「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

71歳”暴走老人”の動機は生活苦、年金への不満

2015-07-02 06:52:28 | Weblog
東海道新幹線「のぞみ」内で焼身自殺した71歳の老人の犯人像が明らかになってきた。新聞などの情報を総合すると、老人は東京郊外の木造二階建アパートの一室に住む一人者で、犯行の動機は生活苦から自分の貰っている年金への強い不満からであった。老人は普段から周囲の人に対して”年金事務所の前で自殺しやる”と漏らしており、焼身自殺の現場に残されたリュックの中にも年金相談に関するメモなども残されていたという。

老人は日頃から”二か月に一度貰う24万円の年金では家賃や光熱費を払い税金まで支払えば生活出来ない”と言っていたそうだが、年金額からみて、年金は厚生年金のようだが、老人が言う35年間働き続けた額にしては少なすぎる。老人は故郷の岩手県から上京、盛り場で歌の流しをしていたが、芽が出ず、その後は解体会社や幼稚園も園児送迎バスの運転手など転々と色々な仕事をしていたという。しかし、不幸にも仕事先の多くが厚生年金に加入していなかったのであろう。

老人が上京してきたのは「列島改造」の時代で、地方の若者が集団就職で”金の卵”ともてはやされていた頃であった。老人も若い時には故郷に月9万円も送金していたという。バブルの時代はそうだったかもしれないが、はじけた後の不況では、老人には厚生年金に加入しているような仕事先はなかったのであろう。

事件を起こした日は老人の家賃支払い日であった。関係者によると老人は東北人らしく几帳面で家賃の滞納などなく、近所での評判もよかったようだ。古代中国では、70歳は古来希なりといい、矩(のり)を越えずともいった。しかし、今の日本は違う。71歳は”前期高齢者”で元気な人が多く、できればまだ仕事したい人もいる。しかし、職はなく年金生活に頼らざるをえない。その年金が僅かでは、将来に「のぞみ」はなく、このよう短絡的な暴走老人が出てきてしまう。超高齢者時代、考えさせられることが多い。

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2 コメント

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新幹線も空港並みの手荷物検査と金属探知機検査への移行 (lordyupa)
2015-07-02 19:02:03
今回の焼身自殺事件で、
日本の新幹線での自爆テロ対策が全くないも同然という現実が世界中にあきらかになりました。利便性は著しく悪化するけれども、いよいよ、本格的なテロ対策がいると思います。ホームにある待合室を増やし、予定時刻の30分前ぐらいには、ホームに入るような利便性の悪化も、乗客は我慢する必要があると思います。

ブロガーのご指摘通り、
もともと、自宅を保有せず賃貸料を払いながら国民年金保険の給付額では、なんらかの収入がないと、生活できない制度となっていると思います。現行の福祉制度では、「生活保護」申請で対処する以外にないと思います。

国民年金は、農業や自営業で生涯現役(高齢になっても、ある程度は収入を得られる目処がある)の人たちを対象とした制度設計したものを、「不安定な被雇用者」や専業主婦にまで無理やり適用している点に、本質的に問題があるように思います。
現役のころに高度経済成長時代を過ごし、Japan as No.1と呼ばれた時期を経験した人たちでも、今回のように未だ未だ相当の該当者がいると思います。
被雇用者の場合には、零細企業に勤務の場合にも、厚生年金保険と同じような高額の保険料金納付と雇用者にも保険料金負担をするように年金制度を変更する必要があると思います。

1990年代以降、非正社員の比率が年々増加しているために、これらの非正社員労働者が、国民年金給付を受ける三十年以後には、国民年金給付のみの人々の比率も激増しますので、高齢者の生活保護対象も激増すると思います。
解決策は、高齢でもずっと働ける社会(雇用の創造)しかないと思います。
非正社員の賃金増加、高齢でも健康であれば、生涯働けるメシの種(雇用機会)を産み出す必要があると思います。年金受給開始年齢も延長する必要があると思います。

未来に対しては、国民を分断する「非正社員制度」の抜本的な見直しが必須だと思います。


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社会構造の変化 (kakek)
2015-07-03 16:23:41
lordyupa さん
バブル期をはさんだ日本の社会構造の変化が原因ですね。友人の一人は町工場を経営していたが倒産、同じ規模の会社に就職しましたが、厚生年金に加入していない会社だったので、80歳過ぎても、警備員で働いています。持ち家なので生活保護はうけられません。かってはどこにでもあった町の商店主も店を閉じた後、同じような境遇にあっりますね。
1980年頃”派遣”のはしりでJICAの仕事(通訳)をしましたが、この”派遣”が一般職にまで広がり、これが当たり前になったことが、やはり間違いだった気がします。
健康で自分が望むなら、今では70歳まで働ける環境にすべきですね。戦前の養老院では院内で手仕事をさせていました。
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