「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          忘れられた「通州事件」から74年

2011-07-28 06:04:44 | Weblog
74年前の昭和12年(1937年)7月29日、北京郊外の通州で民間人を含む日本人居留民260余名が当時の支那軍保安隊によって虐殺されている。日支事変の発端となった盧溝橋事件から3週間後の出来事で、惨殺された日本人の多くは北京から避難してきた人たちであった。

僕の先輩の安藤利夫さん(故人)もたまたま、この通州事件に遭遇したが、九死に一生を得て生き残った数少ない日本人であった。安藤さんは当時同盟通信(現在の共同通信)の特派員として北京にいたが、北京の情勢が悪化したため、一般邦人と共に通州に来ていた。戦後安藤さんは、その時の支那軍保安隊の残酷さを文芸春秋臨時増刊号「昭和の35大事件」(昭和30年8月発行)に書いている。この事件が契機で、日支間の戦争は本格化し、戦火は中国全土に拡大していった。

しかし、今や通州事件といっても特別な研究者以外知る日本人少なくなってきた。多分歴史の教科書にも登場してこないだろう。中国の現代史も無視しているに違いない。これに反して日本では、中国の史観にたった南京虐殺事件が正当化され独り歩きしている。

安藤さんは大東亜戦争勃発時は、同盟通信の蘭印バタビア((ジャカルタ)支局長をしていて、開戦と同時に蘭印当局に逮捕され、他の在住邦人と一緒に豪州の砂漠地帯のラブダイに送られ、1年間抑留生活を送っている。その後、戦争中も日本軍政下のジャカルタにいてどちらかといえば、インドネシア通として知られている。

僕もインドネシア問題について安藤さんから教えを受けた一人だが、通州事件や南京陥落当時の中国についてはお聴きするチャンスがなかった。今思うと残念なことであった。

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6 コメント

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ご無沙汰しております (長崎・北村芳正)
2011-07-28 08:49:00
貴重なお話をありがとうごさいました。
通州事件は、うちの役員が現役の新聞記者によく話してきかせていますが、誰も知っている人間はいません。もちろん教科書には、調べたことがありますが、どれも載っていません。
戦後の日本人として周りに語っていかなくては、と改めて思いました。
安藤利夫氏の記事のことは大変ありがたく、図書館で調べて早速読ませていただきます。
明日は、その役員と一緒に黙祷して犠牲者のご冥福をお祈りしたいと思います。

ほぼ毎日拝読しています。とても勉強になり、楽しみにしております。
お元気で、これからもよろしくお願い致します。
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安藤利夫氏の記事について (長崎・北村芳正)
2011-07-28 14:43:03
長崎県立図書館が文藝春秋のバックナンバーを収蔵していますので、行ってきました。
残念ながら、昭和30年3月号には、安藤利夫氏の記事は見当たりませんでした。念のため、同年の2月号、4月号、昭和31年、32年、33年の3月号にもあたりましたが、見つけることが出来ませんでした。
よかったら、その記事の表題を教えていただければありがたいです。
もう一度、探して見たいと思います。
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申し訳ございません (kakek)
2011-07-28 15:52:45
北村芳正 様
お手数かけてすみません。ネット情報で確認せず記して申し訳ございません。これも未確認のネット情報ですが、安藤さんの原稿は1955年8月5日発行の「文芸春秋」臨時増刊”昭和の35大事件”P176-153とあります。「安藤利夫通州事件」で検索しますと、通州事件の研究者の原稿が載っています。
安藤さんは東京商大、専門部卒業で英語に堪能な方で、戦後同盟から産経新聞に移り、アジア問題の論説委員をされていました。
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負け犬すぎる (chobimame)
2011-07-28 18:24:01
日本はもっと被害についても語るべきです。日本の戦争は加害一辺倒ですが、だったら勝ち戦になっているはずです。日本は被害といえば原爆だけ。あとは全て謝罪です。実にふざけた話しです。この通州事件まったく知りませんでした。日本も中国に対し、被害者数を何万倍も水回しして言ってやればいいのです。土下座しているだけの歴史も外交も間違っています。
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歴史は複眼で (kakek)
2011-07-29 08:49:11
chobimame さん
やはり、よく言われているように東京裁判の呪縛ですね。勝者が敗者を裁いた裁判です。いまだにこの呪縛から解けず、教科書が編纂され、その歴史観の教師が教えています。歴史は複眼で見るべきです。早晩「北」との問題が解決されるときがきますが「北」の主張にふりまわされないように当時の朝鮮半島の歴史を若い世代は勉強してもらいたい。
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安藤利男氏の手記ありました (長崎・北村芳正)
2011-07-29 13:23:46
ご教示、ありがとうございました。
確かにその号に『通州の日本人大虐殺」と題してありました。
なお、ネットで検索すると、アジア歴史資料センターに収蔵されている安藤利男氏の事件直後(平成12年9月)の講演録「虐殺の巷通州を脱出して」の全文が読むことができます。こちらの方が詳細ですが、戦後生まれの人には戦後の資料が受け入れ易いと思いますので、文藝春秋の手記を周りに配りたいと思います。
ありがとうございました。
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