今年に入って国内のイスラム教少数民族、ロヒンギャが軍の圧力で、隣国バングラディシュに避難しており、これが人権違反だとして国連が中止決議案をさきごろ可決した。わが国は、”批判より支援”という立場から棄権したが、朝日新聞社説(10月7日)は、スー.チーさんの来日に当たり”(ロヒンギャについて)国際社会がいかに厳しいまなざしを向けているか、政府は直言すべきだ”と書いているが、国同士の友好とはそんなものだろうか。

わが国とミャンマーとの関係は長い。ス―.チ―さんの父親はビルマ(ミャンマーの旧名)は独立の父と言われ、先の戦争中「オンサン」将軍名で一時日本に亡命したことがあり、浜名湖畔にその記念碑もある。スー.チーさん自身も戦後京都大学に留学している親日家である

ミャンマーは戦後長い期間、軍政にあり、国際社会から孤立していた。スー.チー自身も幽閉されていた。民主国家として再スタートしたのは2015年で間もない。新しい国造りの最中で色々問題を抱えている。ロヒンギャもその中の一つだ。泉崎村の視察が問題解決の一つになあればよい。

1964年10月10日 東京五輪開幕のあの晴れた朝

2018-10-09 06:26:12 | 2012・1・1
10月第2月曜日「体育の日」の産経新聞の社説は”歴史の意義を顧みる機”という主張だった。「体育の日」が54年前の1964年10月10日開かれた東京五輪の輝かしい記憶に結びつける国民はどれだけいるかという書き出しで、”「体育の日」は先人の流した汗なしでは語れない。焦土となった東京の地に終戦から19年目に開催された歴史の意義を顧みる機会にせよ”という主張である。

同感である。当時僕は33歳、直接五輪の仕事には関係していなかったが、10月10日、開催日のことは昨日のように覚えている。朝起きてみると、前夜来の激しい雨はすっきりと晴れ上がっていた。その秋空の下で聖火が点火された。あの感激は当時の国民みなの目に今でも焼き付いて残っている。

当時の国民の五輪に寄せる期待と喜びは大きく、開催1年前から三波春夫の東京五輪音頭が巷に流れ、NHKの紅白でも歌われた。ネット情報によると,2020年五輪まで2年をきり、「東京音頭2020」が、レリーズされたそうだ。メロデイは前回と同じ。加山雄三と石川さゆりらが歌っているそうだが、歌詞は前回の"菊の香りの秋の空”が”入道雲の夏の空”に”赤トンボ”が”セミ”に変っているとのこと。

2年先、この世にいるかどうかわからない老人がケチをつけて申し訳ないが、半世紀に一度の国を挙げてのお祭りだ。新しい音頭や踊りがあってもよいのではないか。今一つ、前回に比べて、盛り上がりが少ないのも、こんなところにあるのではないか。


戦前昭和 1930年代の東京の活気

2018-10-08 05:47:04 | 2012・1・1
都民の台所として親しまれてきた築地水産物市場が先日、最後の営業を終えて83年の歴史の幕を閉じた。築地市場は1935年(昭和10年)、江戸時代から日本橋の魚河岸にあった市場が、23年の関東大震災で壊滅の被害を受け、海軍御用地であった築地の地へ移転してきた。31年生まれの僕には、直接の記憶はないが、戦前昭和のあの頃が何故か愛おしい。

戦前昭和というが、いつからいつまでという、はっきりした定義はないが、だいたい1930年(昭和5年)から40年までの10年間と一致する。満州事変(31年)から大東亜戦争(41年)勃発の前年までの期間である。40年前半が激動しすぎたため、忘れがちだが、日本の近代化への跳躍台のピリオドであった。

関東大震災の帝都復興記念祭が、復興を祝って1930年3月、賑々しく開催されている。震災から6年6か月後である。復興事業のシンボルとして都心部には、幅広の昭和道路が走り、コンクリート建て学校が建った。”踊り踊るなら”の東京音頭が街々に響いた。紀元二千六百年と東京五輪開催に向かって街は活気に満ちていた。銀座の柳の下では、夜店が出ていた。軍靴の足音は、まだ聞こえてこなかった。

歴史に”レバタラ”はないのだが、戦火が太平洋にまで拡大しなかったなら、世界はどう変っていただろうか。映画にうとい僕でさえ、1930年代のハリウッド女優スター、シャリ―テンプルの名前をいまだに覚えている。戦前昭和とは、こんな時代であった。

母校の校旗も旭日旗 韓国の失礼

2018-10-07 05:07:07 | 2012・1・1
済州島沖で開催される韓国の国際観艦式に防衛省は海上自衛隊の護衛艦を派遣しないことを決めた。理由は韓国側から護衛艦が掲げる旭日旗が日本軍国主義の象徴で好ましくない。自粛してくれと申し出があったからだ。しかし、旭日旗は海上自衛隊旗であり、国連海洋法条約にも掲揚が規定されている。わが国がとった措置は正しい。

