「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           若狭の遠敷 江戸の牛込

2010-05-01 05:16:50 | Weblog
福井県小浜市に遠敷という地名がある。”おにゅう”と読むのだが、まづ土地の人以外
正確には読めない。その遠敷の土地の由来について知り合いの若狭郷土史家の永江
秀雄先生から貴重な資料を頂戴した。先生は半世紀にわたって遠敷の地名の由来を研
究調査されてきている。

平成7年、僕は15世紀初めに小浜の海岸に南蛮船に乗って渡来した象について先生か
らいろいろご教示を賜った。以来、先生の知己を得て若狭地方の郷土史の資料を頂戴し
勉強させて貰っている。

今回頂いた資料によると、遠敷は奈良時代の木簡などには”小丹生”(おにゅう)と記され
ている。丹は朱と同意語で朱が採れる地という意味である。事実、最近遠敷の地でその
朱の採掘跡の洞が発見されている。

古い歴史を持つ若狭に引きかえ東京はせいぜい江戸幕府3,400年の歴史しかない。にも
かかわらず、東京の人間は自分の住んでいる町について知識もないし関心も薄い。僕が
生きてきた80年の間だけでも江戸時代から続いてきた地名が消えてしまった。例えば牛
込である。子どもの時歌ったザレ歌に"火事はどこだ牛込だ。牛の○○丸焼けだ”というの
があったが、今の人はなんの事だかわからない。神田鍛治町という地名はかろうじて残っ
ているが、”神田鍛治町,角の乾物屋のかちぐ栗かたくてかめない”という江戸ザレ歌の面
白さは伝わっていない。

たかが地名の損失ではない。それは郷土愛の損失にも通じるものがある。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おニュー (chobimame)
2010-05-01 23:55:52
難しい地名ですね。おにゅうなどと読むとは想像が出来ません。よく考えれば地名も土地の歴史に由来した意味がありますよね。探ってみるのは面白そうです。牛込という地名が変わってしまったのは驚きです。20年前くらいは、何処かのテレビ局は牛込ではなかったですか?地名もどんどん変わるのですね。なぜ変えるのか意味がわかりませんが。
返信する
変な合理主義 (kakek)
2010-05-02 07:39:32
chobimame さん
戸番整理の影響でしょうね。それでも京都などは頑固に抵抗したらしく、年賀状を書く時困りますね。東京も一部、神田などは昔の名前を残しましたが、文京区、新宿区は消えてしまいました。江戸時代はおろか夏目漱石の時代の東京の地名もわからなくなってしまいました。
今は郵便番号で手紙が届きます。牛込とか本郷
などの地名は残して貰いたかったです。
返信する
時の流れが (あろま)
2010-05-03 09:26:10
+(*_*)+ kakekさん、おはようございます ♪~
ますますお元気そうで何よりです。

本郷界隈にあった本郷肴町・本郷蓬莱町・本郷追分町なども今では向ヶ丘1~3丁目に名を変えてしまったし。。。
深川千田町や深川千石町、深川海辺町も深川がとれてしまい単に千田・千石・海辺になってしまいましたね。
それでも新宿の一部に横寺町、箪笥町、二十騎、納戸町、鷹匠町などが残ってるのは嬉しい限りです。

散歩好きな私は実家に戻ると旧地名を訪ねる散歩を楽しみにしています。
次回は下谷方面に出掛けてみようかと考えてます。 (^_^)v
返信する
Unknown (kakek)
2010-05-05 10:39:15
あろま さん
ご返事が遅れて申訳ございません。馬齢を重ねたことを時々痛感します。
戸番を改正した時(昭和30年代後半?)の行政担当者の感性だったのでしょうね。せっかく江戸時代からあった地名が、あの時代にだいぶ消えてしまいました。文京区、大田区といった区名も味気ないですね。
 
返信する

コメントを投稿