昔の中学(旧制)の仲間が集まると,東大に見事現役入学したH君の事が話題になる。
H君は低学年の時はいわゆる"不良"で、服装はみだれ成績も下から何番目だった。そ
のH君が誰もが思いも及ばなかった東大に入学したのだ。多分、人知れず蔭で努力して
いたのであろう。
いつの時代でもそうである。少年少女の一時期、一種の”めだとう”精神からか他人と
自分を区別させたい気持ちがある。H君も戦時下、学帽はみな戦闘帽、制服は国防色
の時代だったが、わざと足にまいたゲートルをだらりと巻いたりしていた。
神奈川県平塚の高校で入試のさい服装や髪型の乱れを理由に、合格圏にあった受験
生22人が不合格になっていたという。当時の校長の話では、こういった生徒を入学させ
ると、入学後の先生の生徒指導が大変である。その負担を軽減させるための措置だっ
たのだという。僕には、これは教育の意味からいえば本末転倒だ。このような生徒を正し
徳育するのが教育であり、先生の誇りだと思うのだが。
もともとはTPOをわきまえず、子供を変な格好で試験場に送る家庭が悪い。しかし、それ
を試験の合否の基準にするのはおかしい。”他人のふりみてわが身を正せ”という諺があ
るが、最近の先生方の服装はどうだろうか。全部の先生がおかしくなっているとはいわな
いが、昔にくらべてだらしがない。一般社会では夏場の”クールビズ”以外、事務職でのノ
ータイの職場はすくない。まして教師は子供を教える立場にある。規則にはなくても教壇に
たつ時ぐらいネクタイをつけてもらいたい。
H君は低学年の時はいわゆる"不良"で、服装はみだれ成績も下から何番目だった。そ
のH君が誰もが思いも及ばなかった東大に入学したのだ。多分、人知れず蔭で努力して
いたのであろう。
いつの時代でもそうである。少年少女の一時期、一種の”めだとう”精神からか他人と
自分を区別させたい気持ちがある。H君も戦時下、学帽はみな戦闘帽、制服は国防色
の時代だったが、わざと足にまいたゲートルをだらりと巻いたりしていた。
神奈川県平塚の高校で入試のさい服装や髪型の乱れを理由に、合格圏にあった受験
生22人が不合格になっていたという。当時の校長の話では、こういった生徒を入学させ
ると、入学後の先生の生徒指導が大変である。その負担を軽減させるための措置だっ
たのだという。僕には、これは教育の意味からいえば本末転倒だ。このような生徒を正し
徳育するのが教育であり、先生の誇りだと思うのだが。
もともとはTPOをわきまえず、子供を変な格好で試験場に送る家庭が悪い。しかし、それ
を試験の合否の基準にするのはおかしい。”他人のふりみてわが身を正せ”という諺があ
るが、最近の先生方の服装はどうだろうか。全部の先生がおかしくなっているとはいわな
いが、昔にくらべてだらしがない。一般社会では夏場の”クールビズ”以外、事務職でのノ
ータイの職場はすくない。まして教師は子供を教える立場にある。規則にはなくても教壇に
たつ時ぐらいネクタイをつけてもらいたい。
本当に子供と向き合うという先生に限って、精神を病む傾向があり、退職という形になるという話も多く聞こえます。
結局ところ生きのこれる教師は、どこかサラリーマン化してる感じを受けます。
昔の先生は勉学のほかにも生徒の人間教育もしたものですけど。
私らの子供のころは、「服装の乱れは心の乱れ」と家庭でも学校でも言われたものです。
受験の際にも服装の乱れで不合格にされることは当たり前だったので、今こういうニュースが取り上げられることが不思議でなりません。
それだけ自由な世の中になったのでしょうねぇ。
良い意味での自由ならいいですが、今の自由は線引きがありません。
家庭も社会も自分勝手な思考が先行しています。
昔は教師は聖職といわれた時代がありましたが、モンスター・パーレンツなどが出てくると、聖職どろではありませんね。先生も面倒なことは避けてとおりたい気持ちはよくわかります。でも、最初から服装の乱れや髪型を合否の基準にするのは、果たしてどうなのでしょうかー。