旭日旗は明治22年、旧帝国海軍の軍艦旗と採用され、戦後も海上自衛隊の艦旗として使用されているが、戦前は今より国民の生活に身近な存在であった気がする。手元に僕の幼稚園年長組の自由画帳(昭和11年)があるが、これをみると、ほとんど、どのぺージも旭日旗を掲げた軍艦の絵である。高校野球で知られる朝日新聞の社旗も旭日旗の意匠をアレンジしたものだが、僕の母校、攻玉社中学(旧制)の校旗も旭日旗に校章の「玉」をあしらったものだ。

文在寅政権になって以来、韓国は解決済みの慰安婦問題の蒸し返し、強制徴用工問題、それに今回の旭日旗問題と未来志向を目指す両国にとって逆行するものばかりだ。1998年10月8日、当時の小渕恵三総理と金大中大統領との間に「日韓パートーナーシップ}協定が調印されてから20年だが、この国は何度、協定、条約を結んでもムダである。日本統治下の歴史について、正しい認識を持たない限り、未来志向の話はできない。

(攻玉社)文久3年(1963年)蘭学塾として、明治の教育者、近藤真琴が創立、一時,築地の海軍操錬所にあったことから、海軍兵学校の予備校とみなされ、その関係から、戦前、鈴木貫太郎総理をはじめ海軍大将15人を輩出している。戦前、軍神として教科書に載っていた広瀬武夫、佐久間勉(艇長)も卒業生である。現在、中高一貫の男子校。東京品川区所在


つまらない、同じようなテレビの情報番組

2018-10-06 05:52:52 | 2012・1・1
”飲む打つ買う”しか趣味のない昭和1ケタ世代、最近は外出する機会も少なくなり、もっぱら朝から夜までテレビを見てばかりだが、困ったことに耳が遠くなり、家人から音が大きすぎると苦情が出始めてきた。テレビを見るといっても定時のニュースかスポーツ番組,それに、やむをえず、いわゆる情報番組と称するものだが、どの局を見ても同じようでつまらない。

昨日、そんな中でフジテレビ系の午後の情報番組「バイキング」に石破茂自民党元幹事長が出演していた。先日の総裁選で安倍晋三総理に負けたとはいえ、まだ時の人だ。しかし、内容は面白くなく、新内閣の女性閣僚が片山さつき地方創生相だったことに関連して、わが国は女性政治家が少ないと、次期総裁選をにらんでの発言しか僕には興味がなかった。番組も床屋談義のあの赤青のシンボルが置いてあったが、なぜか作動していなかった。

石破茂氏の出演はまだ目先が変っていてよい。昨日はほとんど、どの局も、あの”貴乃花”にからむ話題だ。貴乃花の引退ですべてケリがつぃたと思っていたら、改めて今度は傷害事件の被害者、貴ノ岩が殴った相手の日馬富士を傷害事件で告訴したとして話題にしている。相撲界のしかも”二番煎じ”だれが興味をもつのであろうか。

テレビの創世期。フジテレビでも情報番組のはしりの「小川弘ショー}があった。今、想い出して見ると、内容は”情報”だけでなく、木琴演奏などのもあり娯楽性も配慮していた。それにしても、各局、内容が同じなのは頂けない。

教育勅語を習った世代からみたアレンジの必要性

2018-10-05 05:37:29 | 2012・1・1
柴山昌彦文科相が新任後の記者会見で”教育勅語はアレンジした形で今の道徳教育に使える分野は十分にある”と発言した。これをめぐって早くも野党側から臨時国会を開いて大臣の資質を問うべきだとの声が上がっている。野党第一党、立憲民主党の辻元清美選対委員長は、まだ、副大臣も決まらない段階で、今すぐ開けと馬鹿なことを言っている。

馬鹿といえば、共産党の宮本岳志議員は、柴山大臣の発言について、自分のフェイスブックの中で”また、馬鹿な文科大臣だ。大臣は勅語も研究もせずに勅語を語っている”と書いているそうだ(産経新聞)僕は寡聞にして、柴山大臣や宮本議員が、どの程度、教育勅語をご存じで、実行されているか知らない。だけど、僕は戦時中、銃後の小国民として6年間、教育勅語を習っている。

6年間勉強したからと言って僕らの世代が“聖人”ぞろいとは言わない。多分、逆に教育勅語といえば、天長節、紀元節など四大節の式典に校長先生がおごそかに読みあげたこと。「朕(ちん)惟ウニ皇祖皇宗」で始まる子供では解からない勅語を全文丸暗記させられたことなどの想い出しかない。そうかと言って、1890年、大日本帝国憲法下で発表された、この勅語を今、読むかえしていて過ちはない。ただ、128年経過して、柴山大臣のいうように、道徳教育に使うとすれば、アレンジしなければならない。

