”隣の家の赤いバラ”という諺がある。三省堂「慣用句ことわざ辞典」によると”他人の物はよく見えて羨ましい”という意だそうだ。わが家の隣の玄関先のバラが今真っ盛りである。(写真)道行く人を楽しませ、住む人の気持ちの優しさがわかる、
その昔学校で習った吉田兼好の「徒然草」の中に”おほかたの家居にこそ、ことざまは推量できる”(第十段)というのがあった。大体の家の構えを見れば、その人の人柄まで推量できるといった意味だ。兼好は家の構造について関心の持ち主だったようで”家の造りやうは夏をむねとすべし(第五十五段)ともある。”暑き頃、あしき住居は耐え難き事”だと書いている。
今年の夏も暑そうである。階下に住む娘一家は、すでにごうやの苗を買ってきた。暑さ除けにごうやで”緑のカーテン”を造ろうというわけだ。都会育ちの僕はあまり植物には関心がない。それとも戦中戦後の食糧難時代の”かぼちゃ”造りの体験が災あいしているのだろうか。
兼好は鎌倉時代末期に生きた僧侶で、当時としては69歳と長寿だったが、今の僕の年齢からみれば、はるかに若い。しかし、書いていることは、ずーっと僕より悟りが開けている。たんに時代が違うという、だけなのだろうか。
最近は、庭木を目にする事も少なくなりました。やはり緑があると良いですね、
戦争直後、進駐軍の教育介入のせいか、まだ戦後の教科書が出来ぬ暫定期間、教師は国語の教科書として徒然草みたいな当たり障りの古文を使ったみたいです。旧制中学でも大学予科でも勉強しました。しかし、若い時教科書として読んだ時と違い、今読むと新しい発見がありますね。まだ気力があるうちに、もう一度古典に挑戦できればと思っています。
確かに人生50歳の時の大人は老成していましたね。今の50歳は言動ともに幼稚に見えます。
孔子様は、
「・・・四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩・・・」と言われておりますが????
先日、先輩の白寿のお祝いを主催して、超高齢化時代を実感しました。90歳代の方が4人もいました。しかし、残念なのは、やはり90歳になると、昔のようではないことです。耳が遠くなったり、足腰が弱り、杖のお世話になったりです。でも、こういった会に出られるのは幸せです。僕の周囲の80歳でも福祉の支援や介護の世話になってきています。長寿は喜ばしいのですが、他人の世話にならず、いつまでもいたいものです。