僕個人はそれほど、道徳教育に教育勅語をからませる必要はないと思うが、大臣を馬鹿呼ばわりする議員がいるのでは、道徳教育は必要だ。



サンフランシスコのチャイナ.タウンの慰安婦像

2018-10-04 05:12:44 | 2012・1・1
大阪市の吉村洋文市長がサンフランシスコ市との間で61年間続いた姉妹都市関係を解消すると発表した。理由は同市が市内のチャイナ.タウンの公園内の慰安婦像と日本の”性奴隷”を批判する碑文を再三にわたる抗議にも関わらず撤去せず、返事までよこさない非礼な態度に対してだ。姉妹都市とは、都市と都市とが文化交流や親善を目的としたものだ。大阪市のとった措置は当然である。

サンフランシスコといえば、米国西海岸の観光旅行の目玉、中でも市内にあるチャイナ.タウンは日本人観光客の人気スポットだ。それには戦後、渡辺はま子が歌った「サンフランシスコのチャイナ.タウン」が大きな影響を与えるいるのではないか。
♯ サンフランシスコのチャイナ.タウン(佐々木俊一作詞 佐伯孝夫作曲)
  サンフランシスコのチャイナ.タウン 夜霧にぬれて夢紅く 誰を待つ柳の小窓
  泣いている泣いている おぼろな瞳 花やさし霧の街 サンフランシスコ恋の街

日本でこの歌がヒットしたのは昭和25年(1950年)は、売春防止法が施行される33年以前である。当時、この歌を聞いてサンフランシスコの「赤線地帯」を想起した若者が多かったのではないだろうか。

サンフランシスコの慰安婦像と「性奴隷」碑文は昨年、チャイナ.タウンの住民が建造し市に寄贈したものだが、歴史認識が誤っていた。慰安婦像ではなく、渡辺はま子像と「サンフランシスコのチャイナ.タウン」の歌詞碑文を建てるべきであった。「従軍慰安婦」や「性奴隷」はサンフランシスコには関係ない。


働き盛り 第4次安倍改造内閣

2018-10-03 06:18:12 | 2012・1・1
第4次安倍晋三改造が昨夜認証式を終えて船出した。閣僚名簿を見ると、初入閣が12名と安倍政権最多だそうだが、麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官など基幹閣僚の留任のためか何か今一つ新鮮さには欠ける。しかし、安倍総理を除く19人の閣僚のうち、70歳代は麻生副総理の78歳と原田義昭環境大臣の74歳の二人だけ。逆に50歳代は、最も若い柴山昌彦文科相の52歳を初め5人もいる。柴山大臣は昭和40年生まれである。

安倍総理をいれて20人の閣僚のうち60歳代が半数を超えて13名、全体の平均年齢は63歳だという。80歳代後半の僕からみると、随分若返った印象だが、過去歴代の内閣に比べて、必ずしもそうではない。第1次安倍内閣(2006年)の平均年齢は60.4歳で、40歳代の閣僚もいた。安倍総理は年々進む少子高齢化に対して、全世代型社会保障改革を3年で断行すると言っている。

新内閣閣僚の平均年齢63歳に対して、一般社会では60歳定年の企業が79%、65歳定年16%に過ぎない(厚労省平成29年度資料。閣僚の平均年齢63歳とは開きがある。かって人生50歳時代には60歳といえば、お年寄りだったが、今や働き盛りの年代である。しかし、私事で恐縮だが、安倍総理が生れた昭和29年9月、洞爺丸事故の起きた時には、僕は社会部の駆け出し記者として犠牲者の顔写真集めに奔走していた。吉田茂内閣にかわって、鳩山一郎内閣が誕生したのも、この年であった。

県民性を知らず選対を誤った沖縄県知事選挙

2018-10-02 05:27:22 | 2012・1・1
辺野古基地反対の翁長雄志知事の急死を受けて行われた沖縄県知事選挙で、翁長知事の遺志を受け継いだ玉城デニー氏(58)が自公与党の圧倒的支援を受けた佐喜間淳氏(54)を破り、8万票の差をつけて当選した。安倍総理の総裁連続三期当選後初の大型選挙として注目されたが惨敗で、一部には今後の安倍政権運営にも影響してくるかもしれないという声もあるが-。

僕は結論からいって影響はないと思う。敗北の原因は選対の失敗である。素人の僕が見てもあまりにも「沖縄」しらずであった。選挙期間中、政府与党は東京から菅義偉官房長官や人気の小泉進次郎筆頭副幹事長、小池百合子都知事まで応援にかけつけたが、やはり沖縄"ナショナリズム”と玉城デニー氏のタレントしての知名度には勝てなかった。かえって逆効果ではなかったか。

勝利した玉城デ二ー氏が支援者と一緒にカチャシーの歓喜の踊りをしていた。菅官房長官にはできない。多分小泉筆頭副幹事長でもできまい。県民性である。年間所得300万円やプロ野球球団の沖縄誘致ではない。選挙期間中、安室奈美恵、新垣結衣が佐喜間氏支持を表明、無料コンアートを開催していたら結果は逆転していたかもしれたない。安倍政権色の強い日テレ系列のテレビ局が沖縄にはなく、朝日新聞と論調が近い県紙が二つだけというのも佐喜間氏敗北の原因かもしれない。

沖縄知事選挙の敗北は沖縄を知らない選対の誤り。安倍政権の今後の運営には問題はない。